森の魔女と訳あり王子の恋物語

るうあ

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いつまでも、君と 2

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 ハディスは先代の領主の時代からの執事であり、トイン城の家令をも勤めている。
 森の魔女にとっても少なからず馴染みのある人物だが、実際のところ、どういった人柄であるのか、表面的なところしか知らないといっていい。
 数年前まで師匠の供をしてトイン城に頻繁に通っていた森の魔女だが、当時はハディスと顔を合わせる機会は少なかった。まして話すこともなく、たまに見かけるという程度だった。
 厳格で、常から折り目正しく、沈毅な人柄だ。セレンの良き補佐役であり、頼りになる人物なのは間違いない。寡黙ではあるが、陰険な性格ではない。それは森の魔女も分かっているのだが、どう接して良いのやら戸惑ってしまう。
「あの、ハディスさん、ありがとうございます」
 森の魔女は改めてハディスに礼を述べた。
 好奇心の塊と化していた娘たちの中から抜け出させてくれたのはハディスだった。森の魔女に相談があるという口実で連れ出してくれたのだ。
「お役に立てたのなら幸いです」
「は、はぁ」
 成り行きで、隣り合って歩いているのだが、森の魔女は会話の糸口を見つけられず、どうしたものかと落ち着かない。「相談がある」というのはあの場でだけのことだったろうから、それについて問うのも戸惑われた。
「魔女殿」
 森の魔女が困惑しているのを見てとって、ハディスの方から水を向けた。
「本日は、トイン城にはおいでにならないのですか?」
 ハディスの口調は淡白なものだが、それだけにいつもの厳格さがなかった。
「え、えっと……、とくに約束はしてませんでしたから……」
 セレンに会いに来ないかという問いかけだったのだろう。まさかハディスの方からセレンの名が出るとは思わず、森の魔女は少しばかり身構えてしまった。ハディスの口調は誠実で、……気のせいかもしれないが、親身に感じられた。そこに作為のようなものは感じられない。
 森の魔女は張っていた気を僅かに緩めた。
「ハディスさんは……町へはお仕事の御用でいらっしゃったんですか?」
「ええ。セレン様に使いを頼まれまして」
 御用は済んだのかと問えば、「はい、滞りなく」と短い返答があり、そこで会話が途切れてしまった。
 森の魔女は弱り果ててしまっていた。何か話すことはないかと思考を巡らせてはみるが、適当な話題が何一つ浮かばない。そもそもなぜ一緒に歩いているのかも謎だった。森の魔女は人見知りをする性質ではない。ハディスだから緊張してしまうのだ。
 ハディスは城下町へは馬車で来たようだ。その馬車は町ある駅舎に預けてあるという。森の魔女もたまに預けることのある駅舎だ。今日、森の魔女は散歩も兼ねて徒歩できていた。森の奥の館から町へは、森の魔女の歩調では半刻以上はかかる。魔法を使ってひとっ飛びできないのかと町の娘たちに訊かれることもあるが、答えは一応「できない」としてある。試したことがないだけで、もしかしたらできるのかもしれない。いつか試してみるのも、いいかもしれない。
 そんなことをぼんやりと森の魔女が思案していると、落ち着いた声が頭上から振ってきた。
「魔女殿」
「はっ、はいっ?」
 いつしかハディスは足をとめていて、森の魔女も呼ばれたと同時に歩を止めた。ハディスは軽く会釈をするかのような仕草をし、森の魔女に言った。
「魔女殿、よろしければこれからトイン城においでになりませんか? 今からなら午後のティータイムに間にあいましょう」
「え?」
 唐突といっていいハディスの申し出に、森の魔女は黒眸を瞬かせた。
「セレン様も待ちかねておいでですよ」
「え、でも」
 森の魔女は返答に窮した。誘い自体はありがたかったが、ハディスの意図が分からなかったし、やはり遠慮が先に立ってしまう。
「これから何か予定がおありでしょうか?」
「いえ、とくに予定はないんですけど……」
 断るのも失礼だろう。けれどなぜ突然、という疑問の方が大きくて返事が曖昧なものになってしまう。
「はっきりしないな、まったく」
 苛立って、口を挟んできたのはリフレナスだった。森の魔女の肩に載り、髪の中にうまく身を隠していたリフレナスだったが、ひょっこりと姿を現した。
「この際だ、はっきり訊いてみたらいいだろう」
「ちょ、リプってばっ」
 森の魔女は慌ててリフレナスの口を塞ごうとしたが、リフレナスは難なくそれをかわす。身体が小さいとこういうときは便利だ。リフレナスは反対側の肩に回って、そこからハディスを見上げる。
「これは……魔女殿の眷属の……リフレナス殿でしたな?」
 主人同様、ハディスもリフレナスの名をきちんと覚えているようだ。まちがっても「リプ」などと呼びはしない。
 ハディスは森の魔女の肩に載っている金褐色のネズミを改めて見やる。初対面でこそなかったが、言葉を交わすのはこれが初めてだ。
「訊いてみたら、とはもしや私に対してでしょうか、リフレナス殿」
「そうだ」
 リフレナスは長い尻尾を振り、なんとか黙らせようとする主の指を払って、続けた。
「こいつはこいつなりに遠慮して、そして不安なのさ。王子に、自分は相応しくないんじゃないかってな」
 あえて口にしなかったことをリフレナスに言われてしまって、森の魔女は押し黙るしかない。気まずくてハディスから顔を背けてしまった。
「ことにあんたはここ最近まで、こいつと王子のこと、快く受けて入れてなかったろう?」
 口の利き方がなってないよ、と森の魔女が小声で呟いたが、リフレナスはそれも無視した。


 ともに歩んでいた二人、白髪まじりの初老の男と黒髪の少女は、見事なほどに紅葉している楓の木の下で、足を止めた。向かい合って立ち、僅かの間、沈黙が二人の上に掛かっていた。
 リフレナスの問いを受け、ハディスは軽く息をついた。
「……そうですな」
 ハディスのその一声に、森の魔女は背けていた顔を戻した。そこに見た顔は、森の魔女の予想とは違ったものだった。
 ハディスの表情はいままでになくやわらかい。
「最初は、たしかにそう思っておりました。領主という身分に相応しい伴侶を選ぶべきだと、セレン様に何度か進言もいたしました」
 森の魔女はまじろぎもせずハディスを見つめている。ハディスの黒とも茶ともつかない瞳もまた、森の魔女を見つめていて、しかしそのまなざしは温かなものだった。
「セレン様は王族に連なるご身分でもいらっしゃいます。身分柄に釣り合った相手をお選びになるのがよろしいでしょう、と」
「そう……ですよね」
 ハディスの意見はもっともなことだ。それが当然だ。そのことは森の魔女だって分かっていた……はずだった。
 ――わたしと王子とでは、身分が違う。天と地ほどの差が、あるはずなのだ。
 市井の民、ですらない。得体のしれぬ「魔女」なのだ。しかも素性の知れない孤児でもある。
 王子のお相手として、これほど釣り合わない娘は他にいないのでは。森の魔女はみるみる気分を下降させ、悄然と項垂れた。
「魔女殿」
 気落ちする森の魔女に、ハディスは優しく声をかけた。
「最初は、と申したでしょう。今はもう、そのような考えはありませんよ」
「…………」
 森の魔女は戸惑いがちに顔をあげた。そこには思いがけず穏やかな顔があり、しかし森の魔女は愁眉を開くことはできなかった。
「セレン様が仰られたのです。――魔女殿がいたからこそ、今の自分があるのだと」


 現国王の、妾腹とはいえ認知された「王子」であるセレンは、生まれてから数年は王都に住まいをあてがわれ、そこで母とともに慎ましやかな生活を送っていた。そこにはセレンの母方の父母もいて、セレンを養育したのは病弱だった母より、むしろ祖父母だったろう。ふたりは権勢欲の薄い性質で、贅沢な暮しを求めず、安寧な日々を享受していた。それなりに幸福だったといえよう。
 ただ、自由だけがなかった。未来も、なかった。
「王都の屋敷にあって、私は常に王子であることを意識させられ、そのように振る舞うことを求められた。王家に対して何をも求めぬよう見張られて、それでいて王子であることを忘れるな、と。母に恥をかかさぬよう、言動にはくれぐれも気をつけろと、祖父母は怯えたような顔をして、私にそう言ったものだよ。幸いというべきか、さほど苦痛ではなかった。私自身、そうすべきだと思っていたしね。あるいは、苦痛を感じる心すら、なかったのかもしれないが」
 セレンはほろ苦い笑みを浮かべて言った。
「周りの者は常に私を王子として見、そのように扱ってきた。致し方のないことと割り切っていたつもりだったけれど、虚無感は拭えなかった」
 遠い日々を思い起こす時、セレンの亜麻色の瞳は切なげな翳を帯びる。
 当時、セレンだけではなく、母もまた、己の心を押し籠め、無私であることを示し続けていなければならなかった。そうせねばならなかったのには、命の危機という理由があったからでもある。母も、祖父母もそれを知っていたから無欲であることをわざとらしいほどに見せつけなければならなかった。
 とくにセレンの母は、自分自身よりむしろセレンのためにそれをしていた。忍従は、母にとってさほど難しいことではなかった。もともと従順な性質で、自分というものを強く押し出すことのできない性質だったからだ。
 国王の「愛人」という立場は、危ういものだった。
 たとえ国王に正式な世継ぎがいようと、その危険性は完全にはなくならない。
 セレンの母は、運命に対抗するほどの力を持たなかった。そもそもセレンが生まれてからようやく、自分の立場を……現国王の「愛人」だったということを知ったのだ。正妃に対抗しようなぞ、かけらも考えなかったろう。
 それでいて、セレンの母はうまく危うい立場をしのぎ続けてきた。
 身を引くことで、セレンの母は我が身と我が子、そして生家の名も守ったのだ。
 国王の庶子として生まれたセレンだが、王家に対して、また国政に対しても、一切容喙しない。それをセレンの母は誓約した。そうすることで「セレン」の存在を国王に認めさせた。
 セレンの存在を公にすることで、多くの制限を抱えることになった。だが、そうすることでセレンに僅かな「自由」を与えたかったのだろう。
 しかしやはりセレンの身は、がんじがらめといっていい状態だった。生きて存在していることを許されている、ただそれだけだった。
「王都から出、この辺境の地へ封ぜられても、それは同じだったよ。与えられたかに見えた自由は、責任へと転嫁させられたからね」
 セレンの祖父母が相次いで亡くなり、母の実家ミレー家の後ろ盾を失くした後に、やっと事態は動いた。国王の計らいで辺境地リマリックへ送られることになったのだ。国王の情義ではあったろう。国王自身も自由とは言い難い立場にいる。セレン達に私情を示すことはできなかった。
 セレンは次期領主の座を与えられた。そこには様々な思惑や事情があり、最善といえる措置でもあった。セレンにそれを断る選択の余地はなかった。母のためでもあった。
 王都の屋敷から外に出たことのなかったセレンにとっては、どこも変わらないだろう、という気分しかなかった。変わりはしない。ただ場所が変わるだけなのだ。
 落胆した自分が滑稽でもあったし、落胆したそのこと自体にも多少の驚きがあった。
 何かしら「変わる」のではないかと、期待したのかもしれない。具体的にそれを考えたわけではない。とにかく王都を出て、監視の目がほんの少しでも減るのなら、今よりはマシかもしれない。
 そんな風に、「期待しない」とセレンは自分に言い聞かせていた。
 だが、そこでセレンは出逢ったのだ。
 魔女見習いだという、あどけなく屈託のない、天真爛漫な少女と。
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