森の魔女と訳あり王子の恋物語

るうあ

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いつまでも、君と 1

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 王都から遠く隔たったリマリック領、その城下の街は今日も平穏そのものだ。

 数日前まで、トインの城下町ではとある「噂」がそこかしこで語られていた。領主であるセレン王子に恋人ができたらしい、というのがそれだ。が、近頃では語尾の「らしい」がとれて、確定事項となった。相手も判明している。ゆえに若い娘たちのざわめきは大きく、伝搬も瞬く間だった。とまれ、ご領主さまの恋のお相手に関してはおおむね好意的に語られている。トインの城下町では広く顔の知られた「森の魔女」だからだ。


 落葉樹の紅く色づいた葉が、ひらひらと風に流される。刻一刻、森は冬へと移っていく。城下街には黄色に染まった街路樹が多い。森の中とは違った秋の色が街を鮮やかに彩っていた。その様子を綺麗だと眺める暇もなく、数日ぶりに街へやってきた森の魔女は、わらわらと集まってきた娘たちに囲まれて、にっちもさっちもいかなくなっていた。
「魔女さん、聞いたわよぉっ」
 第一声が、それだった。森の魔女を取り囲む娘たちの目は好奇心に満ち、輝いている。
 面喰っている森の魔女のことなどお構いなしで迫り寄ってくる。
 若い娘たちにとって他人の恋路の噂話ほど、食指をそそるものはない。好奇と羨望と、少しばかりのやっかみと、それらで娘たちの心は他人事ながらもときめいている。
 森の魔女は好奇の的にされるのを半ば覚悟してやってきた。粉屋の娘ノーラに口止めをしていなかったのだ。ひろまるのは、必須だったろう。王子もたぶん、隠したがらない。ただ、一緒に居たリフナレスのことをノーラは話し広めなかったようだ。事情がはっきりしなかったからだろう。そこは配慮してくれたらしい。話の発信源のノーラはこの場に居合わせなかったから、どこまでどのように話を広めたのかを確認はできなかった。
「ねえねえ、魔女さん、ご領主さまと恋仲になったって、ほんとなの?」
 その質問に、森の魔女は「まぁ、一応……」と曖昧に応える。さすがに気恥しい。顔が熱ってくるのが自分でもわかった。
 昔から女友達の間で交わされる他愛無い恋話につきあうことはあったが、このテの話は実のところ森の魔女は苦手な方だった。
「魔女さんったら。ただの幼馴染だなんて言っておいて」
「玉の輿ってことじゃないの、やるわねぇ、魔女さん」
「でもさ、意外なようで、意外じゃないっていうか」
「まあ、なんだかんだ、お似合いといえなくもないんじゃない? セレン王子って、魔女さんのことは特別扱いっぽかったもんね」
「ああ、そうかも。ってことは、告白はセレン王子から?」
 矢継ぎ早に質問を投げかけてくる娘たちに、森の魔女はたじろいでしまう。けれど、安堵感もあった。もっと「王子に貴女は不釣り合いだ」と責められるかと思ったのだ。それを、ぽそりと口にしたら、娘たちはあっけらかんと笑って言った。「そんな風には思わないよ」、と。
 たしかに身分やら地位やらでいえば、「ご領主さま」の恋人として、森の魔女ではその身分に「差」がありすぎるだろう。領主で、しかも王子の庶子でもあるセレンだ。身分に釣り合った相手をあてがわれるのが、普通だ。
 ところがこんな辺境の小さな領地に、好きこのんでやってくる「ご令嬢」はいないだろうと、町の娘たちは暢気なことを考えていたのだ。貧しい領地ではないが、王都からはあまりに遠い、辺境の地だ。
 そもそもセレン王子自身が身分柄に囚われない性質なのは、リマリックの領民ならほとんど誰もが、といっていいほど知っていることだ。
 ありていにいえば、町の娘たちは、「あわよくば」と考えていた節がある。本気でそれを思うものは少なかったろうが、儚い期待を口にしたところで咎められることはなかった。領主であるセレンのおおらかで気さくな性格が、そのまま領民の気質として定着したようだった。
 だからセレンの恋人が森の魔女であってもいいんじゃないか。セレンらしい恋のお相手なのではと、楽観的に受け入れたようだ。
「それにしても、魔女さんって、いつもすごいなぁと思ってたのよ」
 魔女を取り囲んでいる娘たちの中の一人が、感心しきったように言った。
「あのきらっきらした美貌の王子を前にして、よく平静でいられるなぁって。いかにも王子様って雰囲気放ってて、気さくな方なんだけど、さすがに目の前にするとさすがにあたしも緊張しちゃってたもの」
「……う、うん、なんかそれは、慣れ、というか」
「でもあれって慣れるレベル? 身分柄上品なのはあるにしても、あの美貌ってちょっと桁はずれって感じなんだけど。なんていうのか……明けの明星みたいな美しさじゃない?」
「うん……」
 これにも森の魔女は頷いた。
 明けの明星とは、なんとぴったりの比喩だろうと感心もしている。
 セレンの美貌は母親譲りだが、儚げというよりは、たしかに綺羅星のような輝かしさがある。若さという生気もあいまって、セレンには凛とした美しさがある。しかも匂い立つような艶やかさもあって、娘たちの胸をときめかせるには十分すぎる容貌なのだ。
 セレンの美しさを森の魔女は知っているつもりでいたが、表面的なところだけを捕えていたのかもしれないと、最近ではそんな風に思ったりもする。
 セレンの微笑みの甘やかさにくらくらしてしまうことも、増えてきた。
「慣れたつもりではいたけど、……最近は、なんだか慣れなくなってきた、かも」
 森の魔女の素直な答えに、周りの娘たちは微笑みを交わしあった。やっと恋話らしい雰囲気になってきた、といわんばかりだ。森の魔女の返答がどれも曖昧で、惚気る気配もなく、ちょっとだけおもしろくなかったのだ。もっと惚気てくれてもいいのよ、と娘たちに迫られ、森の魔女はたじろいでしまう。惚気ろと言われても、はてしてどうすればいいのか分からない。
 とまどう森の魔女をよそに、娘たちは好奇心のくすぐるままに話題を転じた。
「そういえば魔女さん、シグに言い寄られてたんじゃなかった? あいつ、しつこかったでしょ? どうなったの?」
「あ、なんでも、手を引いたらしいよ? 何があったかは知らないけど」
「恋敵がセレン王子じゃ勝てっこないって思ったんじゃない?」
「あの自信家のシグがそのくらいで引き下がるとも思えないけど」
「ま、あいつのことだから、次のターゲットを探してるんじゃない? とっくに切り替えてそう」
 実のところ、森の魔女も詳しいことは知らないのだ。セレンが何かしらシグに言ったようだが、何を言ったのかは、結局教えてはもらえなかった。あれからシグと顔を合わせることもなくなった。
「それにしてもまぁ、魔女さんもご領主さまも、収まるところに収まったって感じね」
 それが娘たちの総意であるらしい。皆一様に頷いている。
「でも、あの……なんて言ったっけ、セレン王子のとこの執事さん。あちこちに人をやって、王子に相応しいご令嬢を探してるって聞いたけど」
「らしいねぇ。そこんとこどうなの、魔女さん? 執事さん、けっこう厳しそうな人だけど?」
 恋人として認めてもらえたのか、という問いに、森の魔女はまたしても曖昧に答えるしかなかった。
「たぶんもう、反対はされていないと思う」
 希望的な観測ではあるけれど。
 王子に会いに居城に赴いた時も、渋い顔はされなかった。――王子に招かれて居城に赴いたあの日。王子から「惚れ薬」の顛末を知らされたあの日にはすでに、ハディスからは険しい雰囲気は感じられなかった。
 おそらく反対はされていた。
 初めてハディスが森の館を訪れた日のことを、森の魔女は思いだす。あの時の、あのハディスの態度、視線……それらは到底「容認」を示すものではなかった。主人たるセレンの想い人が、まさか「森の魔女」とは、到底理解できないものだったのだろう。ある種の侮りが、ハディスの沈着な瞳の奥に潜んでいた。もしかしたら魔法か何かでセレンを誑かしているのでは、という疑念すらあったに違いない。そしてそれを確かめるために、「森の魔女」の顔を見に来たのだろう。
 森の魔女は、ため息を零した。
 惚気はともかく、暢気に喜びを表せない理由が、ここにある。
 ため息をつく森の魔女の肩の上に、金褐色の毛並みのネズミがいて、同時にため息をついていた。騒々しい娘たちに見つからぬよう、主の黒髪の中に身を隠していた。さすがに今日は人間の姿になれと主は命じなかった。こうして囲まれることを予想してのことだったのだろう。
「――いいかげん、とっとと抜け出せ」
 リフレナスは主にそっと耳打ちをした。すっかりうんざりしきっている。
「そんなこと言ったって……」
 森の魔女は情けない声で応じる。去り時を逃したのは失敗だった。娘たちは森の魔女に構うことなくお喋りに話を咲かせている。
 適当にお茶を濁して娘たちの輪の中から離脱する……というのは、世慣れない森の魔女には難題だ。王子なら、適当にあしらったり強引にごまかしたりするが得意だから、うまくこの場を切り抜けられるんだろうな……そんなことを考えたが、実際この場に王子にいたら娘たちは余計に色めき立つだろうし、王子は照れもせず甘い台詞を言ってのけるに違いない。
「あら、噂をすれば」
 想像をめぐらせていた森の魔女の鼓動を跳ねさせることを、娘の一人が口にした。
 森の魔女はぎょっとして娘の一人が視線を流した方へ、顔を向けた。
「これは、皆さま、おそろいで」
 大勢の娘達の視線と賑やかしい声に足を止め、穏やかな笑みを見せたのは美貌の青年ではなく、初老の男性だった。
「森の魔女様にも、ここでお目にかかれてよかった」
 慇懃に会釈をしたのは、セレンの執事を勤めるハディスだった。
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