森の魔女と訳あり王子の恋物語

るうあ

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たとえば、君と 4

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 目覚めて、体の不調は消えたが、機嫌の方はといえば、やはりよろしくはなかった。
 状況を把握して、それでもなお、森の魔女はずっとふくれっ面だ。
 セレンの腕に支えられて眠っていた時の安らいだ顔はとっくに消え、むくれて、拗ねたような顔をしている。ひどく子供っぽい。それすらもセレンの目には愛らしく映るのだ。惚れた弱みというものだろうかと、セレンは自分自身が可笑しくもある。
「少しからかっただけだよ、リフレナスは。悪気があったのじゃないし、もう、機嫌を直して」
「でも! 王子、ひどいこと言われたんですよ!」
「そうかもしれないけれど、嬉しくもあったよ」
「はい?」
 怪訝そうに、森の魔女は首を傾げた。王子だって、リプの不遜な態度に腹を立てていたではないか。それなのに? と、納得いかぬようだ。
「はじめは、リフレナスの真意を知らなかったからね」
 微笑んで、セレンは森の魔女のしっとりとした黒髪をひと房、手に取った。そして口元に寄せ、軽く接吻する。流れるようなその動作に、森の魔女は身体を硬くするしかない。見る間に、頬が朱に染まる。
「君が、私を好きだと言ってくれたろう? とても嬉しかったよ」
「……あ、あれは……っ」
 勢い込んで、セレンの目の前で「好き」と宣言してしまったことを今更に森の魔女は思いだす。
「君の気持を改めて知ることができたのだからね。リフレナスには感謝しなくては」
「それは、でも……っ」
「本心からの言葉だと思ったけれど?」
「そう、ですけど……」
 目の前にある美麗な笑みが、あまりにまぶしい。亜麻色の瞳がいつも以上に甘い雰囲気を醸し出していて、森の魔女の鼓動は速まっていくばかりだ。セレンの美貌は見慣れているはずなのに、時々こうしてうろたえてしまう。
「ところで、もう身体は大丈夫かな?」
「はい、もう大丈夫です。気だるさも消えたし、平気です。歩けますよ」
 なのにどうして王子は腰に手を回してるんですかと、赤面しつつ言うと、セレンは「無理はさせられないからね」と笑う。そして、森の館まではともに騎乗していくこととなった。
 歩けます、と言ったものの、やはり少し倦怠感は残っていたので、正直なところ有難かった。森の魔女は素直にセレンの言うことを聞いた。そういえば、王子と馬に二人乗りするのは初めてだと、そんなことを考える。すっかり王子のペースだ。だが、それにももう慣れっこになっていたし、……こういうのも、悪くないなと、森の魔女はひっそりそんなことを思っていた。
「……なんだか、王子にはかえって迷惑かけちゃいましたね……」
「それは、どういう?」
 馬上、森の魔女はセレンに背中をあずけながらも、ちょっとだけ居たたまれぬ風に肩をすぼませている。
「リプのことです。……じつは、その……人間に変化できるって聞いたから、王子にもその姿を見せたくて」
「なるほど」
 くすりとセレンは小さく笑う。森の魔女なりの、ちょっとした悪戯心のようなものだったのかもしれない。王子を驚かせてやろう、と。
「リプは、家族……のようなものだから」
 小声で、森の魔女は言った。だから、王子にちゃんと紹介したかったのだ、と。人間の姿をあらかじめ見せておく必要があると判じたのだ。先々のことを慮ってのことだ。
 それがこんなことになるなんて、と森の魔女は悄然とうなだれる。
 魔力の消費の大きさや、リプの笑えない冗談は予想外だった。そのせいで王子の機嫌を一時的にであっても損ねてしまった。王子の誕生日を楽しく祝いたかったのに。なんだか、うまくいかない。
「君の気持は、ちゃんと伝わっているから、ね、魔女殿?」
「……みっ、耳元で、囁かないでくださいってば!」
「くすぐったかな?」
「そうですけど、それ以上っていうか!」
 くすぐったいだけじゃない、王子の甘い囁きは心臓に悪いのだ。
 紅葉にも負けぬほどに赤くなっている顔を、セレンに向ける。眼前にあるのは、セレンの幸せそうな微笑だ。
 それでなんだか、森の魔女は肩の力を抜くことができた。王子が楽しそうだから、まぁ、いいかな、と思えた。リプのことも、もう赦してあげよう、と。我ながら安易だと森の魔女は内心苦笑していた。結局、王子の笑顔にはとことん弱いのだ。


 天然の樹木という門をくぐり、セレンの居城に比べたら質素この上なく、古びた館に到着したのは夕刻、日も沈みかけた頃だった。館の門扉に備え付けられているランプには灯りがともっていた。室内も同様に灯りがついていた。そして、温かく香ばしいにおいが、ほのかに漂ってくる。
「これは」
 扉の取っ手に挟まっていた小さな紙切れに気付いたのはセレンだった。開いてみると、きっちりとした文字が書かれている。
「リフレナスからの手紙のようだ」
「リプの?」
 もしかして家出? と、青ざめて言う森の魔女に、「それはないよ」とセレンは笑う。思ったことを素直に口にも顔にも出す森の魔女が可愛らしい。
 紙に書かれていたのは、要点だけのひどく短い文章だった。
「すまなかった 飯を用意しておいた 今日は出かける 明日には戻る」
 見事な箇条書きで、固有名詞の一つもない。
 でも、どうやら反省はしているらしいし、家出をしたわけでもなさそうだ。
 森の魔女は安堵したが、「飯を用意しておいた」の一文に、ぎょっとした。そして駆け足になって館内に飛び込み、台所へと向かった。目で見て確かめるまでもなく、美味しそうな香りが漂ってくる。
「もうっ、リプってば!」
 森の魔女は思わず声をあげる。
 台所にも隣室のリビングにも、豪華な料理がずらりと並んでいた。森の魔女が今夜のために作ろうと考えていたものばかりだ。
 スペアリブの香草焼きをメインにして、新鮮な野菜のサラダにはお手製のハーブドレッシング、あとはセレンの好物でもある鶏肉のクリームスープ。軽くつまめるものは、クルミとアーモンドのメープルシロップ和えや、カシューナッツとドライフルーツのブラウニー、レーズンとナッツのハニーブレッド、……すべて出来たてほやほやだ。ワインクーラーにも、しっかりと赤ワインが横たわっている。台所にはまだ何点かの料理が用意されているようだった。
 リフレナスの用意周到さに、セレンは感心するしかない。
「これは、すごいね」
「もうっ、リプってばひどいよ! 今日はわたしが腕によりをかけようと思ってたのに」
 リブもそれを知ってたはずなのにと、森の魔女はがっくりとうなだれ、落胆する。
 魔力を使いすぎて気を失ってしまっていたのだ。その時間はなかったろうと自分でも分かっているのだが、やはり残念でならない。特別な「晩餐」なのだ。セレンのために、腕をふるいたかった。
 項垂れた森の魔女の頭を、セレンは優しく撫でつける。
「がっかりしないで。君の手料理は、またいつでも振る舞ってもらえるだろう?」
「それは、そうですけど……」
 でもやはり、今日は自分の作ったものを、セレンに食べて欲しかった。誕生日祝い、だったのだから。
 リフレナスの手料理は、どれも絶品だった。どちらかといえば森の魔女に合わせた味付けではあった。
「君の眷属は、何から何まで完璧だね」とセレンがからかえば、森の魔女はまたむくれてみせる。たしかにその通りでそのことにも驚いたが、複雑でもある。セレンが楽しげだから、まぁ……良いけれど、と森の魔女はため息をつく。
 ――それにしても、どうしよう。
 森の魔女は何度目かのため息を吐く。
 セレンへの誕生日祝いの贈り物が、なくなってしまった。
 他に、何かしら贈り物を用意しておくべきだったと、自分の迂闊さに凹んでしまう。けれどセレンは、どちらかといえば物欲が薄い。欲しい「物」があるのか、森の魔女には分からなかった。何かしら贈れば、セレンは喜んでくれるだろうが。
 ――王子の欲しいもの。そして、わたしが差しだせるもの。
 森の魔女は、たぶんその答えをはじめから分かっていた。それでもやはり躊躇していたのだ。
「魔女殿?」
「え、はいっ?!」
 豪勢な料理を心ゆくまで堪能した後、森の魔女はせめて食後のお茶くらいはとっておきのものをと意気込んで、胃に優しく消化を助けてくれる茶を用意してくれた。そこまではよかったのだが、茶を淹れ終えた後、森の魔女は黙り込んでしまっていた。
「さっきから塞ぎこんでいるようだけど、どうかしたのかな?」
 心配げにセレンが問うと、森の魔女は慌てたように首を横に振った。「大丈夫です」と言い、ちょっと食べ過ぎちゃったかもと曖昧に笑ってみせる。
「ただ、その……やっぱり少しだけ口惜しいなぁって」
 ごまかしたところで、余計にセレンを心配させるだけだろう。森の魔女は恥ずかしそうに本音を漏らした。わたしの手料理で、喜んでもらいたかったのだと。ほんの少し拗ねてるだけなんですと笑って、森の魔女は眉を下げる。
 そんな森の魔女を、セレンは愛しげに見つめる。
「可愛らしいことを言ってくれるね、魔女殿」
「かっ、かわいくなんか、ないと思いますけどっ」
 甘やかな視線がまっすぐに注がれて、森の魔女の顔はさらに赤くなる。湯気でもでそうなくらい、全身が熱い。セレンの甘く優麗な微笑を受け止めて、平静ではとてもいられない。
「こうして君と二人きりで過ごせるだけで、私は十分に嬉しいよ」
 セレンは領主という身分柄、日々多忙で片恋が実った相手とゆっくり過ごす時間もなかなかとることができずにいた。領主になってまだ日が浅いせいもあるだろう。「適当」にこなすことがまだできない。家令でもあり執事のハディスの手を借りてはいるが、如才なく、とはいかない。「うまくやろうとしすぎないことです」とハディスの助言が耳に痛かった。どちらかといえば、不器用な性質なのだ、セレンは。
「君と過ごす時間は、良い息抜きになっているんだ。君のお陰で、ずいぶんと助かっている」
「そうなら、いいんですけど……」
「君が淹れてくれるこのお茶も、私は大好きだよ」
「…………」
 そう言ってセレンは穏やかに微笑んだ。甘やかな光を称える亜麻色の瞳が、まっすぐに森の魔女を見つめる。綺麗だ、と森の魔女はいつも思う。セレンの瞳は初めて出会った頃から変わらない。優しくてどこか切なげでもあって。ただ今は少し、艶めいた色が増したように感じる。
 いつからだっただろう、セレンの瞳にそうした艶を感じるようになったのは。
 森の魔女を捕える、甘い光がそこにある。一度は逸らそうとしたけれど、やはり捕らわれてしまった。セレンの光に、どうしようもなく惹かれてしまう。
 森の魔女は口の端をきゅっと締める。僅かの間の、逡巡。けれどそれを振りきって、森の魔女は口を開いた。
「あのっ、王子! 欲しいもの、ありませんか?」
「え?」
「誕生日の贈り物をしたいんです。今日の晩餐を贈り物にするつもりだったんですけど、リプに先を越されちゃったから」
 セレンは、森の魔女に気づかれぬよう、小さな笑みほ零した。
 リフレナスのしかけた「罠」に、森の魔女はうまくはまってくれた。いや、リフレナスの贈り物こそが、その「罠」といっていいだろう。
 まったく、用意周到な眷属だ。
 敵わないな、とも思う。そして有難くも。
「わたしからも、ちゃんと贈り物をしたくて……」
 言いながら、森の魔女は顔を真っ赤にしている。声はか細くなり目も泳いで……けれどそうしてセレンの答えを待っている。おそらくは、その答えを知って。
「欲しいもの、あるよ」
 セレンは森の魔女の手を取った。セレンの前で立ち尽くしている森の魔女は、一瞬身を硬くした。
「欲しいと言っても、いいのかな?」
「……はい。あのっ、わたしでできることなら、なんでもします、から……」
 森の魔女の声が震えている。耐えきれず俯いてしまう。だが、セレンの手を握り返した。
 セレンはまだ座ったまま、そうして森の魔女の様子を窺う。もう片方の手で森の魔女の頬に触れると、そこはしっとりと柔らかく、そして温かい。
 セレンは立ち上がり、ふわりと包み込むようにして森の魔女を抱きしめた。
「――キラ」
 そして、囁くのは愛しい恋人の秘された名。
 名を囁かれて、森の魔女の肩がびくりと震えた。
「キラ」という名をただ教えられた、というのではないのだ。名を知り得た事実を軽く受け止めるなと、魔女の眷属は言いたかったのかもしれない。そうして今、キラが差し出しているものも軽い気持ちで受け取ってはならないのだと。
「キラ」
「……はい」
 名を呼べば、キラは素直に応じる。緊張のせいか、声は少し強張っている。
「……――」
 キラの華奢な身体を抱きしめて、熱っている額に口づけた。額から、眉頭へ。息がかかり、キラはくすぐったげにきゅっと目を瞑る。ひどくあどけない仕草だが、同時に甘やかな息遣いに変わっていく。
 そして、セレンは告げる。「君が欲しい」と。
 キラは無言のまま小さく頷いた。




 リフレナスは、秘密の隠れ家でまどろんでいた。

 たとえばいつの日か、少女が大人になり、母になった時も、きっと自分はまだ森の魔女の眷属で、もしかしたらまた人間の姿になれと命じられるかもしれない。「リプ、子守りお願いね」と、あの主なら言いかねない。かつて自分がしてもらっていたように。
「まあ、それもいいさ」
 リフレナスは苦笑まじりに、呟く。
 契約が続く限り、主の傍で仕え、守っていくのが魔女の眷属だ。
 リフレナスは目を閉じた。口元には、笑みが残っている。
 明日、主がどんな顔をしているかが楽しみだ。
 王子は満足げに感謝の言葉を言うだろうが、主はおそらく「リプってば、ひどいよ」とあれこれ文句をつけ、そのあと気恥しげに笑って赦してくれるだろう。
 お膳たてをした甲斐があったというものだ。

 人間の姿になって、主の華奢な肩を抱き寄せたことにささやかな満足感を得ていたことは、内緒だ。
 樹木の小さなうろの中、今はもうネズミの姿に戻っているリフレナスは、尻尾を巻き、丸まって眠る。
 見る夢は、きっと近い未来のこと。
 そして、キラの笑顔が、そこにあるだろう――……
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