森の魔女と訳あり王子の恋物語

るうあ

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たとえば、君と 3

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 セレンは仕事を早くに切り上げて、今まさに、森の魔女の住まう森へと向かうところだった。森の魔女が夕食を振る舞ってくれるという。誕生日の祝いをしてくれる、というのだ。かつてない誘いだった。これほど喜ばしいことがあろうかと、セレンはすっかり舞い上がっていた、といっていい。謹厳なる執事ハディスも外泊を許可してくれた。となればもう、一刻も早く森の魔女……愛しい恋人に会いたかった。
 だからセレンが森の魔女の姿を、街の中のどこであろうと、見過ごしてしまうなどありえなかった。
「やあ、魔女殿」
 にこやかにそう言って、セレンはゆったりとした足取りで粉屋の店先へとやってくる。
 じつのところ、粉屋の娘ノーラに声をかけられる一瞬前にすでに森の魔女がそこにいることに気づいていたのだが、セレンは粉屋の娘に声をかけられたからという態を装った。ノーラにも如才なく挨拶をし、それから目線を森の魔女の傍に居る男に移し、なるべく穏やかに切り出した。
「……ところで、そちらの御仁は? 見かけない顔だけど、魔女殿の知り合いなのかな?」
 セレンは森の魔女の真の名を知っているが、それは秘した名だ。余人のいるところでは呼べない。
 それはともかくとして、だ。
 森の魔女の肩を抱いている男は、セレンの知らぬ顔だ。森の魔女は困った顔こそしているが、迷惑しているといった風ではない。
「ずいぶんと、親しげな様子だけれど?」
 セレンは微笑を崩さぬようにしていたが、自然険のある口調になってしまっていた。
「えーっと、ですねっ」
 森の魔女は慌てふためいている。が、肩に置かれた手を無下に払おうとはしない。
 ここで、ノーラが余計な口を挟んできた。
「それがですね、ご領主さま、どうやら魔女さんの彼氏らしいですよぉ」
 彼氏……つまり恋人らしいと、ニマニマ笑いながらセレンに告げ口をする。違うと分かっていて、からかいにきているのだ。噂好きなノーラの笑い癖でもあり、「ご領主さま」が同じ癖の持ち主らしいと知っての、他愛無い冗談のつもりだったのだろう。
 まさか、森の魔女が真っ青になるとは、思いもよらず。
 しかも、どうしたことかノーラの悪ふざけにリフレナスはのり、身を放そうとする森の魔女の体をさらに抱き寄せ、不敵に笑って言ったのだ。
「そう、たしかに俺と彼女は見ての通り、深い仲、というやつさ」
「……っ!」
 森の魔女は唖然とし、肩を抱き寄せる己の眷属を見上げた。目を白黒させている。
 普段ならこんな悪ふざけに乗るような眷属ではないのに、いったいどういうことなのか。
 森の魔女が凝視してくるのにも関わらず、リフレナスは挑むかのようにセレンを見据えている。傲然といっていい、その不遜な態度。
 セレンは微笑みを消し、秀麗な眉宇を険しく寄せた。
 ぴりっ、と張りつめた空気がセレンとリフレナスの間に走る。
 さすがにノーラもその空気にただならぬものを感じ、口を挟めなくなった。
 セレンはふっと息を吐く。いったん視線を落としてから、目の前に居る男を睨みかえした。あらぶりかけた気持ちを辛うじて抑える。態度はあくまで冷静を心がける。森の魔女を困らせたくはないし、また叱られたくもなかった。森の魔女へ手を差し伸べて、セレンは声を抑え、しかしはっきりと言いきった。
「君が何者かは知らないが、魔女殿は、私の恋人だ」
「……っ!」
 またしても、森の魔女は顔色を変えることとなった。今度は、赤く。身は、硬直したままだ。
「魔女殿」
 セレンは森の魔女に手を差し伸べはしたが、無理に引き離しはしなかった。こちらにおいでと、目線だけで語った。森の魔女は一瞬戸惑ったようだが、セレンの手を取る。冷えた手が、ぎゅっとセレンの手を掴む。……それが、答えだった。
「恋人、ね」
 森の魔女が離れても、リフレナスは余裕を崩さない。不敵な笑みを湛えたままでセレンと森の魔女を見やる。
「本人がどう思っているか、あやしいものだな。ただでさえ鈍い」
「思いは、伝えてもらった」
「名を、知らされただけだろう。たいした自信だが、それは不安の表れってやつだろう」
「……君は、ずいぶんと失敬だな」
 不穏な空気が二人の青年の間に流れ、さすがに話題を振ったノーラもバツが悪そうだった。気まずそうに身を竦ませているが、好奇心ももたげていて、目の前で繰り広げられている「修羅場」を観察している。
 居たたまれないやら腹立たしいやら恥ずかしいやら、堪え切れなくなったのは森の魔女だった。
「と、とにかく!」
 店先で言い争うのは迷惑だからと、セレンの手を引っ張り、そして皮肉げに笑み含んでいる眷属も叱りつけて、とにもかくにも大急ぎで、ノーラの店から離れた。

 人気の少ないところまでセレンとリフレナスを引っ張ってきて、森の魔女は勢いづけてセレンに事情を説明した。
 くすんだ褐色の髪の青年は、眷属のリフレナスだ。その説明をセレンにしながら、リフレナスの不敬も謝罪した。リフレナスはといえば、泰然と構え、反省の色もない。あげくに「深い仲」というのは間違いではない、眷属なのだから、とのたまった。
「だからってあの言い方はないでしょ、リプ!」
「どう言おうが、俺の勝手だ」
「開き直らないでよ、リプってば! というか、とにかくちゃんと王子に謝って」
「俺が? なぜ」
「なぜって、悪ふざけにのって王子を誤解させたんだから」
「誤解した方が悪い」
「リプ!」
 このやりとりを、セレンはやや困惑気味に眺めていた。どうやら目の前に青年は間違いなく「リフレナス」ではあるらしいと、納得はした。二人のやりとりからもそれが分かる。だが、そっけなくも森の魔女に忠実といっていいあのリフレナスが、いったいどうして、という疑念は胸の内で蟠っていた。
「ふざけた覚えはない。王子のことも……おまえは、その場の雰囲気に流されやすいからな」
「何言って……っ」
 リフレナスは真顔になり、森の魔女の手を掴んで引き寄せた。
「魔女の魔力は、異性を惹きつけやすい。王子はそうした魔力に耐性があるだろうが、はたしておまえはどうだ? 自身の魔力に惑わされて、懸想した可能性だってあるだろう。おまえの魔力は強い。惚れ薬を飲んだと同じような効果が出てもおかしくはない」
「リプ!」
 たまらず、森の魔女は声を荒げ、リフナレスの手を払いのけた。
「いい加減なこと言わないで! それ以上は赦さないからっ!」
 頬を上気させ、怒りに声を震わせる主を、リフレナスは少し伏せた瞳で見つめる。雷光のような激しさと、美しさだ。
 感情表現が豊かな森の魔女は、怒りにも素直だ。涙目になって、リフナレスに怒りをぶつけてくる。
「わたしは王子が好きよ! それを、さも嘘をついたみたいに言わないで! いくらわたしの魔力が強くたって、自分の魔力にあてられたりなんかしない。惚れ薬だなんて、そんな効果だって、あり得ない」
 森の魔女は涙声になっていた。それほどに、リフナレスの言葉はショックだったようだ。傍観していたセレンも、さすがにこれは……と、一歩足を踏み出した。
 リフレナスは目を細めた。
 ――頃合だろう。
「リプは、わたしの気持ち分かってくれてるって、思っ……」
 それは、突然に起こった。
 森の魔女の体が揺れ、傾(かし)ぐ。
 目の前がぐにゃりと歪んで、視界がかすむ。声がかすれて言葉が続かない。ふわりと、体が宙に浮いたのかと、錯覚した。
「……っ」
 あ、という声もでなかった。意識が薄れていく。
 倒れた森の魔女の体を支えたのはセレンだった。
 ……リフナレスの声が、聞こえた気がした。かすかな、囁くような声。
 すまなかったと、そう言ったように聞こえた。いつものリフレナスの、ぶっきらぼうな声。けれどやわらかな……――
 森の魔女はその声に安堵したかのように、意識を手放した。

 気を失った森の魔女の額に、リフレナスはそっと触れる。少しだけ滲んでいる汗を軽く拭ってやる。
「リフレナス」
 森の魔女を支えているセレンは心配げにリフレナスに問いかけた。
「大丈夫なのか、君の主は?」
「ああ、限界がきただけだ、魔力を大量に消費したからな。その反動のようなものだ。少し休ませれば快復する。心配はない。しばらくすれば目を覚ますだろう」
 答えて、リフレナスはふっと息を吐く。それからセレンに向かって軽く頭を下げた。
「非礼は詫びておく。試すようなマネは、あまりしたくなかったんだが」
 リフレナスの律儀な性格を、セレンは知っていた。そして先ほどまでのやりとりが、なにかしら意味があるのだろうと察し、だからあえて口を挟まずにいたのだ。
「俺は先に館に帰ってる。ゆっくり休ませてから森の館に来てくれ」
「わかった。君の言うとおりにしよう。……リフレナス」
「礼は、まだ先にとっておくべきだな」
 リフレナスの察しの良さは、セレンに対しても向けられる。あえて、先を言わせなかった。
 森の魔女の眷属であるリフレナスは、主の想いを何より優先する。そのために主を怒らせることも、なくはない。それでも「眷属」は主の一部であり、心をわけあうものなのだから、怒らせようとも、主の意図に沿った行動をとる。
 セレンの腕の中で、リフレナスの主は穏やかな寝息を立てていた。さきほどまで苦しげに眉根を寄せていたが、もうすっかり落ち着いたようだ。
「主は、もう承知しているとは思うが、とてつもなく鈍感だ」
「……たしかに」
「だがまぁ、鈍感だが愚昧ではない」
 まだ、いろいろと不慣れなのだ、とリフレナスは言い、セレンは頷いて応じた。
「まぁ、そういうわけで、苦労をかける。その点も、眷属として謝罪しておこうか」
 セレンは微苦笑して、これにも頷いた。
 リフレナスは二代目の森の魔女の眷属だが、それよりも保護者として付き添っているようだ。無理もないだろう。物心つかぬ頃からずっと傍にいたのだから。
 愛しい養い子だったのだろう。……それを、奪ってしまったのだな。そんな風にセレンは多少の引け目のようなものを感じた。
 いや、リフレナスは手を放したのだろう。
 いつまでも幼子のままではないのだ。もはや一人前の魔女として歩いてゆけると、判じて。
 そうしてセレンに託してくれたのだ。
「じゃ、まぁ、後は任せた」
 言って、リフレナスは拘りげもなく踵を返し、立ち去って行った。
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