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紡ぐ風と、育む光 2
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昨今、魔術師や魔女を表立って迫害し、逐斥する国は減った。あくまでも「昔に比べて減った」というだけである。未だ魔女といった「異端者」を享受しえない国や地域はいくらでもあり、ゆえに魔術師や魔女の存在は希少となった。
魔女という「異端者」の存在自体を禍害とし、忌み嫌い、白眼視されてきた経験が森の魔女にもあった。……苦い思い出だ。
魔女は悪しき者。魔女は禍事を招く。魔女の在る所には災いが起こる。
罵られ、石をぶつけられたこともあった。
魔女に独身が多いのは、そうした魔女蔑視が原因の一つになっている。そうして、魔女である女達自身が結婚を怖れるようになっていった。
魔女は結婚してはならない。
そんな噂を作ったのは、あるいは魔女達自身であったかもしれない。
森の魔女自身、それを痛感していた。
ふぅっと、森の魔女は軽いため息をついてから、何気ない口調で語りだした。
「私も、この森に住みつく前には、つれあいがいたんだよ。子はいなかったが、夫婦として何年かは一緒に暮らしていた」
不意打ちの告白だった。少女は目を大きく見開き、「ほんとですか!」と訊き返す。そんな事実があったとは初耳だ。
「お師匠様、結婚してたんですか!」
少女の大声に驚き、黙々と作業を続けていたリフレナスは、持っていた実を作業台の下に落としてしまった。チッと舌打ちをしてから、リフレナスは顔と髭とを両手でくるくると回すようにして撫で、それから作業に戻った。選定前の実はもう僅かしか残っていない。
「まぁね。ずいぶんと昔の話だよ。お前が生まれるより、ずっと昔の話さ」
ふふっと、森の魔女は悪戯っぽく笑う。
「余所の国の辺鄙な村だったよ。谷あいの狭い農村でね、薄暗い森に囲まれてたよ。そうだね……この森に少し似ていたかもしれない」
言ってから、森の魔女はリフレナスに目をやった。リフレナスも魔女の視線に気づき顔を向けたが、「なんだ?」と訊き返すこともなく、主である森の魔女の話に耳を傾けていたのをごまかすように視線を逸らした。
森の魔女の視線を戻させたのは、少女の好奇心に満ちた……しかしそれを極力抑えた、遠慮がちな問いかけだった。
「お師匠様の結婚相手さんは、魔法使いとか……そういう力を持ってる人だったんですか?」
少女は光を受けて輝く黒曜石のような双眸を師匠である魔女に向ける。なにしろ、師匠が自分の過去話をするのは極めてまれな事なのだ。しかも自ら語り出してくれるとは。できればいろんなことを聞きたい、知りたいと少女は思っていた。師匠のことをもっと知りたいと願うのは、少女の親愛ゆえといえるだろう。
「いや。魔力なんて持たない、ごく普通の男だったよ。まぁ、あの当時、魔女と結婚しようなんて決意できたくらいだから、変わり者ではあったがね」
「その人は、今は……」
「病気でね。もうずいぶんと前のことだ」
亡くなってしまったのだろうことは、訊く前から少女にも察せられた。どんな人だったのか詳しく話を聞きたい気持ちもあったけれど、やはり躊躇われた。
少女は努めて明るい声音で言った。
「お師匠様は、その人のこと大好きだったんですね」
「それはそうさね、結婚して一緒に暮らしていたんだから」
「その人も、お師匠様のこと、大好きだったんですね」
「そうさねぇ……いつも楽しそうではあったよ。木地屋でね、椀も作ったが小さな細工物も好んで作っていたよ。まぁ、いろいろあったが、幸せだったよ」
森の魔女の目が遠くを見るように細められた。愛しさ、懐かしさ、そして哀しさが、その双眸の色を複雑にしていた。それでも、顔に湛えた微笑に翳りはない。穏やかな気持ちで遠い日のことを振りかえられるようになっていた。
つられるように微笑している少女には、魔女が長い年月の間に重ねてきた様々な思惟すべてを読みとることはむつかしい。懐かしさだけでなく、その奥に秘められた哀しみを見出すことはまだできなかった。
幼い少女に、結婚のなんたるかはまだ分からない。
けれど、敬愛している師匠が幸せだったと語ってくれたのが、少女には何より嬉しかった。
「まぁ、そういうわけだからね。結婚しようがしまいが、魔女は魔女だよ。結婚しちゃいけないなんてこともない。結婚したら魔力がなくなるってこともない。安心したかい?」
「え? えーっと、まぁ、なんとなく……?」
少女はちょっと困惑気味の面持ちで小首を傾げた。安心したと言われれば、たしかにホッとしたし、よかったと思った。けれど、なにが「よかった」のかまでははっきりしない。
少女は自分の思考を不思議がりつつ、しかし深くは考え込まず、ともかく今度仲良しの女の子達に会ったら、「魔女でも結婚していい」ことを教えてあげよう、「結婚しちゃいけない」なんてこともないんだと教えてあげようと考えていた。
「そうそう、今もね、ちゃぁんとつれあいはいるよ」
ふと、まるで愉しい悪戯を思いついたかのように、森の魔女は笑顔でそう言った。
「えっ!」と、少女は打てば響くといった具合に声をあげた。誰ですかと大きく開かれた瞳が問う。
「結婚とはまた違う契約で結ばれているんだよ。ねぇ、リフレナス?」
「……なっ」
突然話題を振られて、リフレナスはぎょっとして振り返った。長い尻尾がピンッと立つ。
「リフレナスは私の大事なつれあいさ」
「え? えっ? じゃぁ、リプはお師匠様の旦那様なの?」
「ばかか、お前は。結婚とは違うと言ったろう」
リフレナスは即座に言い返す。少女は、「あ、そっか」とすぐに納得した。リフレナスはお師匠様が召喚し、契約を結んだ眷属なのだ。お師匠様にとって、とても大事な存在なのだ。
「魔女にとって契約を結んだ眷属は、一生涯連れ添う大事なつれあいだからね」
「大事というわりに、あれこれとこき使ってくれるな。最近は人間に変化しろと言わなくなっただけマシだが」
「おや、そういえばもうずっとあの姿を見てないねぇ。年老いた魔女に気をつかってくれてたのかい、リフレナス?」
「別にそんなのじゃぁない。こんな時ばかり年寄り発言するな」
「顔立ちはあの人に似てるが、性格は違うね。リフレナスはやっぱりリフレナスなんだねぇ」
「当たり前のことを言うな、まったく」
「面影を追うつもりはなかったが、忘れずにいられたのは良かった」
憎まれ口をたたくリフレナスに、主である魔女は笑顔を返す。
とうになくなった大事な「あの人」の姿を、リフレナスは残してくれたのだ。それを嬉しいと思うのは、やはり感傷なのだろう。リフレナスはそれを察してくれていたのだ。
「後事を託すのがリフレナスで本当に良かったよ。良い契約を結べた」
森の魔女は凪いだ水面のように穏やかな微笑を湛えた。そして森を渡る静かな風のように、森の魔女はさり気なく平調な声音を発した。
「これからも頼むよ、リフレナス」
「…………」
リフレナスは素っ気なく顔を背けた。
怒り、拗ねているのか、それとも照れているのか。おそらくは後者であろうが、それだけではない。リフレナスは僅かに身を丸めた。
穏やかなような淋しいような、そんな雰囲気が森の魔女とネズミの眷属との間にあって、森の魔女の幼い弟子は口を挟めなかった。少女は唇を引き結んだ。
少しだけ胸が騒いだ。疎外感ゆえではない。
師匠の様子がいつもと違う気がした。リフレナスも同様に。しかしどう違うのか明確には分からない。
もやもやした心の端で、リフレナスは人間の姿に変身できるんだ、という驚きを持った。元来好奇心旺盛で、明朗な思考に寄りやすい気質の少女だ。いつかその姿を見られるんだろうかと期待感に胸が躍った。
「ああ、そうだ。明日はご領主様のお屋敷へ行くよ。新しい薬も今日中にできそうだからね」
森の魔女は唐突に話題を転じ、しんみりとした空気をさらりと流した。
「お前も一緒においで」
「はい」
弟子の少女が頷くと、さらに語を継いだ。
「明日、セレンにも誤解だと伝えておくといい。もしかしたらあの子も、魔女は結婚できないものと信じているかもしれないからね」
「え、王子にですか? なんで……っていうか、どうしてここで王子が出てくるんですかっ!」
少女の頬にさっと赤みがさす。
「王子」と少女が呼ばわっているのは、現在ご領主の屋敷で未来の領主たるべく教育を受けている少年のことだ。少女より三つ年上の、聡明な少年である。王子というのは愛称ではあるが、事実、現国王の庶子である。様々な事情があってこの辺境の地に封ぜられることになった。現領主と仮の養子縁組を結び、事実上は「王子」ではなくなったのだが、少女は変わらず「王子」と呼んでいる。
森の魔女は病がちなセレンの母の治療のために度々ご領主の屋敷に招かれている。同行しているうちに、少女は「領主見習い」の少年と親しくなり、幼馴染みといっていい間柄になった。
「セレンにも話しておく方がいいと思ったんだがね。お前も、それで気になったんじゃないのかね? ん?」
「それでって……何がそれなのかぜんぜん分かりません、お師匠様ってば!」
「そうかい? 今はまぁ、たしかに分からないかもしれないねぇ」
この弟子は、反応があまりにも素直だ。すぐに顔に出る。からかうのが楽しくて仕方がない。
森の魔女は首を巡らせ、今度はリフレナスの方に目をやった。
「リフレナスにも、セレンのことを頼んでおかなくちゃいけないね。頼まずとも、そうしてくれるだろうが」
「なんでだ? 俺がなぜそこまで」
訊き返すリフレナスの声は不機嫌そうだったが、改めて確認するような声調子でもあった。
「おや、訊かずともリフレナスには分かってるだろうに。まぁ……そうだね、ここは魔女の予言とでも言っておこうかねぇ」
クスクスと森の魔女は悪戯めいた笑みを浮かべた。リフレナスはおもしろくなさそうに舌打ちをしたが、それが諾意を示すものだと、長年の付き合いの魔女は知っていた。
「さぁさぁ、ちょっと一息入れようか。朝からずっとこもりきりで作業し続けだからね。焼き菓子が台所にあったはずだよ。それと一緒に、お茶も淹れてきておくれ」
「……はい、お師匠様」
話をはぐらかされた気分になり、ちょっぴり拗ね、むくれていた少女だが、師匠の言葉に素直に従い、作業部屋を出ていった。
少女が出ていったのを確かめてから、森の魔女はもう一度、今度は笑みをひっこめ、真摯な面持ちでリフレナスを見やった。
「リフレナス」
「なんだ?」
「リフレナスは私の眷属でもあるが、今はもうあの子の眷属でもある」
「わかってる」
「だがあの子との契約は完全じゃない。だから眷属の契約を解除するなら、今のうちにした方がいい」
精霊に戻り、自由になりたいのならね、と森の魔女は言う。
「なんだ、今更」
「眷属の契約は一方的なものではないからね。双方の同意があって初めて成り立つ。だからまぁ、一応、聞いておいた方がいいかと思ってね」
「…………」
リフレナスは小さな小さなため息をついた。答えなぞ分かっているだろうにと。
リフレナスの心はとうに定まっていると知って、主である魔女はあえて訊く。言葉という誓約の証が欲しいのだろう。
――もう、長くはないのだ。
リフレナスは気付いていた。森の魔女の命数が残り少ないことを。あと何度、春夏を過ごし、秋と冬を越せるのだろう。
まだ猶予はある。しかし遠からず、その日はやってくるのだ。
リフレナスはきっぱりと答えた。
「聞くまでもない。俺は、森の魔女の眷属だ。この先もずっと」
それに、とちょっとぶっきらぼうにリフレナスは付け加えた。
「あいつのことも、俺はそれなりに気にいっている」
「そうかい。そりゃぁ、よかった」
リフレナスの返事を聞き、森の魔女は相好を崩した。そしてリフレナスの頭を撫でてやる。感謝の気持ちを笑顔に添えて。
元が精霊である眷属は概して長命である。風の精霊であったリフレナスもその例に漏れない。
リフレナスは、一代目の魔女に引き続き、二代目、三代目の眷属として在り続けることになる。希望的観測ではない。そうなるであろうことを、一代目にあたる森の魔女は予見していた。
森の魔女と契約を交わした風の精霊リフレナスは、この森に在り、この森に住まい、森を護る者の傍に居続け、守り通してくれるだろう。口では拗ねたことを言っても、リフレナスは律儀者なのだ。
リフレナスという風が繋ぎ、紡いでいく。
光の名を持つ少女が、紡がれた絆をあたたかく育んでいくだろう。
「お師匠様、リプ、お茶、持ってきましたよ」
お気楽で明朗な少女の声がドアの向こうから聞こえた。両手がふさがっているのだろう。森の魔女はパチンと指を鳴らし、魔法の力で扉を開けて弟子の少女を迎え入れた。
森の魔女は三人分のお茶と焼き菓子を運んできてくれた、次代の森の魔女となる愛弟子に微笑みかけ、礼を言った。
光、という意味を持つ、愛弟子の真名に想いをこめて。
「ありがとう、――キラ」
魔女という「異端者」の存在自体を禍害とし、忌み嫌い、白眼視されてきた経験が森の魔女にもあった。……苦い思い出だ。
魔女は悪しき者。魔女は禍事を招く。魔女の在る所には災いが起こる。
罵られ、石をぶつけられたこともあった。
魔女に独身が多いのは、そうした魔女蔑視が原因の一つになっている。そうして、魔女である女達自身が結婚を怖れるようになっていった。
魔女は結婚してはならない。
そんな噂を作ったのは、あるいは魔女達自身であったかもしれない。
森の魔女自身、それを痛感していた。
ふぅっと、森の魔女は軽いため息をついてから、何気ない口調で語りだした。
「私も、この森に住みつく前には、つれあいがいたんだよ。子はいなかったが、夫婦として何年かは一緒に暮らしていた」
不意打ちの告白だった。少女は目を大きく見開き、「ほんとですか!」と訊き返す。そんな事実があったとは初耳だ。
「お師匠様、結婚してたんですか!」
少女の大声に驚き、黙々と作業を続けていたリフレナスは、持っていた実を作業台の下に落としてしまった。チッと舌打ちをしてから、リフレナスは顔と髭とを両手でくるくると回すようにして撫で、それから作業に戻った。選定前の実はもう僅かしか残っていない。
「まぁね。ずいぶんと昔の話だよ。お前が生まれるより、ずっと昔の話さ」
ふふっと、森の魔女は悪戯っぽく笑う。
「余所の国の辺鄙な村だったよ。谷あいの狭い農村でね、薄暗い森に囲まれてたよ。そうだね……この森に少し似ていたかもしれない」
言ってから、森の魔女はリフレナスに目をやった。リフレナスも魔女の視線に気づき顔を向けたが、「なんだ?」と訊き返すこともなく、主である森の魔女の話に耳を傾けていたのをごまかすように視線を逸らした。
森の魔女の視線を戻させたのは、少女の好奇心に満ちた……しかしそれを極力抑えた、遠慮がちな問いかけだった。
「お師匠様の結婚相手さんは、魔法使いとか……そういう力を持ってる人だったんですか?」
少女は光を受けて輝く黒曜石のような双眸を師匠である魔女に向ける。なにしろ、師匠が自分の過去話をするのは極めてまれな事なのだ。しかも自ら語り出してくれるとは。できればいろんなことを聞きたい、知りたいと少女は思っていた。師匠のことをもっと知りたいと願うのは、少女の親愛ゆえといえるだろう。
「いや。魔力なんて持たない、ごく普通の男だったよ。まぁ、あの当時、魔女と結婚しようなんて決意できたくらいだから、変わり者ではあったがね」
「その人は、今は……」
「病気でね。もうずいぶんと前のことだ」
亡くなってしまったのだろうことは、訊く前から少女にも察せられた。どんな人だったのか詳しく話を聞きたい気持ちもあったけれど、やはり躊躇われた。
少女は努めて明るい声音で言った。
「お師匠様は、その人のこと大好きだったんですね」
「それはそうさね、結婚して一緒に暮らしていたんだから」
「その人も、お師匠様のこと、大好きだったんですね」
「そうさねぇ……いつも楽しそうではあったよ。木地屋でね、椀も作ったが小さな細工物も好んで作っていたよ。まぁ、いろいろあったが、幸せだったよ」
森の魔女の目が遠くを見るように細められた。愛しさ、懐かしさ、そして哀しさが、その双眸の色を複雑にしていた。それでも、顔に湛えた微笑に翳りはない。穏やかな気持ちで遠い日のことを振りかえられるようになっていた。
つられるように微笑している少女には、魔女が長い年月の間に重ねてきた様々な思惟すべてを読みとることはむつかしい。懐かしさだけでなく、その奥に秘められた哀しみを見出すことはまだできなかった。
幼い少女に、結婚のなんたるかはまだ分からない。
けれど、敬愛している師匠が幸せだったと語ってくれたのが、少女には何より嬉しかった。
「まぁ、そういうわけだからね。結婚しようがしまいが、魔女は魔女だよ。結婚しちゃいけないなんてこともない。結婚したら魔力がなくなるってこともない。安心したかい?」
「え? えーっと、まぁ、なんとなく……?」
少女はちょっと困惑気味の面持ちで小首を傾げた。安心したと言われれば、たしかにホッとしたし、よかったと思った。けれど、なにが「よかった」のかまでははっきりしない。
少女は自分の思考を不思議がりつつ、しかし深くは考え込まず、ともかく今度仲良しの女の子達に会ったら、「魔女でも結婚していい」ことを教えてあげよう、「結婚しちゃいけない」なんてこともないんだと教えてあげようと考えていた。
「そうそう、今もね、ちゃぁんとつれあいはいるよ」
ふと、まるで愉しい悪戯を思いついたかのように、森の魔女は笑顔でそう言った。
「えっ!」と、少女は打てば響くといった具合に声をあげた。誰ですかと大きく開かれた瞳が問う。
「結婚とはまた違う契約で結ばれているんだよ。ねぇ、リフレナス?」
「……なっ」
突然話題を振られて、リフレナスはぎょっとして振り返った。長い尻尾がピンッと立つ。
「リフレナスは私の大事なつれあいさ」
「え? えっ? じゃぁ、リプはお師匠様の旦那様なの?」
「ばかか、お前は。結婚とは違うと言ったろう」
リフレナスは即座に言い返す。少女は、「あ、そっか」とすぐに納得した。リフレナスはお師匠様が召喚し、契約を結んだ眷属なのだ。お師匠様にとって、とても大事な存在なのだ。
「魔女にとって契約を結んだ眷属は、一生涯連れ添う大事なつれあいだからね」
「大事というわりに、あれこれとこき使ってくれるな。最近は人間に変化しろと言わなくなっただけマシだが」
「おや、そういえばもうずっとあの姿を見てないねぇ。年老いた魔女に気をつかってくれてたのかい、リフレナス?」
「別にそんなのじゃぁない。こんな時ばかり年寄り発言するな」
「顔立ちはあの人に似てるが、性格は違うね。リフレナスはやっぱりリフレナスなんだねぇ」
「当たり前のことを言うな、まったく」
「面影を追うつもりはなかったが、忘れずにいられたのは良かった」
憎まれ口をたたくリフレナスに、主である魔女は笑顔を返す。
とうになくなった大事な「あの人」の姿を、リフレナスは残してくれたのだ。それを嬉しいと思うのは、やはり感傷なのだろう。リフレナスはそれを察してくれていたのだ。
「後事を託すのがリフレナスで本当に良かったよ。良い契約を結べた」
森の魔女は凪いだ水面のように穏やかな微笑を湛えた。そして森を渡る静かな風のように、森の魔女はさり気なく平調な声音を発した。
「これからも頼むよ、リフレナス」
「…………」
リフレナスは素っ気なく顔を背けた。
怒り、拗ねているのか、それとも照れているのか。おそらくは後者であろうが、それだけではない。リフレナスは僅かに身を丸めた。
穏やかなような淋しいような、そんな雰囲気が森の魔女とネズミの眷属との間にあって、森の魔女の幼い弟子は口を挟めなかった。少女は唇を引き結んだ。
少しだけ胸が騒いだ。疎外感ゆえではない。
師匠の様子がいつもと違う気がした。リフレナスも同様に。しかしどう違うのか明確には分からない。
もやもやした心の端で、リフレナスは人間の姿に変身できるんだ、という驚きを持った。元来好奇心旺盛で、明朗な思考に寄りやすい気質の少女だ。いつかその姿を見られるんだろうかと期待感に胸が躍った。
「ああ、そうだ。明日はご領主様のお屋敷へ行くよ。新しい薬も今日中にできそうだからね」
森の魔女は唐突に話題を転じ、しんみりとした空気をさらりと流した。
「お前も一緒においで」
「はい」
弟子の少女が頷くと、さらに語を継いだ。
「明日、セレンにも誤解だと伝えておくといい。もしかしたらあの子も、魔女は結婚できないものと信じているかもしれないからね」
「え、王子にですか? なんで……っていうか、どうしてここで王子が出てくるんですかっ!」
少女の頬にさっと赤みがさす。
「王子」と少女が呼ばわっているのは、現在ご領主の屋敷で未来の領主たるべく教育を受けている少年のことだ。少女より三つ年上の、聡明な少年である。王子というのは愛称ではあるが、事実、現国王の庶子である。様々な事情があってこの辺境の地に封ぜられることになった。現領主と仮の養子縁組を結び、事実上は「王子」ではなくなったのだが、少女は変わらず「王子」と呼んでいる。
森の魔女は病がちなセレンの母の治療のために度々ご領主の屋敷に招かれている。同行しているうちに、少女は「領主見習い」の少年と親しくなり、幼馴染みといっていい間柄になった。
「セレンにも話しておく方がいいと思ったんだがね。お前も、それで気になったんじゃないのかね? ん?」
「それでって……何がそれなのかぜんぜん分かりません、お師匠様ってば!」
「そうかい? 今はまぁ、たしかに分からないかもしれないねぇ」
この弟子は、反応があまりにも素直だ。すぐに顔に出る。からかうのが楽しくて仕方がない。
森の魔女は首を巡らせ、今度はリフレナスの方に目をやった。
「リフレナスにも、セレンのことを頼んでおかなくちゃいけないね。頼まずとも、そうしてくれるだろうが」
「なんでだ? 俺がなぜそこまで」
訊き返すリフレナスの声は不機嫌そうだったが、改めて確認するような声調子でもあった。
「おや、訊かずともリフレナスには分かってるだろうに。まぁ……そうだね、ここは魔女の予言とでも言っておこうかねぇ」
クスクスと森の魔女は悪戯めいた笑みを浮かべた。リフレナスはおもしろくなさそうに舌打ちをしたが、それが諾意を示すものだと、長年の付き合いの魔女は知っていた。
「さぁさぁ、ちょっと一息入れようか。朝からずっとこもりきりで作業し続けだからね。焼き菓子が台所にあったはずだよ。それと一緒に、お茶も淹れてきておくれ」
「……はい、お師匠様」
話をはぐらかされた気分になり、ちょっぴり拗ね、むくれていた少女だが、師匠の言葉に素直に従い、作業部屋を出ていった。
少女が出ていったのを確かめてから、森の魔女はもう一度、今度は笑みをひっこめ、真摯な面持ちでリフレナスを見やった。
「リフレナス」
「なんだ?」
「リフレナスは私の眷属でもあるが、今はもうあの子の眷属でもある」
「わかってる」
「だがあの子との契約は完全じゃない。だから眷属の契約を解除するなら、今のうちにした方がいい」
精霊に戻り、自由になりたいのならね、と森の魔女は言う。
「なんだ、今更」
「眷属の契約は一方的なものではないからね。双方の同意があって初めて成り立つ。だからまぁ、一応、聞いておいた方がいいかと思ってね」
「…………」
リフレナスは小さな小さなため息をついた。答えなぞ分かっているだろうにと。
リフレナスの心はとうに定まっていると知って、主である魔女はあえて訊く。言葉という誓約の証が欲しいのだろう。
――もう、長くはないのだ。
リフレナスは気付いていた。森の魔女の命数が残り少ないことを。あと何度、春夏を過ごし、秋と冬を越せるのだろう。
まだ猶予はある。しかし遠からず、その日はやってくるのだ。
リフレナスはきっぱりと答えた。
「聞くまでもない。俺は、森の魔女の眷属だ。この先もずっと」
それに、とちょっとぶっきらぼうにリフレナスは付け加えた。
「あいつのことも、俺はそれなりに気にいっている」
「そうかい。そりゃぁ、よかった」
リフレナスの返事を聞き、森の魔女は相好を崩した。そしてリフレナスの頭を撫でてやる。感謝の気持ちを笑顔に添えて。
元が精霊である眷属は概して長命である。風の精霊であったリフレナスもその例に漏れない。
リフレナスは、一代目の魔女に引き続き、二代目、三代目の眷属として在り続けることになる。希望的観測ではない。そうなるであろうことを、一代目にあたる森の魔女は予見していた。
森の魔女と契約を交わした風の精霊リフレナスは、この森に在り、この森に住まい、森を護る者の傍に居続け、守り通してくれるだろう。口では拗ねたことを言っても、リフレナスは律儀者なのだ。
リフレナスという風が繋ぎ、紡いでいく。
光の名を持つ少女が、紡がれた絆をあたたかく育んでいくだろう。
「お師匠様、リプ、お茶、持ってきましたよ」
お気楽で明朗な少女の声がドアの向こうから聞こえた。両手がふさがっているのだろう。森の魔女はパチンと指を鳴らし、魔法の力で扉を開けて弟子の少女を迎え入れた。
森の魔女は三人分のお茶と焼き菓子を運んできてくれた、次代の森の魔女となる愛弟子に微笑みかけ、礼を言った。
光、という意味を持つ、愛弟子の真名に想いをこめて。
「ありがとう、――キラ」
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