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紡ぐ風と、育む光 1
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森の魔女の眷属であるリフナレスは、元は風の精霊だった。
今、リフレナスが仕えている「森の魔女」は二代目だ。リフレナスを眷属にしたのは、先代の森の魔女である。
先代の森の魔女の召喚魔法によって姿を現し、主従の契約を結んで「眷属」となったのは、はたして何十年前のことだろうか。さすがにそこまでは憶えていない。しかし森の魔女によって召喚され、ネズミの肉体を与えられその時に、なぜネズミなんだと文句をつけたことは憶えている。
動物の肉体を与えられるのは、精霊界とは異質の次元である人間界に姿を固定させるためだ。そうして人間界にひとつの命として繋がれる。存在が人間の世界に固定、馴染んでいけば、あとは与えられた肉体(リフレナスの場合はネズミ)以外の姿に変化することができるようになる。それには主である魔女の意を介さない。眷属自身が望む姿に変身することが可能だ。が、リフレナスは自らの意思で姿を変えることはほとんどしなかった。主が望めば、ネズミ以外の姿になることはあったが。
たとえばリフレナスは人間の姿にも変化が可能だが、それは主たる森の魔女が望んだ時だけだ。森の魔女……今は亡き先代の森の魔女はリフレナスを度々人間に変身させていた。その際、リフレナスは青年の姿になっていた。その姿は、森の魔女の意向に沿ったものだったが、青年の姿に変じよ、と森の魔女が直接命じたわけではなかった。リフレナスは森の魔女の心の奥底に秘されていた人間の姿を模したのだ。魔女自身忘れかけていた記憶の姿……いや、忘れられぬ記憶の断片ともいえたろう。リフレナスの変じた青年の姿を見て、森の魔女は苦笑した。しかし改めさせたしなかった。
主と眷属は心が深く結びつけられている。魔法によって契約された「魂」は、互いの「魂」を共有しあう。無意識的な共有だから表に顕われることはほとんどないのだが、こんな形で顕在化することもある。
リフレナスが人間の姿に変わるよう求められたのは、大抵面倒事を頼まれるときだ。面倒事、という程でもない。雑用を言いつけられる、といったほうがいいかもしれない。ともあれ、リフレナスは森の魔女の求めに逆らうことはしない。いかにも面倒くさそうに不平をもらしたりはしたが。もっとも心底迷惑がっているわけではないことを森の魔女は知っていた。口ではあれこれと文句をつけながらも、リフレナスは手際よく几帳面に、頼まれ事を処理してくれるのだ。
そういう、面倒見のいい、お人好しで気のいい眷属なのだ。
リフレナスのそういう性分は、主の影響も多少はあったにせよ、もともと持ち合わせていた性質なのだろう。
森の魔女が代替わりをし、二代目の森の魔女の眷属になっても、リフレナスは相変わらずのリフレナスだった。
さて、これは遠い日。先代の森の魔女がまだ健在で、二代目の魔女になる幼い弟子と、慎ましやかな生活を過ごしていた日のこと。
「魔女は、一生独身じゃないといけないって、ほんとですか!?」
おつかいに出ていた街から戻るやいなや、魔女の弟子である黒髪の少女が開口一番、師匠に問いを投げかけてきた。突然の質問に、森の魔女は目を瞬かせた。息せききって駆けてきた幼い弟子は興奮気味だ。頬を紅潮させ、その黒眸は真剣そのもの。
「やれやれ」
苦笑いを浮かべ、森の魔女は嘆息した。
「慌ただしいねぇ。頼んでおいた練乳や乾酪はどうしたね?」
「ちゃんと買ってきて、保冷室に入れておきました! それで、えっと、お師匠様に確認しなくちゃって」
薬草を薬研で擂り潰す作業をしていた森の魔女は、手を止めて弟子の方に顔を向けた。
幼いながらもしっかり者の弟子は、しかしこんな時やはり年相応な子供らしさをみせる。子供が生活するには森の奥はさびしかろうが、それに対して少女は不平をもらさない。むしろ「お師匠様」のためにはりきって家事を担当し、日増しにその手際がよくなっている。どちらかといえば無精な「お師匠様」の役に立てることが何より嬉しいらしい。
子供らしく遊ばせてはやれない分、時には街へ出かけさせ、親しい友人を作るよう助言はしている。森の魔女に実子はおらず、子育ても未経験だ。ひょんなことから孤児となった少女を引き取ることになったのだが、幸い物怖じしない性質の子で、すぐに森での生活に馴染んだ。
黒い瞳と髪を持つ弟子と森の魔女は、遠い血縁にあたる。しかし外見に似たところはなかった。魔力の属性も違う。
森の魔女の長い歳月を刻んだ皮膚は、弟子のそれと比べると陽に焼けてやや褐色がかっている。弟子ほどには長く伸ばしていない髪は、細布で束ねている。はしばみ色の髪には白いものが混じり、それは年ごとに増えていっているようだ。太り肉ではあるが弛んだ体つきではない。おっとりとした風貌で、気のよい小母さんといった印象をもたれることが多い。しかし黄昏時の空の色をした瞳には鋭さと孤独がある。
「魔女って、結婚しちゃだめなんですか?」
森の魔女のたったひとりの弟子は、物怖じしない性格だった。黒の双眸も好奇心にきらきらと光っている。
「まったく、なんだい藪から棒に?」
「街の女の子たちから聞いたんです。魔女は結婚しないものなんだって。ずっと独身でいなきゃいけないんだって」
やっと十を超えた年だというのに、森の魔女の弟子は妙なところで耳年増だ。街で親しくなった娘たちの影響だろう。友人ができるのは好ましいことだが、妙な知識を植えつけられるのには困りものだ。かといって、頭ごなしに否定したくはない。
「まぁ、まずはそこにおかけ。それからこれをお飲み」
「はい」
少女は素直に椅子に座り、師匠が差し出したグラスを受け取った。グラスの中身は冷えた薄荷水だ。少量口に含んだだけで、爽やかな香りが口の中いっぱいに広がる。もしかしたらごくわずかに魔法がかけられているのかもしれないと、少女は思う。一口、二口と飲んでいくごとに、身体に溜まっていた熱が冷めて、心も落ち着いてくる。
「魔女は結婚しちゃいけない、か。まぁ、昔からそういう誤解はもたれてはいたけどね」
森の魔女は自分用の薄荷水をつくってから再び作業を開始した。ゴリゴリと、鈍い音が室内に響き、すこし苦い香りが鉢から立ち上がってくる。
薬草や種子、木の実などを補完し、擂り潰すなどの作業を行う場所は、住居である館の北端にある。森の魔女が住む前は貴族の別邸だったらしいお屋敷を、住むのに不便がない程度に改装して今の住居になっているから、二人と一匹が住むには広すぎるくらいの「館」だ。おかげで日々の掃除が大変だと弟子は常々こぼしている。
それはさておき、現在森の魔女がいるのは、北の端の部屋だ。作業部屋兼保存庫にはうってつけの部屋で、換気孔と採光窓が高い位置に数ヶ所、直射日光は入らない。そのため日中でも薄暗く、少し肌寒いほどだ。今日は快晴で汗ばむほどの陽気だが、作業部屋はひんやりとして過ごしやすい。
グラスをもったまま、ふと、少女は視線を横に映した。
師匠とは別の作業台で、眷属のリフレナスが黙々と仕事をしていた。実の選定作業をしているようだ。金褐色のネズミの姿の眷属は、弟子の少女の視線に気づいたようだが、黙ったまま作業を続けている。森の魔女の忠実なる眷属は、近頃人間の姿をとることがなくなって、ネズミの姿をずっと保っている。その小さな身体でもさほどの不便はないらしい。細やかな仕事ぶりだ。赤黒紫、橙色……さまざまな実を色分けして、拭き作業もしている。前脚で実を持って、ぴくぴくと鼻を鳴らしてにおいを嗅いでいる様子が、とても可愛い。そんなことをリフレナスに言おうものなら、リフレナスは途端に機嫌を損ね、そっぽを向いてしまうかもしれない。文句もたぶん、容赦ない。
リフレナスにも声をかけたかったが、とりあえずそれは後回しにして、少女は師匠の方に顔を向け直した。
「えーっと、それで、お師匠様? 誤解ってことは、結婚しちゃだめってことは、ないんですか?」
誤解と師匠は言ったが、しかし現実に師匠は独り身ではないか。
少女は首を傾げて作業中の師匠を見つめる。
街で仲良しになった女の子たちが言っていた。森の魔女は結婚せず、ながく独り身だ。「魔女だから」結婚できないのだと。結婚したら魔女ではなくなるから、生涯を独身で通すのだ、と。「お母さんがそう言ってたよ」と言下に付け足した。
もっとも、森の魔女の弟子である少女は、「結婚」や「夫婦」というものを曖昧な形でしか理解していなかった。仲良しの女の子たちにはたいてい「母親」と「父親」がおり、その父母が「結婚」している「夫婦」なのだ、とその程度には認識できているが、結婚に対して具体的な何かを脳裏に浮かべることはできなかった。
魔女は結婚してはいけない。
それを聞いて、少女はわけもなく驚き、ひどく不安になった。そしてふと頭に浮かんだ、幼馴染の「領主見習い」の少年の顔。その顔が思い浮かんだ自分にもひどく驚いたし、困惑した。
「お弟子さんは、魔女になるんでしょ? だったら、結婚もしないの?」
仲良しの女の子たちに尋ねられて、少女は返事に窮してしまった。
魔女になるべく魔法の勉強をしている自分は、結婚をしたらいけないんだろうか? 誰かの「お嫁さん」になることはありえないんだろうか?
漠然とした不安だった。
「別に、結婚しようがしまいが、魔力には何の影響もないよ。魔女になれない、なんてこともない」
弟子の質問に、森の魔女はさらりと答えた。作業を続ける手は止めない。それはリフレナスも同様だったが、ただ少しだけリフレナスの作業はゆっくりになっていた。会話に入ってはこないが、聞き耳だけは立てているようだ。
「たしかに生涯独身を貫いた魔女もいたけどね。逆に、結婚して、何人も子供を儲けた魔女もいたよ」
言い終えてから、森の魔女は手を止めて、薬研の中を確かめる。鉢の中の薬草は良い塩梅になっていた。
「だから結婚したら魔女ではなくなるなんてことはないよ。魔女業を止めるにしたって魔力がなくなるわけじゃないからね。まぁ、独り身の魔女が多いようだら、それでそんな風に思われるんだろう」
「そう、なんだ……。そっか、魔女でも結婚して、いいんだ……」
少女はほっと胸をなでおろした。それからちょっと小首を傾げた。
――どうしてホッとしたんだろう? 結婚なんて、まだよくわからないはずなのに?
ホッとしてる自分を不思議がっている少女を、森の魔女は微笑ましく眺めていた。
単語
今、リフレナスが仕えている「森の魔女」は二代目だ。リフレナスを眷属にしたのは、先代の森の魔女である。
先代の森の魔女の召喚魔法によって姿を現し、主従の契約を結んで「眷属」となったのは、はたして何十年前のことだろうか。さすがにそこまでは憶えていない。しかし森の魔女によって召喚され、ネズミの肉体を与えられその時に、なぜネズミなんだと文句をつけたことは憶えている。
動物の肉体を与えられるのは、精霊界とは異質の次元である人間界に姿を固定させるためだ。そうして人間界にひとつの命として繋がれる。存在が人間の世界に固定、馴染んでいけば、あとは与えられた肉体(リフレナスの場合はネズミ)以外の姿に変化することができるようになる。それには主である魔女の意を介さない。眷属自身が望む姿に変身することが可能だ。が、リフレナスは自らの意思で姿を変えることはほとんどしなかった。主が望めば、ネズミ以外の姿になることはあったが。
たとえばリフレナスは人間の姿にも変化が可能だが、それは主たる森の魔女が望んだ時だけだ。森の魔女……今は亡き先代の森の魔女はリフレナスを度々人間に変身させていた。その際、リフレナスは青年の姿になっていた。その姿は、森の魔女の意向に沿ったものだったが、青年の姿に変じよ、と森の魔女が直接命じたわけではなかった。リフレナスは森の魔女の心の奥底に秘されていた人間の姿を模したのだ。魔女自身忘れかけていた記憶の姿……いや、忘れられぬ記憶の断片ともいえたろう。リフレナスの変じた青年の姿を見て、森の魔女は苦笑した。しかし改めさせたしなかった。
主と眷属は心が深く結びつけられている。魔法によって契約された「魂」は、互いの「魂」を共有しあう。無意識的な共有だから表に顕われることはほとんどないのだが、こんな形で顕在化することもある。
リフレナスが人間の姿に変わるよう求められたのは、大抵面倒事を頼まれるときだ。面倒事、という程でもない。雑用を言いつけられる、といったほうがいいかもしれない。ともあれ、リフレナスは森の魔女の求めに逆らうことはしない。いかにも面倒くさそうに不平をもらしたりはしたが。もっとも心底迷惑がっているわけではないことを森の魔女は知っていた。口ではあれこれと文句をつけながらも、リフレナスは手際よく几帳面に、頼まれ事を処理してくれるのだ。
そういう、面倒見のいい、お人好しで気のいい眷属なのだ。
リフレナスのそういう性分は、主の影響も多少はあったにせよ、もともと持ち合わせていた性質なのだろう。
森の魔女が代替わりをし、二代目の森の魔女の眷属になっても、リフレナスは相変わらずのリフレナスだった。
さて、これは遠い日。先代の森の魔女がまだ健在で、二代目の魔女になる幼い弟子と、慎ましやかな生活を過ごしていた日のこと。
「魔女は、一生独身じゃないといけないって、ほんとですか!?」
おつかいに出ていた街から戻るやいなや、魔女の弟子である黒髪の少女が開口一番、師匠に問いを投げかけてきた。突然の質問に、森の魔女は目を瞬かせた。息せききって駆けてきた幼い弟子は興奮気味だ。頬を紅潮させ、その黒眸は真剣そのもの。
「やれやれ」
苦笑いを浮かべ、森の魔女は嘆息した。
「慌ただしいねぇ。頼んでおいた練乳や乾酪はどうしたね?」
「ちゃんと買ってきて、保冷室に入れておきました! それで、えっと、お師匠様に確認しなくちゃって」
薬草を薬研で擂り潰す作業をしていた森の魔女は、手を止めて弟子の方に顔を向けた。
幼いながらもしっかり者の弟子は、しかしこんな時やはり年相応な子供らしさをみせる。子供が生活するには森の奥はさびしかろうが、それに対して少女は不平をもらさない。むしろ「お師匠様」のためにはりきって家事を担当し、日増しにその手際がよくなっている。どちらかといえば無精な「お師匠様」の役に立てることが何より嬉しいらしい。
子供らしく遊ばせてはやれない分、時には街へ出かけさせ、親しい友人を作るよう助言はしている。森の魔女に実子はおらず、子育ても未経験だ。ひょんなことから孤児となった少女を引き取ることになったのだが、幸い物怖じしない性質の子で、すぐに森での生活に馴染んだ。
黒い瞳と髪を持つ弟子と森の魔女は、遠い血縁にあたる。しかし外見に似たところはなかった。魔力の属性も違う。
森の魔女の長い歳月を刻んだ皮膚は、弟子のそれと比べると陽に焼けてやや褐色がかっている。弟子ほどには長く伸ばしていない髪は、細布で束ねている。はしばみ色の髪には白いものが混じり、それは年ごとに増えていっているようだ。太り肉ではあるが弛んだ体つきではない。おっとりとした風貌で、気のよい小母さんといった印象をもたれることが多い。しかし黄昏時の空の色をした瞳には鋭さと孤独がある。
「魔女って、結婚しちゃだめなんですか?」
森の魔女のたったひとりの弟子は、物怖じしない性格だった。黒の双眸も好奇心にきらきらと光っている。
「まったく、なんだい藪から棒に?」
「街の女の子たちから聞いたんです。魔女は結婚しないものなんだって。ずっと独身でいなきゃいけないんだって」
やっと十を超えた年だというのに、森の魔女の弟子は妙なところで耳年増だ。街で親しくなった娘たちの影響だろう。友人ができるのは好ましいことだが、妙な知識を植えつけられるのには困りものだ。かといって、頭ごなしに否定したくはない。
「まぁ、まずはそこにおかけ。それからこれをお飲み」
「はい」
少女は素直に椅子に座り、師匠が差し出したグラスを受け取った。グラスの中身は冷えた薄荷水だ。少量口に含んだだけで、爽やかな香りが口の中いっぱいに広がる。もしかしたらごくわずかに魔法がかけられているのかもしれないと、少女は思う。一口、二口と飲んでいくごとに、身体に溜まっていた熱が冷めて、心も落ち着いてくる。
「魔女は結婚しちゃいけない、か。まぁ、昔からそういう誤解はもたれてはいたけどね」
森の魔女は自分用の薄荷水をつくってから再び作業を開始した。ゴリゴリと、鈍い音が室内に響き、すこし苦い香りが鉢から立ち上がってくる。
薬草や種子、木の実などを補完し、擂り潰すなどの作業を行う場所は、住居である館の北端にある。森の魔女が住む前は貴族の別邸だったらしいお屋敷を、住むのに不便がない程度に改装して今の住居になっているから、二人と一匹が住むには広すぎるくらいの「館」だ。おかげで日々の掃除が大変だと弟子は常々こぼしている。
それはさておき、現在森の魔女がいるのは、北の端の部屋だ。作業部屋兼保存庫にはうってつけの部屋で、換気孔と採光窓が高い位置に数ヶ所、直射日光は入らない。そのため日中でも薄暗く、少し肌寒いほどだ。今日は快晴で汗ばむほどの陽気だが、作業部屋はひんやりとして過ごしやすい。
グラスをもったまま、ふと、少女は視線を横に映した。
師匠とは別の作業台で、眷属のリフレナスが黙々と仕事をしていた。実の選定作業をしているようだ。金褐色のネズミの姿の眷属は、弟子の少女の視線に気づいたようだが、黙ったまま作業を続けている。森の魔女の忠実なる眷属は、近頃人間の姿をとることがなくなって、ネズミの姿をずっと保っている。その小さな身体でもさほどの不便はないらしい。細やかな仕事ぶりだ。赤黒紫、橙色……さまざまな実を色分けして、拭き作業もしている。前脚で実を持って、ぴくぴくと鼻を鳴らしてにおいを嗅いでいる様子が、とても可愛い。そんなことをリフレナスに言おうものなら、リフレナスは途端に機嫌を損ね、そっぽを向いてしまうかもしれない。文句もたぶん、容赦ない。
リフレナスにも声をかけたかったが、とりあえずそれは後回しにして、少女は師匠の方に顔を向け直した。
「えーっと、それで、お師匠様? 誤解ってことは、結婚しちゃだめってことは、ないんですか?」
誤解と師匠は言ったが、しかし現実に師匠は独り身ではないか。
少女は首を傾げて作業中の師匠を見つめる。
街で仲良しになった女の子たちが言っていた。森の魔女は結婚せず、ながく独り身だ。「魔女だから」結婚できないのだと。結婚したら魔女ではなくなるから、生涯を独身で通すのだ、と。「お母さんがそう言ってたよ」と言下に付け足した。
もっとも、森の魔女の弟子である少女は、「結婚」や「夫婦」というものを曖昧な形でしか理解していなかった。仲良しの女の子たちにはたいてい「母親」と「父親」がおり、その父母が「結婚」している「夫婦」なのだ、とその程度には認識できているが、結婚に対して具体的な何かを脳裏に浮かべることはできなかった。
魔女は結婚してはいけない。
それを聞いて、少女はわけもなく驚き、ひどく不安になった。そしてふと頭に浮かんだ、幼馴染の「領主見習い」の少年の顔。その顔が思い浮かんだ自分にもひどく驚いたし、困惑した。
「お弟子さんは、魔女になるんでしょ? だったら、結婚もしないの?」
仲良しの女の子たちに尋ねられて、少女は返事に窮してしまった。
魔女になるべく魔法の勉強をしている自分は、結婚をしたらいけないんだろうか? 誰かの「お嫁さん」になることはありえないんだろうか?
漠然とした不安だった。
「別に、結婚しようがしまいが、魔力には何の影響もないよ。魔女になれない、なんてこともない」
弟子の質問に、森の魔女はさらりと答えた。作業を続ける手は止めない。それはリフレナスも同様だったが、ただ少しだけリフレナスの作業はゆっくりになっていた。会話に入ってはこないが、聞き耳だけは立てているようだ。
「たしかに生涯独身を貫いた魔女もいたけどね。逆に、結婚して、何人も子供を儲けた魔女もいたよ」
言い終えてから、森の魔女は手を止めて、薬研の中を確かめる。鉢の中の薬草は良い塩梅になっていた。
「だから結婚したら魔女ではなくなるなんてことはないよ。魔女業を止めるにしたって魔力がなくなるわけじゃないからね。まぁ、独り身の魔女が多いようだら、それでそんな風に思われるんだろう」
「そう、なんだ……。そっか、魔女でも結婚して、いいんだ……」
少女はほっと胸をなでおろした。それからちょっと小首を傾げた。
――どうしてホッとしたんだろう? 結婚なんて、まだよくわからないはずなのに?
ホッとしてる自分を不思議がっている少女を、森の魔女は微笑ましく眺めていた。
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