森の魔女と訳あり王子の恋物語

るうあ

文字の大きさ
上 下
8 / 36

8話 (了)

しおりを挟む
 シリンは王子の異母姉だと、自ら「正体」を明かした。
 森の魔女は唖然としながらも王子とシリンの顔を見比べてみる。たしかに、どことなく雰囲気が似ている。そういえばシリンの笑顔を見るたびに、既視感を覚えていた。その感覚は正しかったということか。
「まったく、そのくらいは説明しておいてほしかったわ。とことんダメな弟ねえ」
 王子に皮肉をとばしつつも、シリンはこの現状を楽しがっているようだ。
 シリンは王子の母親違いの姉、つまりシリンもまた国王陛下の子供の一人ということだ。だから国王陛下の身上について詳しかったわけだ。シリンが語るところによると、シリンが王子に会いに来たのは商談のためだという。
「まぁ、縁談の話も一応は持って来たの、主人が気をまわしてね」
「しゅ、主人?!」
 二度目の驚愕だった、既婚者だというシリンの告白は。森の魔女は涙に濡れた黒眸を大きく見開く。おかげで涙も乾きそうだった。
「ともあれ、説明不足なうえ、やり方の不器用な弟に代わって、私からもお詫びさせてね、森の魔女さん」
 そしてシリンは手を叩いてメイドを呼び、新しくお茶の用意をするよう命じた。トネリコの樹の下のテーブルに森の魔女は再び招かれ、とまどいながらも着座した。気持ちはまだ落ち着かないが、気詰まりではなかった。シリンが間に入ってくれたからだろう。それだけではない気もするのだが。
「……からかうつもりも、騙すつもりもなかったんだが、君を傷つけてしまったことは事実だ。すまなかった」
 王子の真摯な謝罪に森の魔女は無言で頷いた。もう怒ってはいないけれど、なんと言葉をかけていいのかわからなかった。王子は心から反省している様子で、いつものような余裕綽々といった笑みはかけらもみせない。
「回りくどいことをするからいけないのよね。ストレートに言っても伝わらないだろうと悩んでたようなのよ、これでも。で、いろいろと策を練ってみたってわけね」
「……策?」
 王子の代わりに「言い訳」をするシリンの方に森の魔女は視線を向けた。
「惚れ薬のことよ。本気の依頼じゃないことは、貴女にも分かっていたでしょう?」
「それは、……はい」
 けれど、「本気」だとも、王子は言った。どういうことだろうと王子の方に目をやると、王子はきまずそうに曖昧な微笑を浮かべているだけだ。タイミングよくお茶が運ばれてきたから、王子の視線はそちらに注がれて、森の魔女を見つめ返してはこない。
「さっきのお茶も、そう。惚れ薬なんて入ってないわ」
 シリンの言葉を引き継いだのはリフレナスだった。
「そうだろうさ。魔力のにおいの欠片もない。いっぱい食わされただけだ」
「いや、だから騙すつもりでは……」
「なに言ってるの。貴方にそのつもりはなくても、森の魔女さんは傷ついたわ」
「…………」
 その通りだと非を認めて、王子は沈黙した。悪戯を窘められた子供のような、幼げといっていい表情だった。そういった王子の表情も、森の魔女は知っていた。知っているが、ひどく慣れない。胸がどきどきしたままだ。
 シリンはやれやれと肩を竦めた。新しく運ばれてきたお茶はさきほどの茶とは別種のものだ。うすい黄緑色の茶で、香りに癖はないが口に含むとわずかな苦味がひろがって、口内がすっきりとする。シリンに倣って、森の魔女も茶をいただいた。気持ちを落ち着けるにはよい風味のお茶だった。
 シリンは森の魔女を優しく見やり、そのあとでテーブルの端に目線を移した。そこには森の魔女の眷属がいた。テーブルの上にちゃっかりと座っている。茶がないことに不満そうではなかったが、手持無沙汰なのか、それともネズミの習性なのか、小さな手でくるくると顔を拭っている。シリンはそんな眷属の姿を見てもさほど驚く様子がない。王子から森の魔女についていろいろと話を聞いていたようだから、ネズミの姿の眷属がいることもあらかじめ知っていたのだろう。「ネズミ」がテーブルの上に居ると騒がれず、森の魔女は内心でホッとしていた。リフレナスはといえば、気にかける素振りもない。
 シリンはわざとらしくため息をつき、カップを受け皿に戻した。
「惚れ薬なんてないってことは分かってたけど、ひとつのきっかけとして必要だった、ってことなのよね。必要だったのは、もちろん森の魔女さんによ?」
「……それは、あの……」
 どういうことでしょうかと問う森の魔女に、シリンは笑んで応じる。ちょっとだけ思わせぶりな表情は、たしかに王子とよく似ている。
「さすがにそれをここで言ってしまうほど、私も野暮ではないわ。ともあれ、さっきのお茶は私が差し入れたものではあるけど、ただのハーブティーよ。……そうね、時にはただのハーブティーも調合の具合によって惚れ薬になるようね? 私もそのお茶にうまくブレンドされた、というわけ」
 とはいえ、異母弟の手管は我らが国王陛下の足元にも及ばないわね、とシリンは愉しげに言った。「女たらし」な国王陛下なら、きっともっとうまく立ち回ったでしょうに、と。
「…………」
 図星をつかれたのか、王子は苦虫をかみつぶしたような顔をし、無言で茶を飲んでいる。王子の秀麗な容貌に、微かな朱色がさしていた。それを確かめた途端、森の魔女の頬までがなぜか熱ってきて、視線を王子から逸らして両の手で頬をおさえた。
「さあ、話の続きは二人でしてちょうだい。昼食はそろそろ出来上がっているはずだから、こちらへ運ぶよう、手配してくるわ。ええっと……そちらのネズミさん? 魔女の眷属さんね? ご一緒してくださるかしら?」
 躊躇なく差し出されたシリンの手に、リフレナスはそろりと乗っかった。ちらりと森の魔女の方を振り返ったが、あえて何も言わずにおいた。二度は、振り返らない。そしてシリンはリフレナスとともに中庭を出ていった。
 そして陽だまりの中、森の魔女と王子だけが残った。


 森の魔女は居たたまれなさを払拭するためにも、開口一番、謝った。
「ごめんなさい、王子。さっき、おもいっきり手をはたいてしまって」
「気にしないで。私が悪かったのだから」
「……それはまぁ、そうですね」
「否定しないんだね」
 くすくすと王子は笑う。森の魔女の口調がいつものようになっていて、ホッとしたのもあったろう。
「だって、やっぱりちょっと、その……」
「傷ついた?」
「……傷ついたってことは、……でも、なんだか……」
 口惜しかったのだ、とは言えなかった。そして傷ついたというより、気付かされたという方が、森の魔女にとっては正しいだろう。リフレナスが言ったように、本当は分かっていたこと、だったのだと。
 これはいったいどういうことなのかと、以前の森の魔女なら怒って王子を問い詰めただろう。
 でも、もう訊くまでもない。
「魔女殿」
 不意打ち、だった。
 王子が、森の魔女の豊かな黒髪をひと房、手に取った。
「ひゃっ、お、王子っ?!」
 突然髪に触れられただけでも驚いたのに、王子は、手に取った黒髪に軽く口づけたのだ。跪かれこそしなかったが、王子の恭しい態度に、森の魔女は情けないほどにうろたえ、慌てふためいた。
 さきほどと違って、王子は森の魔女の真正面ではなく、すぐ横の椅子に座っている。座ったまま、けれど身を近づけて真摯なまなざしを森の魔女に向けている。いつにもまして甘やかな双眸に、森の魔女だけを映している。
「魔女殿。君を想っている、心から」
「……っ」
 唐突だ。あまりに唐突すぎる。
 真正面からの王子の告白に、森の魔女はほどけ落ちた薔薇色の紅絹よりも、その頬を朱色に染めた。鼓動が速まって苦しい。
 心をひしめかせるほどの、この甘やかで苦しい感情……想いの「名」を、森の魔女はもう知っている。
「はじめから、こうして率直に伝えていればよかったのだろうけど」
「……えぇ……っと、そのっ」
「なかなか自信が持てなくてね。断られるだろうと予測していたから」
「…………」
 それは、そうだろう。森の魔女もそれは否定しなかった。
 惚れ薬をつくってほしいと言うかわりに、たとえば今のように告白されたところで、森の魔女は真剣に受け取らなかったかもしれない。なにしろ身分が違い過ぎるし、……それよりも自分の気持ちに気づいてはいなかったから。
 王子が回りくどいことをしなければならなかったのは、森の魔女があまりに疎いからだ。
「ずっと君を想っていた。……本当にずっと、君だけを」
「……あ、あの……王子……っ」
 うろたえて、森の魔女はうまく声を発することすらできない。目がちかちかして、眩暈までしてくる。動悸は止まないし、顔は熱いし。そして動揺をもたらす原因である王子はといえば、いままでに見たこともないような嫣然とした微笑を浮かべている。
「魔女殿?」
「は、はいっ?!」
 王子は真っ赤になっている森の魔女の頬に、そっと手を触れさせる。優しい触れ方なのに、森の魔女は一瞬で硬直してしまった。でもその手を払いのけたりは、もうできない。
「私の名を、呼んでくれないかな」
「え……」
「君はいつも王子としか呼んでくれなかったけれど、名で呼ばれたいと、前も話したけれど、ずっと思っていたんだよ」
「…………」
 王子の手が、ゆっくりと森の魔女から離れた。その手を、つい目で追ってしまう。
 名を呼んで、と王子は艶麗に笑んで、森の魔女を促してくる。期待に満ちた亜麻色の瞳はどこか少年ぼくもある。
「私を、少しでも同じように想っていてくれるなら」
「…………」
 今更どうして、とはもう言えない。抗いようがない。もはや森の魔女は受け入れていたから。王子の想いも、自身の想いも。
「……セレン、……王子」
 セレン。
 それが王子の名だ。頭では知っていたその名を声に出して発することが、まさかこれほど気恥しいとは。森の魔女はさらに頬が赤くなっているだろうことが、自分でもわかった。
「王子、は余分だな」
「いきなり呼び捨ては……その……」
 王子は再び手を伸ばして森の魔女の黒髪をひと房、指にからめとった。
「もう一度」
「え……」
「私の名を」
 艶めいた声で囁かれ、髪を軽く引っ張られる。微かな痛みが森の魔女を誘う。それこそ惚れ薬でも飲まされたかのように、王子の言葉に逆らえない。
「セ、セレン……王子」
「うん」
 晴れやかに、王子……セレンは笑う。
 零れおちる秋の陽射しよりまぶしく、きらめいている。こんな笑顔を見るのは、もしかして初めてかもしれない。
「君の名は、やはりまだ教えてはもらえないのかな、魔女殿?」
「えっ、えっと、それは……です、ね」
 本当に惚れ薬は入ってなかったんだろうか、あのお茶に? そう疑いたくなるほどの、この胸のときめき。鼓動はいつまでたっても落ち着かない。
 森の魔女の秘密の名。
 それを明かすのは勇気がいる。
 セレンは急かさずに森の魔女を待った。指に絡めた髪を弄びつつではあったが。
「特別ですからね、王子にだけ、です」
「うん」
 もったいぶることでもないはずだ。それでもどうしたって緊張はしてしまう。
 森の魔女は深呼吸し、顔をあげた。まっすぐに、自分を見つめる亜麻色の瞳の青年を見つめ返し、名を告げた。
「キラ。……キラ、です。わたしの名前」
「キラ」
 セレンがその名を繰り返す。
 瞬間、森の魔女の視界が明るく輝いた。光が舞い踊るかのように、セレンの周囲がきらめいて見える。
 ――なんて、綺麗なんだろう。
 森の魔女は驚き、けれどとても幸福感に満たされている自分を感じた。
 これが、そうなのだ、とやっと思い至った。
 恋、という魔法に、森の魔女はすでにかかっていた。惚れ薬なんて、必要なかったのだ。
「キラ。君に似合う、美しい名だね」
「……っ」
 言った当人は平然としているが、森の魔女は恥ずかしさのあまり卒倒しそうだった。
「……王子」
「セレン、と」
「……セレン、王子」
 やっぱり「王子」は取れない。そういった、不慣れな様子も愛らしいものだと、セレンはやわらかく笑んでいる。
「わたしも、セレン……王子のこと、好き、みたいです」
 恥ずかしそうに、しかし森の魔女……キラは満面の笑みを湛えて、言った。
「…………」
 セレンは亜麻色の瞳を見開いて、森の魔女を見やる。
 まさか、こんなところで先手を取られてしまうとは。不覚だった。
「先を越されてしまったね。でも、その言葉が聞けて、嬉しいよ。……キラ」
「はい?」
 契約のようでもある。
 セレンにとってもやはり森の魔女の名は特別なものだ。名を口にする。それだけで幸福感が増していく。これほどの魔法は、ないだろう。
 セレンはキラの黒髪を手繰り、そして指で掬ったそこに、恭しく口づけた。
「大好きだよ、私の……キラ」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

隣国が戦を仕掛けてきたので返り討ちにし、人質として三国の王女を貰い受けました

しろねこ。
恋愛
三国から攻め入られ、四面楚歌の絶体絶命の危機だったけど、何とか戦を終わらせられました。 つきましては和平の為の政略結婚に移ります。 冷酷と呼ばれる第一王子。 脳筋マッチョの第二王子。 要領良しな腹黒第三王子。 選ぶのは三人の難ありな王子様方。 宝石と貴金属が有名なパルス国。 騎士と聖女がいるシェスタ国。 緑が多く農業盛んなセラフィム国。 それぞれの国から王女を貰い受けたいと思います。 戦を仕掛けた事を後悔してもらいましょう。 ご都合主義、ハピエン、両片想い大好きな作者による作品です。 現在10万字以上となっています、私の作品で一番長いです。 基本甘々です。 同名キャラにて、様々な作品を書いています。 作品によりキャラの性格、立場が違いますので、それぞれの差分をお楽しみ下さい。 全員ではないですが、イメージイラストあります。 皆様の心に残るような、そして自分の好みを詰め込んだ甘々な作品を書いていきますので、よろしくお願い致します(*´ω`*) カクヨムさんでも投稿中で、そちらでコンテスト参加している作品となりますm(_ _)m 小説家になろうさん、ネオページさんでも掲載中。

かりそめ婚のはずなのに、旦那様が甘すぎて困ります ~せっかちな社長は、最短ルートで最愛を囲う~

入海月子
恋愛
セレブの街のブティックG.rowで働く西原望晴(にしはらみはる)は、IT企業社長の由井拓斗(ゆいたくと)の私服のコーディネートをしている。彼のファッションセンスが壊滅的だからだ。 ただの客だったはずなのに、彼といきなりの同居。そして、親を安心させるために入籍することに。 拓斗のほうも結婚圧力がわずらわしかったから、ちょうどいいと言う。 書類上の夫婦と思ったのに、なぜか拓斗は甘々で――。

知らなかったら…

水姫
恋愛
こんな話もありなはず……。 「…えっ?」 思い付きで書き始めたので、見るに耐えなくなったら引き返してください。裏を読まなければそんなにヤンデレにはならない予定です。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...