森の魔女と訳あり王子の恋物語

るうあ

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5話

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 風が、少し冷たい。
 梢の隙間に見える薄藍色の空を仰ぎ、嘆息した。
 陽光が風にそよぐ常緑の葉に反射して、きらきらと光り、目にまぶしい。紅葉し始めている木々も多く、この時期の森は色鮮やかで美しい。木の実を求めて木々を渡り歩く小動物や鳥たちの気配もせわしない。そうして季節が移っていくのだ。
 重なり合う枝と枝との間に見える空は、澄んだ青色だ。
 空を仰ぎながら、森の魔女はため息を吐く。
 秋らしい青空も吹き渡る爽やかな風も心地好いが、森の魔女の心の内は晴れぬままだ。ずっと靄がかかっている。
 森の魔女はぼんやりとしながら馬の手綱を引いていた。農作物を載せるための荷馬車で王子の住まう城へ行くのは気が引けたが、歩いていくには時間がかかりすぎる。歩いて行けなくもない距離だが、気だるいという気持ちが勝った。歩くのは、どちらかといえば好きな方なのだが。
 普段より良い生地で仕立てた服を着ているためでもあった。
「城へ行くってのに、いつもの服でいいのか」
 と、リフレナスに指摘されたのだ。その通りだと森の魔女は思ったのだが、いかんせん高級なドレスは一着も持っていない。よそいきの、ちょっと仕立ての良いワンピースはあるから、とりあえずそれを着ていくことにした。ワンピースの生地は森の魔女が染めたものだ。染めた生地を馴染みの服飾店でワンピースに仕立ててもらった。シグの生家の店ではなく、作業着などを主に扱う店に依頼したワンピースだ。そのため装飾性には乏しいが、着心地と動きやすさは抜群だ。しかし、ヤマモモの樹皮と葉で染めた木綿生地のワンピースは、いささか地味すぎたろうか。木綿は質の良いものを選んだし、草木染めとはいっても銅媒染で手間暇のかかった染めものだ。仕立てもよいし、自慢できる一品ではあるのだが、王子と並んで歩いていたあの女性のドレスと比べたら見劣りするだろう。比較の対象にすらならないかもしれない。
「……地味以前の問題、というか」
「何が?」
 手提げ籠からリフレナスが顔を出した。
「ううん、なんでも」
 手提げ籠はふたつあって、小さな方はリフレナス専用籠だ。移動時、たいていは森の魔女の肩に乗っているのだが、城へ行くとなればそういうわけにもいくまい。見た目は少し大きめの「ネズミ」だ。城で働く者の中には「ネズミ」を忌避する者もいるだろう。同行するのはいいが、隠れていた方がいいと提案したのはリフレナスだ。リフレナスの方がそうした気遣いができる。「年の功、だよね」と森の魔女が笑えば、リフレナスは「常識だろ」とつれない。
 もうひとつの手提げ籠の中には、昨夜つくった焼き菓子が入っている。他に、森の魔女特製ブレンドの茶葉も。王子の依頼の品、「惚れ薬」はむろん入っていない。
「そういえば、リプと二人だけで王子のお城に行くのって、初めて、かな」
「初めてってことはないが、まぁ、たしかにせいぜい一度か二度か、そのくらいだろ」
「そう、だよね……」
 王子の住まう居城、トイン城に赴くのは本当に久方ぶりのことだ。かつてはまめに通っていたし、それでころか二、三日留まることもままあった。来城の目的は、主に王子の母の診療のためだった。
 王子の亡き母は、もとより病弱な体質で、ことに呼吸器系が弱かった。王子を出産した際に命を危ぶまれるほど重篤になったが、なんとか一命はとりとめた。しかしそのまま体力は快復せず、さらに心の臓まで弱って、床に伏しがちになっていった。
 王子の亡き母は、ミレー子爵家の一人娘だった。領地もろくに持たぬ名だけの「子爵」。王都に住んでこそいたが、庶民と変わらぬ生活を送っていた。その子爵家の令嬢がどうしたきっかけがあったものか、国王陛下の……当時はまだ王太子だったが、寵愛を受けた。といっても、数ある恋人の一人にすぎなかった。ミレー家令嬢の元には足繁く通い、もっとも心を傾けていたと言われてはいたが、結局添い遂げるには至らなかった。
 ミレー子爵は野望とは程遠い控えめな気質で、一人娘を足がかりに城内での権勢を得ようとはしなかった。一人娘が王太子の寵愛を得たことに狼狽したほどだ。そうしているうちに、ミレー子爵令嬢は懐妊、息子を儲けた。
 王子が生まれた、その時期。
 辺境地であるリマリックの領主に、不幸があった。当時のリマリックの領主はフォート男爵だったが、その嫡男が不慮の事故に遭い、亡くなってしまったのだ。たったひとりの嫡子で、兄弟は無かった。その上フォート男爵夫妻は老齢といっていい年になっていた。フォート男爵夫妻の嘆きは深く、領主の地位を返上する旨を国王陛下に申し出ていた。他に地位を譲るべき人脈が男爵にはなかったのだ。なかったというより、気力が尽き果て、自ら後継を選出する行動力を失ってしまったというべきか。
 そこで、白羽の矢が立ったのがミレー家だった。都合のよいことに、調べてみるとミレー家とフォート家は遠縁であることが判明した。そこで、安易といっていい解決策が採られた。
 フォート男爵はミレー子爵家に領主としての権利を委譲、それらの手続きが滞りなく行われた。王子は満十五歳で領主の地位を譲られることとなり、それまではフォート男爵が後見人として立つことになった。同時に、王子は王位継承権の放棄も誓約させられることとなった。後、王子の母は儚くも身罷ったが、結果として、王子の将来は保障されたといっていい。
 それらの事情を、森の魔女は王子と王子の母から直に聞いた。王子もだが、森の魔女はフォート男爵とも、今も交流がある。王子の母の家系、ミレー子爵家は王都に屋敷を与えられ、そこで平穏な余生を過ごしているらしいが、詳しいことを森の魔女は知らない。
 つまり、「王子」は愛称なのだ。本来であれば「領主さま」と呼ぶのが正しいのだろうが、初めて会った時に王子の乳母兼世話係が「王子さま」と読んでいたため、それに倣って「王子」と呼ぶようになったのだ。名前はもちろん本人から聞いていたのだが、「王子」の方が呼びやすかった。何しろ、「王子」と呼ばれるに相応しい、きらきらしい美少年だったのだ。妖精の国の王子様みたいだと、いまだって森の魔女は思っている。
 ひきかえ、自分はといえば、「魔女」という肩書みたいなものは持っているものの、「森の魔女」としての名声は先代、つまり師匠のもので、それを継いだだけにすぎない。魔女ではない自分は、ただの孤児だ。
 今頃になって、どうしてそんなことが気にかかってしまうのだろう。
 子供の頃は、そんなことまったく気にしてなかったのに。
 それを考えると、森の魔女のため息はより深くなり、数も増していく。
 意気消沈した様子でため息ばかりをつく主に、リフレナスは呆れたようなまなざしを向けていた。
 鈍感なのはやむを得ない、という憐れみのようなものもあった。先代も似たような性質だった。ある意味で鈍感でなければ、魔女なんていう稼業はやっていけないものなのかもしれない。それは、リフレナスの持論なのだが。
 それでも季節が移ろっていくように、リフレナスの主にも変化の時がやってきたようだ。
 思いもかけない方法で王子が行動を起こしたおかげでもある。ずいぶんとまだるっこしいやり口ではあるが、それくらいが森の魔女にはちょうどいいのかもしれない。
 主につられるようにして、リフレナスも小さくため息をついた。


 とりとめもなく思いに耽っている間に、馬車は城門までやってきていた。
 森の魔女は目前の城を眺めやる。秋空に映える、美しい城だ。
 城門は開け放たれていた。常に門は開かれている。門番は二名、形だけの武装だけはしている。物々しさとは程遠い。「こんにちは」と挨拶をすれば、にこやかに返事をしてもらえる。森の魔女は少しだけ安堵した。
 森の魔女は門前で手綱を引いて馬の脚を止めた。すると、まるで見計らったかのようにハディスが門前に姿を現した。
「ようこそおいでくださいました、魔女様」
 ハディスの後ろからすぐさま馬丁が駆け付けてきて、轡に手をかけた。
「こんにちは、ハディスさん」
 どう挨拶してよいやら、しかし森の魔女はぎこちなくも挨拶し、ぺこりとお辞儀をした。
「お待ちしておりました、どうぞ、こちらへ」
 城内へ案内するようハディスは手を差し伸べる。先日会った時よりはずっと好意的な態度に思えた。ハディスのもの堅さというのは職業柄だろうからと、森の魔女も少しは緊張をとけた。
「主は、城の中庭でお待ちです」
「はい」
 促されるまま、森の魔女はハディスの後についていった。荷馬車から籠を二つおろしてもらい、森の魔女は片方を左腕に下げ、リフレナスの入っている方の籠を胸に抱いている。
 城の敷地自体は広い。もとは城塞だった名残で堀も巡らされているが、水深は深くなさそうだった。城門から、城の大扉の前まではいささかの距離がある。馬車が扉の前に停められる程度には広く場を設けてある。向かって右側には立派な厩舎があった。森の魔女が載ってきた荷馬車はどうやらそこへ引いて行かれたようだ。向かって左には塔がある。蔦が這うその塔は食物庫のひとつだ。森の魔女も昔はなんどか塔に入ったことがあった。薬草の備蓄もそこにあって、よくそれを取りに行かされたものだ……――
 森の魔女は周りを眺め、懐かしい気分になっていた。
 見たところ、ほとんど変わりがない。
 それは城の中も同じだ。広々とした城の中は掃除が行き届いていて、清潔感がある。いくつかの美事な調度品も、森の魔女の記憶のままにそこにある。壺だの絵画だのもあるが、それらは王子の趣味というより、もともとこの城に置かれていたものなのだろう。しかしそれをぞんざいに扱うことなく、適度な環境に置き、鑑賞すべきものとしての価値を与えている。
 王子がこの城で新たに作らせたのは、庭園だ。城の外にも庭はあるが、それとは別に温室のような小さな庭を、城の内部に作ったのだ。完全な温室ではないが、色とりどりの花や樹を植え、寛ぐためのあずまやもある。日当たりのよい場所につくったその中庭は、もとは病弱な母のために造ったものだった。
 王子の母はすでに五年前に亡くなっている。王子に同母の兄弟はおらず、後見人である男爵夫妻も現在は別所で隠遁生活を送っている。ゆえに、この広い城で王子は家族もなく「独り暮らし」をしている。といっても、ハディスを含めた使用人らがいるので、一人きりというわけではない。
「あの、ハディスさん?」
 前を歩くハディスに、森の魔女はおずおずと声をかけた。
「なんでございましょう?」
「あの……王子のご用件って、何なんでしょうか。伺わずに来てしまったんですけど」
「昼食をご一緒に、とだけ伺っておりますが」
 そうですか、と相槌をうった森の魔女の肩を、誰かが軽く叩いた。てっきり王子だと思い反射的に振りむいたのだが、森の魔女は思わず目を瞠った。
 褐色の髪の見知らぬ女性が、そこにいたのである。
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