森の魔女と訳あり王子の恋物語

るうあ

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3話

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 町へ出るのは、五日ぶりだ。
 森の魔女は基本的に森の奥に引きこもった生活をしているのだが、街に出向くこともある。調合した薬を馴染みの店に卸すために出かけるのがほとんどだが、生活品を買い求めに来ることも多い。森に引きこもりっぱなし、ということはない。
 森の魔女は久しぶりに出向いた街の様子を眺めやる。
 秋風が心地よい。昨夜の雨の名残で空気は少し冷たいが、その分空が澄みわたって美しい。コナラやカツラといった樹木も見事なほどに黄葉し始めている。
 森の魔女の長い黒髪を、秋風がさらりと撫ぜていく。
 街は、平穏そのものだ。行き交う人々の表情はいつも明るい。
 領主の住まう領城が程近い、ここはいわゆる「城下町」だ。領主、つまり王子の住む城はトイン城と呼ばれる。壮麗な城とはお世辞にもいえない、小ぶりな城だ。何度かの改築があり、広くなるどころか縮小されていった。といっても、威儀を取り繕う程度には敷地は広く、白い外壁の外観も美しい。半円アーチや円柱などが特徴的な城だ。王子が住むに相応しい優麗な城ではある。
 かつては城塞として機能していた堅固な城だったようで、今も幕壁だけは残されている。城を囲む防壁は、木蔦の格好の繁殖場となっている。多い茂った蔦も美しく紅葉して、人の目を惹くよい「観賞用壁」になっている。平和の象徴と、言えなくもない。
 トイン城は小高い丘の上にあるから、街からはよく見える。
 森の魔女はなんとはなしに城を見やり、そしてなぜなのかため息をついてしまう。頭に、王子の顔がどうしたって浮かんで、なんだかそれが口惜しいような気分なのだ。
 気を取り直して、森の魔女は街の中心へと向かった。
 城下町ということもあり、商店が多く、人通りも多く賑わっている。王都から離れた辺境地ではあるが、国境沿いにあることもあって、他国から輸入された物も多い。今年は特に果物の種類が多く、露店の色どりが鮮やかだ。あちこちで客引きの元気な声が飛び交っている。軒を連ねる店を観察しながら、森の魔女は歩を進める。商店は、外から眺めているだけで楽しいものだ。物流が豊かなことが、店先を見るだけでもわかる。
 この土地……リマリックはやや高地にあり、牧畜が主な産業だ。ことに馬産地としてはそれなりに名を知られている。王子がリマリックに封ぜられる以前から牧畜は盛んだったが、馬産地としての地位度はさほど高くはなかった。王子は農馬だけではなく、軍馬を調教する人材を集めて、いっそう馬の飼育に力を入れさせた。王子自身が乗馬を趣味としているから、そういったところに目をつめたのだろう。
 歩きながら、森の魔女はいつしか王子のことばかり考えている自分に気付いた。
「……しかたないよね、こればっかりは」
 何しろここ最近ずっと王子の顔を突き合わせているのだ。しかもあり得ない注文をつけられて。だからこれは仕方ない。どうしたって、王子のことが念頭から離れない。王子のせいなんだからっ、と森の魔女はひとりごちる。
 さて、その王子のことだ。
 街では様々な商品だけではなく、「噂話」も仕入れられる。
 他愛無い噂話は、おもに女性たちの間で交わされる。そして商店で働く者にとってそうした「情報」は何より有益なものだ。そして仕入れた以上、口に出さずにはいられないのは、人の性というものだろうか。
 森の魔女が仕入れた最新の「王子情報」は、なんと結婚話だった。近々婚約が発表されるだとか、結婚相手の候補が百人もいたけど、なんとか絞られそうだとか、それらの話題でとくに若い娘らは色めきだっていた。
 意外なようでもあり、真実味のある「噂話」だ。惚れ薬の件もあるから、聞きかじったその噂を、森の魔女としては出まかせだと断じえない。相手候補が百人もいたというのも、じつのところ「ありえそう」というのが森の魔女の感想でもある。何しろ王子の美貌は近隣の他領地にまで鳴り響いているのだから。
 噂話を詳しく聞く気にもなれず、森の魔女は買い物を再開することにした。
 今日街にやってきたのは王子の噂を聞くためではなく、買い出しのためなのだ。寄り道も大概にしなくちゃと、森の魔女は何やら自分に対して言い訳がましい。
 もやもやとした気分を晴らせないまま、ともあれ森の魔女は衣服屋を訪れた。
「あらあら、いらっしゃい、魔女さん」
「こんにちは。少し見てまわってもいいですか」
「ええ、ええ、ゆっくりしていってくださいな」
 恰幅のよい体型の店主は、上機嫌で森の魔女を迎えた。先代の魔女にずいぶん世話になったということで、二代目にも愛想がいい。
 店主は先年連れ合いを亡くし、寡婦の身だ。息子が一人おり、いずれはこの店を息子に譲る予定だという。その息子はまだ独身で、はやく嫁を迎えたいのだけれどと、聞きもしないのに喋り出した。森の魔女としてはそんなことに全く興味はないし、それどころかその「息子」のことには触れてほしくないのだが、愛想笑いで応じるにとどめていた。何か反応してしまえば、それを皮きりにどんな話に持ちこまれるか、わかったものではない。
「まあまあ、そんな地味な服ばかり手にとってないで。こっちのドレスなんて、どうかしらねぇ? あなたによく似合うと思うわ」
「でも、着る用途がありませんから。……羽織りものを探しているのですけど」
「あらあら、ちょうど良かったこと。よい毛皮が手に入ったのよ。今年は冬が厳しくなりそうだからって」
「毛皮は、ちょっと」
 森の魔女はこの店主が、息子ともども苦手だ。けれどできるだけ顔には出さないようにしている。
 この店は品ぞろえも良く、仕立てもよい。値段も適正といえるから、店としての信頼度は魔女の中では高い。
 だが店主は商売っ気が強く、たとえ森の魔女が相手でも、豪奢なドレスばかりを見せてくるのだ。商売っ気があるのは悪いことではないのだけど、相手を選んでほしいものだ。いや、もしかしたら純粋に着てほしいと思っているだけかもしれないが、正直なところ、うんざりしてしまう。
 間の悪いことに、会いたいないと思う人物が、店の奥からひょっこりと顔を出してきた。
「これはこれは。久しいね、森の魔女さん」
 王子と同じ年頃の青年だ。黙っていれば美男子といえる顔立ちだが、薄い唇が動いて発せられる声に誠実さは感じられず、濃灰色の視線がひどく粘っこい。
 森の魔女は心底うんざりし、その表情を隠しもしなかった。
「お母さん、彼女の服はぼくが選びますから」
「ああ、そうかい? そうだねぇ、それがいいね、頼んだよ」
 いかにも下心のありそうな息子と、その母だ。
 森の魔女は後ずさり、出入り口のドアへさりげなく移動した。
「森の魔女さん」
 男は壁に手をつき、森の魔女が立ち去ろうとするのを遮った。
「……今日は、すみません、帰ります」
「逃げることはないんじゃないかなぁ」
 森の魔女は顔を背けた。次に男が言う台詞は、わかっていた。
「この前の返事を聞かせてもらいたいんだけどな」
「…………」
 失敗だった。
 そう思わざるを得ない。
 気を晴らそうと思って街にやってきたのに、これはあんまりだ。
 外から見たところ、姿が見えなかったから居ないと思ったのに。
「焦らされるのも悪くはないけど、そろそろはっきり返事をもらってもいいと思うんだ」
 森の魔女が、この男……シグから求婚されたのは、一ヶ月前のことだ。
 ほんとうに、いきなり全ての過程をすっ飛ばしての「求婚」だった。
 もちろん面識は以前からあったが、親しく付き合っていたことなど、一時もなかった。できればお近づきになりたくない類の人種といってよかった。街の娘達の評判もさほどよくない。性質の悪い女たらしと陰口を叩かれもしていた。森の魔女はそうした陰口には耳を貸さずにいたつもりだったが、やはりどうしても好ましくは思えなかった。
 そんなシグに、まさか目をつけられるなんて。
 いったい何故と困惑する気持ちも大きかったが。それより嫌悪感の方が先に出てしまった。
「焦らすも焦らさないもありません! はっきりお断りしたはずです」
「恥ずかしがらなくてもいいのになぁ」
「そんなんじゃありませんからっ」
 シグの手を払いのけて、森の魔女は店を出た。当然のごとくシグは追ってきた。
「待って、森の魔女さん」
 小走りになって逃げる森の魔女の手を、シグはあっさり掴んで、自分の傍へと引き寄せた。力が強く、小柄な森の魔女には抗いようがない。
「なぜそんなにつれないのかな? 素直になっても良いのに」
「え、と、シグさん、手、痛いです。はなしてくださいっ」
「なぜ断るのかな? 理由がわからないな」
 どうして、はっきり断っているのに、それを納得しないのか。
 森の魔女はあからさまに不快な顔をしたが、衣服屋の跡取り息子のシグは、気がつかなかった。というより、無視をした。
 森の魔女はなるべく穏便にこの場を収めたかった。だから抵抗は最小限にし、もう一度手を放すよう、頼んだ。シグは軽薄な笑みを浮かべ、手をはなしはしたが、じりじりと壁際に森の魔女を追い込み、逃げ出されないように囲った。
 強引にも、いろいろ種類があるものだ。
 シグと王子は、押しの強い性格が似ているといえないこともない。王子の方がやんわりと巧みではあるが。
 そこまで考えて、森の魔女はやはり王子とシグは全然違う、と考えを改める。比較することすら王子に申し訳ないと思う。
「シグさん、あのですね」
 男なら引き際はきれいにするものです、と教訓をたれようとしたその時だった。
 シグの肩越しに、通りを歩く王子の姿を見つけた。
 今しがた脳裏に浮かんだ顔だっただけに、我ながら驚くほどの敏感さで、王子の姿をとらえた。
 衣服屋の店舗前は大きな通りで、人通りも多い。道の向こう側にも様々な店が軒を連ねて並んでいる。
 今日は天気も良いせいか、とくに人通りが多いのだが、その中に王子の姿を見つけたのだ。しかも、一人ではない。褐色の髪の、妙齢の女性を伴っていた。
「…………」
 つま先立ってみたのだが、王子の姿はすぐに消えてしまった。
 王子を見間違うわけがない。けれど、あの女性には見憶えがない。……いったい、何者なんだろう。
「……――っ!」
 右手首に痛みを感じて、森の魔女は身を縮こまらせた。シグが再び森の魔女の手首を掴み、その上顔を近づけてきていた。濃灰色の双眸が狂暴に光った。
 森の魔女はとっさに身を捩じらせたが、そのせいで壁に背中をしたたかに打ち付けて、さらに痛い思いをする羽目になってしまった。
「やっ、はなしてくださ……っ」
「色良い返事を、君の口からちゃんと聞きたいんだけどな」
 王子に気をとられている間にも、シグはなんやかんやと喋り続けていたようだった。
「シグさん、放してください。返事はしました。お断りしますって。もうこれ以上言うことはありません!」
 きっぱり、はっきり、森の魔女はシグの求婚をはねつけた。丁寧な口調を崩さずにいられたのは、奇跡的といえよう。
「素直じゃないなぁ」
「もう、とっても素直になってます。こんなに素直になることは、めったにないくらいですっ」
 自由な方の左手で、なんとかシグの手を引き剥がそうとし、ところがその左手まで掴まれてしまったのは、大失態だった。
「い、痛いですっ、いいかげん、放してください!」
「森の魔女なんてもったいぶった呼び方にも飽きてきたし、名前を教えてもらってもいい頃だと思うんだけど?」
「だからっ、もぉっ!」
 なんであなたなんかに名前を明かさなきゃならないのっ!
 そう叫びそうになったのだが、寸前で声を呑みこんだ。
 シグの体が、突然後ろに引っ張られるようにして離れたからだ。
「魔女殿の名を尋ねるのに、その乱暴さはいかなものだろうか? 君は今少し、身の程をわきまえたほうがいいね」
 いつの間に現れたのか、王子が、シグの襟首を掴んで森の魔女から引き離したのだ。
 森の魔女は目を見開いて、驚き顔を王子に向けた。同様に、シグもまた突然のことに驚き、言葉を詰まらせていた。
「脅しつけて、言うことを無理にきかそうとするのを、なんと言うか知っているかな?」
 王子は穏やかに微笑んでいる。それがかえって、口調の冷淡さを際立たせた。
「脅迫は、女性を口説くのに用いるには無粋なものだと思うが?」
「…………」
「君のことは、知っているよ」
 王子はシグにだけ聞こえるよう耳打ちをした。何かを言ったらしいが、森の魔女には聞こえなかったが、シグは見る間に青ざめて、抗弁一つせず、脱兎のごとく逃げ出した。その逃げ足の速さに、森の魔女は唖然としたほどだ。
 シグは、いったい何を言われたのか。
 それはわからないが、ともかく王子もシグを「脅迫」したらしいことだけは、分かった。
 王子は、森の魔女の求婚者を非暴力的な手段で、撃退した。
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