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押し花 スノウside
しおりを挟むいったい自分の周りで何が起こっているのか分からなかった。
幼いころから世話をしてくれた家族のような存在の使用人たちに裏切られていたのだ。
その事にまったく気が付かなかった自分が愚かだったのか。
けれどどうやって気づけというのだ?誰も助言してくれる者はいなかったし、ずっと偽りの事実を聞かされ続けていた。自分が真実に気付ける機会があっただろうか。
領地から膨大な収益があり、王都に大きな屋敷も持っている。屋敷の維持管理に金がかかるのは当たり前だが、私が王宮で働いている分の給金もある。それなりに皆の生活を維持できるだけの資産はあった。
横領?着服……すでに殿下やアイリスの義父、第三者のムンババ大使まで介入して大ごとになっていた。
部屋のドアがノックされた。
「旦那様、朝食をお持ちしました」
メイドはテーブルの上に食事を置いてそそくさと出て行った。
彼女は見知った顔のメイドではない。昔から公爵家に仕えるメイドや家令達はどうなったんだろう。
テーブルに置かれた食事を見て、いつの間にか朝になっていたんだと思った。
昨夜から何も口に入れてない。何とか無理やりパンとスープを口に入れた。結局一睡もしていなかった。
今日領地から父と弟が帰って来ると言っていた。
のろのろと洗面室へ向かい、顔を洗ってシャツを取り換えた。
マルスタンの代わりに、今は誰かが私のスケジュールを管理しているのか。執事補佐の役割をしている者が屋敷には数名いた。その者たちに聞けばいいのか。
……いや、そういう者たちが昨日まではいた。
あまりにも衝撃的な事がありすぎて、昨日の事をほとんど何も覚えていなかった。
自分がこの屋敷の主人だ。こうなった以上自分が選んで決めなければ執事の代役なんて誰もいないだろう。
マルスタン任せにしていたツケが回ってきた。今、自分の予定を管理している者などいるはずがない。
長い間、屋敷に帰っていなかったから新しく入った使用人の名前は知らない。
古参の使用人たちの姿は昨夜から目にしていない。私の自室にもやってこなかった。彼らはどうした?皆マルスタンの手下として悪事に手を染めていて捕らえられたのか。
昨夜、屋敷の使用人たちは一同に集められ、グループに振り分けられていた。
たしかジョンという執務事務官が指示を出していたように思う。彼はいったい誰だ?
記憶の断片が頭の中で蘇っては、私の脳内を混乱させていく。
そうだ……アイリスはどうなった。
彼女と話をしなければならない。最大の被害者は彼女だろう。
私は急いでアイリスの部屋へ向かった。
部屋には誰もいなかった。バルコニーの扉の鎖は外されている。
生活感を感じなかった。身のまわりの物だけ持って彼女は出て行ったのだろうか。
「アイリスは……どうした」
私の様子を窺っていたメイドに訊ねた。
彼女は言いづらそうに私に告げる。
「奥様は、昨夜遅くにこの屋敷を出ていかれました」
そうか、この屋敷であんな部屋に閉じ込められ虐待まがいの扱いを受けていたんだ。仮にも公爵夫人なのにだ。
出て行くのは当たり前だろう。
彼女が離婚しましょうと言ったのにも納得だ。
私は妻の事を何も見ていなかった。
私に会いに来た時には、まだかろうじて外出できていたのだろう。
そう考えるとあれからもう一週間以上は経っている。
謝ってもきっと許してくれはしないだろう。
部屋の中をゆっくり歩き、ベッドサイドのテーブルに置かれている分厚い本を手に取った。
彼女の愛読書なのだろうか。
中に押し花になったアイリスの花が挟んであった。
花その物をただ押して作ったものではない。花弁、茎、葉をすべてバラして乾燥させ、また組み立てて作られた手の込んだものだった。
「これは……」
「奥様が旦那様から頂いた、初めてのプレゼントだから……作られたと聞いています」
「プレゼント?」
「あの、あの私は奥様付きの侍女ではありませんし、この屋敷で働いて日も浅いです。その……奥様の事を訊かれてもよく分かりません。メイド達が話していた噂話くらいしか知らなくて……」
メイドは焦ったように言い訳を並べた。
私が?……プレゼント……
彼女にプレゼントした物は、この花だけだったのか。
まさかと思った。
ドレスや宝石、菓子ひとつですら渡さなかったのか……
夫人の予算だけは多めに与えていた。
……金だけ。
私はこんな物しか彼女に渡していなかったのか。
その場に恥ずかしげもなく膝をつき、花を手にしたまま俯いた。
頬に涙が伝った。
「何もかも……遅すぎた……」
彼女への負い目が増し、後悔に苛まれる。
胸が痛い。
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