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旦那様の帰宅
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「お嬢様大変です!」
湯浴みの最中だというのに、マリーが慌てて浴室へと入ってきた。
今日は入浴の手伝いはいらないと告げ、ゆっくりと湯船で疲れをいやしていた。
「どうしたの、そんなに大声を出して」
「だ、旦那様が帰宅されたようです。今食事中で、終わったら部屋へ来られるとおっしゃっています。お嬢様は湯あみの最中ですのでと少し時間を頂きました」
「嘘でしょう……すぐに準備します」
私はそう言うと急いで湯から上がった。
全く予期せぬ急な帰宅に焦ってしまう。けれど戸惑っている場合ではない。
他のメイド達もよんで準備を手伝ってもらった。髪もまだ乾ききっていなかったけど、時間がないので仕方ない。
化粧水を顔に塗って口紅だけ引いた。
ナイトウェアを着るのは違うような気がしたので、普段着ている部屋着を用意してもらった。
しばらくするとトントントンとノックの音が聞こえてスノウが部屋へ入ってきた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「急かせてしまったか、すまなかった」
「いえ……まぁ、はい。急に帰宅されたので驚いてしまいました。お迎えもできずに申し訳ありません」
湯上りで火照った顔が恥ずかしいと思った。化粧もほとんどできなかった。
旦那様に会うのは実に十日ぶりだ。訊きたいことが沢山あるけど、突然のことに焦ってしまいうまく言葉にできない。
「帰る連絡を入れてなかったから構わない」
妻として主人を出迎えなかったのは失態だけど、スノウは気にしていないようだった。
彼はソファーに腰を掛け、マリーが用意した紅茶を一口飲んだ。
「予定になかった客人が王宮に来ることになり、急遽私が行かなければならなかった。仕事だとはいえ、一週間も屋敷を留守にしてしまって申し訳ないと思っている」
「旦那様はお仕事で忙しいと伝えられました。詳しい話は聞いていませんでしたので、何が起こっているのかよく分からない状態でした」
嘘偽りなく、マルスタンに伝えられた言葉をそのまま報告する。そんな感じでしか聞いてないわよと含みを持たせた。
「言い訳になるかもしれないが、急にカーレン国の大使を接待しなくてはいけなくなった。知らないだろうがカーレンは四方を海に囲まれた小さな島国だ。独自の文化を持っていて言語も特殊だ」
カーレンの言葉を話せる人はまずいないだろう。旦那様は外交担当だから相手をしなくてはならなかったのか。
国交のない国だから尚更大変だっただろう。
だからといって妻である以上、夫との連絡がつかないのはどうかと思う。
会って早速、責める訳にもいかないので彼の言い分を聞こうと相槌を打った。
久しぶりに見たスノウは少しやつれているように見えた。
「お仕事が忙しかったのですね」
「ああ。あちらの大使はこっちの国の言葉を話せるのだが、意思の疎通がうまくいかなかった。けれどあの国は資源になる鉱山を沢山有している……仕事の話は、まぁ、いいだろう」
仕事の話でも何でも聞きたいと思う。そうでないと互いを深く知ることはできないから。
「多くの資源を持つカーレンとのつながりは重要ですね。カーレン大使はムンババ様でいらっしゃいますよね」
スノウは驚いた顔で私を見た。
「大使を知っているのか?いや、そうだな。王妃教育で諸外国のことは学んでいるよな」
「はい。お会いしたことはありませんが、カーレン語は話せます」
「え……」
「王妃教育にカーレン語の習得が入っていました。当時教えていただいた教師はサマル大公でした。この国では大公様しかカーレン語を話すことができなかったように記憶しています」
「君は……カーレン語を話せるのか?」
「流暢にとはいきませんが、話せます。途中で、その……サマル様がお亡くなりになってしまったので……中途半端な状態ではありましたが。他に話せる方がいらっしゃらない言語だということで、その後も独学で勉強していました」
サマル大公は、かなりご高齢だったため天寿を全うされてお亡くなりになった。
それはスノウも知っているはずだ。
「カーレン語を話せるのか……」
再度呟くと、彼は額に拳を当てた。
それからしばらくの間カーレンについて様々なことを話した。
サマル大公がカーレンの国王と親しかったと伝えると、そうだったのかと何かに納得したようだった。
カーレン国の情報として私の話は役に立ったようだ。
その夜は遅くまでスノウの仕事の話をしてしまい、結局二人の結婚についての話し合いはできなかった。
朝になり自分の部屋のベッドで目を覚ますと、侍女にもう旦那様は仕事に行かれましたと伝えられた。
スノウが書いたであろう短い手紙がサイドテーブルの上に置いてあった。
そしてその上にアイリスの花が置いてあった。
『昨夜はありがとう。愛を込めて』
短い文章だけど心が震えた。
凛としたアイリスの花が美しく、ああ、これが初めての旦那様からのプレゼントだと思った。
湯浴みの最中だというのに、マリーが慌てて浴室へと入ってきた。
今日は入浴の手伝いはいらないと告げ、ゆっくりと湯船で疲れをいやしていた。
「どうしたの、そんなに大声を出して」
「だ、旦那様が帰宅されたようです。今食事中で、終わったら部屋へ来られるとおっしゃっています。お嬢様は湯あみの最中ですのでと少し時間を頂きました」
「嘘でしょう……すぐに準備します」
私はそう言うと急いで湯から上がった。
全く予期せぬ急な帰宅に焦ってしまう。けれど戸惑っている場合ではない。
他のメイド達もよんで準備を手伝ってもらった。髪もまだ乾ききっていなかったけど、時間がないので仕方ない。
化粧水を顔に塗って口紅だけ引いた。
ナイトウェアを着るのは違うような気がしたので、普段着ている部屋着を用意してもらった。
しばらくするとトントントンとノックの音が聞こえてスノウが部屋へ入ってきた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「急かせてしまったか、すまなかった」
「いえ……まぁ、はい。急に帰宅されたので驚いてしまいました。お迎えもできずに申し訳ありません」
湯上りで火照った顔が恥ずかしいと思った。化粧もほとんどできなかった。
旦那様に会うのは実に十日ぶりだ。訊きたいことが沢山あるけど、突然のことに焦ってしまいうまく言葉にできない。
「帰る連絡を入れてなかったから構わない」
妻として主人を出迎えなかったのは失態だけど、スノウは気にしていないようだった。
彼はソファーに腰を掛け、マリーが用意した紅茶を一口飲んだ。
「予定になかった客人が王宮に来ることになり、急遽私が行かなければならなかった。仕事だとはいえ、一週間も屋敷を留守にしてしまって申し訳ないと思っている」
「旦那様はお仕事で忙しいと伝えられました。詳しい話は聞いていませんでしたので、何が起こっているのかよく分からない状態でした」
嘘偽りなく、マルスタンに伝えられた言葉をそのまま報告する。そんな感じでしか聞いてないわよと含みを持たせた。
「言い訳になるかもしれないが、急にカーレン国の大使を接待しなくてはいけなくなった。知らないだろうがカーレンは四方を海に囲まれた小さな島国だ。独自の文化を持っていて言語も特殊だ」
カーレンの言葉を話せる人はまずいないだろう。旦那様は外交担当だから相手をしなくてはならなかったのか。
国交のない国だから尚更大変だっただろう。
だからといって妻である以上、夫との連絡がつかないのはどうかと思う。
会って早速、責める訳にもいかないので彼の言い分を聞こうと相槌を打った。
久しぶりに見たスノウは少しやつれているように見えた。
「お仕事が忙しかったのですね」
「ああ。あちらの大使はこっちの国の言葉を話せるのだが、意思の疎通がうまくいかなかった。けれどあの国は資源になる鉱山を沢山有している……仕事の話は、まぁ、いいだろう」
仕事の話でも何でも聞きたいと思う。そうでないと互いを深く知ることはできないから。
「多くの資源を持つカーレンとのつながりは重要ですね。カーレン大使はムンババ様でいらっしゃいますよね」
スノウは驚いた顔で私を見た。
「大使を知っているのか?いや、そうだな。王妃教育で諸外国のことは学んでいるよな」
「はい。お会いしたことはありませんが、カーレン語は話せます」
「え……」
「王妃教育にカーレン語の習得が入っていました。当時教えていただいた教師はサマル大公でした。この国では大公様しかカーレン語を話すことができなかったように記憶しています」
「君は……カーレン語を話せるのか?」
「流暢にとはいきませんが、話せます。途中で、その……サマル様がお亡くなりになってしまったので……中途半端な状態ではありましたが。他に話せる方がいらっしゃらない言語だということで、その後も独学で勉強していました」
サマル大公は、かなりご高齢だったため天寿を全うされてお亡くなりになった。
それはスノウも知っているはずだ。
「カーレン語を話せるのか……」
再度呟くと、彼は額に拳を当てた。
それからしばらくの間カーレンについて様々なことを話した。
サマル大公がカーレンの国王と親しかったと伝えると、そうだったのかと何かに納得したようだった。
カーレン国の情報として私の話は役に立ったようだ。
その夜は遅くまでスノウの仕事の話をしてしまい、結局二人の結婚についての話し合いはできなかった。
朝になり自分の部屋のベッドで目を覚ますと、侍女にもう旦那様は仕事に行かれましたと伝えられた。
スノウが書いたであろう短い手紙がサイドテーブルの上に置いてあった。
そしてその上にアイリスの花が置いてあった。
『昨夜はありがとう。愛を込めて』
短い文章だけど心が震えた。
凛としたアイリスの花が美しく、ああ、これが初めての旦那様からのプレゼントだと思った。
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