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32 予期せぬ客
しおりを挟むこちらから出した手紙は送られているから、ミラが何を書いたのかはもう読めない。
けれど邸のメイドが書いた手紙で、あちらの邸の様子を知ることはできるだろう。
バーナードはマリリンさんと結婚なりなんなりして、望み通りアーロンを養子に迎えればいいと思っていたけど……そうはならなかったようだ。
邸がどうなったかは気になっていた。けれど、もう過去のことは忘れてお腹の子と共に未来へ向かって進んで行こうと考えていた矢先にこれだ。
バーナードが私を捜しているかどうかは分からない。
トントントン
その時、玄関からノックの音が聞こえた。
私は立ち上がって玄関に向かう。
このアパルトマンは一階に門番のような警備の者が常駐していて、変な客は入ってこない。届け物やお客様は必ず確認の連絡があってから通される。
私は何の疑いもせずに玄関の扉を開けた。
まさかそこにバーナードが立っているなんて思いもせずに。
「……ソフィア」
バーナードは扉をしっかり掴んでドアを開けて入って来た。
黒ぐろとした髪と同じ色の瞳、整った顔立ちと鍛えられた体躯。
少し髪が伸びたからか、その姿は以前より歳を取って見えた。
「……っ」
あまりの衝撃に私は言葉を失う。不安と恐怖に駆られ急いでお腹を守るように押さえた。
「ソフィア様!」
ミラは持っていた手紙を床に落として、私の前に走り出た。
体で私の盾になりバーナードの前に立ちはだかる。
彼女の咄嗟の行動に、私は我に返った。
そうよ、私がしっかりしなくては……
深く息を吸い込んで、まっすぐ彼を見る。
「お久しぶりですね」
「ああ。やっと君の居場所を突き止めることができた」
私は不機嫌な表情で彼を見た。
バーナードを厭わしく思う気持ちが出てしまったのだろう。
バーナードは私の顔を見ると、険しく眉を寄せた。
彼と会えたことを、私が喜ぶと思っていたのだろうか。
私はハッキリと彼に告げた。
「バーナード様。失礼ですが、お招きした覚えはありません。出て行ってもらえますか」
『一歩下がって陰で自分を支え、夫の英雄的願望を満たす妻』彼の私に対するイメージは専らそんな感じだろう。でも、私にも感情はあり、一人の人間だ。
ただ夫の為だけに、自らの身を削るのが間違いだったことを、ただ黙って彼に尽くすのが正解でないことを私は学んだ。
「人を呼びますよ!勝手に入っては駄目です。旦那様はもう関係ない方です!」
ミラは彼を私に近づかせまいとまた一歩前へ歩みでる。
「私には、ソフィアに知らせなければならないことが沢山ある。時間はかかったが、苦労して君の居場所を突き止めたんだ。話をしたい」
バーナードは懇願するというよりは、上に立つ立場の者が部下に話をするようにそう言った。
彼は隊長であり領主であり、そして私の夫だった。
男女は平等であるべきだというのは、まだ来ぬ未来の話。現実は女性であるということがハンデであり、男性が守らなければならない弱い者という考えが定説になっている。
彼と話をすれば、果たして彼は納得して帰ってくれるだろうか。
彼は私が彼の子を身ごもったのを知っているんだろうか。
彼は私を愛しているんだろうか。
バーナードは従者を従えてやってきたわけではないようだ。力ずくでない限りは、ここから連れ出されることはない。
いつかは彼と話さなければならない日がくるだろうと思っていた。
それが今だったということなのだろう。
「ミラ、玄関のドアを開けたままにしておいて。バーナードと話をします」
◇
玄関の扉は開いたままの状態だ。誰かが通れば話が聞こえる。
万が一彼が強行に出ようとしても、叫べば誰かが気付いてくれ助けがくるだろう。
私が勝手に屋敷を出たことをバーナードが怒っているのは分かる。けれど人として分別を働かせ相応に振る舞ってくれるのを願う。
「バーナード。話をするということは貴方も私の話を聞くということよ。ここはボルナットだから貴方は貴族でも領主でもないわ。貴族という身分を笠に着ることはできません。そしてこの部屋の主人は私です。それを十分理解してください」
しばらくの沈黙の後、分かったとバーナードはゆっくりと頷いた。
彼はソファーに腰を下ろし、私は向かい側に座った。
バーナードは早速話し始めた。
「君はコンタンから聞いて知っているかもしれないが。マリリンたちは出て行った」
先程のミラの話でマリリンさんのことは分かっていた。私はコンタンと連絡を取っていないが、それを彼に話す必要はないだろう。
私は頷き、話の先を促す。
「私は騙されていたんだ。彼女はスコットの子を身ごもったのではなかった。私は戦地で砲弾にやられそうになり、スコットに助けられた。そして私の身代わりにスコットが砲弾の餌食となった。だから責任を感じ、彼の子を育てることが自分の使命だと勘違いした」
「バーナードはスコットに命を助けられたのね……そして彼が身代わりに……」
そうだったのかと理解した。自分のせいでスコット様が亡くなったんだ。
命の恩人の血を分けた子供。責任を取ろうと思った彼の気持ちは分かる。
「スコットは生還した。そしてマリリンがスコットの恋人ではなかったことが分かり、アーロンはスコットの子でないことが判明した」
驚いて思わず息を呑む。スコット様が生きていたなんて。
いろいろなことが頭を巡った。スコット様のご両親はさぞかし喜んだだろう。私も目頭が熱くなる。
けれどアーロンがスコット様の子でないことはうすうす気づいていたから驚きはしなかった。少なくとも彼以外は皆、気が付いていただろう。
それからバーナードは私が邸を出てから何があったのかをすべて話した。
自分がどういう思いでマリリンさん達親子の面倒を見ていたのかを。
彼女の巧みな嘘に騙されて私への対応を間違えてしまったということを。
そして彼女たちは邸から追い出して二度と戻ってこないことを。
だから私は邸に戻って、領主の妻として以前のように、これからも一緒に暮らしてほしいと。
彼の口から出る言葉のほとんどが、自分を擁護する物だった。彼の私に対する思いは何一つ入っていないし、私には伝わらなかった。
「間違いは誰にでもあるだろう。君はそれを赦せる人間だと私は思っている」
そう締めくくられた自分本位の彼の考え方に、私の気持ちは完全に断ち切られた。
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