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第16話
しおりを挟む雄太の誕生日の日がやってきた。
夫には8時までに帰ってこなければ先に始めるからと言っておいた。
定時で退社すれば、六時半には帰れる。
そもそも半休を取ればいいし、夫の会社は子どもの誕生日休暇が取れたはずだ。
帰ってこない人を待つことほど嫌なものはない。
「雄太、見てこれ。川崎のジージとバーバからのプレゼントよ。なにかな楽しみね。スマホで写真を撮って送らなきゃいけないね」
喫茶店の川崎夫妻は雄太を孫のように可愛がってくれて、プレゼントまで用意してくれていた。
包装された箱の中には知育玩具が入っていた。
ブロックの形を合わせて、プラスチックのカラフルなケースに入れると全体が光るおもちゃだった。
「これって結構高いやつよね。うわぁ、凄いね」
「うわぁ、うわぁ」
雄太は喜んで声をあげた。さっそくおもちゃを手にして遊んでいる。
田所さんからもプレゼントをもらった。
雄太の好きなおやつが大量に入ったお菓子のかごだった。
プレゼントを持って喜んでいる雄太の画像を川崎夫妻にラインで送った。
田所さんにもありがとうございますのメッセージを添えて送った。
私からは、英語の絵本だ。ボタンを押したら英語の歌が流れる。
「ママのは雄太が英語が得意になるよう期待を込めて絵本よ。英語が話せたら日本で生活する必要はないわ。貴方は世界に羽ばたいてね」
私のような人生を歩んでほしくはない。
雄太には自由に大きな世界で生きていってほしいと願っていた。
「たくさんの人に愛されて、幸せになろうね」
私は雄太を抱きしめた。柔らかく清潔で、そしてまっさらな私の天使。
「さ、遊ぶのもいいけどご飯食べちゃおう。ケーキもコンビニのじゃないわよ。桜餅屋のケーキ、新作なんだって。ろうそく1本ね。そういえば、あの時、美玖も1歳だったわね。そうちょうど1歳のお誕生日だった」
急に美玖が1歳の誕生日の記憶がよみがえる。
私が死んだ5回目の結婚記念日は美玖の1歳の誕生日だった。
泣くのを我慢しているのに涙が出てしまう。
「まんま、ママ、ママ」
ごめんね……雄太、ごめんね……美玖。
子どもたちの幸せを考えたら、私が身を引けばよかった。
夫と河合愛梨に子供達を託して、さっさと身を引けば良かったんだ。
今考えたら、1度目の精神がおかしくなった母親も、2度目の飢え死にさせそうになるまで親権を手放そうとしなかった母親も。
あの時の私は、全てが間違いだった。
この子たちを幸せにできなかったのは私の責任。
「ママ、ママ……」
雄太が私の膝の上に乗ってくる。
私はまた雄太を強く抱きしめた。
こんな騙し合いみたいな結婚生活を続ける意味があるのだろうか。
雄太はそれで幸せなんだろうか。
「ママ……」
「ママね。もう……パパを愛していないの。それでも戦わなくちゃいけないの。どうしたらいいのか分からないの」
誰かにそばで支えてほしいと思う気持ちを、どうやって処理すればいいのか分からない。
こんな母親じゃ駄目だ。
ブルルとスマホが震えた。
『雄太1歳の誕生日おめでとう!ママも1年生お疲れ様!』
田所さんからさっき送ったメッセージの返信が来た。
私は思わず通話ボタンを押していた。
『どうした?』
『……お礼が……言いたくて』
『大丈夫か?』
大丈夫じゃない。
助けて……
『旦那は帰ってるの?』
『帰ってこない』
『……っ、そうか』
『……』
『今から迎えに行くから、30分後に出かけられるよう準備をして待ってて』
通話が切れた。
田所さん……
迎えに来るの?
時間は10時だ。
雄一さんは帰ってこない。
急いで雄一さんに電話をする。彼が帰ってくるなら、田所さんと鉢合わせしてしまうかもしれない。
何度かかけたけれど、電波が入っていないというメッセージが流れた。
前回と同じだ。彼は帰ってこない。
私は立ち上がって、食卓の食事にラップをかけてそのまますべて箱の中に詰め込んだ。
そして雄太のお出かけの服を用意した。
前回と一緒なら雄一さんは朝まで帰らない。
彼に期待したのが間違いだった。
私は荷物を持って、30分後迎えに来てくれた田所さんの車に乗り込んだ。
◇
田所さんは探偵事務所に私たちを連れてきてくれた。
「飯は食べた?」
「作っていた物を詰め込んで持って来たの。ケーキも箱ごと持って来たわ」
「よし、じゃぁ誕生日会のやり直しをしよう。事務所は、言っておくけどかなり汚い」
「ええ。知っています」
田所さんの冗談ともつかない言葉に少し笑ってしまう。
「この奥に俺の住んでいる部屋がある」
「え?そうだったんですか?」
事務所の奥に、こたつが置いてある和室と寝室らしい部屋があった。
小さいキッチンと浴室もあるようだ。
田所さんはここで生活していたんだと、興味津々で見まわした。
そんなに広くはないが、一人暮らしなら十分暮らせるだろう。
「狭いけど、和室で雄太のパーティーだ!」
キャッキャと雄太ははしゃいでいる。
もう11時なのに眠たくないんだろうか。
雄太は興奮しているようだ。
「じゃぁ、こたつの上に料理を並べますね、ケーキもあるんです」
急いで準備して、ろうそくを立てて雄太にハッピーバースデーの歌を歌ってあげた。
3人とも笑顔だ。
こんな冒険みたいな誕生日は初めてだ。
お風呂にも入っていないし、晩御飯がケーキになったけど雄太は楽しそうだ。
雄太がろうそくの火を手づかみしそうになり驚いた。
雄太の初めての経験を田所さんと一緒にみることができて幸せだと思った。
はしゃぎ過ぎて疲れたのか、雄太はそのまま眠ってしまった。
◇
「ありがとうございました」
私は田所さんにお礼を言った。
今日夫が帰ってくるはずだった事、電話がつながらなかった事。
私がもうギリギリだったことを伝えた。
「そうだな。信じて裏切られるのはキツイよな。だけど、雄太は愛されてる。美鈴ちゃんにも愛されてるし、川崎さん達も雄太が大好きだ。そして俺も雄太が可愛い」
「……はい」
「これだけみんなに愛されてるんだから、雄太は幸せだ。決して不幸じゃない。それだけは分かってやって」
私は泣いた。これは悲しい涙ではなくうれし泣きだ。
「幸せです。私も今、とても幸せ」
田所さんはそっと私の肩を抱き寄せた。
そのまま私たちはこたつの中に足を突っ込んで眠ってしまった。
こんな状態で眠るなんて生まれて初めての経験だった。
朝、目が覚めたら、化粧もそのままだし歯磨きもしていない。女として自分が恥ずかしかった。
一応顔を洗い、雄太だけは着替えをさせて、田所さんの和室を少し掃除した後、彼に車で送ってもらった。
「もし、旦那が家にいたら、俺が話をするから」
田所さんはそう言ってくれたが、雄一さんは家にはいなかった。
私は自分のスマホを家に置いたまま出てきてしまったらしい。
テーブルの上には私のスマホがそのまま置いてあった。
川崎さんや、田所さんとのやり取りは2台目のスマホでしている。
雄一さんに買ってもらったスマホはあまり使っていなかったので気にしてなかった。
雄一さんから何度かメッセージが入っていたようだけど、全て明け方だった。
帰宅して私たちがいない事に気がついたのかもしれない。
焦ってメッセージを送ったのだろう。
けれど、そんな事はどうでもよかった。
もう、完全に彼への気持ちはなくなった。二度と期待もしない。
雄一さんには未練も情もない。スパッと彼を切り捨てる覚悟ができた。
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