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ロザリア
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シェノア伯爵家に子供は私しか生まれなかった。
母は私の幼い頃病気で亡くなり、父はその後新しい妻を娶る事はなかった。
結果、シェノア家の血を引く者は女のロザリアただ一人だった。
この国では女性が家督を継げないという法律がある。直系の長男一人しか爵位と領地を継ぐことができない。
だから、シェノア家は貴族の次男や三男を婿養子にして伯爵家を継いでもらう事になる。
爵位を継げない貴族令息は私と結婚すれば伯爵家当主になれる。
政略結婚というよりは逆玉の輿結婚だ。
たくさんくる婚約の申し込みに、父は喜んでいた。
我が娘は美しいし頭もよく器量よし、だからモテていると勘違いしている。
ロザリアはため息をついた。
自分の事を心から愛して下さる令息がいるのならまだしも、誰もみな私の伯爵という爵位に惹かれ婚約を申し込んでくる事を知っている。
せめて領主としての仕事をちゃんとこなしてくれる真面目な人だったらありがたい。
目先の地位や財産だけに囚われず、ちゃんと領地経営をして、当主として領民たちの事を考えて下さる方ならばいいのにと。
ロザリアは、このシェノア領を守っていくのは自分しかいないと思っていた。幼い頃から必死に勉強し、領主の仕事も覚えた。
若い令嬢たちが、ドレスや可愛い雑貨や新しくできたカフェに夢中になっている間、私はどうすれば効率よく作物が収穫できるかを考えた。
恋愛のことを考える時間はなく、学園時代に誰かに恋焦がれるような事はなかった。
そんな私が、初めて魅力的だと思ったのがビクター様だった。
私は恋に落ちてしまった。
若くて見目もよく、女性にもてるサントワール伯爵家の三男ビクター様。
私は彼に夢中になった。
背が高く体のラインに合ったお洒落な着こなし。ダークブラウンの重ための前髪、朝早い出仕時のけだるそうな仕草まで、全てが魅力的だった。
彼は若い女性だけではなく既婚の夫人たちにも礼儀正しく接していた。ご自分の母親くらいの年齢の方にも紳士的でレディーファーストを心掛けていた。
女性扱いになれたスマートな行動は、大人の男性を意識させ、見ていて胸がドキドキした。
その姿を見て、他の令息たちには感じない何か特別な感情が私に芽生えた。
数ある縁談の話の中で、彼だけは私に媚びを売らなかった。
私は、男性の親切や浮ついた言葉に対して不信感を持っていた。私を特別扱いしない、そんなビクター様のクールなところに魅かれた。
そう。
恋愛に興味がなく、今まで男性を意識していなかった私は、あっという間に彼の虜になってしまったのだ。
ビクター様は趣味や友達付き合いも積極的だ。私が苦手な分野で彼は活躍してくれる。私の世間知らずで経験値が劣る部分は彼が補い、逆に領主の仕事など私が得意な事は自分がすればいいと思った。
そしてとんとん拍子に婚約が決まり、私はビクター様と結婚した。
私と結婚したビクターはシェノアの爵位を継ぐ事が決まった。
ただし、現シェノア伯爵である父は、私とビクター様の間に子供が生まれるまでは、まだ現役でいる事を公言した。
子供が無事に生まれ、跡継ぎをちゃんと自分の目で確認してから、彼に家督を継がせる。そして父はその事を婚前契約書に記した。
なぜなら、ビクターは当主としての仕事をほぼ何も知らなかったからだ。
伯爵家の三男であったビクターは末っ子で甘やかされて育てられた。
上に二人の兄がいたため、領地経営などの教えを受けていないという。
「ビクターは子供ができるまでに領主の仕事を覚え、しっかりとした経営手腕を身につけてほしい。シェノア領は歴史ある広大な領地だ。執事たちもいるが、領主であるからには彼ら以上の知識が必要になる」
領地経営は一筋縄ではいかない。領地、領民に対する思い入れと知識が必要だ。
父はビクターに立派な領主になって欲しいと願い、その条件を出したのだ。
「はい。伯爵の名に恥じぬよう、しっかり学びたいと思います。」
「ビクター様ならすぐに覚えられると思います。とても論理的に物事を考えていらっしゃいますから。それにコミュニケーションを取られるのもお上手ですし、統率力もお持ちです」
「ありがとう。ロザリアがいれば、なんの心配もないよ」
彼は優しく微笑んだ。
そして、これから一緒に夫婦として頑張ろうと言って下さった。
彼は主に王宮で貴族議会会員として国会議事堂に集い、会議に参加していた。けれどこれはあくまでも趣味の一環なので、報酬はなかった。
貴族議会と言っても、貴族の令息なら誰でも入れる友愛結社のようなもので、国を動かすような大事な会議が行われる場ではなかった。
私たちの結婚式の後、父は領地へ戻った。
私は王都にあるタウンハウスにビクターと共に住むことになった。
結婚して三ヶ月が経った頃から彼の外出が増えだした。
毎日の領主の勉強に飽きがきたのかもしれない。
王都では貴族たちの集まりや会合が頻繁にある。
始めは数時間だったが、日を追うごとにその時間は長くなり、一日中屋敷にいない事もあった。
社交は貴族の義務だからと、夜会なども断らず、彼は必ず参加した。
そのほとんどに妻である私は同伴しなかった。
「ロザリア、今日はケンウッドの屋敷に呼ばれているんだ。ロドンガーデンの馬車道について相談があるらしい。少し遅くなるかもしれないが先に休んでくれていいから」
ロドンガーデンとは、国民の憩いの場として国が主になり作られている公園だ。全長八百メートル、周囲には博物館や植物園などもあり、文化的にも優れた大規模ガーデンになると言われている。
「そうですか。やはり馬車道と歩行者用のドライブを別に作られるのですね。新聞で読みましたが、安全性の為にもそれが良いと思います」
「あ、ああ。そうだな……」
旦那様はあまりよく御存じでなかったようだ。これから相談されることだから知らなかったのかもしれない。
けれど……助言をされるのなら、少し新聞などで状況を把握されたほうが良いはずだ。
「もしよろしければ、最近のロドンガーデンの記事をスクラップしておきましょうか?」
新聞、雑誌の記事などを切り抜き旦那様用に纏めておけば、お役に立てるかもしれないと思い提案した。
「いや、君は忙しいだろう。大丈夫だよ。貴族議会の中では新聞なんかに載らないもっと重要な話が進んでいるからね」
彼はそう言うと私の額にキスをした。
彼からはかすかに香水の香りがする。
身だしなみに拘る方だから、男性たちの集まりであっても気を抜かないのねと思った。
「少し用立ててもらえるか?どこかで食事をするかもしれないからね」
「わかりました」
お金の心配をさせる訳にもいかないし、恥をかかないよう多めの金額をビクターに渡した。
彼の自由に使える予算は月始めに彼に渡している。けれど足りないようだ。
急な現金が必要になる事もあるから、金庫にはまとまったお金が置いてある。私はそれをビクターに渡した。
彼を玄関まで見送って、私は領地からの手紙に目を通す作業に入った。
本来ならビクターも一緒に領地の手紙は読むべきなのだけど、彼は付き合いで忙しいようなので私が今まで通り手紙を読んで返事を書く。
結局一人で、タウンハウスの管理も領地の仕事もこなしている。
お父様からはビクターの様子を訊ねる内容の物が時折届くが、正直に書けないのが現状だった。
彼はずっと王都で暮らしている人だから、農作物の事や家畜の事、特産品の出荷の事などには興味がない。
日照りの時の水不足事や、大雨、洪水などの突発的な災害の事。もしも食糧難に陥ったらどうするかなど、大事な事をちゃんと考えて、領主として一人前に仕事をこなすのはまだまだ先の話になりそうだった。
母は私の幼い頃病気で亡くなり、父はその後新しい妻を娶る事はなかった。
結果、シェノア家の血を引く者は女のロザリアただ一人だった。
この国では女性が家督を継げないという法律がある。直系の長男一人しか爵位と領地を継ぐことができない。
だから、シェノア家は貴族の次男や三男を婿養子にして伯爵家を継いでもらう事になる。
爵位を継げない貴族令息は私と結婚すれば伯爵家当主になれる。
政略結婚というよりは逆玉の輿結婚だ。
たくさんくる婚約の申し込みに、父は喜んでいた。
我が娘は美しいし頭もよく器量よし、だからモテていると勘違いしている。
ロザリアはため息をついた。
自分の事を心から愛して下さる令息がいるのならまだしも、誰もみな私の伯爵という爵位に惹かれ婚約を申し込んでくる事を知っている。
せめて領主としての仕事をちゃんとこなしてくれる真面目な人だったらありがたい。
目先の地位や財産だけに囚われず、ちゃんと領地経営をして、当主として領民たちの事を考えて下さる方ならばいいのにと。
ロザリアは、このシェノア領を守っていくのは自分しかいないと思っていた。幼い頃から必死に勉強し、領主の仕事も覚えた。
若い令嬢たちが、ドレスや可愛い雑貨や新しくできたカフェに夢中になっている間、私はどうすれば効率よく作物が収穫できるかを考えた。
恋愛のことを考える時間はなく、学園時代に誰かに恋焦がれるような事はなかった。
そんな私が、初めて魅力的だと思ったのがビクター様だった。
私は恋に落ちてしまった。
若くて見目もよく、女性にもてるサントワール伯爵家の三男ビクター様。
私は彼に夢中になった。
背が高く体のラインに合ったお洒落な着こなし。ダークブラウンの重ための前髪、朝早い出仕時のけだるそうな仕草まで、全てが魅力的だった。
彼は若い女性だけではなく既婚の夫人たちにも礼儀正しく接していた。ご自分の母親くらいの年齢の方にも紳士的でレディーファーストを心掛けていた。
女性扱いになれたスマートな行動は、大人の男性を意識させ、見ていて胸がドキドキした。
その姿を見て、他の令息たちには感じない何か特別な感情が私に芽生えた。
数ある縁談の話の中で、彼だけは私に媚びを売らなかった。
私は、男性の親切や浮ついた言葉に対して不信感を持っていた。私を特別扱いしない、そんなビクター様のクールなところに魅かれた。
そう。
恋愛に興味がなく、今まで男性を意識していなかった私は、あっという間に彼の虜になってしまったのだ。
ビクター様は趣味や友達付き合いも積極的だ。私が苦手な分野で彼は活躍してくれる。私の世間知らずで経験値が劣る部分は彼が補い、逆に領主の仕事など私が得意な事は自分がすればいいと思った。
そしてとんとん拍子に婚約が決まり、私はビクター様と結婚した。
私と結婚したビクターはシェノアの爵位を継ぐ事が決まった。
ただし、現シェノア伯爵である父は、私とビクター様の間に子供が生まれるまでは、まだ現役でいる事を公言した。
子供が無事に生まれ、跡継ぎをちゃんと自分の目で確認してから、彼に家督を継がせる。そして父はその事を婚前契約書に記した。
なぜなら、ビクターは当主としての仕事をほぼ何も知らなかったからだ。
伯爵家の三男であったビクターは末っ子で甘やかされて育てられた。
上に二人の兄がいたため、領地経営などの教えを受けていないという。
「ビクターは子供ができるまでに領主の仕事を覚え、しっかりとした経営手腕を身につけてほしい。シェノア領は歴史ある広大な領地だ。執事たちもいるが、領主であるからには彼ら以上の知識が必要になる」
領地経営は一筋縄ではいかない。領地、領民に対する思い入れと知識が必要だ。
父はビクターに立派な領主になって欲しいと願い、その条件を出したのだ。
「はい。伯爵の名に恥じぬよう、しっかり学びたいと思います。」
「ビクター様ならすぐに覚えられると思います。とても論理的に物事を考えていらっしゃいますから。それにコミュニケーションを取られるのもお上手ですし、統率力もお持ちです」
「ありがとう。ロザリアがいれば、なんの心配もないよ」
彼は優しく微笑んだ。
そして、これから一緒に夫婦として頑張ろうと言って下さった。
彼は主に王宮で貴族議会会員として国会議事堂に集い、会議に参加していた。けれどこれはあくまでも趣味の一環なので、報酬はなかった。
貴族議会と言っても、貴族の令息なら誰でも入れる友愛結社のようなもので、国を動かすような大事な会議が行われる場ではなかった。
私たちの結婚式の後、父は領地へ戻った。
私は王都にあるタウンハウスにビクターと共に住むことになった。
結婚して三ヶ月が経った頃から彼の外出が増えだした。
毎日の領主の勉強に飽きがきたのかもしれない。
王都では貴族たちの集まりや会合が頻繁にある。
始めは数時間だったが、日を追うごとにその時間は長くなり、一日中屋敷にいない事もあった。
社交は貴族の義務だからと、夜会なども断らず、彼は必ず参加した。
そのほとんどに妻である私は同伴しなかった。
「ロザリア、今日はケンウッドの屋敷に呼ばれているんだ。ロドンガーデンの馬車道について相談があるらしい。少し遅くなるかもしれないが先に休んでくれていいから」
ロドンガーデンとは、国民の憩いの場として国が主になり作られている公園だ。全長八百メートル、周囲には博物館や植物園などもあり、文化的にも優れた大規模ガーデンになると言われている。
「そうですか。やはり馬車道と歩行者用のドライブを別に作られるのですね。新聞で読みましたが、安全性の為にもそれが良いと思います」
「あ、ああ。そうだな……」
旦那様はあまりよく御存じでなかったようだ。これから相談されることだから知らなかったのかもしれない。
けれど……助言をされるのなら、少し新聞などで状況を把握されたほうが良いはずだ。
「もしよろしければ、最近のロドンガーデンの記事をスクラップしておきましょうか?」
新聞、雑誌の記事などを切り抜き旦那様用に纏めておけば、お役に立てるかもしれないと思い提案した。
「いや、君は忙しいだろう。大丈夫だよ。貴族議会の中では新聞なんかに載らないもっと重要な話が進んでいるからね」
彼はそう言うと私の額にキスをした。
彼からはかすかに香水の香りがする。
身だしなみに拘る方だから、男性たちの集まりであっても気を抜かないのねと思った。
「少し用立ててもらえるか?どこかで食事をするかもしれないからね」
「わかりました」
お金の心配をさせる訳にもいかないし、恥をかかないよう多めの金額をビクターに渡した。
彼の自由に使える予算は月始めに彼に渡している。けれど足りないようだ。
急な現金が必要になる事もあるから、金庫にはまとまったお金が置いてある。私はそれをビクターに渡した。
彼を玄関まで見送って、私は領地からの手紙に目を通す作業に入った。
本来ならビクターも一緒に領地の手紙は読むべきなのだけど、彼は付き合いで忙しいようなので私が今まで通り手紙を読んで返事を書く。
結局一人で、タウンハウスの管理も領地の仕事もこなしている。
お父様からはビクターの様子を訊ねる内容の物が時折届くが、正直に書けないのが現状だった。
彼はずっと王都で暮らしている人だから、農作物の事や家畜の事、特産品の出荷の事などには興味がない。
日照りの時の水不足事や、大雨、洪水などの突発的な災害の事。もしも食糧難に陥ったらどうするかなど、大事な事をちゃんと考えて、領主として一人前に仕事をこなすのはまだまだ先の話になりそうだった。
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