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3.夢から醒めて
夢から醒めて(4)
しおりを挟む武道の道場のような広い板の間に輝は寝かされていた。白い紙垂が下がる荒縄に囲われ、さらにその周囲を一〇人の術者たちが囲み、祈祷が行われている。
どこか薄汚れて見える白い寝間着を着せられ、掛布なしで布団に寝かされている輝は骸骨のように痩せてしまっていた。
まるで老人のように皮膚が乾きしわが目立っている。その痛々しい体を大ぶりな鉄条網のような霊体が何重にも締め上げていた。
それは黒い大きなイバラだった。ぎょっとするほど太いトゲが弾力を失った肌に深々と食い込んでいる。太いイバラの霊体は、輝の左胸から生えていた。
もう息をしているのかも怪しい輝の無残な姿に、美誠は自分で分かるほど体の血が引いていく。気を抜くとその場に座り込んでしまいそうだった。
謳われる祈祷が流れる中、明がごく小さな声で美誠に状況を教える。
「魔物に止めを刺した瞬間、輝の心臓に呪いの核が食い込んだ。自分を滅した者を道連れにするよう、魔物が自身に仕込んでいたんだ。
普段ならこんな罠すぐに気づくはずだが、あの頃あいつもずいぶん落ち込んでいたからうっかり見落としたんだと思う。しょっぱなで心臓に根を張られたから、あいつは激痛で動けなくなるし俺たち外野が取り除こうとすれば心臓を潰しにかかるしで、まさに魔物の思うつぼにはまり込んだんだ」
「……千早さんたちは、一体何を」
「呪術でできる限り時間の流れを止めてるんだ。取り除けないなら動きを止めるしかない。でも完全に時間を止める事なんてできないから、少しずつあいつのエネルギーは喰われていって、あんなに痩せ細った挙句、とうとう意識も失ったんだ」
輝の枕元には、刀置きにかけられた神刀・天輪が置かれている。
しかし天輪にも黒いイバラが絡みつき食い込み、刀身にはあちこちヒビが走っている。
輝と縁を結ぶ天輪も呪いに深く侵されているのだ。天輪すら抗いきれない強力な呪いに、輝は四ヶ月も痛めつけられてきたのだ。
また美誠の目に涙が浮かぶ。この四ヶ月、自分も苦しかったが、輝は想像を絶する苦しみにさらされていたのだ。
もはや死体のように横たわる輝を見つめ、美誠は涙を流す。しかし無理矢理意識を切り替え霊能の目を開き、結界の内部をよく視てみる。
イバラの正体は、凝り固まった憎悪の念と負の霊力の塊だ。ならば弱点は対極の力である、神格の力である。
けれど今千早たちは呪いへの対抗策に神格の力を使っていない。
その理由はここに来るまでの車中で聞いている。呪いを神格の力で灼こうとすれば、即座に根を張った輝の心臓を食い破ろうとするのだ。
神格の次元と人の次元はあまりに遠い。呪いを灼き尽くすほどの力は、心臓を食い破るより早く人の次元に下ろせないのだ。
人の手に余る呪いだからこそ、千早たち熟練の呪術者たちが時間を遅らせるだけの延命策しか取れずにいる。
動揺にゆれていた美誠のまなざしが強くなる。涙に頬をぬらしたまま、静かに両手を強くにぎる。
「美誠さん、思念であいつに語りかけて……」
明が言うより早く、美誠は走り出した。
気付いた千早が止める間もなくその脇を駆けていく。
「おいっ!」
最前列にいた男性術者がひるがえる水色のコートをつかもうとするが、それより早く美誠は荒縄で作られた結界を越え、輝の元へと走り寄っていく。
「美誠さん!ダメ!帰ってきて!」
千早の悲鳴に似た叫びよりも早く、輝の身体を取り巻いていた呪いは俊敏に動き、獲物を狙うヘビのように美誠を捕らえにかかる。
美誠を救おうと自分も結界の中に入ろうとする千早を、男性術者が抱える様に止める。
「美誠さん!」
「いけません千早様!」
神刀・星覇を抜いた明が走る。鎌首をもたげ、新たな獲物を捕らえようとする呪いに向かい星覇を水平に構えた。
しかし美誠は叫んだ。この場にいる誰でもない相手に向かって叫んだ。
「お願い!力を貸して――っ!」
美誠の手の平ほどもあるトゲが体に刺さろうとした時、誰もが目を開けられないほどの光が部屋を照らした。
満ちる黄金の光に、呪いが瞬時に消滅していく。超高熱の炎に木の枝が灼かれるように黒いイバラは燃え尽きていく。
強烈な黄金の光は、横たわる輝を染めるように照らした。左胸から生えていた黒いイバラは、跡形もなく消えていった。
同時に、死体のように身動きしなかった輝が、身をふるわせて黒い何かを吐き出す。気づいた明が走り寄り、身体を支え気道の確保をする。
吐き出したのは、体内に巣くっていた呪いの核だった。強烈な神格の力に弱った呪いの核は、神刀・星覇に串刺しにされ消滅した。
部屋に満ちる黄金の光は、ゆっくりと弱まっていく。
座り込んだ美誠を見下ろす様に、黄金の羽根を持つ天界の聖獣は天井近くで滞空している。
ゆるりと羽ばたく聖獣は、羽と同じ黄金の目で守護する愛し子を見つめる。
その目が怒っているのが分かって、美誠はしかられた子供のように身をすくめた。
「無茶をしてごめんなさい。でも他に方法が無くて……」
神格のおわす天界に在るはずの聖獣を、人の次元で見る事など滅多にない。しかもこの聖獣は神格でもある貴き存在だ。
そんな貴重な存在と普通に会話を交わす美誠を、聖獣とセットで呪術者たちは顎が落ちんばかりの気分で見つめていた。
美誠が天界の聖獣に守護されている事に気付いていた術者は、宗家の人間だけだった。
ここ一世紀の間で、神格を人の次元に呼び出したことがあるのは、十代の頃の『御乙神の至宝』と呼ばれていた全盛期の御乙神千早くらいのものだ。
その千早も無理がたたって体を壊し、現在はその頃ほどの力はない。どこの霊能術家にも繋がりがない、まったくの素人が千早の弟子となったことに実は懸念を示す者が多かったのだが、皆やっと事情が飲み込めた。
明の腕にぐったりと抱かれていた輝が、うっすらと目を開けた。
半年前の面影もない輝に、美誠は這いよって顔をのぞき込む。
やつれ果てた輝の顔が、美誠を見つけてうっすらとほほ笑んだ。死体のような顔色で頬はこけ唇はひび割れていたが、その笑みは心の底からうれしそうな、輝いたものだった。
返す様に美誠も笑う。ほろほろと涙を流しながら、この上なく優しくうれしげに。
二人の様子を見届けたと言わんばかりに、天界の聖獣は音もたてず透明に溶け込んでいった。
「おい、輝!」
すぐに気を失った輝に明が声をかける。それを皮切りに、ぼう然としていた術師たちは我に返って人手を呼びに知らせを伝えにと、あわたただしく動き始めた。
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