ナイトメア

咲屋安希

文字の大きさ
上 下
10 / 16
3.夢から醒めて

夢から醒めて(1)

しおりを挟む



 あの日から、美誠は霊能の修練を辞めた。

 自分から頼み込んだことなのに、本当に無礼なことをしているのは分かっていたが、もうどうしてもあの屋敷に行くことはできなかった。

 輝にタンカを切ったことも後悔していない。早まったとも思っていない。
 
 千早からは一度だけショートメールが届いた。輝のことには触れず、『もし気が変わったらいつでも連絡をください』と書かれていた。
 
 千早の優しさがにじみ出た文面に、その時はまた泣いてしまった。あの日から一人になると泣いてばかりだった。

 夜眠るのさえ怖くなった。輝に騙されていた事実は、美誠の心をずたずたに傷つけていた。
 
 何であんな真似をしたのかと考えたが理由は思いつかなかった。自分に対する恋心を聞いて優越感に浸っていたのか。ただ暇つぶしに面白がっていたのか。

 明の様子から、二人で情報を共有してネタにしていたことはないと分かった。あくまで輝単独の行動だったのだろう。
 
 でももう、そんな事はどうでも良かった。男という生き物は残酷に女を弄び、平気で嘘をつくのだと今生でも学んだ。男はもうこりごりだと、美誠は泣きながら心底思った。




 御乙神家への出入りを辞めてから四ヶ月が経とうとしていた。季節は冬となり、あと一週間ほどで年が変わる。

 美誠が勤める鶴羽つるは小学校は、今日が二学期の終業式だった。昼前には授業が終わり、教師たちは通知表などの事務仕事から解放されようやく一息ついたところだ。

 美誠は図書館でひとり事務仕事をしていた。校内はまだ子供たちの声でにぎわっている。

 しかし貸出期間の終わった図書館は、にぎやかな喧騒から切り離されて静まりかえっていた。
 

 静寂の中、扉がノックされる音が響いた。見ると、扉上方の小窓から見知った顔がのぞいていた。

「高原先生、こんにちは」

横森よこもりさん。今日はりく君のお迎えですか?」

 開けた扉の向こうには、細身のジーンズに軽いコートをはおった、いかにも主婦といったいで立ちの女性が立っていた。

 親しげにほほ笑む彼女の名は横森優子よこもりゆうこ。一人息子がここ鶴羽小の五年二組に在籍している。
 夫は鶴羽市役所の職員で横森自身は専業主婦。外見から肩書から、どこからどう見てもフツーの中年女性である。
 
 しかし実は彼女は、この世あらざる存在を視とおす『見鬼けんきひとみ』を持つ異能者である。

 強すぎる異能を制御するため、十代の頃真言密教しんごんみっきょうの法力僧に付いて修行し、ようやく普通の生活を送れるようになった。

 そして力を隠し普通に就職結婚し、普通に子供を小学校に通わせ普通の人生を満喫していたが、ある日天界の聖獣にがっつりまもられた奇妙な司書さんに出会ってしまう。

 普通に生きたい横森と自分の力を持てあましていた美誠は、出会い初めこそそりが合わなかったが、二人そろって鶴羽小で起きた心霊事件に巻き込まれ、いやおうなく協力し合うハメになる。

 それから約二年。当時横森の息子の担任だった葛城かつらぎ佳蓮かれん教諭を交えて、たまにランチやお茶に行く仲となっている。

 普通にそつなくママ友関係をこなす横森が、どこか気遣うようなまなざしで美誠を見る。

「先生、明日陸たちがコミュニティの家庭科室を借りてクリスマス会をするの。ビスケットケーキを作るんですって。良かったら来ません?」

 この二学期、横森はこうやって何かと美誠を誘ってくれた。御乙神千早みこがみちはやに『習い事』をしている事は話していたが、辞めたことまでは伝えていない。

 けれどとっくに色々と悟られているのだろう、事情は何も聞かず、ただ何かとイベントに誘ってくれる。

 以前はそれとなく御乙神宗主の事を聞いてきていたが、それもぴたりとなくなった。見鬼けんきの力を使っているのか単にカンが良いのか、横森には色々バレているような気がしてならない。

「ありがとうございます。私が行ってもいいんですか?」

「もちろん。葛城先生も旦那さんと一緒に来るそうだから、ぜひ先生方で子供たちの力作のケーキを食べてやってください。多分お腹はこわさないと思いますから」

「……大人が手伝ったらダメなんですか?」

「そこで大人がでばったら面白くないでしょ~。少々形がいびつでも混ぜ方が足りなくでも材料はきちんとしたものを使っているから大丈夫ですよっ」

「わ、分かりました、ちょっと怖いけど行きます」

「大丈夫ですって。今年最後のいい笑い締めになりますよ。明日一〇時からですから、お待ちしてますね」

 じゃあ、とにっこり笑顔で立ち去っていく横森の後ろ姿に、美誠は口元だけ笑って手を振った。

(……もう、いい加減忘れなきゃね)


 二学期、周りに気を使わせてはいけないと思いながら、どうしても笑顔が作れない時期もあった。秋頃は、食事がのどを通らず気が付くと体重が3キロも落ちていた。
 
 あれから御乙神家の関係者から一度も連絡はない。もう縁は完全に切れたのだ。向こうも美誠のことは忘れて、過去の出来事として日々を送っている事だろう。

 周囲には自分を気遣ってくれる人たちがいる。この人達を大切にして、終わった事はもう忘れて、今を生きようと自分に言い聞かせる。


 その時だった。静まり返った図書館にスマートフォンの着信音がした。室内に戻り、カバンからスマホを取り出す。

 差出人の名前を見て、思わず顔が強ばった。千早からだった。

 迷ったが、思い切ってタップする。開かれた文面を読み、美誠は画面を凝視ぎょうししてしまった。


『お久しぶりです。どうしてもお伝えしたいことがあって連絡しました。
 失礼は承知の上ですが、実は夫があなたの勤務先に向かっています。以前私達が話をした裏手の門を教えました。そろそろ到着していると思います。ぜひ明から話を聞いてもらえませんか?

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

天使のスプライン

ひなこ
キャラ文芸
少女モネは自分が何者かは知らない。だが時間を超越して、どの年代のどの時刻にも出入り可能だ。 様々な人々の一生を、部屋にあるファイルから把握できる。 モネの使命は、不遇な人生を終えた人物の元へ出向き運命を変えることだ。モネの武器である、スプライン(運命曲線)によって。相棒はオウム姿のカノン。口は悪いが、モネを叱咤する指南役でもある。 ーでも私はタイムマシンのような、局所的に未来を変えるやり方では救わない。 ここではどんな時間も本の一ページのようにいつでもどの順でも取り出せる。 根本的な原因が起きた時刻、あなた方の運命を変えうる時間の結び目がある。 そこに心身ともに戻り、別の道を歩んで下さい。 将来を左右する大きな決定を無事乗り越えて、今後を良いものにできるようー モネは持ち前のコミュ力、行動力でより良い未来へと引っ張ろうと頑張る。 そしてなぜ、自分はこんなことをしているのか? モネが会いに行く人々には、隠れたある共通点があった。

哀を喰うキミへ

遊野煌
キャラ文芸
他人の悪意の声が勝手に聴こえてきてしまう夜川愛斗(よるかわあいと)は、両親の死をキッカケに黒いスーツの男、黒淵定(くろふちさだめ)と出会う。黒淵の仕事は人間の哀しい想いを供養する心専門の『想儀屋(そうぎや)』だった。愛斗は、黒淵と共に想いを供養する巫女・火華と三人で『想儀』を依頼してくる迷える人間の哀しみに寄り添いながら、自分自身とも向き合っていく。 ※表紙はフリー素材

君の残したミステリ

ふるは ゆう
キャラ文芸
〇〇のアヤが死んだ、突然の事ではなかった。以前から入退院を繰り返していて……から始まる六つの短編です。ミステリと言うよりは、それぞれのアヤとの関係性を楽しんでください。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...