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3.夢から醒めて
夢から醒めて(1)
しおりを挟むあの日から、美誠は霊能の修練を辞めた。
自分から頼み込んだことなのに、本当に無礼なことをしているのは分かっていたが、もうどうしてもあの屋敷に行くことはできなかった。
輝にタンカを切ったことも後悔していない。早まったとも思っていない。
千早からは一度だけショートメールが届いた。輝のことには触れず、『もし気が変わったらいつでも連絡をください』と書かれていた。
千早の優しさがにじみ出た文面に、その時はまた泣いてしまった。あの日から一人になると泣いてばかりだった。
夜眠るのさえ怖くなった。輝に騙されていた事実は、美誠の心をずたずたに傷つけていた。
何であんな真似をしたのかと考えたが理由は思いつかなかった。自分に対する恋心を聞いて優越感に浸っていたのか。ただ暇つぶしに面白がっていたのか。
明の様子から、二人で情報を共有してネタにしていたことはないと分かった。あくまで輝単独の行動だったのだろう。
でももう、そんな事はどうでも良かった。男という生き物は残酷に女を弄び、平気で嘘をつくのだと今生でも学んだ。男はもうこりごりだと、美誠は泣きながら心底思った。
御乙神家への出入りを辞めてから四ヶ月が経とうとしていた。季節は冬となり、あと一週間ほどで年が変わる。
美誠が勤める鶴羽小学校は、今日が二学期の終業式だった。昼前には授業が終わり、教師たちは通知表などの事務仕事から解放されようやく一息ついたところだ。
美誠は図書館でひとり事務仕事をしていた。校内はまだ子供たちの声でにぎわっている。
しかし貸出期間の終わった図書館は、にぎやかな喧騒から切り離されて静まりかえっていた。
静寂の中、扉がノックされる音が響いた。見ると、扉上方の小窓から見知った顔がのぞいていた。
「高原先生、こんにちは」
「横森さん。今日は陸君のお迎えですか?」
開けた扉の向こうには、細身のジーンズに軽いコートをはおった、いかにも主婦といったいで立ちの女性が立っていた。
親しげにほほ笑む彼女の名は横森優子。一人息子がここ鶴羽小の五年二組に在籍している。
夫は鶴羽市役所の職員で横森自身は専業主婦。外見から肩書から、どこからどう見てもフツーの中年女性である。
しかし実は彼女は、この世あらざる存在を視とおす『見鬼の瞳』を持つ異能者である。
強すぎる異能を制御するため、十代の頃真言密教の法力僧に付いて修行し、ようやく普通の生活を送れるようになった。
そして力を隠し普通に就職結婚し、普通に子供を小学校に通わせ普通の人生を満喫していたが、ある日天界の聖獣にがっつり護られた奇妙な司書さんに出会ってしまう。
普通に生きたい横森と自分の力を持てあましていた美誠は、出会い初めこそそりが合わなかったが、二人そろって鶴羽小で起きた心霊事件に巻き込まれ、いやおうなく協力し合うハメになる。
それから約二年。当時横森の息子の担任だった葛城佳蓮教諭を交えて、たまにランチやお茶に行く仲となっている。
普通にそつなくママ友関係をこなす横森が、どこか気遣うようなまなざしで美誠を見る。
「先生、明日陸たちがコミュニティの家庭科室を借りてクリスマス会をするの。ビスケットケーキを作るんですって。良かったら来ません?」
この二学期、横森はこうやって何かと美誠を誘ってくれた。御乙神千早に『習い事』をしている事は話していたが、辞めたことまでは伝えていない。
けれどとっくに色々と悟られているのだろう、事情は何も聞かず、ただ何かとイベントに誘ってくれる。
以前はそれとなく御乙神宗主の事を聞いてきていたが、それもぴたりとなくなった。見鬼の力を使っているのか単にカンが良いのか、横森には色々バレているような気がしてならない。
「ありがとうございます。私が行ってもいいんですか?」
「もちろん。葛城先生も旦那さんと一緒に来るそうだから、ぜひ先生方で子供たちの力作のケーキを食べてやってください。多分お腹はこわさないと思いますから」
「……大人が手伝ったらダメなんですか?」
「そこで大人がでばったら面白くないでしょ~。少々形がいびつでも混ぜ方が足りなくでも材料はきちんとしたものを使っているから大丈夫ですよっ」
「わ、分かりました、ちょっと怖いけど行きます」
「大丈夫ですって。今年最後のいい笑い締めになりますよ。明日一〇時からですから、お待ちしてますね」
じゃあ、とにっこり笑顔で立ち去っていく横森の後ろ姿に、美誠は口元だけ笑って手を振った。
(……もう、いい加減忘れなきゃね)
二学期、周りに気を使わせてはいけないと思いながら、どうしても笑顔が作れない時期もあった。秋頃は、食事がのどを通らず気が付くと体重が3キロも落ちていた。
あれから御乙神家の関係者から一度も連絡はない。もう縁は完全に切れたのだ。向こうも美誠のことは忘れて、過去の出来事として日々を送っている事だろう。
周囲には自分を気遣ってくれる人たちがいる。この人達を大切にして、終わった事はもう忘れて、今を生きようと自分に言い聞かせる。
その時だった。静まり返った図書館にスマートフォンの着信音がした。室内に戻り、カバンからスマホを取り出す。
差出人の名前を見て、思わず顔が強ばった。千早からだった。
迷ったが、思い切ってタップする。開かれた文面を読み、美誠は画面を凝視してしまった。
『お久しぶりです。どうしてもお伝えしたいことがあって連絡しました。
失礼は承知の上ですが、実は夫があなたの勤務先に向かっています。以前私達が話をした裏手の門を教えました。そろそろ到着していると思います。ぜひ明から話を聞いてもらえませんか?
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