ナイトメア

咲屋安希

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1.夢の中の妖精

夢の中の妖精(1)

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 黒い夜空に、白い桜が舞い散る。夜桜が、白いかたまりとなってゆれている。
 

 大きな桜の木の下で、高原美誠たかはらみせいはひざを抱えて座っていた。下草の生えたこの場所は、直接座っても居心地がよい。
 
 ここは夢の中だ。物の質感や空気の流れを感じるのに、それでもここは夢の中だと分かる。寝付く時着ていた寝間着の浴衣姿で、美誠みせいは、黒い夜空を流れていく白い花びらを見ていた。

「お姉さん」

 桜の花びらがこすれ合うわずかな音だけが聞こえる中、女の子の声がする。
 
 美誠の背後から、ひょいとのぞき込むように一人の少女が顔を出す。するりと美誠の前に回って、後ろに手を組んでほほえんだ。

 七五三のようなきらびやかな着物を着た、年の頃六歳位の女の子だった。全体的に色素が薄く、おかっぱの髪も明るい茶色をしている。

 豪華な朱金の着物と茶色の髪は良く合っていて、女の子は、夢の中にふさわしい現実ばなれした美しさだった。
 

 彼女は、二ヶ月ほど前から美誠の夢に現れるようになった。名前は知らない。美誠も特に聞こうとはしない。

 たとえ相手が実在するとしても、ここはいわば幻の中だ。そんな場所で現実を持ち出すのは野暮やぼだと思ったのだ。

 一応気配を探ると、魂はまちがいなく人間であるようだった。しかも死者ではない、絶対に生きている人間の魂だ。なぜ彼女が美誠の夢に現れるのか、いまだ理由は分からない。

 けれど初対面の頃から神秘的な見た目の割にフレンドリーで、害意がないのも分かっていたので追い払うことはしなかった。

(追い払う余裕がなかった、かな……)

 初めて会った時、美誠は夢の中で泣いていた。泣きながら眠ってしまったせいかも知れないが、夢の中でも現実を忘れられないのはとても苦しかった。
 
 ひざを抱えて泣いていたら、声を掛けられた。小さな女の子なのに、うれうような深い表情をしていた。
 
 しょせん夢の中だと思い、聞かれるまま泣いていた訳を話した。

 好きな人がいるが、恋は叶うことはないと。納得しているはずなのに、一人になると涙が出ると。

 子供に向かって何を言っているのだろうと思ったが、女の子は、大人のように静かに話を聞いてくれた。

 
 『その人はどんな人?』と聞かれて素直に答えた。

 強くて優しい、真面目な人だと。少し口が悪くて腹が黒いけど、立場上仕方がなくて、なのに根は真面目で、うっかり貧乏くじを引いてしまうタイプだと。

 頭が良い人だから器用に立ち回るけど人の良いところがあって、見ていてハラハラする時がある、支えてくれる良い奥さんが見つかればいいと思ってると正直に話した。

 微笑みながら涙をこぼす美誠の頭を、女の子は小さな腕で抱きしめてくれた。夢の中だからだろうか、女の子が美誠に対して、心底優しい気持ちを持っているのが伝わってきた。
 
 『どうしてお姉さんではだめなの?』と聞かれて、生きる場所が違いすぎるからと答えた。難しい立場の人だから、側にいるには私では力不足だと。
 
 それに私は美人でもないから、女にすら見られてないのよと笑った。でもこんな私にも、さりげなく本当の気遣いをしてくれる、育ちの良い人なのよ、と。
 
 
 女の子は抱きついていた腕を離して、美誠の顔をのぞき込んで言った。

 『お姉さんは綺麗だよ』と。きっと相手の人も、お姉さんのこと嫌いじゃないはずだよと。
 
 幼い目が真剣に見つめてきて、美誠は涙だらけの顔で吹き出してしまった。女の子は、真面目に話しているのにとむくれていた。

 話している途中で意識がとぎれ、自宅のベットで目が覚めた。涙にぬれた目元が、少しひりひりしていた。


 それから、週に一度ほどの割合でこの夜桜の夢を見るようになった。女の子は、変わらず朱金の着物姿で現れ、美誠の話を聞いていく。

 最近では、子供に悩みを打ち明けているのが恥ずかしくなって、自分から悩みの話は切り出さないようにしている。けれど女の子はさりげなく話を振ってきて、つい美誠も流されて話してしまっている。
 
 流れる夜桜を背景に、女の子は美誠の顔を見つめる。何かに気が付いたように、笑みが消えた。

「お姉さん、今日、ちょっとつらい?」

 幼い目がうかがうように美誠を見る。姿は幼いが、視線に込められた感情は複雑で積み重ねを感じるものだった。

 この女の子は、外見と精神年齢は絶対違うはずだと美誠は早くから気が付いていた。
 
 女の子の言葉に、美誠は自然と目がうるむ。泣いてばかりでは恥ずかしいから、舌の先を噛んで、無理矢理涙を引っ込めた。微笑んでみせる。

「大丈夫。何でもないの」

 今は解いているセミロングの髪をゆらして、にっこり笑ってみせる。しかし女の子はうかがうような目のまま、美誠の隣に腰を下ろそうとする。おどろいたのは美誠の方だ。

「ダメよ、着物が汚れちゃう」

 おいで、と横座りにした自分の足の上に女の子を抱えて座らせる。しかし女の子は逃げようとする。

「いやだ、一人で座る!」

「ダメよ、こんな高価たかそうな着物着ているのに。汚れたら大変。ここに座って」

「いやだ!いやだって!」

「だーめ。着物の汚れは落とすの難しいのよ」

 普段は大人びた様子の女の子は、美誠のひざの上に座るのだけは毎回子供らしく暴れて抵抗する。

 しかししょせん幼い子供だ。美誠に抱え上げられては勝てず、無理矢理横足の上に座らされる。美誠にぎゅっと抱きしめられ、女の子はもう身動きが取れない。

 抱きしめた女の子からは、香り袋の匂いと、子供特有の甘い香りがした。

「あなた良い香りがする。それにあったかい」

 抱きしめられ美誠の胸に顔を埋めた格好の女の子は、怒ったような、困ったような声で言う。

「お姉さん……これ、セクハラ……」

「こんな綺麗なお着物汚れたら大変だもの。セクハラしてでも守らないとね。それにあなた抱っこしていると何だか落ち着くの。ぬいぐるみ効果かな」

「……お姉さん、誰にでも抱きついてる訳じゃないよね?酔ったら抱きつき魔になるとかじゃないよね?」

「どっちも違うわよ。あなたが可愛いからつい抱っこしたくなるの。許してね」

 女の子は、上目遣うわめつかいで見上げてくる。余程恥ずかしいのか、色白の顔は赤らんでいた。

 いつも夢の中で、自分を気遣ってくれる女の子。美誠は、いつしか彼女の心づかいに救われていた。

 もしかしたら、自分よりも長く生きている相手かも知れなかったが、美誠は女の子を可愛く思っていた。

 もしも娘がいたらこんな風に可愛いのかな、と。腕に抱いていると、あたたかくてやわらかくて、幸せな気分になった。

 こんな時自分は、やはり女なのだと思うのだ。


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