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第五章 ふたりの千早
ふたりの千早(7)
しおりを挟む音一つ聞こえない深夜。崩壊から免れた屋敷の一室で、輝はひとり洋机に向かっていた。
あまり広くはない机上にあるのは、純白の和紙にしたためられた三通の手紙である。
広域に散らばった屋敷の残骸から探し出した、父・輝明の遺書だった。
一通目はごく実務的な内容で、相続対象となる各種財産の目録や宗主の職務に関する指示が記されたものだった。
二通目は肉親として輝に宛てたもので、三通目は、明に宛てられたものだった。今朝、ようやく屋敷森の中で遺書が納められた金庫を見つけたのだ。
常に死の危険がつきまとう術師たちは、初めて退魔行に出る際に遺書を作るのが習わしだった。
父親の遺書は、宗主執務室の金庫にある事は知っていたので、輝は宗家屋敷内の破損状況を調べるのと並行して、竜巻に吹き飛ばされただろう金庫を探していたのだ。
開けられた二通の遺書を眺める輝の目は、力が無い。疲労もあるが、それ以上に気力が削がれているのが映っている。
遺書の内容は、色々な意味で衝撃的なものだった。遺書に書かれていた、父親が口を閉ざしひとり背負っていたものを、今からは自分が引き継ぐのだと思うと、輝は胃の中のものを吐いてしまいそうな気分になった。
遺書には、父の身体を蝕む病気についても書かれていた。ガンが進行していたと。神刀を持ってしても助からない、体感で分かると。
『お前がこの遺書を読んでいるその理由は、十中八九、織哉の手にかかっての事だと思う。けれどどうせ私は病気で余命は長くはなかった、だから織哉を恨むことはしないように。
先に織哉の命を奪い、大切な家族の命を奪ったのは私の方だ。そして明に、わずか五歳で今のお前と同じ思いをさせてしまった。』
だから恨むなと。たった二人の神刀の使い手なのだから、憎み合うのは避けよと。
最近書き直したのが分かる遺書を読みながら、輝は何も気づかなかった自分を情けなく思っていた。
一人前の様な顔をして、現実は父に多大に護られていた事をようやく悟ったのだ。
情けない―――頼れる肉親を失った喪失感、何も気づけなかった自分への失望、これから宗主として父と同じ責務を負っていけるのかという不安。そして。
輝の脳裏に、最後に父と交わした会話が蘇る。奇妙なほどに記憶に焼き付いている、池端で聞いた台詞だ。
『千早の事を本当に大切に思っているなら、よくよく考えて、千早が一番幸せになる道を選んであげなさい。一時は痛みがあったとしても、最後には必ずその判断がお前の幸せにも繋がるからな』
千早が白虎の力に巻き込まれた時、輝は動けなかった。神刀の力を全力で引き出せば対応できたかもしれなかったが、それは正に命を張った賭けだった。
あの時、とっさの判断で輝はその賭けから降りてしまった。そして賭けに乗ったのは、明の方だった。
明とて、使い方も分からない、正体不明の神刀を継承したばかりで何の自信もなかったはずだ。けれど明は、千早の救出に飛び込んだ。
結論が出たことを輝は悟った。千早が『一番幸せになる道』がどれなのかを。
机に肘をつき、両手で顔を覆う。目元を隠した手から一筋、透明なしずくが流れてきた。
(何で何もかもいっぺんに来るんだよ……)
父親を失った悲しみ。背負う責任の重さ。そして子供の頃から好きだった相手を諦めなければならない苦しさを、輝は一人で耐えていた。
今の千早を一人にしてはいけないのは輝も分かっていた。けれど輝は宗主としての仕事を優先した。
結局はそういう事なのだと、自分に納得させる様に歯を噛み締める。
でも、それよりも。本当は。
(傍にいるのが辛いんだよ。顔を見るのが、辛いんだ……)
二人の深い絆が露見していくたびに、輝は自分がどれだけ何も知らなかったかを思い知らされた。自分がいかに千早から遠い場所にいるかという事を。
自分がバカだったと、打ちのめされるほど思い知らされた。独りよがりなプライドにこだわっている間に、明と千早はお互いを支え合い、同じ時間に生きていたのだ。
もう、自分が入り込む余地はない。分かっていても、言い聞かせても、胸が痛くてたまらない。
潰されそうな、さまざまな思いに耐えて、輝はひとりじっと頭を抱えていた。
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