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第四章 背徳にまみれた真実
背徳にまみれた真実(7)
しおりを挟む絢爛豪華に造り込まれた日本庭園を抜け、三人はこれまた豪華な数寄屋門をくぐって飛竜邸の敷地を出る。
引き込みの私道を歩きながら、ようやく力が抜けた様子の義人が大きく息を吐いた。
「すごい庭ですねぇ。埋めてある飛び石、あれ最高級の御影石ですよ。下手したら宗家屋敷より金掛かってますね。正に成金屋敷の見本だな」
おどけた様子で肩をすくめる義人だが、年下の二人は特に乗ってこない。
『やばいスベった』とちょっと焦った義人は、照れ隠しに振り返った背後で、明が突然何もない空間から日本刀を抜き出し、自分に向かって振り下ろす姿を見てしまった。
「ひやぁあっ!」
意味不明の叫びを上げる義人の脇三〇センチの空間を、明は上段から斬り降ろす。
正真正銘、腰を抜かしてへたり込みかけた義人の腕を掴み、輝が自分の方に引き寄せ背に庇う。
そして自分も抜刀する。明が斬った空間に、突如魔の気配を感じたからだ。
隙なく構える明の前に、急速に姿を現したのは、黄色い袈裟を付けた老僧侶だった。
頭上から足元に向かって、黒い傷が走っていた。そこから流れ出るものは、赤い血ではなく黒い液体だった。
黒い傷口から割れていきながら、老僧侶の魔物は赤い目を見開き、嗤う。嗤った口からも、黒い血が漏れていく。
『滅亡の子よ、己が心を偽るな。憎しみは悪ではない。愛の一つの形だ。我らと共に、愛する者を奪われた恨みを晴らそうぞ』
明がさらに横に薙ぎ、魔物は四等分となり塵と消えた。
天輪を構える輝は、浮かんだ考えに心が冷えていた。魔物の消えた跡をじっと見ている明に、問う。
「もしかして……今までずっと、監視されていたのか?俺たちは」
『俺たち』とは、御乙神一族の事を指す。明は、その端正な面立ちを険しくしかめ、無言でうなづく。
輝の背後で尻もちをついていた義人が、地面に手を着いたまま口を開く。
「今の魔物、『我らと共に』って言いましたよね?てことは、その、御乙神織哉だけじゃなく、他にも御乙神一族を恨む魔物がうじゃうじゃいるってことじゃないですか?
『我ら』って、普通ひとりふたりの仲間に使う言葉じゃありませんよ」
義人の細かな読みに明も納得する。星覇を継承した後から感じるようになった、無数の視線。その数は正直、数え切れるものではない。
「今までの魔物の動きからして、御乙神織哉はいわゆる実働部隊で、後ろに何かもっと大きなボスみたいなのが控えている雰囲気がします。
御乙神一族は、一体誰に恨みを買ったんですか?神刀の使い手を傘下に置くほどの魔物って、正体は何なんですか?」
義人の疑問に、二人は答える事ができない。
千早は、お気に入りのソファで丸くなっていた。
いつもこのソファに座り漫画を読んで、明と、とりとめのない話をする。
それが千早にとって何よりの楽しみであり、かけがえのない時間だった。
ふにゃあ、と伸びをした両手は、白くフサフサの毛が生えている。顔を上げてガラス戸を見ると、少し毛がふっさりとした白猫が、ソファの上で伸びをしていた。
この白猫が自分であると分かるが、特に驚かない。逆に、これもいいなと思う。
大好きなこの洋館でずっと過ごしたい。猫になって、この洋館で飼われたい。クロちゃんと遊んで、一緒に昼寝をして過ごしたい。きっと明も可愛がってくれる。
(それって、すごく幸せ……)
恋人になれなくても、飼い猫ならずっと傍にいられる。ずっと明と、この洋館で過ごしたい。
もう人間に戻れなくても、それで良いと思った。どうしてそう思ったかよく覚えていないが、千早はもう、人間に戻りたくなかった。
静かにリビングの白い扉が開く。明が来たと思い、ぴんと耳としっぽを立てソファに立ち上がる。
しかし入ってきたのは、見知らぬ女性だった。歳は四〇代半ばだろう。上品な着物を着ているが、柄が古めかしい。明治時代が舞台の漫画で見たような柄だった。
女性はソファにいる千早を見つけると、笑顔を見せた。なぜだろう、相手はほっとしたような、安心したような様子だった。
そして近づいて来る。ソファの前まで来ると膝を折り、白猫姿の千早に目線を合わせる。
「こんにちは。可愛い白猫さんね」
身をかがめて、女性はゆったりと微笑む。
どこかで会っただろうかと、千早は不思議に思う。初対面のはずなのだが、ごく自然な親しみを感じた。今まで感じたことのない、不思議な感覚だった。
女性は、静かにゆっくりと右手を上げ、優しく千早の毛並みを撫でる。
「この部屋が、あなたが一番安心できる場所なのね。だから、ここを造りだし閉じこもってしまったのね」
千早の反応を見ながら、力加減を調整して撫でてくる仕草は、本当に千早の事を思いやってくれているのが伝わってきた。
優しくいたわるその手つきに、千早は力が抜けていく。そしてなぜかたまらなく悲しくなって、気が付くとぽろぽろと涙を流していた。
泣く千早を、女性はそっと優しく抱き上げた。本当に優しく、優しく抱きしめて、泣く千早に頬ずりをする。
「ごめんなさいね、辛い目に遭う前に助けてあげられなくて。私ができるのはこれが精一杯なの。本当にごめんなさいね」
腕に抱いた千早に『帰りましょう』と告げる。その言葉にびくりと身を震わせた千早に、女性は優しい口調で告げる。
「大丈夫。あなたを全力で守ろうとしている人たちが待っているから。あなたの帰りを待ちわびていますよ」
女性は千早を抱き、ゆっくりと歩きながらリビングの扉へと向かう。
嫌だ、行きたくないと思い、千早は女性の腕の中で拒むように身動きをする。
そんな千早に女性は足を止め、優しくなだめる。
「帰りましょう。あなたの事を、深く、深く愛する人が待っていますから」
その言葉が、千早の心に染みる。女性はおとなしくなった千早を腕に抱いたまま、リビングの扉を開いた。
途端、視界は閉ざされる。何も見えなくなった中、女性の声だけが聞こえた。
『私にできるのはここまで。ここから先はあなた次第。どうか、幸せになってね』
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