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第三章 十三夜の月の下で
十三夜の月の下で(5)
しおりを挟む言葉にならない叫びを上げて、庇われていた青年が後ろ手に後退する。それを追う魔物・御乙神織哉の前に、後方の襖から三奈が顔を出した。
「新名主様……!」
周囲の惨状を見回し、床に倒れた新名主を見つけ、三奈が愕然とする。
そして追われる青年に気が付き、一も二もなく走り寄って彼を背に庇い両手を広げた。
「やめてください織哉様!こんなこと絶対に唯真さんが悲しみます!唯真さんは復讐なんて決して望んでいません!」
溢れ出る涙をこぼしながら、三奈は声を張り上げ訴える。
三奈は十四歳の時に宗家屋敷の家政婦となった。有力分家に生まれたのに呪術の才能が無く、家族に嫌われ厄介払い同然で家政婦の仕事に出されたのだ。
術の才能もなく美人でもない三奈を、何を気に入ったのか、織哉は妹のように可愛がってくれた。
滅亡の子を産むと予言された女性、佐藤唯真の世話を任されたが、彼女も本当に優しくしてくれた。生き方に悩む三奈に、親身になってアドバイスをくれた。
二人が大好きだった。家族の愛に恵まれなかった三奈は、二人を本当の兄姉のように思っていた。
だから自分の全てを賭けてでも明を守らねばと思ったのだ。大好きな二人の息子を、何があっても健やかに育てなければならないと。
明が幸せになれば、きっと天国の二人も心安らかになれる。それが非業の死を遂げた二人への、何よりの供養だと思ったのだ。
でもこれはない―――廊下に散らばる術師たちの死体の中で、三奈は顔を涙だらけにして声を上げる。
「私達御乙神一族が悪いのは分かっています。本当に、本当に申し訳ありませんでした。
でも、唯真さんの死に直接関係の無い者たちもたくさんいます。この中にもいたはずです。このやり方は、唯真さんを追い詰めた御乙神一族のやり方と同じではないですか?間違った相手と同じ土俵に立ってしまったら……うまく言えないけど、だめだと思うんです」
見開いた目から止まらない涙をこぼしながら、三奈は必死で言葉をつづる。
その間にも、外からは重い地響きが術師たちの声が、絶え間なくとどろく。
命吹き飛ぶ戦場のただ中で、戦う力を持たない三奈は命懸けで説得を続ける。
その時禍々しい風が、織哉を中心に渦を巻き吹き上げた。気のせいだろうか、織哉の眼が、ひときわ赤く毒々しく色付いた気がした。
振り上げられた建速は、今は光を吸い込むような闇の色をしている。
神刀の使い手の技量からいち家政婦が逃れられる訳もなく、三奈はスローモーションのように自分に向かって来る黒い刀身を見ていた。
誰かに突き飛ばされ、三奈は床に体を打ち付ける。聞こえた鋭い金音は、日本刀が弾かれる音だ。
顔を上げると、つい先ほどまで座敷牢で眠っていた明が、魔物となった父親と対峙していた。
「明……っ!」
天輪にえぐられた肩の傷は深く、医師からもう元の動きはできないだろうと言われていた。高熱も先日下がったばかりでまだ起き上がることもできず、この一週間ほどで体は驚く程痩せてしまっている。
痛み切った身体をひきずって、明は転がっていた誰かの霊刀を左手で握り三奈を庇った。
対して魔物・御乙神織哉は、まるで変わらぬ無表情で目前に立つ息子を見ていた。
自分の姿を見ても何も言わない、表情一つ変えない父親に、青くやつれた明が口を開いた。体調不良にかすれた、低い低い、寒気がするほど怒気のこもった声だった。
「……今頃何しに来たんだよ。何より大事な用事をすっぽかして、魔物に堕ちた挙句今度は八つ当たりで人殺しかよ」
「明……」
明の不穏な様子に、三奈はどうしてよいか分からずただ見守っている。
やつれた顔に、恨みにらんらんと見開かれた目が恐ろしかった。まるで怨恨の果てに命潰えた幽鬼の様な形相で、明は全身が爆発するような大声で怒鳴る。
「あの日あんたが来なかったから母さんは死んだんだよ!あれだけ愛しているとか言い散らかしておいてどうして助けに来なかったんだ!
母さんは最期まであんたの事を信じて名を呼んでいた!絶対助けに来ると信じていた!子供の俺ですら哀れだと思うほどあんたの事を信じ切っていたよ!よくもそんなこの世の宝石みたいな尊い信頼を裏切ったな!」
今夜のように寒い夜だった。やはり今夜のように体調を崩した自分を背負って、母は病院へと連れて行ってくれた。
その帰りに襲われた。待ち伏せされていたのだ。必死で逃げる母親を明は守ろうとした。けれど四歳の幼子が手練れの術師たちにかなう訳がなかった。
父だけが頼りだった。あの夜の、母が父を呼ぶ悲痛な叫びは、今でも明の耳に、記憶に こびりついている。
忘れられない叫びが、無力な自分を責めているようだった。母はきっとそんな事は思わない。そう確信できても、思い出すたびに辛くて悲しくて、耐えられなかった。
何もかもが許せなかった。母を守れなかった弱い自分も、母を殺した御乙神一族も、駆け付ける事のできなかった父も。
母の最期の言葉通り、父が迎えに来るのを待ち続ける中、同時に母を救えなかった父に対する憎しみも育っていった。
父を探していたのは、力を借りる目的もあったが、母を救えなかった事を責めてやりたかった。
文字通り母の命を背負っていたのに守り切れなかった父へ、心に煮えたぎるマグマの様な恨みを叩き付けてやりたかった。
「どうして来なかったんだよ!霊能の力を持たない母さんは頼れるのはあんたしかいなかったのに!あんたが来なかったら死ぬしかなかったのに!今頃来たって遅いんだよ!遅すぎるんだよ!」
今や青年となった明の目から、涙があふれた。
子供の様な言い分で恨み言を叫ぶ明の姿に、三奈は明の心の傷の深さを知った。
所詮は他人の自分がいくら愛情を注いでも、傷は癒える事はなかったのだと悟った。
ぼろぼろに傷ついたままの四歳の明が、癒される事無く明の中にずっといたのだ。
この傷を癒せるのは、実の両親だけ。
三奈は血の繋がりの深さを、まざまざと見せつけられた気がした。
「母さんを返せよ!母さんを返せ!」
駄々をこねる子供の様に叫ぶ明へ、魔物は滑るように接近した。
足すら動かしていない不気味な移動は、もう彼が人間ではない証拠だった。
不意に間合いに入られた明は、体が動かず対応しきれない。
しかし魔物は攻撃するのではなく明の襟首をつかみ、握る霊刀を足で蹴って飛ばす。
そして黒き刀、建速をサッシに向かって振り下ろす。起こった暴風から伏して身を守った三奈は、次に顔を上げるとサッシは吹き飛び、二人の姿は廊下に無かった。
慌てて姿を探すと、魔物・御乙神織哉は襟首をつかんだ息子ごと空中に浮かび、中庭を移動していた。
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