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第三章  十三夜の月の下で

十三夜の月の下で(4)

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 池の方向から、絶え間なく地響じひびきがする。屋敷内のある地点の警護を担当する新名主しんみょうずは、ひのき張りの廊下を上下しながら飛んできた、一羽の鳥に気が付く。
 
 それは誰かの式神だった。現実の世界には存在しない、かざり羽が豊かな中型の鳥は、飛ぶのがやっとの様子だった。
 
 呪術じゅじゅつで生み出す式神は、術者のコンディションが強く影響する。ほぼ余力が無い状態で飛ばしたらしい式神を、素早く他の術師がひろいに向かう。

『屋敷に入られた……!』

 それだけを施術者せじゅつしゃの声で伝えて、鳥は受け止めた術者の手の中で消え失せる。

 バラバラにくだけた呪符じゅふが舞う中、集った六人の術者は急速きゅうそくに接近してくる禍々まがまがしい気配を感知する。

 はばが三メーターはある広い廊下を、怖気おぞけ立つ風が吹き抜ける。

 すぐに一人が後方へと式神を飛ばす。しかし魔の風に乗って現れた魔物は、すべるように廊下を進んでくる。

 天井にともるアンティーク風の電灯でんとうが、次々と破裂はれつしていく。迫りくる暗闇くらやみはまるで魔の到来を告げるようで、術者たちは普段の退魔行たいまぎょうとは比較にならない緊張と恐怖を感じていた。

 魔物と暗闇が到達する前に、素早く二人の術者が前に出る。二〇代の双子の術者たちは、綺麗に重なった呪の詠唱えいしょうを行う。

 魔物をはさんで前後の空間が、ゆがむ。とたん、暗い廊下から魔物の姿が消えてしまった。

 この双子の術者は、空間に作用する術が得意だった。廊下の空間を、魔物をはさんで呪術でつなげてしまった。いわゆる無限回廊むげんかいろうを作り出し、その中に魔物を閉じ込めたのだ。

 こごえる風は止んだ。しかし、すぐに何も見えない空間に鋭い一閃いっせんが光る。

 かつて神刀としてあがめられた建速たけはやで無限回廊のつなぎ目をり、魔物はあっという間に術を抜け出した。

 しかし魔物の身体は動かない。無限回廊むげんかいろうから脱出する所を狙って、次の術が発動じゅつされていた。
 
 術にとららわれた黒装束くろしょうぞくの魔物をかこみ、四人の術者から白く輝く光の柱が生まれている。

 封印の術の一柱いっちゅうとなった新名主しんみょうずは、おのれが引き受けるはしら、東の青龍せいりゅうの力を降ろし続ける。
 
 方位四神ほういししん―――東に青龍せいりゅう・西に白虎びゃっこ・北に玄武げんぶ・南に朱雀すざく―――の力を借り受け縛魔ばくまおりを造り、魔物を封じ込める。
 
 神格しんかくにつながる強固きょうこな道『神柱かんばしら』を立てられる実力者を四人そろえないと成立しない、高度な封印術ふういんじゅつだ。方位四神ほういししんの封印術と呼ばれている。
 
 双子の無限回廊は時間かせぎで、しんの勝負所はこの封印術だった。
 
 魔物の動きを止めた所で奥にあったごく目立たないふすまから、わらわらと武装した術者たちが出てくる。
 
 まるで魔物の襲来を予想していたように、一見いっけん何の変哲へんてつもないこの場所に多くの術者たちが配置されていた。
 
 十数人の術者たちが取り囲む中で、魔物の姿は急速にうすれていく。神格の力が形成する異次元いじげんの『おり』へと封印されつつあるからだ。
 
 
 合掌がっしょうする新名主しんみょうずの顔が、わずか、ほんのわずか悲壮ひそうに歪む。しかし振り切るように合掌の手に力を込める。
 
 神柱かんばしらが強く立ち、魔の気配は神格の力に駆逐くちくされ、廊下は清々すがすがしい空気に満ちてくる。

 
 もううっすらとしか見えなくなった黒い衣装いしょうが、その時不意に動いた。
 
 北の玄武げんぶの柱を担当していた術者が、ぐらりとかたむいた。一瞬で袈裟けさがけに斬られた着物はみるみる赤く染まり、そのままゆっくりと倒れていく。
 
 次に南の朱雀すざくの柱が、口から血を吐いた。みぞおちから赤いみが広がっていき、がくりとひざを着き、前方に倒れ込んだ。

「誰か代わりに入ってくれっ……!急いで……」

 新名主しんみょうずが叫んだがもう遅かった。残り二柱にちゅうにまとめて横になぎ払う衝撃しょうげきが来て、新名主ともう一人は同時に吹き飛ばされる。

 神柱かんばしらも、封印のおりも消えた。倒れた新名主の目前もくぜんで、異次元から解き放たれた魔物は向かって来る術師たちを次々と斬っていく。

 その剣筋けんすじは、今も変わらず舞うように鮮やかなもので、りし日の、武道の達人とうたわれた御乙神みこがみ織哉おりやそのままだった。

「ひ……た、たすけ……」

 一人残った若い術者が、尻もちをついて逃げられずにいた。

 魔物の赤い目が混乱した若者を捕らえた時、新名主は二人の間に猛然もうぜんっていき、声を上げた。


織哉おりや様、やめてください、もうやめてくださいっ……!」

 二人まとめてだったせいか、新名主の傷は比較的ひかくてき浅く、まだかろうじて動ける程度だった。

 けれど体の痛みはひどく、胸元は着物がすっぱりと斬られ出血した傷が真横に走っている。

 腰を抜かした青年の前に出て、新名主は床に手を突いたまま黒装束くろしょうぞくの魔物を見上げる。

「俺です、たかしです織哉様!まさか忘れていませんよね?一緒に散々バカやった俺の事を、まさか忘れたりしていませんよね?」

 照明が半分消えた廊下で、床にいつくばり、新名主しんみょうずたかしは青春時代を共に過ごした気の置けない相手にうったえる。

「あの貴晴たかはるも無事彼女を振り向かせて結婚して、今では妃杉きすぎ家の当主で子供が四人もいるんです。どうか昔を思い出して、お気持ちをしずめてください。
 奥様の事は本当に申し訳ないことをしました。あやまって済む事じゃないのは分かっています。けれどこれ以上の事をしてしまったら、御子息ごしそくは本当に生きていけなくなってしまう。せっかく生き残った御子息のためにも、どうか、どうかお心をしずめて……!」


 ごくわずかな風切かぜきり音がする。建速たけはや一閃いっせんを受けた新名主は、崩れるように床に倒れ込んだ。


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