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第二章  継承の儀

継承の儀(9)

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 千早ちはや脳裏のうりに『危険』のシグナルが浮かぶ。

 けれどそれは、今まで退魔の仕事で感じた命の危険や、父に怒鳴どなられる恐怖とは違う。初めて感じる種類の、理由の分からない感覚だった。
 
 のどが妙な音を立ててふるえる。おどろき過ぎて、声が出なかったのだ。
 
 ひかるが千早の手を口元に持って行き、手の甲にくちびるを付けていた。
 
 そして人差し指、親指、中指と、順々にゆっくりと唇付けていく。
 
 右手が終わると、次は左手。目に見えて震え出す千早などおかまいなしに、輝は白く細い手に口づけを続ける。
 
 「やめて」と言いたくて、でも言葉にならない千早を、口づけた手越しに輝は見つめる。
 
 怒りの中に性的な色香いろかを見せる眼に、千早はえ切れず手を振りほどいで逃げようとする。
 
 振りほどいた手は離れたけれど、逆に身体は苦しいほどに何かに包まれる。
 
 強く深く、輝に抱きしめられ、自分の立場も忘れて千早は必死で暴れる。

「やっ……!やめ……て!」

 呪術をふうじられた千早は、抵抗ていこうするすべは何も持たない。あらがってもびくともしない固い身体に押し付けられ、耳に言葉が注がれる。

「君は、俺の、妻になるんだ」

 うなじに、生暖なまあたたかいものがれる。それはごく弱い痛みを千早に与え、離れる。

 千早の唇を、輝の唇がふさぐ。何の抵抗も出来ず、ただ輝の思うように口づけされる。

 浅くついばんだと思ったら、深く奪ってくる。訳が分からず背筋せすじが泡立ち、その感覚に飲み込まれまいと千早は必死で抵抗する。

 けれど顔を背けようにも、大きな手が千早の後頭部をしっかりと支えていて身動き一つとれない。甘く優しく、そして欲望のまま、千早の唇は奪われていく。

 ほのかなあかりが照らす中、影絵かげえのように二人の姿はからみ合う。黒い影は一つになってなまめかしくうごめく。


 不意ふいに、輝が千早を離す。正に苦虫にがむしつぶしたような表情をする。

 目を閉じたままの千早が、ほおが濡れるほどの涙を流していた。

 乱れた髪が張り付く顔には悲しさと苦しさだけがあり、どう見ても恋に酔う娘の表情ではなかった。

 声を出さずえる様に泣く千早から、輝はにが苛立いらだった表情のまま顔を背ける。

 自分を落ち着ける様に深く呼吸し、数瞬すうしゅん迷って、輝は千早を離す。その場にくずれた千早から顔を背け、ぐっとこぶしを握る。

「……当分の間、この部屋から出るのは許さない。ここで、静かに過ごすんだ」

 それだけ言って、輝は綺麗な足取りで部屋を出て行く。思ったよりも静かに閉じた扉の音を聞き、千早はがくりと首をれ、はらはらと涙をこぼす。

あきら……)

 命をねらったも同然なのに、輝の与えてきた『ばつ』は甘い。自分がいかに甘やかされているか、千早は十分分かっている。

 それでも、輝を受け入れられなかった。どうしても無理だった。自分の本心を嫌というほど感じて、千早はなかば絶望していた。

(明……)

 五年間、二人で肩を並べているだけで幸せだった。語り合うだけで心が明るくなった。

 ただそれだけがどこまでも遠いと感じて、輝に申し訳ない気持ちと、明に会いたい気持ちがぶつかり合い、千早は耐え切れず両手で顔をおおってすすり泣いた。



 座敷牢のすみで、三奈みながロングダウンにくるまって寝入っている。壁に寄り掛かったままがっくりと首をかたむけ眠る姿は、いかにも疲れ果てた様子だった。

 夜明けが近い座敷牢ざしきろうは、空気が刺さりそうなほど冷え込んでいる。その極寒ごっかんの中、眠るというより生気せいきが無い様子の明から、細い声がもれる。

「……ち、はや……」

 誰にも届かない、当の明すら覚えていないだろうかぼそい呼び声は、冷え切った夜気やきの中、孤独に消えていった。


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