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第二章 継承の儀
継承の儀(7)
しおりを挟むネグリジェの上に朱色のガウンをまとう千早は、瞑目して床に座り込み、霊能力の『道』を維持し続けていた。
武神将の住まう次元とこの次元を繋ぐ『道』が途切れてしまえば、武神将は帰還に多大な力を使うし、何より大変な非礼になってしまう。
場合によっては帰還しようとして発現された高次元の力が現実世界に被害を及ぼす。こちらが願って召還した以上、術者が責任持って帰還まで『道』を維持しなければならないのだ。
(明……早く逃げて……!)
突然始まった屋敷内での力のぶつかり合い。そのすぐそばに、探し求めていた明の気配があった。
いても立ってもいられず式神を飛ばすと、血の海の中で串刺しにされている明が視えた。
(武神将よ、お願いします、その人は決して悪い事はしていない。どうか彼を守って)
輝を止めるならば、森羅万象を操る術では難しいと判断し、武人の最高峰である武神将を召喚した。
こんな事までしてしまえば、もう自分はここにはいられなくなるのは分かっている。それでも明を見殺しになど絶対できなかった。
千早の感覚に、離れに人が踏み込んできたのを感じる。これだけの大技を使えば、施術者の居場所などすぐに判明するだろう。
強力な霊体の召還に、さすがに千早もほとんど余力はなかったが、それでもこの部屋に入れぬよう扉に封印の術を施す。
みるまに部屋の扉が半透明の氷に覆われていく。呪術で造りだした氷を張り、突破されない様防御を固める。
すぐに扉が激しく叩かれる。しかし術で張られた厚い氷は、通常の炎では溶かす事も出来ない。
扉の向こうで何事かを叫んでいるが、厚い氷越しで良く聞こえない。武神将の召還に注力している千早は、扉の向こうに意識を割くことができなかった。
しかし、千早の感覚に熱い衝撃が走る。それは召還術の方ではなく、扉の封印の方だった。
木製の扉を覆っていた氷が、みるみる解けていく。氷の封印が白い煙を上げて消えた途端、扉が勢いよく開いた。
飛び込んできた術者たちに千早は囲まれる。その後ろか赤い光が見えた。
燃え上がる神刀・火雷を持った宗主・御乙神輝明が、険しい顔つきで千早を見下ろす。
「千早。明の命は私が保障するから、武神将を退かせなさい」
武神将が姿を消し、霊能力の『道』も消えた神刀の間で、意識を失った明は駆けつけた術者たちに囲まれていた。
神聖なはずの神刀の間はあちこち破壊され、血の匂いが濃く充満している。
「明、しっかりして!」
三奈が衣服を血に汚しながら、必死に明の肩を押さえていた。
家政婦のお仕着せである黄色いエプロンを脱ぎ、肩の傷に押し付け止血しているが、辺りは正に血の海となっていて既に相当の出血があったのが分かる。
外からの弱い光に照らされた明の顔は、蝋人形のように血の気が無かった。
血まみれの二人を姿を見下ろす輝は、圧倒的な強者であるにもかかわらず、傷ついた、やるせない表情を浮かべていた。
乱闘の跡が片付けられた座敷牢に、再び明は戻された。
御乙神家専属の医師による処置は深夜にまで及び、医師や看護師が座敷牢を出たのは午前0時を過ぎた頃だった。
輸血を受け多少顔色が戻ったように見える明を、三奈はマットレスの傍らから覗き込んでいる。
端正な顔は血の気が無いのも手伝って、まるで本物の彫像のようだった。
輸血と入れ替わりに抗生剤の点滴を付けられた明は、肩の傷は動脈を傷つけていた。
血管と傷の縫合は、処置というより手術と呼ぶレベルで、人手が足りず看護師を手伝った三奈は、目を背けたくなる場面に立ち会うことになった。
まだ麻酔が十分効いているはずなのに、厳しい冷え込みの中、明は白い額に汗を浮かべている。
言葉にならないうめきを漏らす様子から、痛みがひどい事が伝わってくる。
三奈は優しく汗を拭いてやりながら、厳重に包帯が巻かれた左肩に障らぬよう掛布をかけ直してやる。
そして立ち上がり、右腕に繋がれた点滴の様子を確認する。
世間的に説明しづらい怪我を負うことが多い術師たちのために、宗家の家政婦たちはある程度の医療知識も身に付ける事になっていた。
苦し気に首を動かす明のそばに、三奈は再び座り込む。
明の動きは重く緩慢で、本来はとても動ける状態ではないのに、苦しみのあまり耐え切れず身動きをしているように見える。
苦しさがにじみ出ている明の姿に、三奈の目がうるむ。体温を確かめるため額に手を伸ばし、そして痛みを慰めるようにそのまま髪を撫でてやる。
(なんでこの子ばかりこんな目に……)
四歳で両親を殺され、その仇の手によって育てられた。そんな環境で健やかでいられる訳もなく、明は子供の頃から問題ばかり起こしていた。
幼い頃は精神的に不安定で、食事が取れなくなり餓死寸前となったこともあった。
亡き母親と同じ味の食事を作る三奈には多少なついてくれたが、輝明と輝には、それは凄まじい反発を見せていた。
明は、幼いながらも両親の仇が誰なのか知っていたようだった。隙を見ては何度も輝明の命を狙い、仲良くしようとする輝には度を越えた嫌がらせをする。
確かに容姿は美しいが、未発達な精神で多大なストレスを抱え込み、明は非常に扱いにくい子供だった。
そんな明が見違えるように落ち着き始めたのは、そういえば十一歳の頃だったのだ。
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