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第三章 緋の宴席
緋の宴席(4)
しおりを挟む千早の自室は、庭に面した壁一面を総ガラス張りにし、そこに造り付けのベンチソファを添わせてある。
背もたれの無いソファには、ピンクパープルを主色として補色にグレイ、アイボリーのクッションがいくつも置かれ、白を基調とした室内を女性らしく彩っていた。
リビング、寝室、IHヒーター装備のミニキッチンにバストイレが設置された、とても一〇代の少女の自室とは思えないこの部屋は、総面積が七〇㎡を超える。
この一流ホテルのスイートルームの様な豪華な自室で、千早はクイーンサイズのベッドに横たわり、薄暗くなっていく天井を見つめていた。
今日は朝から体がだるく起きていられなかった。
毛布にくるまっても体が温まらず、手足が冷える。続く体調不良を医者にも診てもらったが、これと言った原因は見つからなかった。
「気分的なものもあるかもしれませんね」と医者は言った。確かにそうかもしれないと千早も思う。
明への気持ちをようやく認めて、もう一週間近くが経つ。
現実と全く添わない、何の実りもない思いをどうすればいいのか。千早は悩み続けていた。
明には恋人がいて自分には許嫁がいて、全く行き先の無い恋心をどう扱えばよいのか。
忘れてしまえば一番良いだろう。
無かったものとして無視するべきだろう。
好きな相手と結婚する相手が違うなんて、世の中には良くあることだ。
事実、血筋を重んじる呪術の家では、家同士の結びつきのための結婚は現代でも珍しくはない。
けれど無視も黙殺もできないほど明への気持ちは膨れ上がっていた。
明と桃生沙綾が連れ添っている姿を思い浮かべると、本当に胸が張り裂けそうになる。息が、詰まりそうになる。
こんな気持ちを抱えたまま、輝の許嫁であるのは無理だと思った。
第一相手はもう何年も話すらしていない、自分を嫌う人だ。
そんな相手と、しかも他の人に心奪われたまま、ゆくゆくは一生を共にするなんて無理としか思えない。
そうじゃない、と、千早はひとり首を振る。ひとつ自分の本心を認めれば、次々と本音が顔を出してくる。
明以外の人に触れられたくなかった。明に触れられた髪、そして繋いだ手を思い出し、それが他の人になるかと思うと嫌悪感どころか絶望を感じてしまう。
偽りない自分の心に向き合い、千早は毛布をぎゅっと握りしめ、葛藤していた。
(どうしたらいいの……)
不意に部屋の扉がノックされる。
扉の外の気配に気が付けなかった千早は、慌てて身を起こし、返事をする。
千早の返事を聞き、扉が開く。廊下の明かりが暗い室内に差し込み、千早専属の家政婦が顔を見せた。
「お休みの所申し訳ありません。お父様から、宗家屋敷へ今すぐ向かうようにとのご連絡です」
「急、ですね。どんな要件だと言っていましたか?」
「本日の宴席に同伴をとのことでした。他流派の当主も招かれる大きな宴会だそうです」
霊能の仕事で成果を上げる千早を、父は他の霊能術家の重鎮たちに会わせたがる。
幼い頃から千早は、様々な集まりに父の御供として顔を出していた。
けれど内気で酒も飲めない千早は、酒宴に出るのは正直苦痛だった。
今もとても酒宴に参加できる体調ではなかったが、父の言う事は絶対だ。
それを分かっている家政婦は、千早の返答を聞かず支度に取り掛かっている。
部屋に入り照明を点けて、てきぱきとウォークインクローゼットに出入りする家政婦の姿に、千早も文字通り重い腰を上げた。
家政婦が準備した着物は、薄紫の裾ぼかしが美しいアイボリーホワイトの訪問着だった。
肩から吉祥草花と雪輪重ねの模様が入っていて、帯は銀糸で刺繍を施された袋帯を合わせていた。
普段より豪華な着物は、宴席の出席者達を考慮してのものだろう。
言われるまま着物をまとった千早は、重い体に気合を入れて送迎の車に乗り込む。
宗家屋敷に到着すると、普段は閑静な屋敷のあちこちに人のさざめきが聞こえていた。
まるで部屋のように広い玄関には今夜は談笑する声が溢れ、記帳を待つ招待客が立ち話に花を咲かせている。
落ち合う場所として指定された部屋は、宴席会場である桜の間から少し離れた『木蓮の間』だった。
廊下に膝を着き声をかけて襖を開くと、中には七家の面子が四人と父・健信の他、御乙神輝の姿があった。
久しぶりに間近で見た輝は、千早の記憶よりずいぶん印象が変わっていた。思わず目を留めてしまう。
背が伸び体に厚みが出て、可愛いらしいと思っていた顔立ちも精悍になり、青年と呼ぶにふさわしい外見となっていた。
細身だが鍛えているのが分かる体には、薄茶の着物に茶の袴、着物と同じ色合いの薄茶の羽織がしっくりと収まっている。
茶系の着物は全体的に色素の薄い輝に良く似合っていて、それは女性なら思わず目を止めてしまうような美しい青年の姿だった。
千早、と呼ぶ声に振り向くと、機嫌良さげな父親は、今夜は艶のある深いえんじ色の羽織袴をまとっていた。
それは滅多に着用しない、手持ちの衣装の中で一、二を争う高価な着物だった。
妙に浮かれた父の様子に、千早は嫌な予感が胸をよぎる。
「急に呼び出して悪かったな。実は今夜の宴席で、お前と輝様の婚約を正式に御披露目しようという事になってな。
これだけの来客のある宴席はしばらくは無い。お前も来月にはもう十七歳だから、今日が丁度良いだろう。特に挨拶はないから、上座の席で二人で座って食事を楽しめばいい」
父のこんなに弾むような口調は本当に珍しかった。
長年の夢がかなったと言わんばかりの父の様子に、千早は足元に血が引いていくような気がした。
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