上 下
25 / 44
第三章 緋の宴席 

緋の宴席(4)

しおりを挟む
 


 千早ちはやの自室は、庭にめんした壁一面をそうガラスりにし、そこにつくり付けのベンチソファをわせてある。

 背もたれの無いソファには、ピンクパープルを主色しゅしょくとして補色ほしょくにグレイ、アイボリーのクッションがいくつも置かれ、白を基調きちょうとした室内を女性らしくいろどっていた。


 リビング、寝室、IHヒーター装備そうびのミニキッチンにバストイレが設置せっちされた、とても一〇代の少女の自室とは思えないこの部屋は、総面積そうめんせきが七〇㎡を超える。

 この一流ホテルのスイートルームの様な豪華ごうかな自室で、千早はクイーンサイズのベッドに横たわり、うす暗くなっていく天井を見つめていた。


 今日は朝から体がだるく起きていられなかった。

 毛布にくるまっても体が温まらず、手足が冷える。続く体調不良たいちょうふりょうを医者にもてもらったが、これと言った原因は見つからなかった。

 「気分的なものもあるかもしれませんね」と医者は言った。たしかにそうかもしれないと千早も思う。

 明への気持ちをようやく認めて、もう一週間近くがつ。

 現実とまったわない、何のみのりもない思いをどうすればいいのか。千早は悩み続けていた。


 明には恋人がいて自分には許嫁いいなずけがいて、全く行き先の無い恋心をどうあつかえばよいのか。

 忘れてしまえば一番良いだろう。

 無かったものとして無視するべきだろう。

 好きな相手と結婚する相手がちがうなんて、世の中には良くあることだ。

 事実、血筋ちすじを重んじる呪術じゅじゅつの家では、家同士の結びつきのための結婚は現代でも珍しくはない。

 けれど無視むし黙殺もくさつもできないほどあきらへの気持ちはふくれ上がっていた。

 明と桃生沙綾ものうさあやが連れっている姿を思い浮かべると、本当に胸が張りけそうになる。息が、まりそうになる。

 こんな気持ちをかかえたまま、ひかる許嫁いいなずけであるのは無理むりだと思った。

 第一相手はもう何年も話すらしていない、自分をきらう人だ。

 そんな相手と、しかも他の人に心いばわれたまま、ゆくゆくは一生を共にするなんて無理としか思えない。
 
 そうじゃない、と、千早はひとり首をる。ひとつ自分の本心ほんしんを認めれば、次々と本音ほんねが顔を出してくる。

 明以外の人にれられたくなかった。明に触れられたかみ、そしてつないだ手を思い出し、それが他の人になるかと思うと嫌悪けんお感どころか絶望ぜつぼうを感じてしまう。

 いつわりない自分の心に向き合い、千早は毛布もうふをぎゅっとにぎりしめ、葛藤かっとうしていた。

(どうしたらいいの……)
 
 不意ふいに部屋のとびらがノックされる。

 扉の外の気配けはいに気が付けなかった千早は、あわてて身を起こし、返事をする。

 千早の返事を聞き、扉が開く。廊下ろうかの明かりが暗い室内に差し込み、千早専属せんぞく家政婦かせいふが顔を見せた。

「お休みのところ申し訳ありません。お父様から、宗家屋敷そうけやしきへ今すぐ向かうようにとのご連絡れんらくです」

「急、ですね。どんな要件ようけんだと言っていましたか?」

「本日の宴席えんせき同伴どうはんをとのことでした。他流派たりゅうは当主とうしゅまねかれる大きな宴会えんかいだそうです」

 霊能の仕事で成果せいかを上げる千早を、父は他の霊能術家じゅか重鎮じゅうちんたちに会わせたがる。

 幼い頃から千早は、様々さまざまな集まりに父の御供おともとして顔を出していた。


 けれど内気うちきで酒も飲めない千早は、酒宴しゅえんに出るのは正直苦痛だった。

 今もとても酒宴しゅえんに参加できる体調たいちょうではなかったが、父の言う事は絶対だ。

 それを分かっている家政婦は、千早の返答へんとうを聞かず支度したくに取りかっている。

 部屋に入り照明しょうめいけて、てきぱきとウォークインクローゼットに出入りする家政婦の姿に、千早も文字通り重いこしを上げた。



 家政婦が準備した着物きものは、薄紫うすむらさきすそぼかしが美しいアイボリーホワイトの訪問着ほうもんぎだった。

 肩から吉祥草花きっしょうそうか雪輪重ゆきわかさねの模様もようが入っていて、おび銀糸ぎんし刺繍ししゅうほどこされた袋帯ふくろおびを合わせていた。

 普段ふだんより豪華な着物は、宴席えんせきの出席者達を考慮こうりょしてのものだろう。

 言われるまま着物をまとった千早は、重い体に気合を入れて送迎そうげいの車に乗り込む。
 
 宗家屋敷に到着とうちゃくすると、普段は閑静かんせいな屋敷のあちこちに人のさざめきが聞こえていた。

 まるで部屋のように広い玄関げんかんには今夜は談笑だんしょうする声があふれ、記帳きちょうを待つ招待客しょうたいきゃくが立ち話に花をかせている。


 落ち合う場所として指定していされた部屋は、宴席えんせき会場であるさくらから少し離れた『木蓮もくれんの間』だった。

 廊下ろうかひざを着き声をかけてふすまを開くと、中には七家しちけ面子めんつが四人と父・健信けんしんほか、御乙神ひかるの姿があった。

 久しぶりに間近まぢかで見たひかるは、千早ちはや記憶きおくよりずいぶん印象いんしょうが変わっていた。思わず目をめてしまう。

 背が伸び体にあつみが出て、可愛かわいらしいと思っていた顔立ちも精悍せいかんになり、青年と呼ぶにふさわしい外見がいけんとなっていた。

 細身ほそみだがきたえているのが分かる体には、薄茶うすちゃの着物にちゃはかま、着物と同じ色合いの薄茶の羽織はおりがしっくりとおさまっている。

 茶系の着物は全体的に色素しきそうすい輝に良く似合にあっていて、それは女性なら思わず目をめてしまうような美しい青年の姿だった。

 千早、と呼ぶ声に振り向くと、機嫌きげん良さげな父親は、今夜はつやのある深いえんじ色の羽織袴はおりはかまをまとっていた。

 それは滅多めったに着用しない、手持てもちの衣装いしょうの中で一、二を争う高価こうかな着物だった。

 みょうに浮かれた父の様子に、千早はいや予感よかんが胸をよぎる。

「急にび出して悪かったな。実は今夜の宴席えんせきで、お前と輝様の婚約こんやくを正式に御披露目おひろめしようという事になってな。
 これだけの来客らいきゃくのある宴席はしばらくは無い。お前も来月にはもう十七歳だから、今日が丁度ちょうど良いだろう。特に挨拶あいさつはないから、上座かみざせきで二人で座って食事を楽しめばいい」

 
 父のこんなにはずむような口調くちょうは本当にめずらしかった。

 長年ながねんの夢がかなったと言わんばかりの父の様子に、千早ちはやは足元に血が引いていくような気がした。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

闇に堕つとも君を愛す

咲屋安希
キャラ文芸
 『とらわれの華は恋にひらく』の第三部、最終話です。  正体不明の敵『滅亡の魔物』に御乙神一族は追い詰められていき、とうとう半数にまで数を減らしてしまった。若き宗主、御乙神輝は生き残った者達を集め、最後の作戦を伝え準備に入る。  千早は明に、御乙神一族への恨みを捨て輝に協力してほしいと頼む。未来は莫大な力を持つ神刀・星覇の使い手である明の、心ひとつにかかっていると先代宗主・輝明も遺書に書き残していた。  けれど明は了承しない。けれど内心では、愛する母親を殺された恨みと、自分を親身になって育ててくれた御乙神一族の人々への親愛に板ばさみになり苦悩していた。  そして明は千早を突き放す。それは千早を大切に思うゆえの行動だったが、明に想いを寄せる千早は傷つく。  そんな二人の様子に気付き、輝はある決断を下す。理屈としては正しい行動だったが、輝にとっては、つらく苦しい決断だった。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

処理中です...