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第二章 君を恋う

君を恋う(10)

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 夜九時半。古びた洋館のリビングで、三奈みなは明とテーブルをかこみ遅い夕食を取っていた。


 屋敷やしきの者にうたがわれない様、長い時間る事はできなかったが、三奈は十三年もの間、ほぼ毎日この洋館に通い続けていた。

 この特殊とくしゅな空間の中では、外界がいかいの音は届かない。結界内特有とくゆうの、不気味なほどの静けさの中、三奈は荒い仕草しぐさはしを置いた。

「どうしたの、三奈さん。仕事で何かあった?」

 子供の頃から行儀ぎょうぎにうるさい三奈の、めずらしい行動に明が味噌みそ汁を飲む手を止め、たずねる。

 
 問いかけられた三奈は、滅多めったに見せないきつい表情で明をにらんだ。

 見た目柔和にゅうわな三奈の、内面ないめんの強さがはっきり分かる眼差しだった。

「あなた明じゃないわね、黒龍こくりゅうでしょ。明はどこ?」

 珍しく声も低く詰問きつもんする三奈へ、明は一度またたきをして言葉を返す。

「どういうこと?黒龍なら俺のベットで寝てるよ。あいつ猫みたいに柔らかい寝床ねどこが好き……」

「おだまりなさい」

 ぴしゃりとさえぎって、三奈はさらに明の整った顔をにらむ。

 怒りではない、あせりの感情が顔に出ていた。

「私は生みの親じゃないけど、あの子を五歳のころから育てた育ての親なのよ。
 分かるのよ人間の女は。自分が育てた子供の事は。あなたは絶対ぜったいに明じゃない。ここまでそっくりの身代みがわりになれるのは、黒龍、あなたしかいないでしょう!明はどこ行ったの!」

 いきおい付けて立ち上がった三奈を、明は首をそらして見上げた。

 そして三奈を見上げる明の目が、不意ふいに変化する。
 
 瞳孔どうこうの外、いわゆる白目が、黄色に変化した。そして真円しんえんの瞳孔が縦長たてながになる。
 
 普通の人間なら恐怖を感じるだろう明の変化にも、三奈は全く動じない。

 むしろ納得なっとくした様子で明を見据みすえ、テーブルに手を付き身を乗り出す。

「明はどこに行ったの?早くもどさないと!あなたの方が事の重大さは分かっているでしょう?」

 強く言いつのる三奈に、目の前の明は落ち着いた仕草しぐさで肉じゃがにはしを付けながら言う。

われあるじの言葉しか聞かぬ。主の姿で代わりをつとめよの事。お前の言葉は聞かぬ、折小野三奈おりこのみな

「っ……!輝明てるあき様に報告をします」

宗主そうしゅ殿は知っておる」

「は?」

「主が結界けっかいを抜け出掛でかけているのはとっくの昔に知っておるわ。輝明殿は愚鈍ぐどんではない。流石さすが神刀しんとう火雷からいの使い手よ」

「と、とっくの昔って、そんなに前から結界の外へ?何てことを!」

 強張こわばった顔からが引く三奈に、偽物にせものの明は涼しい顔で自作の肉じゃがを味わっていた。




 桃生ものう家の運転手に送り届けられ、千早ちはや飛竜ひりゅう家の実家に着いたのは、午後九時を過ぎたころだった。

 現代風にアレンジされた、はば三メートル超の数寄屋門すきやもんの前で降ろしてもらい、運転手に礼をべて見送る。

 この時間帯になると、家政婦達は全員かよいなので出迎でむかえは誰もいない。

 設置せっちされたタッチパネルに暗証番号を打ち込み、脇の小さな通用門つうようもん開錠かいじょうして中へ入る。


 飛竜家の邸宅ていたくは、数年前に新築しんちくされたばかりだった。

 世間せけんを知らない千早の目から見てもとても豪華ごうかつくりで、広さは宗家屋敷には遠くおよばないが、内装ないそうや設備は、もしかしたら宗家屋敷以上ではないかと感じるほどだ。

 色合い美しい敷石しきいしんで庭を渡り、玄関の前に立つ。

 四枚の引きちが格子戸こうしどの向こうからわずかにれてくる声に、千早は微妙びみょうな表情になった。
 
 覚悟かくごを決めたように軽く唇を引き結び、玄関脇のタッチパネルに暗証番号を打ち込み開錠かいじょうする。

 大理石だいりせき張りの玄関で草履ぞうりを脱ぎ廊下ろうかに上がると、そのままリビングへ向かった。

「ただいま帰りました」

 三つあるリビングの中で、声の聞こえてきた一階のリビングの方へ顔を出す。

 ソファーテーブルの上にティーカップやケーキを広げて楽しんでいた姉達が、一斉いっせいに千早に振り向いた。
 
 上から二十四歳、二十一歳、十九歳の姉達は、みな良く似た華やかな容姿だ。その美しい姉達が向ける目は、いつもと変わらず冷たい。

 それに輪をかけた明らかな嫌悪けんおの眼差しを向けてくる母は、美しい娘たちとの血のつながりが一目で分かる、光が放たれる様な美女だった。

 千早はできるかぎり柔らかい笑顔を作り、挨拶あいさつをする。

「おかえりなさい、お母様。今日お帰りだったのですね」

 母の照子てること姉三人は、一ヶ月前から大型クルーズ船に乗ってヨーロッパ周遊しゅうゆうの旅に出かけていた。

 千早には帰国きこく日時にちじは知らされていなかった。もっと言えば、旅行の予定も聞いていない。そもそも、母と姉達とは普段ふだんから会話が無い。
 
 母と姉達は今までの楽し気な雰囲気ふんいきから一転いってん、火が消えたように沈黙ちんもくし、そのままソファから立ち四人連れ立って、リビングから直接ちょくせつ造られた二階へと上がる階段をのぼっていく。
 
 二階へのけとなっているリビングに、とびらが閉まる音がひびく。

 四人が二階にある、別のリビングに入っていった音だった。

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