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終章
3, 輝と義人、そして三奈
しおりを挟む薄ねず色の外観が美しい、二階建ての洋館が立つ広い敷地に、今の季節はソメイヨシノの巨木が花を咲かせていた。
ヤマボウシやアカシア、モミジなどが枝を張る庭に、一本だけ植えられたソメイヨシノはことさら花の美しさが映えている。
春の青空に向かって豪勢に花を咲かせるソメイヨシノの下で、輝、義人、そして三奈はレジャーシートに座り三段お重を囲んでいた。この洋館に来て初めてのお花見である。
輝が御乙神家の別邸の一つであるこの洋館に移り住んで、もうすぐ一年が過ぎる。
移り住んだ当初はソメイヨシノはもう散っていて、それでなくとも花見をしている余裕などまったくなかった。
ほぼ更地となった宗家屋敷の再建はまだとても手を付けられず、しばらくはこの洋館が輝の住居となる予定だ。
以前ほど人手のかからない洋館が住まいとなり、家事は三奈が一人で切り盛りしている。財務などの事務方は数人が洋館に通っていて、義人と三奈は住み込みで輝をサポートしていた。
明たちは用意された別邸に移り住み、そこからさらに高校に通うため別の街へ引っ越しをした。
物理的に遠く離れて三ヶ月。二人が洋館を訪れることはない。
事が終わったのかどうか明確な確信は無いまま、それぞれの時間は止まることなく動いていた。
春の陽の下、巻き寿司をほおばる輝の横顔を、義人はなにとはなく見やる。
輝の横顔が、この一年でずいぶん男らしくなったことに気が付いたのだ。
性格は以前から一〇代には思えないほど老成していたが、外見は実年齢なりで、アイドルのような甘い容姿と中身のギャップにおどろく人間も多かった。
しかしこの一年でそんな要素は薄まり、代わりに巨木のような雄々しさが芽生えた気がする。
中身に外見が追い付いてきたように思いながら、お重に詰められた巻き寿司を次々たいらげていく食欲は、まだまだ一〇代だなと義人はほほ笑んだ。
「何ですか、義人さん」
薄く笑っている義人の様子に気付き、輝は箸を止める。
「いえ、何でもないです。……来年は、俺たちじゃなくて、恋人か花嫁候補のお嬢さんとお花見してくださいね」
義人のからかう口調に、一年前より少し髪を短くした輝が憮然となる。
「……義人さん、最近俺に遠慮や気遣いがなくなってませんか?」
「あのですね、こういうのは言ってもらえるうちが花なんですよ」
「そうねぇ、私もう誰にも言われなくなっちゃったのよねぇ。手の掛かる男の子二人にご飯食べさせてたらこんな歳になっちゃって」
自分で作ったがんもどきをいったん置いて、三奈が芝居がかった仕草で右手をほおに当てため息を吐く。
「うげっ!三奈さんに言ったわけじゃないですよ?違いますからね!」
「あー、お世話になってる三奈さんにすごいセクハラ。もう二度と三奈さんのご飯食べられないかもしれないですね。暴言のペナルティは給料減額かな」
「ちょっ、それこそパワハラですよ輝様!パワハラ反対!コンプライアンス順守!」
ひらりひらりと白い花びらが舞う中で、この一年力を合わせてきた三人はにぎやかに語らう。
三奈にセクハラ発言を許してもらうべく、正座で食後のお茶を淹れている義人を前に輝がつぶやく。
「……これから先、年恒例の祭礼として、討伐した魔物の慰霊祭を行おうかと思っているんだ」
どう思う?と目を上げ二人に話を振る。義人は急須をかたむける手を止め、三奈はチョコや干菓子を詰めたミニお重を並べる手を止める。
「俺たちはこの生業を辞める訳にはいかない。でも、魔物のいだく、理不尽を強いられた無念に一定の理解を示すのは悪いことではないと思う。
もちろん過ぎた同情は厳禁だし、人間に害をなす行為を認める訳ではないけど」
一年前の決戦の時、砕けた魔物たちから思考を読み取った。
人間としての記憶には壮絶に虐げられた過去があり、復讐を遂げるには魔物に堕ちるしかなかったこと。
全てを賭けた復讐を邪魔され、つのった恨みが魔物を狩った御乙神一族へ向いてしまったこと。
八つ当たりといえばそうかもしれないが、感情は理屈ではない。
理不尽に追い込まれた無念を、慰める優しさも必要なのではないかと輝は思い至ったのだ。
実は今でもすべての『滅亡の魔物』が滅んだという確証はない。
地獄は深く広く、星覇の力でもすべてを見通すことはできないらしい。
それでも、二度と悲劇を起こしてはいけない。その対応策を、輝はこの一年ずっと考え続けていた。
大人びたのではなく、本当に大人となった輝の横顔に三奈は柔らかい笑みを向ける。
以前はなかった柔軟な考え方に、輝の大きな成長を感じたのだ。
「よろしいと思います。あってはならないことですが、無念のあまり魔物となるのは一歩間違えれば自分かもしれませんから。
退魔行というものは、魔物を『狩る』というよりも、魔物を凶行から『救う』という考え方が、本来正しいのかも知れませんね」
「確かに。もしも自分の大切な人間が恨みを晴らすためとはいえ残虐な行為に手を染めていたら……自分なら見るに堪えないと思います。
魔物の方も憎悪のかたまりになって理性を失っていますから甘いことは言っていられませんが、それでも人であったことを忘れずに対処するのは大事な気がします」
二人に賛同をもらい、輝はあぐらを組んだまま小さくほほ笑む。
「良かった。俺一人で決めるにはちょっと大きすぎる件だから」
「七家や分家の皆さんにも意見を求めたらいいですよ。あ、明様にもですね。何もすべて宗主のトップダウンじゃないといけないことはないですから」
お茶淹れを再開した義人が、断熱紙コップに入れた緑茶を「はい」と渡しながら輝の目を見る。
「味方は多いほうが良いです。一人の人間の仕事力なんて、どんなに優秀でもせいぜい二、三人分が限界だそうです。でも一〇〇人の人間と協力できれば、一〇〇人分の力で仕事に当たれます。
肩書というのは本来は役割名です。皆と協力して自分の肩書の役割を果たすのが本来の仕事の仕方です。仕事術は一般社会も霊能の世界も一緒ですよ。心は同じ人間なんですから」
義人と輝は、お互い紙コップをつかんだまま、しばし目線を交わし合う。
「……色々教えてください。俺は社会人としての経験が全くないので。頼りにしてます」
「俺も全然頼られるほどではないです。もう少し落ち着いたら、勉強のため一般社会と行き来しようと思っているんです。その時は輝様もアルバイトとかで働いてみては?いい社会勉強になりますよ」
義人の意見に三奈がふき出す。
「輝様が居酒屋とか引っ越しとかのバイトするの?想像できないわね。それやるより学校に通ったほうがよくないかしら?短期間だけの転校生とか理由付けて」
「それもいいですね。何なら明様と同じ学校に通うとか。明様のマンションに居候させてもらえばいいですしね。楽しそうだ」
「やめてくれよ。地獄じゃないか」
盛り上がる三奈と義人に対し、本気でイヤそうに、げんなりとした顔で輝が言う。
ここ一年、輝はお付き合いの相手がいない。宗主としての役目がとんでもなく忙しかったのもあるが、多分まだ心の整理がついていないのだろうと義人は思っている。
本当に好きだったんだろうな、と、しばらく会っていない千早の顔を思い浮かべる。
(罪作りですね、千早様)
『自分と父親は似ていない』と輝は主張するけれど、肝心な所が真面目で不器用なのがクローンのようにそっくりだと義人は思っている。
家柄の釣り合うお嬢さんと食事のセッティングでもしてあげようかなと、自分のことは棚に上げて考えをめぐらせている、片野坂義人・独身彼女なしの二十八歳である。
紙コップに口を付けた義人から電子音が聞こえる。ジャケットの内ポケットからだった。
「ちょっとすみません」と断って、義人はレジャーシートの端まで行ってスマホの呼び出しに出る。
義人が電話に出ている間に、輝と三奈は食後のデザートをつまみ始める。
広げられたのは、一般的なお重の四分の一ほどの、ミニチュアサイズのかわいらしいお重だ。
詰められている、季節の干菓子やチョコレート、クッキーなどをふたりが楽しんでいると。
「不純異性交遊っ?……いや、それは、た、大変申し訳……て、停学?」
裏返った声でスマホに叫んだ義人は、「しまった」とばかりに輝と三奈をふり返り、すぐに二人を避けるように背を向け、最大限声をひそめて通話を続ける。
なんとなく、ふんわりと、電話の内容を察した三奈はやはり年の功だろう。
そして輝はおもむろに立ち上がり、義人の元に行ってすぐ隣にしゃがんだ。スマホに耳をそばだてて、もれてくる通話を聞く。
もう隠し立てができなくなった義人は、弱り切った顔でひたすら通話先の相手に謝罪している。そして輝の顔はみるみる険しくなっていく。
「あ、はい、そうですね、大変申し訳ありませんっ。えっ?市橋さんたちもいらっしゃるんですか!ていうか連絡行ったんですか?あああ、すみません、本当にもう。申し訳ございません。すぐに参ります。隣県ですので、あの、三時間ほどはいただきたいのですが。すみません本当に。はい、失礼します……」
銀行仕込みのスマートな応対がウリの義人が、珍しくしどろもどろで通話を終了する。そしてその横では、眉間に深い皺をきざんだ輝が低い声で義人に言う。
「義人さん。俺が保護者としていきます。車出してもらえますか」
『あー……、これは……』ともう一人の養い子、とてつもなく顔の良い方を思い浮かべて三奈はげんなりする。
「ダメです輝様!どこの世界に生徒と同じ年の保護者がいるんですかっ俺ですら若すぎるのに!俺が学校で説教されてきますから輝様は仕事しててください!」
「いやダメだ。アイツの身内はもう俺しかいないんだから、責任持って身柄を引き取ってくる。教育の場で停学くらうほどいちゃつくなんて、神刀の使い手が堕落し過ぎにもほどがある。当分仕事でこき使って根性叩き直してやる……!」
「ダメです駄目です!絶対ダメです!市橋夫妻も呼び出しくらってますから本当に気まずくなりますから!千早様もこんなことで輝様と会いたくないですよ絶対!」
言い合う二人を止めるため立ち上がろうとした三奈だったが、ふと膝立ちで動きを止める。
今の義人に重なる様に、四〇歳なかばのスーツ姿の男性が視えた。
太めのフレームの眼鏡をかけ、目じりに優しそうな笑い皺が見える、落ち着いた、知的な雰囲気の男性だった。
三奈は術師にはなれなかったが、時折前触れもなく未来予知を視ることがある。
滅多に発動しない力だが、視えた時はほぼ的中する。実は今まで外れたことがない。
この程度の異能持ちは、一般人の中にもわりあい存在している。
けれど自分でコントロールできないし滅多に発動しないので、霊能を生業とする者たちからすると無いと同じなのだ。霊能者とは言えないレベルの、『ちょっと勘の良い人』というカテゴリだろう。
一ヶ月ほど前に明と千早に会った。今の二人に重なって、未来の二人の姿が視えた。
優しい笑顔で、千早が抱く小さなおくるみをのぞきこんでいた。年齢は三〇代前半だろう。立派な大人になった二人が、幸せそうな親の顔をしていた。
女性の体は繊細だ。環境の変化や加齢で、医者も予測がつかない変化を見せることがある。
けれど三奈は自分の視えるモノのことはまず口に出さない。以前輝にうっかり伝えてしまったが、案の定本気にはしていなかった。
それでいいと思っている。未来など、本来日々の積み重ねが作っていくもので、異能というイレギュラーな力で近道をしてはいけないのだ。
何より御乙神一族は先視を盲信し過ぎて滅亡の瀬戸際まで追いつめられたばかりだ。予知の力など当分は忌み嫌われるだろう。
つくづく自分は術師としては使えない人材だと、三奈は苦笑してしまう。
けれど幸せなビジョンを見た時くらいは、お守り代わりに心の奥底にしまってこの力を肯定してもいいかと思っている。
まだ揉めている二人の横で、三奈は咲きほこる桜を見上げた。
遠い昔の、大学生の頃に桜を見上げたその光景を思い出した。あの時は、織哉と唯真が姿を消して数年経った頃だった。
初恋の相手だった織哉のことを思い、姉のように慕っていた唯真の幸せを願い、感謝とせつなさで一杯の心で春空を見上げたのだ。
記憶の中のいろどりは、今もまるで変わっていない。二〇年近く前の景色を現在に写し取ったように、春空の青も、咲きほこる桜の薄桃色も、何も変わっていなかった。
かぎりない空に向かって語りかける。昔と同じように。
もう同じ空は見ていないだろう、織哉、唯真、輝明、そして美鈴へと語りかける。
みなさまのおかげで、一族の者たち含め、子供たちが今年も桜を見ることができました。
本当に、心からお礼申し上げます。
―――みなさまは、いかがお過ごしですか?
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