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第五章 真実
真実(7)
しおりを挟む月明かりが照らす水面で、御乙神織哉は黒々と魔物の塊となっていった。
人の身体の面影を残しながら、醜く変異し膨れ上がっていく織哉を止めようと、輝明と輝は神刀を振るい続ける。
動き続ける輝の肩は出血が止まらず、背中の半分まで血が染みていた。
ふらついて、一瞬判断が遅れたところに魔物の爪がせまる。
輝明が、輝を体当たりで突き飛ばした。身体の場所が入れ替わり、輝に入るはずだった魔物の巨大なかぎ爪が、武神将の鎧を引き裂いた。
「父さん!」
突き飛ばされ近くの小島に転がった輝が叫ぶ。
無理をして輝をかばったため隙が出来た脇腹を、異様な長さで伸びてきた黒い刀身がなぎ払った。
あまりに深い斬撃に、なかば胴が切れかける。
輝の、言葉にならない叫びが響く。
千早が霊能の道を維持しているにもかかわらず、武神将は姿を消した。ダメージが大きすぎたのだ。
失血で視界がゆらぐ。それでもひざを付いて立ち上がろうとする輝の脳裏に、まだ鮮明に思い出せる父の声がよみがえる。
『万が一の時は、父さんが助けに入るから』
八岐大蛇を前に、動揺する自分にかけられた言葉だった。
けれど、その場しのぎの言葉ではなかったのだ。父は、死してなお輝の危機に駆け付けてくれた。助けに来てくれた。
負けられない、と足に力を入れ、ふらつく身体で輝は立ち上がる。
(俺は宗主だ、父さんの息子だ、だからこいつを仕留める)
汗で張り付く前髪の間から、異常に伸びた右腕に建速をにぎる、黒く醜い化け物をにらみ付ける。
「輝。頼みがある」
いつの間にか背後に来ていた明が、背後から輝の身体を支える。
ただそれだけで立っているのが楽になる。思っているより身体はダメージを受けているようだった。
いまだ空中から湧き続ける魔物たちを見すえながら、明が低く伝えた。
「……少し、時間を稼いでくれないか。そして危険を感じたらすぐ逃げろ」
「分かった」
明が手を離すと、輝の身体から空に届かんばかりの雷光がほとばしった。
まさに雷神のごとく白い雷をまといながら、輝は力強く地面を蹴って湧き出る魔物たちへと向かっていく。
未だ膨れ上がり続ける黒い魔物は、身体だけでなく持てる力も膨れ上がっている。
もうどんな術者も手に負えないだろう強大な化け物を前に、それでも明の脳裏に幼い頃の記憶が走っていた。
抱き上げてくれる手は大きくあたたかく、その腕の中にいれば何も怖いものはなかった。
世界でいちばん優しいのは母親で、世界でいちばん頼れるのは父親だった。
―――それが、幼い明の世界のすべてだった。
母親を殺され父親も姿を消し、信じていた世界が崩壊したその後も、父親の存在が心の拠り所だった。
会いたいと思い憎いと思い、絶対に生きていると信じて探し求めた十三年。
その探し求めた拠り所が、人を辞め魔物と化しているなど―――夢にも思わなかった。
異次元からにじみ出てくる魔物はきりがない。次から次へと空中から湧いて出てくる。
輝は流れ出る魔物を斬り続けるが、数が減らない。
雷光が広い水面を縦横無尽に走る。しかし異形の魔物は尽きることなく、広い池は占領されてしまいそうだった。
あふれる魔物たちはひとつに溶けこんでいく。黒々とした巨大な塊となった体に、赤い眼をした御乙神織哉の秀麗な顔が、まるで玩具のようについていた。
『明。こっちにおいで』
まだ意識を保っている、池端の術師たちにも聞こえた。
あふれる魔物を取り込み続ける、巨大な異形から聞こえる声を。
『明。さみしい思いをさせてすまなかった。お母さんの仇を取るためだった。さあ、父さんの元に来るんだ。一緒に、お母さんの無念を晴らそう』
こちらへおいでと、一緒に行こうと、おだやかに誘う。姿かたちにまるで合わない、優しい口調と言葉で。
黒々とそびえる魔物が、怒涛の勢いで魔物を斬り続ける輝の肩を、黒い刀で貫いた。
もう、人間の三倍の長さがある腕を伸ばし、貫いた輝を空中に吊り下げる。
壮絶な痛みに叫ぶ宗主に、池端の術師たちが騒然となる。
「輝様がっ……!どう、どうすれば、どうすればいい!」
「明様はどうして動かないんだ!どうして助けないんだ!」
「まさかあんな化け物に付くつもりか?どうかしてるぞ」
「……化け物であっても、親なんじゃないのか。やはり、許してはもらえないのか我々は」
魔物があふれる池の上で、そびえる黒き魔物と、吊り下げられる血染めの青年と、それをただ見る黒髪の青年と。
手を血に染めたまま神格の力を降ろし続ける千早は、強く強く、明の背中を見つめた。
積み重なった事情、積み重ねてきた明の時間、見える明の背中に詰まった見えない想いを感じて、眼に涙が浮かんだ。
そして一言、つぶやいた。
「明。―――愛してる」
どんな道を選んでも、どんな結果となっても、明の選んだものなら受け入れようと、覚悟を決めた。
青い斬撃が飛んだ。魔物は輝から刀を引き抜き星覇の力を斬る。刀から外れた輝は、水しぶきを上げ池へと墜落した。
涙で頬をぬらす明が、両手に星覇を構える。周囲に、張り巡らされる様に群青の星図が浮かび上がった。
『父親を裏切るか!無残に殺された母親を見捨てるか!親への情は無いのか星覇の使い手よ!』
池にあふれる魔物を今だ取り込みながら、黒く巨大な魔物が明へと向かって来る。
この次元に近づいてくる、潰されるような強大な力を察知して、千早は以前、星覇の力が振るわれた時の事を思い出す。
もう霊能の道の維持を辞め、持てるすべての力をつぎ込み屋敷全体を取り囲む亜空間の結界を創成し始める。
神刀の使い手が戦う時、周囲に被害が及ばないよう、呪術で造りだした偽物の空間である亜空間を形成し、現実の世界に被害が及ばないよう処置をする。
しかし屋敷森を含め、広大な広さを持つ宗家屋敷全体をおおう亜空間を創成するのは並大抵のことではない。
出血で赤く染まった両手を水平に開き、千早は全身全霊の力をこめ亜空間を形成していく。
周辺をドームのようにおおっていく、まれに見る強力な亜空間に、まだ動ける術者たちは次々と創成に加わる。
池の上をすべるように、小山のような黒い化け物が迫る。
同調した星覇から、明へ身が弾けるような膨大な力が流れ込んでくる。
肉体も思考も吹き飛ばしそうな力の奔流に、明は耐えて自我を保つ。
限りない宇宙に満ちる底無しのエネルギーを、向ける相手を目を見開いて捕らえる。
肉なのか霊体なのか分からない黒い塊から、人や化け物のパーツが生えている。
醜悪なオブジェのような塊の上に、造形だけは整った、男の顔が付いている。
鏡に映る自分とよく似たその顔を、明は見た。杭を打たれる様に心臓が痛み、意図せず視界が涙にかすみ、星覇を振るおうとする手が一瞬止まる。
(あれはもう父さんじゃない!)
ためらいの一瞬で、魔物の右手が明に迫っていた。黒く染まった刀が横から薙ぐように迫っていた。
池から小島へ這いあがったばかりの輝が、声も上げられずただ見ているしかできなかったその時。
黒い刀が止まった。明の身体の横で、なぜか時間を停止したように止まったのだ。
風が巻いた。黒く染まった建速から起きた風は、立ちこめた凍るような瘴気を吹き払った。
黒く染まった刀身から、はがれるように悪しき穢れが落ちていく。
また巻き上がる風は、怖気立つ凍るような魔風ではなく、中年以上の術師たちは覚えのある、清らな森を写したような、緑香る涼やかな風だった。
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