6 / 7
回想(6)ーSide千早
しおりを挟む予約した部屋は、旅館の最奥にある離れだった。庭園をのぞむ専用露天風呂も設置されていて、離れから一歩も出なくて済む造りだった。
仲居にサービスを全て断っているのを聞いて、旅館の人には色々分かってしまうのだろうなと、千早は恥ずかしくなる。
二人きりになって、すぐに引き寄せられる。汗を流してからと言うと、予想通り露天風呂に二人で入る羽目になった。
二人では広すぎる浴場で、甘いいたずらをされ、くちづけをされ、愛される。もう風呂だけでぐったりとしてしまった千早を、明は抱き上げてベッドに運び、また愛でる。
明に全てを支配され、体中余すところなく明に触れられるこの行為が、千早にとっては幸せだった。
快楽に溺れる自分が明に浅ましく映っていないか、それだけが心配だった。
見慣れない天井が見えて、しばらくぼんやりとしてしまう。次第に意識がはっきりとしてきて、自分が何故ここにいるのか思い出す。
思い出して、身体の奥から恥ずかしさがこみ上げてきて、思わず左手で目元を被った。
明は居なかった。露天風呂が設置されているテラスから水音が聞こえるので、入浴しているようだ。
千早が本当に辛い時は、明は絶対に無理強いしない。甘く苛めることはあっても、本気で嫌がる事はしない。見栄えの良い優しさは無い人だけど、いつも心から気遣ってくれる。
いつも、いつも――昔から。
意識を飛ばす前に、聞こえていた言葉を思い出す。
『お前こそ、浮気するなよ』
かすむ意識の中で、遠く低く聞こえた。
『浮気なんか絶対に許さない』
全身が過敏に震える中、明の指が喉元を横になぞった。
低く底冷えのする、抜き身の刀のような声音が、する。
『お前は――俺のだ』
恐くはなかった。落ちていく意識の中、明になら殺されても構わないと、すんなりと思っていた。
(ただの執着、なのかも……)
千早が万が一、何か間違って浮気しようものなら、絶対にただでは済まない。想像するだに恐ろしいこととなるだろう。
少なくとも相手は多分殺される。それくらい明が自分に執着している事は、大人になった今なら分かる。
甘く優しい気遣いの裏にひっそりと隠れている、黒く激しい独占欲。
あれだけ選び放題の立場でただひとりの女性しか相手にしないという事は、それだけの濃く深い感情を相手に抱いているということだ。
それはもしかしたら、愛情から来るものではないのかも知れない。
明の千早に対する思いも、もしかしたら千早が思っているようなものではないのかも知れない。
どんなに気遣ってくれるように見えても、本音は、千早のことを所有物と思っているのかも知れない。
幼い頃から寂しさを慰め合った、心許なさを共有し合った相手を手放したくないだけかも知れない。
思い出を、握りしめておきたいだけなのかも知れない。
――これは愛情ではなく、ただの執着なのかも知れない。
離れの客室は、ひどく静かだった。恥ずかしいからとカーテンを引いた室内は暗く、わずかな隙間から射し込む光が、夕暮れも終わりの時間であるのを教えていた。
薄暗い天井を眺めながら、手の甲の下で、千早の目から涙がこぼれる。
(ねえ明……どうして私なの……)
千早は御乙神家分家である飛竜家の娘として育った。しかし真実は、高い霊能の才を狙われ新生児の頃誘拐されていた。千早の本来の名前は、市橋愛美という。
千早と本物の『飛竜千早』である我が子を取り換えた、飛竜家当主・飛竜健信はすでに死去している。一〇年前の、御乙神一族滅亡の騒動に紛れるように死んだ。
これを機に飛竜家は断絶となり、千早は名字だけ本当の両親の姓である『市橋』を名乗るようになった。
一族の者たちが次々と殺害されていく壮絶な状況の中で、千早は自分の出生の秘密を知り、明たちにどうしてもと懇願して本当の両親と『飛竜千早』が住む街を訪れた。
遠くからうかがう洋風の一軒家に、少し着崩した制服が似合う女子高生がいた。目鼻立ちがくっきりとした美人の女子高生。彼女は飛竜家の母や姉たちにそっくりだった。
『市橋愛美』は友達と楽し気に語らいながら、電車に乗って登校していた。放課後は公共図書館で、彼氏らしい男子高校生と勉強していた。
本物の『飛竜千早』は、勉学に恋にと、誰もが通る青春を余すところなく謳歌していた。その生活はまさに、千早が痛いほどあこがれていた人生そのものだった。
遠目で見ていた時は大丈夫だった。少し涙が出たけれど、笑顔で明たちに「私が飛竜千早だから」と言えた。
「彼女がもう『市橋愛美』さんだから。もう今さら生活を壊せないから」と。
十八年かけて造り上げられた『市橋愛美』の人生を、壊してしまう訳にはいかなかった。そして自分の中に荒れ狂うこんな思いを、本当の両親を含め他の人間に味合わせたくはなかった。
あきらめて、自分を納得させ、現実を受け止めたつもりだったのに、気が付くと千早は市橋愛美の通う高校の屋上に昇っていた。
屋上から一歩踏み出すことを悪霊たちにそそのかされているところを、明に止められた。
今まで見た事がないほど感情をさらけ出して、明は千早を説得した。『一緒に生きよう』と手を伸ばしほほ笑んでくれた。
悪霊に引きずられ屋上から落ちた千早を救ってくれた。感情が堰を切りむせび泣く千早を、明は文字通り受け止めてくれた。
千早は泣いた。涙が枯れるほど泣いた。
本来は自分が居たはずだった場所に、本当の家族に、友達に、もう二度と手が届かない現実に泣いた。取り返せない十八年間に絶望して、泣いた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
化想操術師の日常
茶野森かのこ
キャラ文芸
たった一つの線で、世界が変わる。
化想操術師という仕事がある。
一般的には知られていないが、化想は誰にでも起きる可能性のある現象で、悲しみや苦しみが心に抱えきれなくなった時、人は無意識の内に化想と呼ばれるものを体の外に生み出してしまう。それは、空間や物や生き物と、その人の心を占めるものである為、様々だ。
化想操術師とは、頭の中に思い描いたものを、その指先を通して、現実に生み出す事が出来る力を持つ人達の事。本来なら無意識でしか出せない化想を、意識的に操る事が出来た。
クズミ化想社は、そんな化想に苦しむ人々に寄り添い、救う仕事をしている。
社長である九頭見志乃歩は、自身も化想を扱いながら、化想患者限定でカウンセラーをしている。
社員は自身を含めて四名。
九頭見野雪という少年は、化想を生み出す能力に長けていた。志乃歩の養子に入っている。
常に無表情であるが、それは感情を失わせるような過去があったからだ。それでも、志乃歩との出会いによって、その心はいつも誰かに寄り添おうとしている、優しい少年だ。
他に、志乃歩の秘書でもある黒兎、口は悪いが料理の腕前はピカイチの姫子、野雪が生み出した巨大な犬の化想のシロ。彼らは、山の中にある洋館で、賑やかに共同生活を送っていた。
その洋館に、新たな住人が加わった。
記憶を失った少女、たま子。化想が扱える彼女は、記憶が戻るまでの間、野雪達と共に過ごす事となった。
だが、記憶を失くしたたま子には、ある目的があった。
たま子はクズミ化想社の一人として、志乃歩や野雪と共に、化想を出してしまった人々の様々な思いに触れていく。
壊れた友情で海に閉じこもる少年、自分への後悔に復讐に走る女性、絵を描く度に化想を出してしまう少年。
化想操術の古い歴史を持つ、阿木之亥という家の人々、重ねた野雪の過去、初めて出来た好きなもの、焦がれた自由、犠牲にしても守らなきゃいけないもの。
野雪とたま子、化想を取り巻く彼らのお話です。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
イケメン政治家・山下泉はコメントを控えたい
どっぐす
キャラ文芸
「コメントは控えさせていただきます」を言ってみたいがために政治家になった男・山下泉。
記者に追われ満を持してコメントを控えるも、事態は収拾がつかなくなっていく。
◆登場人物
・山下泉 若手イケメン政治家。コメントを控えるために政治家になった。
・佐藤亀男 山下の部活の後輩。無職だし暇でしょ?と山下に言われ第一秘書に任命される。
・女性記者 地元紙の若い記者。先頭に立って山下にコメントを求める。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合系サキュバス達に一目惚れされた
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる