切恋

咲屋安希

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回想(3)ーSide千早

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 久しぶりのデートは、明のリクエスト(?)で一泊の温泉旅行となった。

 特に目的も決まっていなかったし、今日から四日は依頼が入っていないので構わないのだが、夫から告げられた旅行の目的がどうしようもなく恥ずかしい。

 わざわざ言わなくてもいいのに、と、千早は夫の余計な実直さを少々うらめしく思ってしまう。

 目的地の温泉地までは高速を使って二時間ほどだが、その間、車内で明と会話をするのも妙に恥ずかしい気分だった。
 
 そして運転席の夫といえば、こちらは千早とはちがい特に表情は変わらない。元々感情の起伏が読みにくい人だから、いつも通りといえばそうだが、しかし千早はどこかうっすら機嫌の良さを感じていた。

 多分、本当に近しい人間――千早と輝――しか分からないほどの変化。なんだかまたそれが恥ずかしくて、そして密かに嬉しかった。
 

 明と初めて会ったのは、十一歳の時だった。親に連れられて来ていた御乙神みこがみ家の広大な屋敷森を散策していて、偶然に結界に隠された洋館を見つけたのだ。

 千早が初めて見るほどの厳重な結界に、正に封印された洋館は、他の離れと同じく豪華で重厚な建物だった。庭の手入れがされている様子から、放置された建物ではないのが分かった。
 
 結界の外から霊視を進めると、壁を通り越してリビングが見えた。そこに、自分と同じ年頃の少年を発見したのだ。
 
 当時、千早には友達がいなかった。修行と仕事の毎日で、学校にも通っていなかった。遊び相手は御乙神一族の次期宗主で許嫁の輝くらいだったが、その頃急に輝に嫌われるようになった。

 理由は宗主の座を狙う千早の父・飛竜健信を遠ざけるためだったが、まだ幼い千早にそんな大人の駆け引きなど分からない。

 理由も分からず拒絶され傷ついた千早は、あの日鬱々とした気持ちを持て余し、踏み入ったことのない屋敷森の奥まで入り込んだのだ。


 結界の中の少年は、黒髪が艶やかな、恐ろしく容姿の整った男の子だった。比較する相手がほぼ居ない千早が見ても、彼が群を抜いた美形であるのは分かった。少女らしく胸が躍ってしまったのを覚えている。

 しかし彼の目は、とても寂しそうだった。性格が強そうなのも分かったが、それ以上に彼からは深い寂しさを感じた。

 自分と同じだと思った。彼はこの結界に閉じこめられ、自分は家と仕事に閉じこめられているのだと。

 おどろいたことに、結界の中の少年は読んでいた本から目を上げて、千早を見た。霊視されていることに気づいたのだ。その行動で、高い霊能力の持ち主であることが分かった。

 千早が思わずひるむほど、あの時の明の目は恐かった。斬りつけるような、誰も近づくことを許さないような目だった。
 
 でも寂しそうな目だった。千早はそう感じた。だから同じ寂しい者同士、同じ閉じこめられている者同士、よい友達になれるかも知れない。そう思った千早は、危険をかえりみず結界への侵入を試みた。

 その結界は相当厳重な代物で、施術者に気づかれず中に入るのはとても難しかった。 

 結界への侵入に手こずっていると、不意に手を引かれた。引っ張り込まれた場所は洋館の庭で、千早の手を引いたのは先程の少年だった。

 結界への侵入を手伝ってくれたらしい少年は、戸惑っている千早へ言う。声変わりの始まった、少し低めの声だった。

「俺に何か用か」

 静かに聞かれて、千早は持っていたお菓子を差し出した。

「私、飛竜千早。御乙神分家、飛竜家の四女です。このお菓子、とてもおいしいの。一緒に食べない?」

 千早は精一杯、明るく優しく笑って見せた。『友達の作り方は、笑顔で接すること』と、本で読んだからだ。

 これで良かったのか分からないまま、ドキドキしながら相手の反応を待った。相手はまったくの無表情で差し出されたお菓子を見ていたが、少し間を置いてからお菓子を受け取った。

「……お茶を淹れるから、中に入れ」

 そう言い残して、スタスタと洋館に入っていく。

 家に招いてくれてお茶を出してくれるということは、友達合格と思っていいんだよね、と、千早はほっと胸をなで下ろした。

 
 それから二人でお菓子を食べてお茶を飲んでいると、すぐに帰る時間が来てしまった。帰り際、明が小さな声でぽつりと告げた。

「次来る時も、さっきみたいに先に俺に知らせろ。それから、ここに来てる事は絶対に周りにばれないようにしろよ。あの女みたいな顔した宗主の息子にも、絶対に言うなよ」

 また会う前提の話をされて、千早は飛び上がるほどうれしかった。思わず満面の笑顔になってしまった。

「また来ても良いの?」

 明は何も言わず、大きくゆっくりとうなづいた。普通なら不愛想な返事に思えるが、大人になって思い返すと、あれは当時の明にとって、最大級の歓迎の意思表示だった。


 宗家の屋敷内とはいえ最高難度の結界に、まさに封印されている少年。明に余程の事情があるのは当時の千早にも分かった。会う事自体が危険だということも、充分理解していた。

 それでもまた会いたかった。話をしていて、今まで感じたことがないほど楽しかったのだ。

 そして表情が変わらない風に見える明も、千早が帰る時、残念そうな表情を浮かべたのだ。
 
 霊能力を求められることはあっても、素の自分を求められたことはなかった。ただ会話をしただけの相手に、別れ際に残念そうな顔をされて、千早は心底嬉しかった。

 肩書も能力も何も関係なく、ただ素の自分たちで語り合い、笑い合い、楽しい時間を共有できる。これがきっと友達なのだと思ったのだ。
 

 それから機会を見つけては、明の元へ行った。一年経ち二年経ち、友達だと思っていた気持ちが恋心に変わっても、その気持ちは胸にしまって友達で居続けた。

 千早は当時、輝の許嫁だった。輝に一方的に嫌われ関係は最悪だったが、それでも将来の結婚は確約されたものだった。

 とらわれた自分の環境から、抜け出す術は当時の千早にはまるで見えなかった。

 何より、自分でもどう扱って良いか分からない不安定な気持ちで、明を困らせたくなかった。今の関係が壊れるのが怖かった。明の元へ行き他愛ないおしゃべりをする時間を、失いたくなかった。
 

 かわいくて、あたたかくて、少し切ない明との出会い。そして一緒に過ごした子供時代。

 これらは今でも、千早の大切な思い出だ。


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