切恋

咲屋安希

文字の大きさ
上 下
2 / 7

回想(2)ーSide明

しおりを挟む


 一年の約束で宗家屋敷での修練が始まり、輝が高原美誠を見る目は日に日に優しくなっていった。

 周到な輝は、態度でも言葉でも自分の本心を漏らさない。けれど明には、輝が高原美誠に惹かれているのはよく解った。

 分かりやすい優しさではなく、深く相手を気遣った心配りを高原美誠には向けていた。輝が女性をこんな扱い方をするのを、千早を含めても明は初めて見た。


 つい先日、輝と共に向かったみそぎ場で、千早と連れ立った高原美誠と鉢合わせをした。向こうは丁度禊が終わったところだった。

 小柄な高原美誠は浴衣を着ると、普段の洋装では隠れてしまう体の線が目立ち、普段の地味な様子からは想像できないほど女性らしい姿だった。彼女は和服がとてもよく似合うたちらしい。

 眼鏡を外し濡れ髪を軽く結い上げている姿は、浴衣の襟元から見える白いうなじがまぶしくて、普段とは別人のように艶やかだった。
 
 もしやと思って隣を盗み見すると、案の定、惚けた様子の輝の顔があった。初めて見る高原美誠のあでやかな姿に、完全に魂を抜かれていた。ひそかに息を詰める輝を見て『お前は十代のガキか』と、明の方が恥ずかしくなってしまった。

(あの様子だと、そのうち何かあるだろ……)

 惚れた相手のあんな姿を見て、果たして輝の理性と道徳心がどこまで持つか。自分が千早のことで散々醜態を晒してきたので、今度はお前の番だと明は思っている。

 しかし、あのどう見ても初心な女性を泣かすことはしないで欲しいと思っている。千早だって、高原美誠が無体を強いられたら相手が輝であっても激怒するだろう。

 千早は高原美誠のことを個人的に気に入っていて、師弟関係を越えないように気を付けているようだが、それでもどこか姉のように世話を焼いている所がある。

 思春期の頃、同性の友達をそれは欲しがっていたから、今ようやくその夢が叶ったのだろう。だから二人の関係にもこんなに気をもんでいるのだ。

 そんな大切な友人に悪さをする男がいたとなったら……。その時は気づかなかった振りをして輝を見捨てて千早の肩を持とうと、極悪なことを明は思っていた。


 輝は十代の頃からクセのある一族の分家たちをまとめてきた、なかなか喰えない男だが、高原美誠に関しては別人のように不器用だ。

 危険なこの『業界』に深入りさせたくないと思っているのに、手放しきれない。千早が難しいと嘆いている二人の無理に距離のある関係は、ひとつは輝が、らしくもなく迷っていることが原因だ。

 そして、それに似た葛藤は明も経験があった。

 自分の生まれに付いてきた「御乙神を滅ぼす存在」という予言。その予言のために母は普通の生活を失い命を落とし、父は予言に逆らい母を連れて逃げ、信頼していた兄である輝の父に討たれたあげく魔物に堕ちた。

 そして輝の父を始め御乙神に連なる大勢の術者を手に掛け、御乙神一族を絶滅寸前まで追い込んだ。


 自分は、血なまぐさい存在だ。自分を巡り、たくさんの人々が不幸になっている。

 こんな自分に関わっていては千早は不幸になると、少年の頃、一時期本気でそう思っていた。だから千早を忘れたくて他の女の誘いに乗ったこともあった。

 自分に関わらせたくないと思っているのに、側にいて欲しい。突き放そうとするのに、どうしても手放しきれない。今の輝にたがわず、明も当時迷いに迷っていた。

 あの頃千早は輝の正式な許嫁だったので、明は本気で輝が嫌いだった。嫌いを越えて、憎かった。あわよくば殺してやろうと本気で思っていた。

 どうやらあちらも同じ事を思っていたようなので、もしも十代の頃の自分たちが一〇年後の未来を知ったなら、それはそれはおどろくだろう。

 千早が自分を選んでくれたから、今、力を合わせるべき親族として輝と付き合っていられる。もし千早が輝を選んでいたら、自分には絶対無理だった。本当に輝を手に掛けていたかも知れない。

 そうしなくても輝のように二人連れ添うのをそばで見守るなんて、絶対無理だった。

 輝が明に千早をゆずれたのは、本人も言うように、妹のように肉親のように愛していたからだろう。

 自分は最初からそういう愛し方はしていなかった。最初から、女として、自分の側にいるただ一人の伴侶として愛していたのだ。

「この間も、娘を美誠さんみたいに私の弟子にしてくれって方が来たのよ。うちの娘は生粋の御乙神の出ですからって、あからさまに美誠さん馬鹿にして。だから思わず言っちゃったの。『美誠さんより才能があるならお引き受けしますよ』って。
 そしたら私の事にらみつけて『あなたも御乙神の出ではないから気が合うのでしょうね』って捨て台詞して帰っていったのよ。美誠さんは力の扱いに真剣に悩んで、忙しい仕事の合間を縫って頑張ってるのに、輝君への下心しかない人と一緒にされたら不愉快だわ」

 自分で淹れた食後のお茶を飲みながら、千早はぷりぷり怒っている。目の前の夫の、真っ黒な思考など微塵も感じず一人でしゃべり倒している。いつもの、子供の頃から続く二人の光景だ。
 
 お茶も飲み終わり、二人は後片づけに立つ。今日は示し合わせて休日を取っていた。行先は決めていないが二人で出かける予定だった。

 不意に明が千早の二の腕を取る。優しく引き寄せる明に、千早が戸惑ったように見上げる。

「明?」

 二の腕を取って引き寄せること、そして気持ちを込めて見つめてくるその目は、二人だけのサインだった。朝日がさんさんと降り注ぐ時間帯にこんな意思表示をされては、いくら何でも恥ずかしい。

 とまどいながらも恥ずかしそうに見上げてくる妻に、明は優しく言う。

「今日は、外に泊まらないか?」

「え、外泊っていうこと?」

「近場でお前が泊まってみたい所でも良いし、何なら少し足を伸ばして温泉地の宿でもいい。今日は、外に泊まりたい」

 千早の二の腕から手を離し、その手で髪を耳に掛けてから、むき出しになった耳へそっとささやく。

「今日は外でゆっくりと、お前を抱きたい」

 両手で顔をおおってうつむく千早は、全身から湯気が出そうだ。明はからかう気もなく正直に自分の気持ちを告げているだけなのに、いちいち溶けてしまいそうなほど照れる千早が、本当に可愛いと思う。

「三十路前のおばさんに何を言ってるのよあなたは……」

 ようやく顔を上げて反撃してきた千早は、しかし顔が真っ赤になっている。目も涙目だ。

 そんな千早を明は優しく抱きしめて、髪に軽くキスを落とす。

「お前がおばあちゃんになっても言ってるよ。もちろん……」

「もういいから、いいから!明、あなた年々年取るごとにおしゃべりになってない?しかも日常会話じゃなくて、へ、変な事ばっかり!さっきも全然返事してくれなかったし!」

 抱きしめてくる腕をばしばし叩いて千早は抗議をする。しかしその抗議する手まで赤くなっているのでまったく迫力がない。ちなみに明にとっては痛くもかゆくもない。むしろいちゃつけて嬉しい。


 どうやっても失えないと思った相手が、自分の伴侶として側にいてくれる。家族として、人生を共に歩いてくれている。手の届くところにいてくれる。愛を、返してくれる。

 少年の頃の暗く激しい恋心は、千早が受け止めてくれたから、今はおだやかな愛情となっている。千早が応えてくれたから、こそ。

 腕を解き、閉じこめていた千早を離す。乱れてしまった髪を、指をからめて優しく直す。

「あんまり触っていると家を出たくなくなるからな。さっさとやること手分けしてやって、宿予約して出かけよう」

「……一言多いのよあなた。しかも余計なのが!」

 千早はぷいっときびすを返して別の部屋へ行ってしまう。出かける用意をしに行ったのだろう。じゃあ俺は洗い物を片づけるかと、明は台所に立つ。


 一時間後。予約の取れた県境の温泉地へ、二人は仲良く出発した。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

御伽噺のその先へ

雪華
キャラ文芸
ほんの気まぐれと偶然だった。しかし、あるいは運命だったのかもしれない。 高校1年生の紗良のクラスには、他人に全く興味を示さない男子生徒がいた。 彼は美少年と呼ぶに相応しい容姿なのだが、言い寄る女子を片っ端から冷たく突き放し、「観賞用王子」と陰で囁かれている。 その王子が紗良に告げた。 「ねえ、俺と付き合ってよ」 言葉とは裏腹に彼の表情は険しい。 王子には、誰にも言えない秘密があった。

パーフェクトアンドロイド

ことは
キャラ文芸
アンドロイドが通うレアリティ学園。この学園の生徒たちは、インフィニティブレイン社の実験的試みによって開発されたアンドロイドだ。 だが俺、伏木真人(ふしぎまひと)は、この学園のアンドロイドたちとは決定的に違う。 俺はインフィニティブレイン社との契約で、モニターとしてこの学園に入学した。他の生徒たちを観察し、定期的に校長に報告することになっている。 レアリティ学園の新入生は100名。 そのうちアンドロイドは99名。 つまり俺は、生身の人間だ。 ▶︎credit 表紙イラスト おーい

処理中です...