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第3部 幸せのために

敵に回したくはない人物

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「皇太子、殿下?」

 家屋内に案内した兄のクリスに事情を説明すると、クリスは最初は酷く驚いていたが亡命のことを聞くと語気を強めて反対した。

「ここまで追ってきてくださったことは感謝いたしますが、その話は賛同しかねます」
「私はクレアを心から愛しています。たとえ、どんな道を選んでも彼女を苦労させるようなことがないようにするつもりです」
「お兄様」

 二人の熱い眼差しに心がを打たれたのか、最後には兄は折れてくれた。

「本音を言うと、私はクレアをボアラ公爵家に降嫁させるのは大反対だったんです。ですが、常に国庫に余裕もなく渓谷にある我が国は主要な産業もない。王家としては脆弱で、商人と結びつきの強い諸貴族の方が権力を持ち合わせていて彼らの言葉には逆らえない事情があった。だが、だからと言って妹を不幸な環境に送り込む理由にはならないのです」 
 
 クリスは深く頭を下げた。

「私たちが間違っていたようです。どうか妹を、クレアをよろしくお願いします」
「はい。必ず二人で添い遂げたいと思います」
「アーサー様……」

 クレアは、改めてこれは夢なのだろうかと思った。
 公爵邸へと向かう馬車の中で、自分の願望が見せているささやかな幸せな夢。

 だが、今クレアの手を握り締めてくれている感触とアーサーの心地のよい体温を感じると、これは夢ではないと思ったのだった。

「ボアラ公爵への対応は、すでに手回しをしておきました。詳細はこちらに記しておきましたので」

 アーサーから手渡された封筒を開封し便箋に目を通すと、クリスは大きく目を見開いた。

「……これは……」

 クレアは息を呑み、クリスの方に視線を移すと彼はそれに気がついたのか小さく頷いた。

「……そうですね。これでは公爵はクレアを娶る理由もなくなるでしょう」
「お兄様、一体なんと書かれていたのでしょうか」

 クリスは便箋をクレアに手渡した。

 それには、「第二夫人を正妻に」と記されていた。
 もし、王族がこれを提案したとすると色々とまずいだろうが、国内の有力貴族、それも第二夫人が懇意にしている伯爵家の夫人からの提案ならば波風も立たないだろう。
 伯爵家の夫人の養女となり、改めて婚姻を結ぶように現在アーサーの息のかかった者たちが働きかけているとのことだ。

 また、第二夫人はほとんど社交はしていないが、独身時代に平民ながら伯爵家の侍女をしており、その縁で今も伯爵家の茶会に招待されるなどの縁があるとのことである。

「よくお調べになられましたね。それも他国のことを」
「ええ。伝手は多い方が有利にことが運ぶので、日頃から情報源の確保や伝手作りに関しては怠らないようにしているんです」

 そう言ったアーサーは、遠くを見据えているようだった。
 おそらく、アーサーのこういうところが皇帝に買われて、継承権が兄よりも低い第三皇子で妾の子であるにも関わらず皇太子に選ばれたのだろう。
 また、そうした対応を常日頃から行うことにより、周囲から冷徹だと囁かれるようになったようだ。

「……あなたは、決して敵に回してはならない部類の人ですね」
「お兄様……」

 敢えて言わなくてもよいことなのではと思いつつ、言わずにはいられなかったのかもしれないとクレアはぼんやりと思った。

 そして、それから二人の行動は早かった。
 クレアはアーサーが用意をしていた平服に身を包み、手荷物も整えた。

「元気でな」
「お兄様もお元気で。義姉様にも、……皆にもよろしくお伝えください」
「ああ、必ず伝える。殿下、よろしく頼みます」
「はい。任せてください」

 そして、予め用意をしていた商人用の馬車に乗り込み二人は隣国の国境を目指した。

「クレア。その髪飾り持っていてくれたんだな」
「はい。私の宝ものですから」
「クレア……」

 クレアはアーサーの向かいに座るが、彼の隣に腰掛けようかと悩む。

(今は非常時なのだわ。気を引き締めないと)

 そうして、二人は二日ほどかけて国境付近まで到達し宿場町に立ち寄ったのだが、その地で事態が急変したのだった。
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