31 / 96
第1部 仮初めの婚約者
ふかふかのベッド
しおりを挟む
とはいえ、これまでの習慣では侍女には敬称をつけて呼んでいたので、今更変更するのは中々難しそうだ。
「調度品など最低限のものは揃えてはありますが、何かご入用であればその都度に何なりとお申し付けくださいませ」
「……はい、ありがとうございます」
居室に一歩踏み込むと、そこには見間違えかと思うくらい上質なソファやテーブル、天蓋付きのベッドが広々とした室内の然るべき場所に置かれている。
反射的に汚さないようにと直立しそれらから離れていると、サラがワゴンを押して入室して来た。
そのワゴンにはカバーがかけられており、サラはそれらをテーブルの上に一つずつ丁寧に載せていく。
瞬く間に周囲に湯気が立ち込め、良い香りがクレアの鼻腔をくすぐった。
瞬間、それらの方を見ると温かいポタージュスープやハムとチーズを挟んだバケット、彩り豊かなサラダが並んでいた。
それらを目にするとこれは夢なのかと思うほど現実味がないように感じるが、間違いなく良い香りが漂っているのでこれは現実なのだと実感した。
「すでにパーティーでお料理をお召し上がりになられているかと存じますが、コルセットを閉めた状態では中々食事もままならなかっただろうと皇太子殿下からのご配慮でございます」
思わず耳を疑った。
何故アーサーが、先ほどに偶然知りあって成り行きで仮初めの婚約者になった自分のことをこのように気にかけてくれるのだろうか。
そもそも、彼はイリス公女のことを想っているはずなのに、クレアに対してこのように配慮をする理由がわからかなった。
(いいえ、おそらく婚約者だと偽装しているからこそ、周囲を欺く必要があるのだわ)
そもそも、クレアがこれまで生きてきた世界が異常であって、通常であれば他人に対してこのような配慮をすることは何も特別なことではないのかもしれない。
(それでも……私にとっては……とても特別なことで……)
クレアは目の奥から熱いものが込み上げてくるのを必死に抑えながら、椅子に腰掛けて目前のスープをスプーンで掬って口にする。
すると、コーンの芳醇な香りが身体の中で自然に溶けて、心がホッと落ち着いたように感じた。
「……とても美味しいです……」
そう言って微笑んだクレアの目から一筋の涙が溢れた。
サラは取り乱すことなく、クレアにハンカチを差し出してくれた。
ああ、ここでは自分自身の弱さを他人に見せても否定されないのだ。
そう思い、そのことのありがたさを噛み締めながら、残りの料理をゆっくりと味わったのだった。
そして、食事が終わってからは椅子に腰掛け食後に休息をとっていたのだが、酷く疲れているのか睡魔が猛烈に襲ってきたので今日のところは就寝することにした。
「それではおやすみなさいませ、クレア様」
「はい、おやすみなさい」
リリーに就寝の準備をしてもらいベッドに横になると、そのふかふか加減に心底驚いた。
この世にこのようなふかふかで、寝心地の良いベッドが存在していたとは……!
これまでは、よく倒壊しないなと思うほど横になるとギシギシと音を立てるベッドだったからか、今横になっているベッドのふかふか加減が、より心身を優しく包み込んでくれているように感じるのかもしれない。
(ここは天国だわ……)
あくまで自分は仮初めの身なので、ここにいられるのはそう長い期間ではない。
加えて、ここは敵国であり敵国の皇太子であるアーサーや侍女らにも安易に心を開いてはいけないと頭では分かってはいた。
だが今は、与えてもらった幸せに感謝をして、少しでも誰かの、皇太子であるアーサーの役に立ちたいとクレアはぼんやり思いながら、眠りについたのだった。
「調度品など最低限のものは揃えてはありますが、何かご入用であればその都度に何なりとお申し付けくださいませ」
「……はい、ありがとうございます」
居室に一歩踏み込むと、そこには見間違えかと思うくらい上質なソファやテーブル、天蓋付きのベッドが広々とした室内の然るべき場所に置かれている。
反射的に汚さないようにと直立しそれらから離れていると、サラがワゴンを押して入室して来た。
そのワゴンにはカバーがかけられており、サラはそれらをテーブルの上に一つずつ丁寧に載せていく。
瞬く間に周囲に湯気が立ち込め、良い香りがクレアの鼻腔をくすぐった。
瞬間、それらの方を見ると温かいポタージュスープやハムとチーズを挟んだバケット、彩り豊かなサラダが並んでいた。
それらを目にするとこれは夢なのかと思うほど現実味がないように感じるが、間違いなく良い香りが漂っているのでこれは現実なのだと実感した。
「すでにパーティーでお料理をお召し上がりになられているかと存じますが、コルセットを閉めた状態では中々食事もままならなかっただろうと皇太子殿下からのご配慮でございます」
思わず耳を疑った。
何故アーサーが、先ほどに偶然知りあって成り行きで仮初めの婚約者になった自分のことをこのように気にかけてくれるのだろうか。
そもそも、彼はイリス公女のことを想っているはずなのに、クレアに対してこのように配慮をする理由がわからかなった。
(いいえ、おそらく婚約者だと偽装しているからこそ、周囲を欺く必要があるのだわ)
そもそも、クレアがこれまで生きてきた世界が異常であって、通常であれば他人に対してこのような配慮をすることは何も特別なことではないのかもしれない。
(それでも……私にとっては……とても特別なことで……)
クレアは目の奥から熱いものが込み上げてくるのを必死に抑えながら、椅子に腰掛けて目前のスープをスプーンで掬って口にする。
すると、コーンの芳醇な香りが身体の中で自然に溶けて、心がホッと落ち着いたように感じた。
「……とても美味しいです……」
そう言って微笑んだクレアの目から一筋の涙が溢れた。
サラは取り乱すことなく、クレアにハンカチを差し出してくれた。
ああ、ここでは自分自身の弱さを他人に見せても否定されないのだ。
そう思い、そのことのありがたさを噛み締めながら、残りの料理をゆっくりと味わったのだった。
そして、食事が終わってからは椅子に腰掛け食後に休息をとっていたのだが、酷く疲れているのか睡魔が猛烈に襲ってきたので今日のところは就寝することにした。
「それではおやすみなさいませ、クレア様」
「はい、おやすみなさい」
リリーに就寝の準備をしてもらいベッドに横になると、そのふかふか加減に心底驚いた。
この世にこのようなふかふかで、寝心地の良いベッドが存在していたとは……!
これまでは、よく倒壊しないなと思うほど横になるとギシギシと音を立てるベッドだったからか、今横になっているベッドのふかふか加減が、より心身を優しく包み込んでくれているように感じるのかもしれない。
(ここは天国だわ……)
あくまで自分は仮初めの身なので、ここにいられるのはそう長い期間ではない。
加えて、ここは敵国であり敵国の皇太子であるアーサーや侍女らにも安易に心を開いてはいけないと頭では分かってはいた。
だが今は、与えてもらった幸せに感謝をして、少しでも誰かの、皇太子であるアーサーの役に立ちたいとクレアはぼんやり思いながら、眠りについたのだった。
21
お気に入りに追加
1,839
あなたにおすすめの小説

【完結済】どうして無能な私を愛してくれるの?~双子の妹に全て劣り、婚約者を奪われた男爵令嬢は、侯爵子息様に溺愛される~
ゆうき
恋愛
優秀な双子の妹の足元にも及ばない男爵令嬢のアメリアは、屋敷ではいない者として扱われ、話しかけてくる数少ない人間である妹には馬鹿にされ、母には早く出て行けと怒鳴られ、学園ではいじめられて生活していた。
長年に渡って酷い仕打ちを受けていたアメリアには、侯爵子息の婚約者がいたが、妹に奪われて婚約破棄をされてしまい、一人ぼっちになってしまっていた。
心が冷え切ったアメリアは、今の生活を受け入れてしまっていた。
そんな彼女には魔法薬師になりたいという目標があり、虐げられながらも勉強を頑張る毎日を送っていた。
そんな彼女のクラスに、一人の侯爵子息が転校してきた。
レオと名乗った男子生徒は、何故かアメリアを気にかけて、アメリアに積極的に話しかけてくるようになった。
毎日のように話しかけられるようになるアメリア。その溺愛っぷりにアメリアは戸惑い、少々困っていたが、段々と自分で気づかないうちに、彼の優しさに惹かれていく。
レオと一緒にいるようになり、次第に打ち解けて心を許すアメリアは、レオと親密な関係になっていくが、アメリアを馬鹿にしている妹と、その友人がそれを許すはずもなく――
これは男爵令嬢であるアメリアが、とある秘密を抱える侯爵子息と幸せになるまでの物語。
※こちらの作品はなろう様にも投稿しております!3/8に女性ホットランキング二位になりました。読んでくださった方々、ありがとうございます!

【完結】私のことを愛さないと仰ったはずなのに 〜家族に虐げれ、妹のワガママで婚約破棄をされた令嬢は、新しい婚約者に溺愛される〜
ゆうき
恋愛
とある子爵家の長女であるエルミーユは、家長の父と使用人の母から生まれたことと、常人離れした記憶力を持っているせいで、幼い頃から家族に嫌われ、酷い暴言を言われたり、酷い扱いをされる生活を送っていた。
エルミーユには、十歳の時に決められた婚約者がおり、十八歳になったら家を出て嫁ぐことが決められていた。
地獄のような家を出るために、なにをされても気丈に振舞う生活を送り続け、無事に十八歳を迎える。
しかし、まだ婚約者がおらず、エルミーユだけ結婚するのが面白くないと思った、ワガママな異母妹の策略で騙されてしまった婚約者に、婚約破棄を突き付けられてしまう。
突然結婚の話が無くなり、落胆するエルミーユは、とあるパーティーで伯爵家の若き家長、ブラハルトと出会う。
社交界では彼の恐ろしい噂が流れており、彼は孤立してしまっていたが、少し話をしたエルミーユは、彼が噂のような恐ろしい人ではないと気づき、一緒にいてとても居心地が良いと感じる。
そんなブラハルトと、互いの結婚事情について話した後、互いに利益があるから、婚約しようと持ち出される。
喜んで婚約を受けるエルミーユに、ブラハルトは思わぬことを口にした。それは、エルミーユのことは愛さないというものだった。
それでも全然構わないと思い、ブラハルトとの生活が始まったが、愛さないという話だったのに、なぜか溺愛されてしまい……?
⭐︎全56話、最終話まで予約投稿済みです。小説家になろう様にも投稿しております。2/16女性HOTランキング1位ありがとうございます!⭐︎

【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません
ゆうき
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。
そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。
婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。
どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。
実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。
それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。
これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。
☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆

逆行令嬢の反撃~これから妹達に陥れられると知っているので、安全な自分の部屋に籠りつつ逆行前のお返しを行います~
柚木ゆず
恋愛
妹ソフィ―、継母アンナ、婚約者シリルの3人に陥れられ、極刑を宣告されてしまった子爵家令嬢・セリア。
そんな彼女は執行前夜泣き疲れて眠り、次の日起きると――そこは、牢屋ではなく自分の部屋。セリアは3人の罠にはまってしまうその日に、戻っていたのでした。
こんな人達の思い通りにはさせないし、許せない。
逆行して3人の本心と企みを知っているセリアは、反撃を決意。そうとは知らない妹たち3人は、セリアに翻弄されてゆくことになるのでした――。
※体調不良の影響で現在感想欄は閉じさせていただいております。
※こちらは3年前に投稿させていただいたお話の改稿版(文章をすべて書き直し、ストーリーの一部を変更したもの)となっております。
1月29日追加。後日ざまぁの部分にストーリーを追加させていただきます。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~
胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。
時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。
王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。
処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。
これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

【完結】虐げられていた侯爵令嬢が幸せになるお話
彩伊
恋愛
歴史ある侯爵家のアルラーナ家、生まれてくる子供は皆決まって金髪碧眼。
しかし彼女は燃えるような紅眼の持ち主だったために、アルラーナ家の人間とは認められず、疎まれた。
彼女は敷地内の端にある寂れた塔に幽閉され、意地悪な義母そして義妹が幸せに暮らしているのをみているだけ。
............そんな彼女の生活を一変させたのは、王家からの”あるパーティー”への招待状。
招待状の主は義妹が恋い焦がれているこの国の”第3皇子”だった。
送り先を間違えたのだと、彼女はその招待状を義妹に渡してしまうが、実際に第3皇子が彼女を迎えにきて.........。
そして、このパーティーで彼女の紅眼には大きな秘密があることが明らかにされる。
『これは虐げられていた侯爵令嬢が”愛”を知り、幸せになるまでのお話。』
一日一話
14話完結

【完結】熟成されて育ちきったお花畑に抗います。離婚?いえ、今回は国を潰してあげますわ
との
恋愛
2月のコンテストで沢山の応援をいただき、感謝です。
「王家の念願は今度こそ叶うのか!?」とまで言われるビルワーツ侯爵家令嬢との婚約ですが、毎回婚約破棄してきたのは王家から。
政より自分達の欲を優先して国を傾けて、その度に王命で『婚約』を申しつけてくる。その挙句、大勢の前で『婚約破棄だ!』と叫ぶ愚か者達にはもううんざり。
ビルワーツ侯爵家の資産を手に入れたい者達に翻弄されるのは、もうおしまいにいたしましょう。
地獄のような人生から巻き戻ったと気付き、新たなスタートを切ったエレーナは⋯⋯幸せを掴むために全ての力を振り絞ります。
全てを捨てるのか、それとも叩き壊すのか⋯⋯。
祖父、母、エレーナ⋯⋯三世代続いた王家とビルワーツ侯爵家の争いは、今回で終止符を打ってみせます。
ーーーーーー
ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。
完結迄予約投稿済。
R15は念の為・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる