上 下
30 / 96
第1部 仮初めの婚約者

広大な私室

しおりを挟む
 それから、リリーとアンナに連れられて廊下を進んで階段を登り、突き当たりの部屋の前で歩みを止めた。

「こちらが、本日からクレア様にご利用をしていただきますお部屋でございます」
「案内していただき、ありがとうございます」

 クレアが仮初めの婚約者になることは、たった先刻前にほぼ成り行きで決まったことなのに、すでにクレアの部屋が用意されていることは全くもって意外だった。
 おそらく、第二宮の使用人たちは相当優秀でかつ主人に忠実で仕事が早いのだろう。

 これまでクレアは、物置だった部屋に無理矢理朽ちたベッドを持ち込み居室とされて住んでいたのだが、今回はどのような物置なのだろうか。
 ふと、そんなことを思いながらリリーが開けてくれた扉の先に一歩踏み込んでみる。

 ──すると、そこはクレアの予想と全く反し物置部屋などではなく、広大な居室であった。

 居室に広大などいう表現はそぐわないのかもしれないが、ともかく広いのだ。

 皇女の部屋には踏み入る許可がなかったので比べることはできないが、目前の部屋は何かのイベントを開催しても問題がなさそうなくらい広く、このような広い部屋をクレアはこれまで目にしたことはなかった。
 居室は二間続きとなっていて、どうやら活動を行う部屋と寝室とが分かれているようだ。

 身体を硬直させて動けずにいると、傍にいるリリーとアンナが急に膝を折って頭を下げた。

「クレア様。ご居室はお気に召しましたでしょうか」

 振り返るとそこには穏和な表情を向けた女性が立っていた。見たところ三十代後半といったところか。

 身体も思考も未だに固まっているし、リリーには申し訳ないのだが、そもそもこの部屋が自分の割り当てられた部屋だということ自体が間違いではないのではないかと巡らせていたところだった。

「……はい。……このような素敵なお部屋をご用意していただき、とても嬉しく思います」

 何とか、思考を搾り出して伝えることができたので心の中で小さく安堵の息を吐くが、まだ気を抜くことはできそうになかった。

「そのような温かいお言葉をいただきまして、安心いたしました。わたくしは本日よりクレア様の専属の侍女長を拝命いたしましたサラと申します。よろしくお願いいたします」
「サラ様ですね。こちらこそよろしくお願いいたします」

 サラは微笑んだまま首をゆっくりと横に振った。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

Pieces of Memory ~記憶の断片の黙示録~

大衆娯楽 / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:6

私はあなたの何番目ですか?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:17,140pt お気に入り:3,855

俺の愛娘(悪役令嬢)を陥れる者共に制裁を!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:38,556pt お気に入り:4,458

悲恋の恋人達は三年後に婚姻を結ぶ~人生の歯車が狂う時~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,888pt お気に入り:938

何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります

恋愛 / 完結 24h.ポイント:795pt お気に入り:4,399

【完】Ωスパイはターゲットの運命の番に溺愛される!?

BL / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:568

処理中です...