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第1部 仮初めの婚約者
案の定なドレス
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同時刻。
クレアは、皇太子披露パーティーという特別な日なのにも関わらず、普段と変わらず皇女宮内の掃除を行っていた。
というのも、トスカから早朝から掃除をするようにと命令されたからである。
大方のパーティーの出席者は準備に半日ほどはかけるのに対して、クレアはいつも一時間ほどしか準備に時間をかけることを許されていなかった。
二人の皇女曰く、それでも充分な時間を与えてくれているそうである。
だが、一時間では湯浴みやマッサージを行う時間は殆どとれず、ドレスの着付けをして化粧や髪を整えるだけで精一杯であるのでとても充分とはいえないだろう。
「……アンナさんから連絡はないわね……」
あの日、紛失物の捜索のお礼として今日のパーティーのドレスを工面してもらうことになっているのだが、アンナには当日になったら声をかけるとしか伝えられていなかった。
そもそも、アンナの好意を全面的に当てにするわけにはいかなかったので、クレアもあれから自分なりにドレスを探したのだ。
だが、周囲の皇女仕えの侍女たちに話しかけても相手にもしてもらえないし、皇女たちはドレスの件は自分たちが用意したから心配するなとしか言われていない。
(このままでは、悪い未来しか見えないわ……)
そう思いながら丁寧に布巾で棚を拭いていると、不意に背後の扉が開かれた。
「クレア様、イザベラ様がお呼びです」
「……はい、承知いたしました」
間に合わなかった……。
そう思いながらも、クレアはスッと背筋を伸ばして物怖じすることなく呼びに来た侍女について行く。
案内された部屋は皇女宮の三階の衣装部屋である。
主にこの部屋にはトスカの衣服が保管されており、クレアは部屋に入るなり嫌な予感が現実味を帯びたのを実感した。
部屋の中央に置かれた姿見の近くに、品の欠けた笑みを浮かべたトスカが立っていることに気がつき、クレアの顔はたちまち青ざめていく。
「遅かったわね、待ちくたびれてしまったわよ」
「……申し訳ございません」
こんな時間になるまで掃除をしているようにと指示を出したのは目の前のトスカなのだが、理不尽に思っても異をとなえる権利をクレアは持ち合わせてはいなかった。
「それではさっさと始めるわよ」
「……はい」
トスカがどのようなドレスを用意してきたのかを想像するだけでも背筋が凍りつくようだったが、ともかく鏡台の隣に置かれたそのドレスを確認してみる。
すると、案の定トルソーに掛けられているそれは大ぶりで派手な赤色のドレスであった。
目にした途端その場で座り込みたくなったが、もしそれをしたら過酷な罰が待っているのは目に見えているので、何とか堪えた。
「それでは始めるわよ」
意地の悪い笑みを浮かべながら、トスカは傍に控える侍女にたちに目で合図を送った。
侍女らに囲まれて身につけている衣服を脱がされそうになりながら、クレアは声を絞り出した。
「……お待ちください。そのドレスでは、……少々私の身に余ってしまいます」
瞬間、トスカはクレアを睨みつけた。
「あら、それはどういう意味かしら」
「それは……」
正直に打ち明ければ、おそらくそれだけで逆上するのだろう。だが、それは故意に仕向けられたものでもある。
クレアが本当のことを打ち明ければ容赦なく冷たい言葉を浴びせられるのは容易に想像ができた。だが下手に誤魔化しても機嫌を損ねる可能性が高い。
だから、クレアはより背筋を伸ばしてトスカと視線を合わせながら言った。
「ドレスのことは詳しくは分かりませんが、どんなドレスも最終的に身体に合わせて調整するものと存じます。ですから私も調整していただきたいのです」
「そんな時間があると思って?」
「では、以前にお借りしたドレスを再びお借りできませんでしょうか」
「……仕方ないわね」
トスカは再び意地の悪い笑みを浮かべて、クレアの目前にまで近寄った。
「それではわたくしに跪き、頭を垂れて許しを乞いなさい。……そうしたら考えてあげなくもないわ」
「……それは……」
屈辱的なことだった。
もう十二年も祖国の地を踏み入れておらず、これまでの冷遇生活から自分が王女であることは殆ど意識から逸れているが、それでもこういう窮地に立たされるとたちまち自分の立場を自覚せずにはいられなかった。
だが、このままサイズの合わないドレスを身につけてパーティーに出席する方が、祖国の風評を落とすことに繋がりかねない。
クレアはグッと唇を噛み締めて意を結した。
──その時、背後の扉が開かれ、クレアにとって思わぬ人物が声を掛けたのだった。
クレアは、皇太子披露パーティーという特別な日なのにも関わらず、普段と変わらず皇女宮内の掃除を行っていた。
というのも、トスカから早朝から掃除をするようにと命令されたからである。
大方のパーティーの出席者は準備に半日ほどはかけるのに対して、クレアはいつも一時間ほどしか準備に時間をかけることを許されていなかった。
二人の皇女曰く、それでも充分な時間を与えてくれているそうである。
だが、一時間では湯浴みやマッサージを行う時間は殆どとれず、ドレスの着付けをして化粧や髪を整えるだけで精一杯であるのでとても充分とはいえないだろう。
「……アンナさんから連絡はないわね……」
あの日、紛失物の捜索のお礼として今日のパーティーのドレスを工面してもらうことになっているのだが、アンナには当日になったら声をかけるとしか伝えられていなかった。
そもそも、アンナの好意を全面的に当てにするわけにはいかなかったので、クレアもあれから自分なりにドレスを探したのだ。
だが、周囲の皇女仕えの侍女たちに話しかけても相手にもしてもらえないし、皇女たちはドレスの件は自分たちが用意したから心配するなとしか言われていない。
(このままでは、悪い未来しか見えないわ……)
そう思いながら丁寧に布巾で棚を拭いていると、不意に背後の扉が開かれた。
「クレア様、イザベラ様がお呼びです」
「……はい、承知いたしました」
間に合わなかった……。
そう思いながらも、クレアはスッと背筋を伸ばして物怖じすることなく呼びに来た侍女について行く。
案内された部屋は皇女宮の三階の衣装部屋である。
主にこの部屋にはトスカの衣服が保管されており、クレアは部屋に入るなり嫌な予感が現実味を帯びたのを実感した。
部屋の中央に置かれた姿見の近くに、品の欠けた笑みを浮かべたトスカが立っていることに気がつき、クレアの顔はたちまち青ざめていく。
「遅かったわね、待ちくたびれてしまったわよ」
「……申し訳ございません」
こんな時間になるまで掃除をしているようにと指示を出したのは目の前のトスカなのだが、理不尽に思っても異をとなえる権利をクレアは持ち合わせてはいなかった。
「それではさっさと始めるわよ」
「……はい」
トスカがどのようなドレスを用意してきたのかを想像するだけでも背筋が凍りつくようだったが、ともかく鏡台の隣に置かれたそのドレスを確認してみる。
すると、案の定トルソーに掛けられているそれは大ぶりで派手な赤色のドレスであった。
目にした途端その場で座り込みたくなったが、もしそれをしたら過酷な罰が待っているのは目に見えているので、何とか堪えた。
「それでは始めるわよ」
意地の悪い笑みを浮かべながら、トスカは傍に控える侍女にたちに目で合図を送った。
侍女らに囲まれて身につけている衣服を脱がされそうになりながら、クレアは声を絞り出した。
「……お待ちください。そのドレスでは、……少々私の身に余ってしまいます」
瞬間、トスカはクレアを睨みつけた。
「あら、それはどういう意味かしら」
「それは……」
正直に打ち明ければ、おそらくそれだけで逆上するのだろう。だが、それは故意に仕向けられたものでもある。
クレアが本当のことを打ち明ければ容赦なく冷たい言葉を浴びせられるのは容易に想像ができた。だが下手に誤魔化しても機嫌を損ねる可能性が高い。
だから、クレアはより背筋を伸ばしてトスカと視線を合わせながら言った。
「ドレスのことは詳しくは分かりませんが、どんなドレスも最終的に身体に合わせて調整するものと存じます。ですから私も調整していただきたいのです」
「そんな時間があると思って?」
「では、以前にお借りしたドレスを再びお借りできませんでしょうか」
「……仕方ないわね」
トスカは再び意地の悪い笑みを浮かべて、クレアの目前にまで近寄った。
「それではわたくしに跪き、頭を垂れて許しを乞いなさい。……そうしたら考えてあげなくもないわ」
「……それは……」
屈辱的なことだった。
もう十二年も祖国の地を踏み入れておらず、これまでの冷遇生活から自分が王女であることは殆ど意識から逸れているが、それでもこういう窮地に立たされるとたちまち自分の立場を自覚せずにはいられなかった。
だが、このままサイズの合わないドレスを身につけてパーティーに出席する方が、祖国の風評を落とすことに繋がりかねない。
クレアはグッと唇を噛み締めて意を結した。
──その時、背後の扉が開かれ、クレアにとって思わぬ人物が声を掛けたのだった。
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