その娘、罪人の刻印をもちながら最強の精霊術師である。

一之森はる

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7 翠の悪魔

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 北門を抜け、そのまま道なりに向かえば小さな町へ辿り着く。
 フェイはそこを目指すべく、手綱を再び打ち鳴らし、速度を上げた。

 ローブに潜んでいたエルがひょっこりと顔を出し、綺麗な毛並みを風になびかせながら問いかける。

「馬術に心得があったのか?」
「まあね、元侯爵令嬢ですから。嗜みのひとつよ―――っと」

 応えながら、身体を左に倒す。矢はフェイのローブを掠め、地面へと突き刺さった。

「ふむ、そうだったな。そういえば侯爵令嬢であった。最早、言われても全く信じれぬほど、立派になったな」
「……」

 いまいち褒められているのか分からない。反応を返すこともせず、フェイは無言で手綱を握り締めた。

 道なりに走る馬は、どこまでも速度を上げていく。
 馬上で揺れるフェイは、後方から飛んでくる矢に身を低くして、なんとか避けた。

「……ああもう、しつっこいなあ」

 苛立ち混じりに呟くも、矢が止む訳ではない。
 フェイを追ってきた憲兵は馬を操りながら、それぞれに弓を引き絞り、フェイへと狙いを定めてくる。

「どうするのだ?」
「―――こうするっ!」

 エルの冷静な問いに、フェイは手綱を引いて方向を変える。
 補整されている道から外れ、草原へ繰り出したフェイは、目前に広がる森の入口へ迷いなく馬を走らせた。
 続き憲兵の馬達も、森へと入ってくる。

 乱雑な木々を回避し、フェイは速度を緩めることなく奥へ奥へと入り込んでいった。

 矢はフェイを掠めることなく、次々と立木に突き刺さる。
 素早い動きに翻弄され、憲兵達は苛立ちに顔を歪めた。

 ―――このままでは見失う。

 そう危惧した彼らは、先導するひとりの合図で一斉に隊列を離れる。
 集団ではなく個々となった彼らが、徐々に距離を詰めていく傍らで、補整された山道に出た憲兵がフェイの行く手を先回りし、弓を引いて姿を見せるのを待った。
 だが、険しい道を逸れてから他兵の様子がおかしい。

「うあっ、」
「ぎゃあああ」

 やがて聞こえてきた仲間の悲鳴に、山道を走る憲兵は戦慄した。

 ―――なんだ、何が起きている。

 馬に跨りながら、木々の隙間を目を凝らして睨む。急いで弓を持ち、緊迫に震える指で弦を引く。
 そして、一頭の馬が彼の視界に入り込んだ。―――同時に、引き絞られた弦から矢羽が離れる。

 手ごたえあった。

 確信した彼は馬の方向を変え、射た場所へと向かう。
 再び森の中へ戻った彼は、その目に映るものに驚きを露わにした。

 地面に横たわる、憲兵達。馬は逃げてしまったか、見えぬところで倒れているのか。
 仲間は剣を抜いた形跡もなく、皆がうつ伏せに倒れている。

「だ、大丈夫か……っ」
「う、……」

 馬から降り、仲間の傷を確認する。だが目立って怪我はないようだ。ただ兵はうめき声をあげ、かろうじて残る力で腕を持ち上げる。

「どうした、何があった」
「う、……え、」

 ―――上。

 彼の上げられた腕、更に指を指す意味を理解した彼は、はっと頭上を見上げた。
 今まさに彼を仕留めんと降ってくる、黒いローブの人物が瞳に映る。一瞬にして合わさった眼は、真正たる狩人のそれだ。いや、死神―――いいや、伝承に語り継がれる、悪魔そのもの。ローブから覗く鮮やかな翠を目に留め、彼は最後の言葉を発した。

「―――……翠の、悪魔」

 男の意識は、打撃の痛みと共にぷつり、と途切れた。



「誰が悪魔だ、誰がっ!」

 気を失った憲兵の頭を蹴り、憤慨の意を零す。
 かつてないほどの屈辱の名前に、フェイの腸は煮えくり返った。 

「あながち間違いではない」
「……下敷きにしたこと、まだ怒ってるの」

 フェイから離れ、地面に着地したエルはぷいっとそっぽを向いてしまう。
 どうやらエルの自尊心をいたく傷つけてしまったようだ。早く扱いに慣れてほしいものだが、とフェイは肩をすくめたところで、激痛が身体中に走った。

「もうよい。それよりも、早く止血を」

 促され、フェイは自分の肩口を確認する。
 先程の矢を避けきれず、射られてしまったのだ。突き刺さる矢から血が溢れ、赤黒くローブを染めてしまっている。

「痛みは」
「うん、……まあ、でも毒が塗られてなくてよかった」

 幸いにして、矢尻が出血を少なくしている。今抜いてしまうのは危険だろう。
 ローブで隠せるぐらいの短さに矢竹を手折り、律儀に待っていてくれていた馬をひと撫でして跨ったフェイは、再び手綱を強く打ち鳴らした。

 向かうは皇国のはずれにある、小さな町リエーヌ。
 フェイは馬へしがみつくような体制で、町へと急いだ。
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