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プロローグ 2
しおりを挟む―――思い返せば、はじまりはあの日にあった。
この世界には、魔力を有する種族『魔族』と、精霊を操る種族『人』のふたつに分かたれていた。
均衡を保ったまま永い時を歩んできた両種族だったが、先代皇帝が突如として、領地拡大を目的とした戦争を始めたのだ。
緊張状態に陥り、戦争はひたすらに長引いた。
先代が亡くなり、意思を継いだ現皇帝は、一向に傾かない戦局に業を煮やし、伝承とされる神を召喚する『神降ろしの儀』を行った。
そして現れたのが、彼女―――救世主≪メシア≫様だったのだ。
人の繁栄を願い、祈り、魔を祓う異能の力を持つと言われるメシア。
年齢はフェリスと同じくらい、いや、少し幼くも見えるが、異能の力はまごうことなき救世主たる力だった。
誰もが神の訪れに、頭を伏せ喜んだ。
彼女もまた、召喚された経緯を全て把握していたようで、『まずは力を蓄えなければなりません』と、城に住まうこととなったのだ。
だが―――……。
「不思議だわ。救世主様の周りで、どうしてこうも配置変えが頻繁に行われるのかしら」
城にて皇子の職務補佐をしていたフェリスは、ある日、何気ない独り言から違和感を抱くようになる。
彼女の希望する護衛ならばまだしも、世話係、給仕係、すべてに渡って『男性』を希望するのだ。
そしてさらに、疑惑は大きくなっていった。
メシアにより告げられた遠征場所にて、一部隊全滅する出来事があった。詳細は不明。
他の戦況は傾いているだけあって、この詳細不明の戦いが際立ってみえる。
また、メシアが現れてから時同じくして、『神による裁定』が行われるようになった。
心に悪を宿す者。
生まれもっての咎人。
彼らはいずれ国、如いては人全体に害を成し、魔に堕ちると言われている。
そんな彼らの身体に、神によって悪しき者であるという『刻印』が刻まれる伝承だ。
刻まれた印は決して消すことは出来ず、神によって『悪』と定められた者達は死により浄化される。
古い言い伝えではあるが、悪の代名詞として『刻印の者』は書物、絵本、劇や吟遊詩人によって今でも周知されるようになっていた。
今まで見た事もなければ、そんな事例もない―――幻の存在でもあったのに、メシアが現れてからというもの、頻繁に目撃証言が挙げられるようになった。
忙しなく確認作業が続いた中、ある刻印の者が自我を失い、民に対して残忍な殺害を行った事件が起こる。
被害は、驚くことに数十人に及んだのだ。
それだけではない。
領地を治めていたある者は、刻印が浮かび上がってからというもの、精霊術を高めるために幼子を使って実験を繰り返す、非道を行っていた。
他にも刻印の者による、類を見ない事件が次々に発見され、以降、刻印の者が見つかり次第、厳重に処罰することとなってしまったのだ。
―――そして、処罰を行うことを勧めたのは、他ならぬメシアだった。
「……変だわ」
疑惑は、徐々に確信へと変わる。
そんな時だった。
フェリスは、突然にもメシアに呼び出されたのだ。
曰く、『女同士で話したいことがある。相談に乗ってほしい』との事。
フェリスは、呼び出されたその日の内に、メシアの下を訪れた。
「メシア様、ご機嫌麗しゅう……今日も我が国に繁栄をお祈り下さいますよう」
決まりきった常套句を口にしながら、フェリスは眼前で微笑む彼女を見つめる。
同じ年頃とは思えない、艶のある笑みだった。
「フェリス様、どうぞ楽になさって。私、以前から貴方とお話したいと思ってたの」
「そのように仰って頂けるとは、光栄でございます」
深々と一礼し、勧められたソファへと腰掛ける。
用意された紅茶は香り良く、彼女も穏やかに微笑んでいる。それなのに、フェリスは緊張を解けずにいた。
メシアは紅茶に角砂糖をひとつ、ふたつ、みっつと入れ、スプーンでゆっくりとかき混ぜる。
「私ね、甘いのが大好きなの。でももっと好きなのがあるのよ。なんだか分かる?」
「……申し訳ありません」
「謝らなくてもいいのよ。ふふ、ねえ、貴女だけよ? 内緒にしてね?」
楽しそうに―――とても、楽しそうに、彼女は声を潜めて答えを告げる。
「それはね、男と……ひ、げ、き」
―――悲劇。
その答えに、フェリスは言葉を失った。
「驚いた? でも納得もしたでしょう? だって貴女、ずっと私のこと見てるじゃない。いつも感じてた。貴女の視線」
「あ、それは―――それは、無礼なことをいたしました……っ!」
「いいのよ。見られるのは嫌いじゃないし。でも、貴女の視線は私の好きな視線とは、ちょっと違うのよね」
メシアの探る物言いに、冷や汗が浮かぶ。
「たとえば、」
紅茶を一口飲んだ唇が、一音一音ゆっくりと紡ぐ。
「疑惑とか、」
心臓が高鳴る。呼吸が、乱れる。
「不信感?」
彼女の鋭い眼光が、動揺するフェリスを捉える。
「―――本当に、救世主なのかって。目がそう言ってる」
メシアの瞳が、紅く煌めいたのをフェリスは見逃さなかった。
確信する。
彼女は。
「貴女……」
彼女は、メシアなどではない。
「貴女、一体何者なの……!」
フェリスの問いに、メシアは嘲笑を浮かべた。
ようやく聞きたかった、とでも言いたげに、ひどく、歪んだ笑みだ。
「っ、!」
フェリスは身の危険を感じ、さっと立ち上がる。
衝動でテーブル上のティーカップが揺れ動き、中身が零れてしまうが、そんなことに気を向ける場合ではない。
―――逃げなければ。
頭の中で警鐘が鳴り響き、ドクドクと血が全身に流れ出す。
それなのに、フェリスの足は動くことを許さなかった。
恐怖で動かないのではない。『強制的に』足を止めさせられているのだ。
足元を見れば、黒い影のようなものが足に絡みついている。
これは―――。
「魔術……っ!?」
メシアを見れば、魔力を有する証である、紅い瞳が煌めいている。
精霊術も魔術も、使用するには力を引き出す『奇宝石』が必要となる。
大きく、輝きがあればあるほど高値でやり取りされる鉱石で、滅多に手に入れることはできない。
しかし、それが無ければ人も魔族も、術を使うことはできないというのに―――あろうことか、彼女は奇宝石を使用した形跡すらないのだ。
フェリスは焦りを感じながらも、手を掲げる。
指には皇子との婚姻を誓った指輪がはめられており、一際輝く宝石こそが稀少な奇宝石であった。
「……っ」
咄嗟に無詠唱で精霊を呼び出し、魔術を粉砕させる。
その出来事にメシアは目を丸くするが、すぐ愉快げに目を細めた。
「あら、すごい。詠唱無しだなんて、貴女精霊と『お友達』だったのね。侯爵令嬢というのは、みんなボンクラ女ばっかなのかと思ってた」
「答えなさい、貴女は一体何者なの!」
尚厳しい声が、部屋に響く。
メシアは「ふふ、あはは……っ!」と高笑いしながら、紅き瞳を輝かせて次々と魔術を展開していく。
圧倒的な力を前に、フェリスは呼吸すら忘れる程に驚きを露わにした。
「あたしは正真正銘、神よ! 我が主、ルシファー様が創造されたこの世界の神! メフィストフェレスこそが、あたしの真の名!」
そう、彼女という神は高らかに咆えた。
ルシファーは、『神の伝承』に登場する絶対神である。温厚さと裏腹に冷徹さも兼ね揃え、人も魔族も関係なく愛したと言われる―――この世界最上の神。
悪魔ミカエルに対抗したと言われる神ルシファーは、神メフィストフェレスと共に打ち破り、この世界を築いたのだと。
「……嘘、よ」
わななきながら、なんとか一言だけを口にする。
創造神の腹心であるというのなら、なぜ人を貶めるようなことをするのか。
なぜ人の悲劇を好物などと言ったりするのか。
「でもね、滅びかけの世界で、折角『救世主』として召喚に応じてあげたのはいいんだけど、なんだかつまらなくって。矮小な人間の、ちっぽけな悲劇なんて退屈しのぎにもなりゃしない」
「……」
「だから、この世界に『悪』が必要だと思ったのよね。ほら、いつどんな時代の物語だって、「悪者」が盛り上げるじゃない? 貴女は、きっと素敵な悪者になってくれそうだわ」
メシアに恍惚と見つめられ、フェリスはたじろぐ。
震えだす身体に鞭打ち、再び手を掲げ精霊術を展開しようとした―――だが。
「だあめ」
可愛いさ溢れる声で、メシアが展開した内のひとつがフェリスに牙を剥く。
息を呑む間さえ与えられず、フェリスの指輪を射抜く。直後、奇宝石は無残にも砕け散った。
「あ……」
「やだ、その絶望の顔たっまんなーい。ぞくぞくしちゃう。でも、まだ足りないの。貴女はこれから、もっともっと絶望してもらわないと」
メシアは展開したままの魔術を、紅い瞳を輝かせるだけで次々と発動させる。
フェリスの拘束だ。両手両足を四つの黒い影が巻きつき、自由を奪われる。
動くことも、抵抗することも出来ないフェリスは、近づくメシアに恐怖の色を浮かべる。
メシアは優雅な動作でフェリスの左手に触れると、にこりと可憐に笑い―――。
「痛いの我慢してね?」
と、瞳を煌めかせた。
瞬間、左手から左肩にかけての激痛が走り、フェリスは悲鳴を上げる。
それは断末魔に等しい叫びだった。
あまりの痛みに意識すら奪われそうになるが、メシアがそれを許さない。
間近から痛みを訴えるフェリスを見ては、恍惚に溜息を吐くばかりだ。
―――そして、長い時間痛みに耐えたフェリスは、自身の左腕に浮かび上がる刻印を見て、絶望の悲鳴を上げた。
「さあさ、悪者令嬢さん。あたしに極上の悲劇をプレゼントしてね」
それからあとは、悪夢を見ているようだった。
ただならぬ悲鳴に駆けつけてきた婚約者である、皇子と近衛兵達。
泣きながら駆け寄ったメシアの言い分のみを信じ、血相変えた皇子達から、必死にフェリスは逃げるも、城を抜け出した直後に捕縛。
***
一連を走馬灯のように思い浮かべたフェリスは、嘆願することすら諦め、振り下ろされた剣に死を覚悟した。
(なんで、こんなことに)
悔やんでも、もう事態は変わらない。
諦めに瞳を瞑り、断罪の時を待つだけだ。
そしてフェリスの首に、皇子の剣が触れようとした瞬間だった。
「な……っ!?」
皇子の剣に装飾されていた宝石のひとつ、奇宝石が眩いほどの輝きを放ち、皇子や周囲の人間に驚愕の声をあげさせる。
その光にフェリスもまた顔を上げた瞬間―――風の精霊に祝福を受けた、フェリスの翠の髪が広がった。
―――『さあ、お逃げ』
そんな声が、どこからともなく風に乗ってフェリスに囁く。
直後、フェリスを中心として抗うことも出来ぬほどの風が起き、剣を握っていた皇子はおろか、フェリスを拘束していた兵、大衆までも風に煽られ、小さな悲鳴と共にその場へ倒れ込んでしまった。
さながら、竜巻が起こったようだった。
「っ、」
状況を理解するより先に、唯一無事だったフェリスは急いで立ち上がり、城下町の門へと駆け出す。
横目でメシアを見れば、彼女は抗うフェリスの様子に、ただ愉しげに口角を上げているだけだ。
しかしメシアに気が逸れていたフェリスは、起き上がった皇子が迫っていたことに遅れて気づく。
「待て―――ッ!」
伸ばされた手はフェリスの長い髪を掴み、走っていた勢いもあってフェリスは痛みにうめき声を上げた。
何とか抜けようともがくが、皇子の力は強く、髪から引き離すことができない。
「離してくだ、……離して!」
「刻印の者、観念して死を受け入れろ!」
「―――っ、!」
髪を引き上げられる合間にも、兵達は次々と起き上がっている。
考え込む時間はなかった。
皇子の護身用の短剣があることを知っていたフェリスは、皇子の懐から抜き放つと、迷いを切り捨てるように髪を斬る。
その行動に皇子は目を見開き、精霊からの寵愛の印である翠色の髪束を握り締めたまま、走り去るフェリスの後ろ姿を見続けた。
*
『刻印の者』が逃げ出した―――それは人の国だけではなく、魔族の国までも賑やかせた。
手配書は小さな町にまで配られ、人々は彼女の持つ強大な力に恐怖した。
手配書には、こう綴られていた。
『ブランシャール侯爵家息女、フェリス=ブランシャール。
かの者は風の精霊より恩寵を受けし、翠の髪を持つ者であり、精霊に対する礼を略して無詠唱で術を扱うことができる。
またその力は大規模も可能とし、民衆に危害を加えた場合、被害は想像だにできない。
我が国の救世主様に対する無礼も働き、人格に問題有りと判断される。
よって、かの刻印の者を見つけた暁には、国より報奨金を約束する。
金額は―――』
以降も日夜問わず捜索が続けられたが、フェリスを見つけることは出来ずに、2年という月日が経った。
応援ありがとうございます!
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