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9. 幸せはだれのもの

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侯爵邸から帰る馬車の中から、そっとカーテンをめくって月を見た。細い月だった。
母はラルフ様を誉めていて、父もほろ酔いで、結婚するなんて少し寂しいといいながら笑っていて。
三人ともふわふわした気持ちでいた。
本当に気持ちの良い夜だった。
我が家は侯爵邸より小さくて質素だけれど、素朴でほっとする。廊下の木目もテーブルも照明も、昔から同じ。
自分の部屋にラルフ様からもらった花束をいけると、昨日とは違って見えた。
どこからでも花が見える。

侯爵も夫人も柔らかく微笑んで歓迎してくださった。

嬉しいけれど。

やっぱり緊張もしていたので、早く休むことにした。

そのあともラルフ様はお忙しいけれど手紙をたくさん送ってくださった。侯爵邸にも招かれて、使用人の皆さんにも紹介してもらった。
夫人とお茶をしたり、散歩したり。

お茶会ではラルフ様のことが好きだという令嬢に嫌味を言われたけれど、意外なことに応援してくださる方もいた。
目立たないように心がけていたので、もともと印象が薄かったのが幸いしたのかもしれません。

我が家でもお茶会を開きました。孤児院の子供たちの聖歌と、第一線を引いたシニア世代の音楽家を招いて、チャリティーコンサートを開きました。
これは人気で、時々開催することになりそうです。

ラルフ様も少し見に来て楽しんでくださったので、私に意地悪をしようと来た方は青い顔をして端っこのほうにいたそうです。

そんなことをしながら季節が移り、夜会のために装いの色を揃えることになりました。

パートナーとして参加するのは初めてです。
私は紺色のドレス、ラルフ様も同じ生地です。
私に合わせてラルフ様まで地味になっていいのかしらと思ったのですが、襟に光沢のある黒い生地を使ってあるので大人っぽくてよくお似合いでした。
私は侯爵夫人から譲られたルビーが首をぐるりと埋める華やかなネックレスと、大きな石の揺れるイヤリングをつけました。

ラルフ様のカフスボタンもルビーです。
私の口紅は今まで付けたことのない深い赤です。

二人でホールに入ると視線を集めました。ラルフ様も今までは途中からの参加が多かったようです。
少し進む度に話しかけられました。

ラルフ様は気遣ってくださって、いつものように飲み物を持って休憩しようということになりました。

テラスの端からみるとホールは華やかな男女で溢れていて、さっきまでそこにいたのが信じられない。
もったいないと思っていたドレスの新調も、心踊るものだと知ってしまった。

「フローラ?疲れましたか?」

ラルフ様の渡してくれたノンアルコールの紫色のカクテルを口にふくむ。

花の香りが鼻にぬける。
夜風に色がついたように素敵だった。
月は満月で、庭の植木の葉が軽く揺れている。
ラルフ様の睫毛が影をつくって、整った顔立ちが昼間より際立っている。

(きれい……)

「きれいだ」

心の声が出てしまったのかと思ったけれど、今のはラルフ様の声だった。顔が思ったよりも近づいている。
あわてて目を逸らした。

「赤い石がそんなに似合うとは知らなかった。母上の見立てで悔しい」

「私も、こんなに華やかなものを身に付けるのは初めてです」

恥ずかしくなって俯くと、そっと顎に指を添えられた。

そこから熱を持ったように
顔が赤くなっているだろう。

唇を掠めるように、キスをされた。 

「本当は、宝石なんかよりずっと唇ばかり見ていたんだ」
前髪が触れる距離でそんなことを言われて、ラルフ様の目の中に私が揺れている。
ラルフ様の肩ごしに丸い月が滲む。

「フローラ?すまない、急ぎすぎたな」

首を横にふる。

体を少し離して顔を覗き込む。声が優しい。

嫌だったわけではない。
そこから二人とも意識してしまって、受け答えが上の空だった。

送ってもらって馬車から降りる前に、手を握られた。

「フローラ、不埒なことを考えていた私のことを、どうか嫌いにならないで欲しい」

真剣な目で、言われた。

手を両手で握り返した。

「嫌いになんてなりません」

息を一つ吸った。

「ラルフ様、私、

欲張りになってしまいそうです」

そのまま、ラルフ様が何かを言う前におやすみなさいと言って降りた。

両親もラルフ様のご両親も祝福してくれていて、ラルフ様からの手紙を何度も読み返して、幸せな想像をしてしまって、
これを手放すことが怖いなんて。
贅沢になっている。
本当にラルフ様に愛されていたいと願ってしまう。

月は地上をあまねく照らし、私の影を濃くしていた。
本当は、無欲なんかじゃなく愛してほしいと叫ぶもう一人の私のように、ぴったりと貼り付いたまま足取りは重かった。



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