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しおりを挟む馬車を降り、本屋に着くまでは順調だったが、一歩踏み入れた途端、
ラッドのスイッチが入ってしまった。
急に真剣な顔になり、棚の上から下まで、顔を近付け、目を凝らし、じっくりと見始めた。
「ラッド?何を買いに来たか覚えてる?」
「ええ、はい、勿論ですよ…」
既に生返事しかしなくなっている。
その上、店主がラッドに気付きやって来た。
「ラッド様!何かお探しですか?」
「ええ、薬学の本で新しいものは…」
「それでしたら、こちらに…」
やっぱり!!
デートの指南書の事など、既にラッドの頭にはないのだ!
「もう!」と怒りたくなったが、相手はラッドだ、文句を言った所で聞き流すだろう。
わたしは早々に諦め、ラッドの事は放って、デートの指南書を探した。
「凄い量ね…」
大量の本の中から、目当ての本を探し出すのは並大抵では無い。
店主に尋ねれば良いとも思うが、わたしにだって、羞恥心はある。
買った物を町の人たちに言いふらされたら最悪だわ…
もしかしたら、遠出をした方が良かったかもしれない。
後悔しつつも、取り敢えず目当ての物を探した。
『貴族向け恋愛講座』
「それらしいわね…」
他にも、クインヒルの観光案内本と、編み物の本を買う事にした。
わたしが本を選んでいる間、ラッドは本を勧められ、それらを吟味していた。
「ラッド、それ買うの?」
「買いたい所ですが、迷っています…」
男爵家の懐事情は厳しいものね。
それに、ラッドは既に沢山本を持っている。
これ以上必要なのかと思ったが、ラッドは本を見つめ、唸っていた。
唸れば手に入るとでも思っているのかしら??
わたしが呆れつつ眺めていると、漸く結論が出た様だ。
「こちらはまたの機会にします、取り置きして貰えますか?」
「はい、いつでも来て下さい」
店主が本を抱えて、奥へ行った。
わたしはこっそり、「買わなくていいの?」と聞いてみた。
「はい、今日の所は持ち合わせもありませんし、
金の管理はショーンがしていますので、帰って相談します。
こちらは僕が払いますね、ショーンから幾らか貰って来ているので…」
「ありがとう」
わたしはラッドに『貴族向け恋愛講座』と『クインヒル観光案内』の本をラッドに渡し、
編み物の本は自分で支払った。
本を抱えるラッドは、何処か虚ろで、何だか気の毒になってきた。
「一冊位なら、わたしの手持ちで買えると思うけど?」
「いえ、いいんですよ、ありがとうございます。
本を買えば僕は取り憑かれてしまうし…
今、一番大事なのは、あなたとの時間ですから」
「!!」
不覚にも、ドキリとしてしまった。
尤も、それはわたしが期待したものとは違っていた。
「今、一番大事なのは、赤毛の研究です。
そこに集中する為にも、他の事は目に入れない様にしなければなりません…」
ああ、はいはい、大事なのは、《わたし》ではなく、《わたしの赤毛》ですね。
「それって、デート中に聞きたくない、最低の言葉ランキング1位かも」
「ええ!?それは失礼しました!それで、《最低》なのはどの辺りでしょうか?」
自覚が無い所かしら?
ツッコミは飲み込み、ラッドの抱える本を指差した。
「それを読めば、きっと分かるわ」
「分かりました!熟読します!」
返事は良いのよね…
前向きに取り組んでくれているし…
一体、何が悪いのか??
わたしに《恋》をしていない事かしら?
でも、誰もが恋に落ちて結婚する訳ではない。
わたしだって、エドウィンが好きだったかと聞かれたら、微妙だ。
結婚相手と思い、受け入れ、尽くしていたが、《恋》とは違うだろう。
それでも、上手くやっている人たちは沢山いるもの…
わたしたちだって、大丈夫な筈よ。
ラッドは、気は利かないが、優しいし、煩く言う事もない。
少々常識は無いが、従順だし、望みを叶えてくれる。
エドウィンといた時の様な、精神的負荷もない___
「これ以上、望むなんて贅沢よね?」
◇◇
ラッドは宣言通りに、『貴族向け恋愛講座』『クインヒル観光案内』を熟読し、
研究した様で、デートに対しての姿勢が変わった。
デートプランを考えてくれ、真面目な顔でそれを話す…
「こちらの本を参考に、僕なりに幾つかのデートを考えてみました。
一般的には、パーティへの同伴が多い様ですが、パーティの招待状は来ていませんし、長旅になるでしょう。
それらの不利益を考え、館のホールで二人だけのパーティを催すのはいかがでしょうか?」
「二人だけのパーティ!?素敵だわ!」
その提案に、わたしは驚いた。
こうも、人とは変われるものなのか?
先日までは、ロマンチックの《ロ》の字も無かった婚約者が…ああ、感涙しそう!
「それは…賛成して頂けたという事ですね?」
「賛成処か、大賛成よ!最高にロマンチックだわ!」
「本当ですか!?ああ、良かった~、それでは、今夜という事で…」
ラッドが計画を話し出したので、わたしは急いで「待って!」と止めた。
「こういう事は、内緒にして、驚かせてくれなきゃ!」
「成程、そうでしたか、それでは、僕が手配をしますので…晩餐の時間に」
「はい、楽しみにしていますわ!」
わたしは何も目や耳に入れない様、自分の部屋に閉じ籠り、編み物をして過ごす事にした。
編み棒を操りながらも、今夜の事が楽しみで、つい、ニヤニヤとしてしまっていた。
わたしはサマンサに手伝って貰い、華やかなドレスを着て、髪をクルクルと巻いた。
そして、いつもはあまり付けない派手な宝飾品も着けた。
耳飾りに、首飾り、ハーフアップの後ろは金の髪飾りで留めた。
姿見に映し、その出来栄えに満足したのだが、後ろに控えていたサマンサは、
「私は仕事がありますので、よろしいでしょうか?」と素っ気なく出て行った。
「少しは褒めてくれないと、自信を無くしちゃうわ…」
尤も、カーティス伯爵家の侍女やメイドたちは、褒める所か陰口を言い、嘲笑っていたので、それよりは全然良かった。
わたしは気を取り直し、時間を見て、部屋を出た。
ホールの前では、タキシード姿のラッドが待っていた。
今日届いたのか、頼んでおいた縁の細い、丸眼鏡を掛けている。
やっぱり、似合っているわ…!
わたしは自分の見立てに自画自賛した。
ラッドがわたしを見て、その目を見開いた。
良い意味だといいけど!
「お待たせしたかしら、ラッド?」
ラッドが固まったままなので、わたしから声を掛けた。
ラッドがビクリとした。
「いえ、その、あまりにキラキラとしているので、あなたがあなたでは無い様に見えて…
いいえ、勿論、あなたはあなたのままなのですが…
どうしてだか、初めて会う様な感覚になっています…」
気恥ずかしく、わたしは「ふふ」と笑いを零してしまった。
だが、ラッドは…
「パーティで顔を合わせた際には、感じた事を上手く褒め言葉にする様にと、本に書いてありましたが、今のは合格でしょうか?」
無意識に台無しにして来た。
「『本に書いてあった』という事は言わない方がいいわよ?
そこまでは完璧だったわ」
「ええ!?そうとは知らず、残念です…」
「肩を落としていないで、エスコートして下さる?」
わたしが手を差し出すと、ラッドは「はい!」と手を取った。
ウエイン男爵家のホールは小さく、二十人も人を呼べばいっぱいになりそうだが、
今夜は二人なので、十分な広さだった。
白いテーブルクロスを掛けられた丸テーブルが一つと、椅子が二つ。
テーブルの真中には、真鍮の豪華な蝋燭立が置かれ、明るく照らしていた。
わたしたちが椅子に座ると、ショーンとサマンサが恭しく料理を運んで来た。
具が溶け込んだポタージュ、彩の考えられた野菜のテリーヌ、バケット、肉料理、チーズ、ワイン…
いつもよりもお洒落な料理に、夢心地になった。
食事を終えた頃、何処からかバイオリンの音色が聴こえてきた。
振り向くと、壁際にショーンが立ち、優雅にバイオリンを弾いていた。
「ショーンさんって、何でも出来るのね!」
「ええ、ショーンは優秀です、ルビー、踊りますか?」
ラッドに手を差し出され、わたしは夢心地のまま、「はい」と頷いた。
フロアには二人だけ。
わたしたちは向かい合い、礼をした。
そして、ショーンの奏でる曲に合わせて踊り出す…
踊り出した処で、ラッドが《下手》だという事に気付いた。
つっかえ、ひっかえ…
中々スムーズにいかない。
流石にラッドにも自覚はある様だ。
「すみません、最後に踊ったのは、十五年位前で…
どうも、忘れてしまっている様です…」
「そうみたいね、これは練習が必要だわ、結婚式のパーティでは皆に注目されるのよ?」
「はぁ…知りませんでした、結婚式には呼ばれた事がありませんので…」
「あら、呼ばれていたけど、行かなかったんでしょう?」
ラッドが結婚式の招待をすっぽかしたのは、つい一月前だ。
ラッドもそれを思い出し、「ああ!そうでした!すみません」と謝っていた。
「それじゃ、今夜のデートはダンスの練習に切り替えましょう!」
ショーンに簡単な曲を弾いて貰い、わたしたちはダンスを練習したのだった。
ロマンチックからは少し外れてしまったものの、こちらの方が、わたしたちらしい気がして、満足だった。
「ラッド、今夜はありがとう、素敵なデートだったわ」
「こちらこそ、ダンスを教えて頂けましたし、とても有意義でした」
わたしはラッドを見つめていた。
ラッドもわたしを見つめている。
キスをしてくれるかしら?
期待にドキドキとしてくる。
だが、ラッドが徐に、「あっ!」と声を上げた。
「報告しようと思っていたのに、すっかり忘れていました。
今日の昼間、あなたが贈って下さった眼鏡が届きました!
薄いのに、驚く程良く見えるんですよ!」
ラッドが興奮して話す程に、わたしは冷静になった。
上目で見ていたが、ラッドは全く気付かない様で、
伝えられた事に満足したのか、笑顔で安堵の息を吐いた。
「そこまで喜んで下さったのでしたら、わたしも贈った甲斐がありますわ。
それじゃ、お休みなさい、ラッド・ウエイン男爵」
わたしは踵を返そうとしたが、思い直し、爪先立ちになり、彼の頬に口付けた。
わたしは直ぐにその場を後にし、振り向く事無く階段を上がったので、
ラッドがどんな顔をし、何を思ったかは知らない。
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