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「それじゃ、デザートは一緒に食べましょう」

ラッドは顔を輝かせ、「はい!」と返事をした。
犬ならば尻尾をパタパタ振っているだろう。

「それから、今日何をしたか、聞いて下さい」

「それなら、後で報告を貰う事にしていますので」

ん???

「報告?」

わたしは目を眇めたが、ラッドは得意気に答えた。

「あなたが一日何をしていたかは、毎日記録をして残してあります。
それだけではありませんよ、就寝時間や、何を食べたか等々、記録しています。
生活習慣により、髪の質が変わりますから、必要な事で___」

「待って!それじゃ、わたしが感じていた視線は…」

「ええ、使用人たちがあなたの動向を見てくれています。
それを一日の終わりにショーンが纏めて記録し、僕に渡してくれるという事です」

ラッドは『褒めて』と言わんばかりに、にこにこと笑っているが…
とても褒める気にはなれないわ!
わたしはギロリと睨み付けた。

「それは即刻止めて下さい!」

「ですが、これは大事な事ですので…」

「わたしが自分で自己申告します!それでいいでしょう?」

「はい、そうして頂けるなら助かりますが…
ですが、それではあなたの負担になるのではないかと…」

「監視されて生活するより、余程マシよ!」

動向を逐一見られて記録されるなんて、息苦しいし、気味が悪いじゃない!
だが、ラッドは「そうですか?」とキョトンとしている。

「あなたはずっと見られていても平気なの?」

「ええ、見られている事も忘れると思います」

確かに…
研究室でも、わたしが話し掛けても上の空だった。
この人に、正常な人間の心情を理解しろというのは間違っていたみたいね…

「わたしは気になるわ、どう思われているか考えちゃうもの…
変な事をして笑われるんじゃないか、嫌われるんじゃないかって、不安になるもの…」

「まさか!あなたを笑ったり、嫌う人なんていませんよ!」

ラッドがキッパリと言う。
彼は心底意外そうな顔をしていて、それが本心からの言葉だと分かり、
わたしの胸にあった強張りが、解けていく気がした。

「ありがとう…」

「何がですか?」

噛み合わないのには苦笑するが、それでも、今までよりも全然、悪い気はしなかった。

「兎に角、自分の事は自分で管理したいんです、
一日の行動と食事の内容を書いておけばいいのね?」

「はい、ですが、大変ではありませんか?もし、大変でしたら、ショーンかサマンサに…」

「止めて!わたしの手に掛かれば、簡単です!」

急いで止め、胸をポンと叩くと、ラッドは目と口をポカンと開けた。

「ああ、ルビー、あなたは凄い女性だ!
僕はあなた程優秀な女性を見た事がありませんよ!」

「それは誤解よ、わたし以上に優秀な女性は五万といるもの」

「いいえ!あなたは今朝、抜け毛を紙に纏め、日付まで書いて下さいましたよね?
それは、あなたが心優しく、気遣いの出来る方だからですよ。
それに、いつも僕の知らない事を教えて下さいます。
僕はあなたの様な素晴らしい女性に会った事はありませんよ、ルビー」

うっとりとしているけど…
そんなにハードルを上げないで欲しいわ。
わたしは《平凡》だもの、化けの皮が剝がれたら、失望するに決まってるわ…

そうしている間に、デザートが出された。
ラッドは先程とは違い、ゆっくりとデザートを食べ、満足そうに紅茶を飲んでいた。

いつも幸せそうな人だ。
人の言葉の裏なんて考えないのね…
人にどう思われるかも気にしていない。
彼には自分が見て感じた事が全てなのだ。

ラッドには枷が何も無い___

羨ましいな…

変人だけど。


◇◇


わたしは手帳を貰い、午前と午後に分けて、自分の動向を振り返り、記録する事にした。
それから、食事の事は、食堂に用紙を置いておき、食後に実際食べた物や量をメモする事にした。
ラッドは使用人たちにそれを伝えてくれた様で、あの晩餐以降、視線を感じる事は無くなった。

「すみません、旦那様に頼まれていたもので…
嫌な思いをしましたでしょう?申し訳ありませんでした…」

サマンサからは改めて謝罪された。
彼女はわたしに気付かれていた事を知っていたので、悪いと思っていた様だ。

「いえ、ラッドから聞きましたので、わたしも変な風に思ってしまって…」

これもそれも、全部、ラッド・ウエイン男爵の所為だ!

これでサマンサとの確執も無くなった___と、思いたかったが、
やはり、彼女には微妙な距離を感じた。
微笑んでいるのに、何か別の事を思っている様な…
きっと、思い過ごしよね?被害妄想かしら?





部屋の掃除が終わり、それらしく片付いたので、わたしは漸くピアノに向かう事が出来た。
古いピアノだが、造りは悪くない。
重厚で気品もある。
当時は相当な値が付いた筈だ。

わたしはスツールに座り、鍵盤に手を置いた。

「~♪」

「~♪♪~♪♪」

軽やかに指を走らせる。
やはり、少し音が狂っている様だ。
曲の世界に浸る前に、躓き、現実に引き戻される感じだ。

「調律で何とかなるのかしら?」

カーティス伯爵家のピアノは、管理も手入れも行き届いていて、いつも完璧だった。
わたしの立ち入る事では無かったので、誰に頼み、どう手入れをしていたのかも知らない。

「役に立たないわね…」

カーティス伯爵家を出て知った。
わたしには知らない事が多すぎる、それに、本当に役立たずだと。

「ショーンさんに相談してみようかしら?」

知っているとしたら、ショーンかサマンサだろう。
だが、わたしはウエイン男爵家が恐らく裕福ではない事を思い出した。

「ピアノの修理なんて、しないわよね?」

結婚すれば持参金も入るが、今のわたしの所持金はささやかなものだ。

「まぁ、弾けない程ではないもの!」

わたしは思いのままに鍵盤を掻き鳴らした。


その翌日、奇跡が起こった。

「ルビー様、町の調律師がピアノを見たいと言われています___」

ショーンが調律師を連れて入って来たので、端から諦めていたわたしは大いに驚いた。

「ウエイン男爵家からピアノが聴こえるなんて、これまで無かった事ですからね、
通りかかった人が聞いて、幽霊の仕業じゃないかと騒ぎになっていたんですよ。
何でも、『まともじゃない』とか…」

幽霊!?
わたしが!?
それに、まともじゃないのは、《ピアノ》であって、《わたしの腕》ではないわ!!

「それで、来てみたんですが、驚きましたよ、まさか、ラッド様が婚約されていたとはね!」

驚く所はそこなの??

「それも、こんな可愛らしいお嬢さんと…」

あら、良い人じゃない!

「婚約のお祝いに、ピアノを見ましょう___」

どうやら、婚約祝いに調律を請け負ってくれた様だ。
いいのかしら?
ショーンを見ると、にこやかに頷いていたので、良い事にした。


「~♪♪、いかがですか?」

調律師があれこれと手を入れてくれ、ピアノの音が蘇った。

「最高よ!ありがとうございます!お代は本当に良いのですか?」

「ええ、勿論ですよ、ラッド様にはお世話になっていますから、お返し出来てうれしい位ですよ。
それじゃ、私はこれで、皆に知らせないと…」

調律師はそそくさと帰って行った。

「何を知らせるのかしら?」

わたしの問いに答えたのは、ショーンだった。

「旦那様が婚約した事を、だと思われます。
旦那様は町の皆さんから慕われていますので…」

直ぐに知れ渡るかしら?
だが、わたしには、それよりも大事な事がある___

「幽霊の汚名返上をしなきゃ!」

わたしはスツールに座り、鍵盤に手を置くと、流れる様に難曲を弾いたのだった。
綺麗な音に、わたし自身、存分に浸ったのだった。


この日は、晩餐の為に部屋に引き上げるまで、ピアノを弾いていた。
多少の疲労感はあるものの、気分は爽快で、満たされていた。
ドレスに着替え、食堂に向かっていると、バタバタとラッドが走って来た。

分厚い眼鏡はしていない、鳥の巣頭は何とか撫で付けてある。
上下タキシードで、中のシャツも綺麗だ。
かなり改善されていて、正直、驚かされた。

変人だけど、教えれば出来るのね…
ショーンさんの尽力があってこそ、だとも思うけど。

「ま、間に合ったでしょうか!?」

膝と背中を曲げて、息を整えるのは通常だ。

「ええ、見違えましたわ、ラッド・ウエイン男爵。
それでは、参りましょうか___」

わたしは女王の如くゆったりと微笑み、手を差し出した。
ラッドは目を丸くし、背を伸ばすと、わたしの手を取った。
ぎこちないながらも、食堂へと連れて行ってくれた。

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