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一晩寝て起きたわたしは、驚く程、頭がスッキリとしていた。
それに、力も漲っている。

「あの、呪われたカーティス伯爵家から抜け出せたんだもの!
もっと、楽しまなきゃ!」

カーティス伯爵家を出る___
わたしはこの長年の夢を叶えたのだ!!

「わたしは自由を手に入れたのよ!!」

人生に乾杯しなくちゃ!!


わたしは身支度をして、意気揚々、食堂へ向かった。
少し早いかと思ったが、既にサマンサは起きていて、食堂のテーブルを拭いていた。

「おはようございます、サマンサさん」

声を掛けると、にこやかな笑みが返ってきた。

「おはようございます、ルビー様、朝食は何を召し上がりますか?」
「紅茶とパン、後は簡単なもので構いません」
「畏まりました、お待ち下さい」

サマンサが調理場に消え、わたしは席に着いた。
朝食を待ちながら、ふっと、カーティス伯爵家の事を思い出した。
カーティス伯爵家では、朝食、昼食は個々で食べるので、
使用人たちから嫌われ、軽視されていたわたしには、残り物しか出されなかった。
特に、バケットは酷く、いつも岩の様に固くて不味かった。
元は美味しいバケットでも、日が経てば食べられたものではない。
不満を言えば、両親に好き勝手告げ口をされ、こっぴどく説教をされた挙句に、「バケット抜きの刑」を命じられたので、
以降は黙って食べていた。紅茶に浸したりしてね。

ここではどんな料理が出されるかしら?

わくわくとしつつも、正直、あまり期待はしていなかった。
晩餐や部屋の様子から、決して裕福ではないと思えたからだ。
掃除はされているみたいだけど…
壁や天井には、所々に修繕の跡が見え、壁紙は色褪せている。
部屋を装飾するものは、絵画が数枚と花瓶だけで、置物などはほとんど見なかった。

「お待たせ致しました」

サマンサがワゴンを押して入って来た。
テーブルに並べられたのは、バケットのフレンチトースト、目玉焼きとハム、葉野菜、果実だった。
紅茶はその場でサマンサが淹れてくれた。
思っていたよりも豪華で、それに温かく、わたしは思わず「美味しそう!」と声を上げてしまった。
無作法だったが、サマンサはにこにことし、「どうぞ、召し上がって下さい」と言ってくれた。

熱々のフレンチトーストなんて、滅多に食べられない。
わたしはそれを頬張り、味わった。

「美味しい~~!」

ああ、口の中で蕩けるわ!
固いバケットとはお別れね!

フレンチトーストだけではない、目玉焼きとハムも素朴な味で美味しかった。
カーティス伯爵家の料理はやたら調味料を使っていて、味は複雑だったが、
食べ比べると、変に味付けされていない方が口に合う事に気付いた。

最高の朝食でお腹を満たし、幸せ気分で部屋に戻っていた所、

「ルビー!ルビー!!ルビーーー!!」

名を叫び、追い駆けて来た者がいた。
少々うんざりとしつつ振り返ると、ひょろ長い男がバタバタとおかしな走り方でやって来た。
恐らくは、ラッド・ウェイン男爵だ。
何故、「恐らく」か、と言うと、ダークブロンドのその髪は鳥の巣みたいにボサボサで、
シャツとズボンはヨレヨレ、それに、顔には丸眼鏡が掛けられていたからだ。
しかも、恐ろしくレンズが分厚い…

「はぁ、はぁ…はぁ…!」

勢い良く走って来た割りに、情けなく息切れしている所を見ると、やはり、ラッド・ウエイン男爵だ。

「しょ、少々、お待ち下さい…はぁ、はぁ」

待てと言われては、放って行く事も出来ず、わたしは腰に手をやり、彼が息を整えるのを待った。
でも、あまりに長いので、待ちきれなくなってしまった。

「ラッド、ラッドよね?その恰好だけど…昨日と違い過ぎない?
眼鏡なんてしていなかったでしょう?」

しかも、そんな厚いレンズの眼鏡、初めて見たわ!
皆が掛けないのは、きっとあまりに不格好だからね!

「は、はい…僕は、近眼で…作業中は眼鏡が離せません。
間違えは許されませんからね」

「近眼?もしかして、昨日、猫背だったのはその所為なの?」

「猫背?僕は猫背ですか?」

自覚は無い様だ。
お爺さんさながら曲がっているのに!
思わずツッコミを入れそうになったものの、長くなりそうなので止めておいた。
自覚の無い人に何を言っても無駄よね…

「それじゃ、その頭は?服装もだけど…」

最初に会った時には綺麗に撫で付けていたのに、今はまるで鳥の巣だ。
それに、タキシードはくたびれてはいたが、アイロンは掛けられていた。
今の格好は酷過ぎる。
だが、ラッドに悪びれた処は無い、いや、逆ににこやかな位だ。

「ええ、あなたに会いに行くと言うと、ショーンがやってくれました。
いつもはこれです、作業をしていたら自然にこうなるみたいで…」

優秀な執事だ。
お陰で騙されたわ!

「それで、わたしに何か用?」

もう良いだろうと促すと、ラッドは嬉々として捲し立ててきた。

「あなたから頂いた抜け毛の分析に、すっかり没頭していたんですが、今朝になって閃いたんです!
あなたは昨夜、又は今朝、髪を梳かしたんじゃありませんか?」

やはり、正真正銘、ラッド・ウェイン男爵だ!
こんな事を嬉々として言うのは、彼だけであって欲しいもの。

「ええ、まぁ…」

「やっぱり!勿論、櫛に付いた抜け毛は捨ててなんていませんよね?」

わたしは言われて思い出した。
そう言えば、抜け毛を上げる約束をしていたかしら…
意識していなかったし、無意識に捨てていたかもしれない。

「それに、寝床にも残っているんじゃないでしょうか?」

そんなもので、わくわくとしないで欲しいわ…

「分かったわ、取って来るから、ここで待っていて」

ラッドには部屋の外で待っていて貰い、わたしは枕や櫛に付いていた抜け毛も丁寧に取った。
どうして丁寧かというと、ラッドが扉の向こうで煩く言うからだ。

「そっとやって下さいね!そっと、ですよ!
縺れていませんか?なるべく切らない様にお願いします!」

煩いわね!たかが、髪の毛じゃない!と言いたくなったが、面倒になりそうなので、ぐっと堪えた。
わたしは抜け毛を拾い集め、紙に包んでラッドに突き出した。

「どうぞ!」

正直、ムッとしていたので、愛想の欠片も無かったが、

「ありがとうございます!」

ラッドが弾けんばかりの笑顔で言い、宝物の様に両手で受け取るので、嫌な気持ちも霧散した。
少々、罪悪感まで生まれてしまう。
変人だけど、こんなに喜んでくれると、やっぱり、悪い気はしないのよね…
ちょっと見直していたのだが、

「それでは、僕はこれで失礼します!」

「え!?ちょっ…」

わたしが呼び止める間もなく、背を向け、バタバタと走って行ってしまった。

「そう…、用があったのは、わたしの赤毛だけって訳ね?」

見直して損したわ!!





わたしは特に何もする事が無かったので、館を案内して貰う事にした。
当分の間、ここで暮らすのだから、知っておいて損は無い。

「館や敷地を案内して欲しいのですが、誰にお願いしたら良いですか?」

ショーンに聞くと、「私がご案内致しましょう」と言ってくれたので、
わたしはショーンに付いて、館内を見て周った。

一階は客を迎えるパーラー、食堂、調理場、ラッドの寝室、書斎、図書室…
ラッドは自分に必要なものを全て一階に揃えていた。
二階に上がったり、地下に行くのは時間の無駄なのだろう。

二階は客室が四つ。屋根部屋は使われておらず、物置になっていた。
地下は貯蔵庫で、涼しくかなりの広さがあった。
使われていない部屋は封鎖されていて、鍵はショーンが管理している。

本館の裏手には、棟が二つあり、平屋の棟はラッドの作業部屋と研究室。
二階建ての棟は住み込みの使用人たちの部屋だった。
住み込みの使用人は、ショーン、サマンサ、料理長のマシューで、
ショーンは五年前に妻を亡くしており独り身、サマンサと料理長のマシューは夫婦だった。
他にも雑用をする下男のサムがいて、彼は近辺に住んでいる。サムの妻ミリーも時々手伝いに来る。
掃除婦は日雇いで、週に一、二度来ている。

「使用人は足りているんですか?」

少ないとは思っていたが、驚く程少なかった。
カーライル伯爵家の使用人はざっと三倍はいる。

「ええ、小さな館ですし、人が集まる事もありませんので」

確かに、パーティなんて開きそうにはないわね…
招待されても行きそうにない。
社交界を楽しむラッドなんて、正直、想像も出来ないわ!

サマンサは給仕、洗濯、館内の飾り付け、簡単な掃除、調理の手伝いをしている。
ショーンは館の全てに目を光らせており、客を迎える側ら、ラッドの代理で館の管理、細々とした手続きもしている。
それで、ラッドは好きに研究が出来るという訳だ。

「頼りない男爵ね」

「旦那様は立派なお方です。町の人たちは皆、旦那様の薬を頼っていらっしゃいますし、
貧しい人たちからは薬代は受け取りませんので、皆から感謝されています」

薬師をしていて裕福そうでない理由が分かったわ。
確かに立派だけど…

「素晴らしい心掛けだとは思うけど、
自分たちの生活が立ちいかないんじゃ、本末転倒じゃないかしら?」

そんなんじゃ、何れ、薬を作る原料も買えなくなるだろうし、研究も出来なくなるだろう。
資金が底を尽きるか、体を壊すか…良い未来など見えない。

「ええ、ですが、全くの無料奉仕という訳でもございません。
食糧を持って来て下さる方もいらっしゃいますし、庭の手入れや掃除、洗濯を引き受けて下さる方もおられます。
全て旦那様の人徳の為せる業でしょう」

ショーンはにこやかに言う。誇らしそうだ。
町の人たちからの厚意で何とか細々とやっているという感じだろうか?
それで、本当に男爵家は大丈夫なのだろうか?没落寸前なんじゃないの??
心配になったが、ショーンが機嫌良くしているので、聞くのは止めておいた。

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