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ウェイン男爵家は、クインヒルという町の郊外にあった。
町はほどほどに大きく賑わっていたが、それを抜けると、緩やかな傾斜となり、田園や牧草地が広がっている。
その一角に小さな森があり、手前に、古めかしい煉瓦造りの館が建っていた。
馬車は躊躇なく、壊れ掛けの門を潜って行く。
そして、小さな前庭の小道を通り、玄関に着いたのだった。

館を見て最初に思ったのは、『カーティスの館よりも、ずっと小さくて、ボロい』だった。
二階建てで屋根部屋があるものの、部屋数は少ないだろう___
勿論、表だけしか見えていないので推測だが、それでも大した事は無い風に見えた。

とても古く見え、周囲には木立や茂みが多く、手入れはされているのだろうが、整然とはしていない。
自由で大らかな緑は共存している様に思え、御伽噺にでも出て来そうな雰囲気がある。
幽霊館とか、魔女の家とか、ね。

「冒険心を擽られる館ね」

わたし自身、上手く表せたと満足した。

「そうでしょう!何処でもお好きに、心行くまで冒険なさって下さい!
ですが、その前に、一度馬車を見て頂けますか?」

「馬車??」

「はい、長く乗っていましたので、幾らか抜け毛も落ちているのではないかと」

そんな事を、目を輝かせて言わないで欲しいわ…
こっちは、直ぐにでも館に入って足を伸ばしたいのに…

だが、自分で拾うと言ってしまった手前、わたしは渋々馬車に戻った。
座っていた場所を丹念に見て、何本かの抜け毛を見つけた。

「なんだか、複雑だわ…」

婚約して、婚約者の館を初めて訪問するというのに、最初にする事が、抜け毛を拾う事なのだ。
自分は一体、何をしているのか…
遠くを眺めたくなった。
そんなわたしとは違い、ラッドは目をキラキラとさせ、用紙を広げて待っていた。

「ありましたか!どうぞ、こちらに入れて下さい!
ああ!こんなに長い抜け毛が5本も!?ありがとうございます!
今日は最高の日ですよ!」

抜け毛、抜け毛言わないでよ!と思わず言いたくなったが、ぐっと堪えた。

「お帰りなさいませ、旦那様」

数段の階段を上がり、玄関ポーチに立つと、見計らったかの様に扉が開き、痩せた白髪の老年の執事が現れた。

「ただいま、ショーン!驚かないでくれよ、なんと、婚約者を連れて来たんだ!
正真正銘、僕の婚約者だよ!
ルビー・カーティス伯爵令嬢!見てよ、この赤毛!見事だろう?
正に僕の求めていた、理想の赤毛だよ…」

ラッドがこんな風に話すので、この館の者たちは全員、こんな風なのかと恐々としたが、幸いにして、執事はまともな人だった。

「おめでとうございます、旦那様。
ルビー様にお部屋をご用意したのでよろしいでしょうか?
長旅でお疲れでしょう、まずはこちらでお茶をなさって下さい…」

落ち着き払い、そつなく誘導したのだった。
この主人だもの、使用人が優秀でなければ、やっていられないわよね…

「ルビーです、お世話になります、ショーンさん」
「何なりとお申しつけ下さいませ、ルビー様」

わたしは労わりと尊敬の念を込め、ショーンと簡単に挨拶を交わした。
ラッドはどこ吹く風で、「ルビー!こっちだよ!」と、さっさと玄関ホールに入り、横切った。
そこは陽当たりの良い部屋で、暖炉があり、その前にはソファとテーブルが置かれていた。

「それじゃ、僕は作業部屋に行きますので、後は自由にして下さい!」

「え?」

わたしが止める間もなく、ラッドは颯爽と部屋を出て行った。
不健康そうなのに、行動は随分素早いらしい。

「来た早々、婚約者を一人、部屋に放って行くなんて…」

やっぱり、《まとも》じゃない___
わたしは唖然としていたが、正直、疲れていて、連れ戻して煩く言う気力など無く、取り敢えず長ソファの真中に座った。
程なく、ふくよかな初老のメイドが、お茶とサンドイッチを運んで来た。

「メイド長のサマンサです、お部屋の用意が出来るまで、こちらでお寛ぎなさって下さい」
「ルビーです、お世話になります___」

サマンサが出て行き、わたしは早速紅茶のカップを手に取った。
紅茶の葉の良い匂いがする。
一口飲むと、体に染み込んで行く…

「ふぅ…美味しいわ」

うっとりと目を閉じ、それを楽しむと、サンドイッチに手を伸ばした。
薄いパン生地は少し固く、挟まれているものは、魚のペースト。
他のサンドイッチは、ジャムの様だ。

「急に来たんだもの、仕方ないわよね」

カーティス伯爵家のサンドイッチとは雲泥の差ではあるが、お腹は満たしてくれた。
その後も、誰も来る気配が無かったので、わたしは長ソファに横になり、休ませて貰う事にした。

「少しお行儀は悪いけど、構わないわよね?」

一日中、馬車の中だったのだ、足を伸ばしたいという欲求に逆らえる筈も無い。
わたしはクッションを肘掛に、頭を乗せ、足を伸ばした。

気持ちいい…


すっかり眠り込み、目を覚ました時には陽は落ちかけていて、
窓は茜色に染まり、部屋の中にも差し込んでいた。
テーブルのお茶セットは片付けられ、
わたしの体には、ブランケットが掛けられていたので、放置されていた訳ではない様だ。

「誰か来たのね、サマンサだといいけど…」

だらしのない恰好を見られては、婚約者としての威厳も無くなる。

「部屋の用意が出来たのかしら?」

誰か呼ぼうかと考えていた所、丁度扉が開き、サマンサが入って来た。

「お目覚めでしたか、ルビー様、お待たせして申し訳ありませんでした、
お部屋の準備が整いましたので、ご案内致します」

「ありがとう、お願いします」

「旦那様のお部屋は一階です、ルビー様のお部屋は二階になります」

わたしの純潔は守られるという事ね。
部屋を別の階にするのは、悪評を避ける為でもある。
玄関ホールの真中にある階段を上がり、右に曲がって直ぐの部屋だった。

「こちらです」

壁はくすんだ象牙色で面白みは無いが、十分な広さの部屋で、
大きな窓が二つあり、陽当たりも良さそうだった。
暖炉があり、テーブル、ソファ、本棚、奥にはベッド、チェスト…等々、
小さく古くはあるが、必要な物は揃っている。
少ないながら、わたしの持って来た荷物は運ばれていた。

「こちらがお部屋の鍵です」
「ありがとう、素敵なお部屋ですね、落ち着くし、何処か懐かしい感じ!」

本心とは言い難いが、全然嘘という訳でもない。
物は言いようだもの!

「まぁ、お気に召して頂けて何よりです。
晩餐は部屋にお運びしましょうか?それとも、食堂がよろしいでしょうか?」

「ラッドと一緒にして下さい」

わたしが答えると、サマンサは少しばかり困った顔になった。

「旦那様は、ほとんどの場合、昼食、晩食は作業部屋でなさいますので…
それに、邪魔をされるのがお嫌いですし…」

暗に別々に食べる事を勧められた。
確かに、楽しい食事の相手では無さそうだ。
だけど、それ以外で顔を合わせる機会は無さそうだし…
それではお互いを知る事も出来ない。

「今日の所は、食堂にします。他には誰もいないんですよね?」
「はい、この館には旦那様お一人です、それでは、一刻後に…」

ラッドは好き勝手暮らしている様だ。

「理想の夫には程遠いわね…」

長い道のりを思い、わたしは空を見つめた。


晩餐は独りだと思うと、フォーマルな恰好をする気にもなれず、
わたしはそのままの格好で食堂に向かった。
その間に擦れ違った使用人はおらず、声すら聞かなかった。
階下で執事のショーンと出会った位だ。
小さな家だし、使用人も少ないのだろう。

「ルビー様、食堂はこちらです」

ショーンがランプを手に案内してくれた。
食堂も、カーティス伯爵家の半分程の広さだった。
わたし一人なので、テーブルも小さいが、花が飾られ、金の蝋燭立てが置かれていて、
歓迎して貰えている様で心は浮き立った。

カーティス伯爵家では、晩餐は家族で、食堂でする事になっていたが、
給仕のメイドには意地悪をされ、スープを配る時にわたしだけ飛ばされたり、
メインの肉が無い事も珍しく無かった。
両親は関心が無く、兄や姉は気付いていても、ニヤニヤと笑うだけだった。

朝食は紅茶、固くなったバケット、崩れた卵。
昼食はやけくそで作ったのが見え見えの、崩れたサンドイッチ…

それに引き換え、
目の前で丁寧に注がれる、具の少ないスープ。
皿にはみ出る事無く綺麗に盛られた料理。
素朴ではあるが、焼き立の匂いのするバケット…
味付けはシンプルで、見るからに素朴な田舎料理だが、愛がありそれだけでも満足出来た。

カーティス家の食事より、ずっと良いわ!!

わたしは料理を平らげ、デザートのアップルパイを紅茶と一緒に食べ、満足したのだった。

こんな素敵な晩餐を、ラッドは仕事部屋で食べているなんて!
料理に対する冒涜だわ!

「でも、それは、明日からにして…取り敢えずは、寝よう」

「ルビー様、お手伝いは必要でしょうか?」

わたしが席を立つと、サマンサがやって来た。
優秀なメイド長だ。
食事の給仕もサマンサだったし、もしかして、使用人はショーンとサマンサしかいないのかしら?
老人二人を扱き使っているのではないかと心配になった。

「いいえ、一人で大丈夫です、ありがとう。
お料理、どれもとても美味しかったです、料理長にもお伝え下さい」

「まぁ、マシューも喜びます」

幸い、料理長は健在の様だ。
わたしは笑顔で別れを告げ、部屋に引き上げた。
疲れていた事もあり、簡単に寝支度をし、早々にベッドに潜り込んだ。

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