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本編
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しおりを挟む誰も居ない場所で、独りになりたかった。
わたしは庭に出て、只管に歩いた。
ふと、ピンク色の花が目に入り、足を止めた。
ピンクのガーベラが一帯に咲いていた。
「わたしの好きな花…」
目を上げると、館の裏側が見えた。
見覚えがある…
だけど、どうしてだろう?
「夢…」
はっきりとは言えないものの、夢に出て来る景色と同じ気がした。
どうして、知らない場所を夢に見たりしたのだろう?
もしかしたら、わたしは本当に、エリーズなのだろうか?
わたしはぞっとし、自分の体を擦った。
「そんな、あり得ないわ!」
それに、夢では、二人の人物しか登場しない。
髪の長い女性と、黒髪の男性…
黒髪だから、ジョルジュではない。
彼がユーグだったとしたら…
そして、長い髪の女性がエリーズだったとしたら…
どうして、恋人でもない人を夢に見るの?
それに、女性は彼に恋をしていた___
「彼は、絵描きだったわ…」
絵を描く姿を飽きずに眺めている女性。
そう、ユーグでは無い。
ユーグが絵を描いている姿など、見た事が無い。
ふっと、何かに突き動かされた様に、わたしは踵を返していた。
わたしは館に向かって走っていた。
館に入り、階段を上る。
そして、奥の角部屋の扉のノブを握る___
ガチャガチャ…
鍵が掛かっているんだわ!
わたしは再び引き返し、庭に出ると、大樹に手を掛けた。
長いスカートでは難しいが、何とか登れそうだ。
それに、わたしは昔から木登りが得意だ。
木をよじ登り、わたしは太い枝の上に腰かけた。
そこからは部屋の中が見える。
「何故、知っているの?」
不思議に思いながらも、わたしは部屋の中を見た。
そこには、キャンバスに向かう黒髪の男性が居た。
ユーグ!!
わたしが驚きに息を飲むと、彼が立ち上がり、こちらに近付いて来た。
わたしは隠れなくては…と、身を顰めたのだが、慌てていて、手が滑ってしまった。
「きゃ!??」
バキ!!バサバサバサ___!!
わたしは地面に叩き付けられ、意識を失った。
◆◆◆
【わたし、恋がしたいの!】
【エリーズ、恋など愚かしい…
あなたは王女なのですよ、妖精の女王の十二番目の王女___】
そう、わたしは、妖精の女王の十二番目の王女、エリーズ。
わたしは《恋》に憧れていた。
◆
わたしは人間の生活に興味があり、よく妖精の国を抜け出しては、覗きに行っていた。
人間の生活を覗きに行く事自体は、禁止されてはいなかったが、
人間と関りを持つ事は禁止されていた。
だが、二十歳にも満たないわたしは、恐れを知らぬ、大胆な娘だった。
妖精の国を抜け出し、森林を通り、人間たちを覗きに行く。
木々や茂み、自然豊かな所では、妖精は姿を隠す事が出来た。
そこで出会ったのは、一人の青年、ジョルジュだった。
彼は、金髪に青色の目をしていて、
わたしが思い描いていた通りの王子様に思えた。
わたしは胸を高鳴らせ、彼の前に姿を現した。
「こんにちは」
「こんにちは、ここは、君の散歩道?」
「そうなの!初めて会うわね、わたしはエリーズ」
「僕は、ロベール男爵子息、ジョルジュ。
昨年、父がこの近くの館を相続したんだ、それで、夏をここで過ごそうと、
つい昨日、来た所だったんだ…」
彼はわたしに好意を持ってくれ、わたしたちは直ぐに友達になった。
毎日会い、会話を交わす…
ジョルジュは礼儀正しく、優しく、正に夢の王子様だった。
出会って三日目に、ジョルジュから告白された。
「一目で君に心を奪われたよ、それ以来、眠る事も出来ないんだ…
こんな事は初めてだよ。ああ、どうか、エリーズ、僕の恋人になると言って欲しい」
眠れないだなんて!
わたしは夜に彼を覗きに行ったので知っているが、良く眠っていた。
だけど、自分に恋をしてくれているなら、丁度良かった。
わたしの願いは、恋をする事だもの!
「ジョルジュ、あなたの気持ちはとてもうれしいわ。
でも、わたし、あなたに話しておかなくてはいけないの…」
わたしは神妙な顔をし、それを告げた。
「わたし、人間じゃないの、妖精なのよ、あなたとは結ばれない運命なの…」
わたしは昔に聞いた、妖精と人間の恋物語のヒロインになって気分だった。
同情を誘っていたかもしれない。
それは、ジョルジュの胸を益々燃え上がらせた。
「そんな!僕には君しか考えられないよ!
僕は必ず君と結婚すると約束するよ、両親が反対しても、僕は諦めない!」
「うれしいわ、ジョルジュ!
もし、本当にわたしを愛してくれるなら、良い方法があるの。
あなたをわたしの夫として、妖精の国に迎えるのよ、
そうしたら、もう、誰もわたしたちを引き離せないわ___」
妖精と人間とでは寿命も違い、共に生きる事は難しい。
だが、夫としてなら、妖精の国に人間を迎える事が出来るのだ。
人間の時間は止まり、魂は妖精のものになる。
これこそが、物語のハッピーエンドだった。
だが、ジョルジュは怯んだ。
夢から覚めたかの様に、困惑の表情を浮かべていた。
それを見て、わたしは酷くガッカリした。
だが、もっと仲良くなれば、きっと…
わたしは初めての恋人に期待を抱いたのだった。
「今直ぐに答えを出す必要は無いの、まだ、時間はあるわ」
「そうだね、必ず、君の為に両親を説得するよ」
◆◆
数日後、ジョルジュの家に馬車が停まった。
降りて来たのは、黒髪の男性で、年はジョルジュと然程違いは無い様に見えた。
ジョルジュと親しそうに話しているのを見て、友人なのだろうと思った。
どんな人なのかしら?
わたしは好奇心から、ジョルジュの友人を覗きに行った。
家の側の大きな木に登ると、部屋が覗けるのだ。
わたしが覗いた時、思い掛けず彼が窓に近付いて来た。
こっちに来る!?
姿を隠しているというのに、更に幹に体を隠したのは、慌てた所為だ。
そっと、幹の陰から伺っていると、彼が窓を大きく開けた。
そして、身を乗り出す様にして空気を吸い込む…
「緑の匂いだ…」
ドキリとした。
何故か、自分の事を言われた気がしたのだ。
すると、彼の目がわたしの方を見た。
「気の所為か?」
彼は部屋に戻ったが、わたしはまだドキドキとしていた。
◆◆
翌日、ジョルジュが待ち合わせの場所に、彼を連れて来た。
「エリーズ!」
「ジョルジュ!」
ジョルジュは恋人だというのに、わたしと触れ合う事を恥ずかしがっていた。
この日も、見つめ合ってから、少しして、漸くぎこちない抱擁をしてくれた。
女性の扱いに慣れていない所も可愛いと思えた。
「エリーズ、僕の従弟を紹介するよ、カルヴェ伯爵子息、ユーグ。
ユーグ、彼女はエリーズ=ミラー、僕の恋人だよ」
ユーグ。
黒髪の彼は、深く濃い青色の瞳をしていた。
それは神秘的で、ラピスラズリを思わせる。
綺麗な色だわ___
「おいおい、ユーグ、彼女は僕の恋人だよ」
つい、見入ってしまっていたわたしは、ジョルジュの声で「はっ」とした。
目の前の彼、ユーグは小さく苦笑した。
「失礼しました、あまりに魅力的だったので見惚れてしまいました。
ジョルジュが羨ましいよ、ユーグです、よろしく」
手を差し出された。
これは人間が好む挨拶で、彼が好意的だと分かり、わたしはそれを握った。
大きな手で包み込まれると、自分の手が消えてしまう。
でも、優しい手。
それに、少し焼けていて健康的だ。
「エリーズです、あなた、良い人ね」
悪人か善人か、わたしには感覚的に分かる。
ユーグは間違いなく、善人だった。
◆
「彼の友人を紹介して貰ったの!名はユーグよ!
とっても良い人間なの!とっても楽しいし、それに、絵を描くのよ!凄いでしょう?」
《彼って誰?ジョルジュ?それともユーグ?》
わたしの話し相手は、森林守りをしている妖精、ミーファだった。
「恋人の彼がジョルジュで、友人の彼がユーグよ」
《難しいわね》
「ちゃんと聞いて、簡単だから!」
《それで、恋人と友人はどう違うの?》
「恋人は抱き合うの、でも、友人はしないわ」
《それだけ?》
「ええ、多分ね!」
ジョルジュはわたしの初めての恋人で、ユーグは初めての人間の友達。
わたしには二人共大切で、仲良くしたかった。
だが、ユーグはわたしたちの誘いを断ってばかりだった。
その理由は、「絵を描きたいから」
彼は絵を描きにここへ来ているのだと、ジョルジュから聞いた。
ユーグは部屋でも絵を描いていたが、昼間は外で描いている事が多かった。
それも、人気の無い場所ばかりを選び、描いていた。
何故、そんな風に独りを好むのか、わたしには不思議だった。
「絵を描いている時は、独りにして欲しい」と、直接言われた事もある。
それでも、一度我儘を言って、自分を描いて貰った事があった。
凄く上手で驚いた。
部屋を覗いている時には、絵までは見えなかったのだ。
「自信を持って!あなたはきっと、素晴らしい画家になるわ!」
わたしはユーグの腕を褒めたが、彼は喜んだりはしなかった。
「いや、俺程度の者は珍しくないよ、それに、俺は伯爵家を継がなきゃいけない」
「伯爵が絵を描いてはいけないという掟があるの?」
「いや、そうでは無いが、どちらも中途半端になりそうで嫌なんだ」
「そう、その気持ち、分かる気がするわ」
「君にも何かあるのか?」
「ええ、自分の務めも大事、だけど、恋もしたい」
わたしは妖精の女王の十二番目の王女だ。
勝手は許されないと分かっていても、衝動は抑え切れずに、人間の世界に来てしまう。
そして、恋もしたい___
ユーグには自分が妖精である事は秘密にしていたが、不思議と共鳴するものがあった。
わたしは彼に貰った絵を妖精の国に持ち帰り、秘密の場所に大切に仕舞った。
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