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本編

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晩餐会から一月程が過ぎ、7月の頭に、わたしとユーグは伯爵の館を出た。
ユーグは既に行先を決めていて、わたしは後で知らされた。

「シイニボワ、自然が豊かで良い場所だ。
リヤンまでは馬車で二日だから、落ち着いたら行ってみるのもいいだろう」

リヤンはわたしの実家のある町だ。
手紙のやり取りを一度しただけだったので、帰れる事はうれしかった。
家族に変わりは無いだろうか?マリエットとクララにも会いたい。
ユーグはわたしの為に、近い場所を探してくれたのだろうか?

「うれしいわ!ユーグ!」

わたしも新しい町を楽しみにしていた。



馬車旅から三日目の午後、シイニボワの町に着いた。
そこは、ユーグが言っていた通り、自然に囲まれた町だった。

馬車は町を通り、郊外へと向かう。
田園が広がり、遠くには森林や山々も見えた。
見事な景色に、胸がいっぱいになる。

「素敵な所ね…」
「ああ、君なら気に入ると思っていた」

ユーグが微笑み、わたしは笑みを深くした。

馬車は館の玄関前で停まった。
馬車を降り、館を目にした時、ふっと、不思議な感覚に襲われた。

どうしてかしら、知っている気がする…

「アリシア?」
「いいえ、何でもないの、二人で住むのには大きくて、驚いたわ!」
「ああ、元は男爵家の別邸なんだ、使用人と料理人は雇っている」

玄関から出て来た使用人が荷物を運んでくれた。
荷馬車から解放されたアミは、寂しかったのだろう、ユーグとわたしに駆け寄って来て、
しきりに甘え出した。

「バウ!バウ!」
「窮屈だったわよね、ごめんなさいね、アミ」
「いい子だ、アミ、一緒にアリシアを案内するか?」
「バウ!!」

ユーグはアミを連れ、わたしに館の中を案内してくれた。

「良く知っているのね!」

わたしは驚いたが、ユーグは当然の様に言った。

「ああ、三年前にここを買い取ってから、夏には毎年来ている。
目隠しをしても歩けるよ」

ユーグは軽口の様に言った。
わたしはこの時になって、《それ》に気付いた。
毎年来ている、しかも、夏に…?

「ユーグ、もしかして、ここは、エリーズとの思い出の場所なの?」

「ああ、そうだ、エリーズと出会い、この場所で一夏を過ごした…」

ユーグは薄い笑みを浮かべていたが、何処か寂しそうで、そして、遠い目をしていた。

最近、エリーズの名が出る事は無く、わたしは存在すらも忘れ始めていた。
だが、ユーグの頭には、ずっと彼女の事があったのだ___
それを知ったわたしは、愕然となった。

わたしの実家に近いから、選んだのではないのね?
伯爵を退き、ユーグは好きな事をすると言った。
それは、エリーズと過ごした場所で、彼女を想い、一生を終える事だったのね?

わたしは、何て愚かだったのだろう!

ユーグから愛されていると思っていた!

でも、ユーグはいつもわたしを通して、エリーズを見ていたんだわ!

ユーグは、わたしと結婚した後も、ずっと、エリーズを愛しているんだわ!

ユーグはわたしを抱いていたんじゃない、エリーズを抱いていたのね___!

酷い___!!

わたしにはそれが酷い裏切りに思えた。

「アリシア?」

ユーグに覗き込まれ、わたしは咄嗟に顔を背けた。
アミが心配そうに、わたしの足元にすり寄って来る。
わたしはアミの頭を撫でてやり、小さく零した。

「ごめんなさい、疲れているみたいなの、部屋で休ませて貰ってもいい?」
「ああ、気付かなかった、ゆっくり休むといい」

いけないと思いながらも、わたしは自分の内に渦巻く黒い感情を、どうする事も出来なかった。


その夜、わたしは久しぶりにあの夢を見た。

長い髪の女性が、遠くから、黒髪の男性を見つめている。
黒髪の男性は、キャンバスに向かっていて、気付かない。

いつもの夢なのに、今日は何故か、そこにわたしが居た。
女性の傍に立ち、一緒に彼を見つめている事に気付く。

名を呼べばいいのよ!

《いいの、わたしは、彼を見ていたいだけだから》

どうして?

《彼はわたしのものではないもの》

告白するのよ、彼はあなたが好きだわ!
わたしが呼んであげる!

わたしは黒髪の男性を呼んだ。

振り返ったのは、ユーグだった___

「っ!?」

わたしはギクリとし、目を覚ました。

「ん…アリシア?どうした、具合が悪いのか?」

ユーグまで起こしてしまった様だ。
わたしは咄嗟に取り繕った。

「ち、違うの、怖い夢を見てしまって…驚いて起きてしまったわ…」
「おいで、アリシア…」

ユーグの腕が伸ばされ、わたしを抱き寄せた。

「怖い夢は、俺が祓ってやる…」

ユーグがわたしの額に口付ける。
まだ、微睡んでいるのだろう、瞼は降りている。
わたしはその逞しい胸に縋った。

「ユーグ、お願い、全部祓って…」

わたしを嫌な女にしないで___!


◇◇


わたしはエリーズの事を考えない様にと、努めた。
その為にも、わたしは庭の花壇の手入れや、家事等に専念し、忙しく過ごした。

館内の事は、住み込みの使用人夫妻が仕切っていた。
洗濯と簡単な掃除は妻モニク、買い物や庭仕事、雑用は夫トマが引き受けている。
掃除婦は別で、町からの通いで、週に三日来る事になっている。
料理人は住み込みで、昼食と晩食を用意してくれる。
朝食はわたしが用意する事にした。
わたしはモニクの手伝いや料理人の手伝いもしている。
ユーグも畑仕事や庭仕事、釣り、買い物等、率先してやっていた。
アミはわたしやユーグに付いて歩いたり、庭を駆け回ったりと、この暮らしを楽しんでいた。

ユーグはわたしを良く誘ってくれた。

「アリシア、釣りに行かないか?」
「アリシア、今日はピクニックに行こう」
「アリシア、散歩に行こう」

お茶の時間と、夕刻の散歩は、いつの間にか、わたしとユーグの習慣となっていた。
お茶の時間は楽しいが、散歩の時間はうれしいものでは無かった。

館の敷地は広く、散歩の時間に、ユーグが案内してくれた。
だが、彼の目は何処か遠い所を見ている気がし、胸がざわついた。
何処にでも、エリーズとの思い出が潜んでいそうで…
そんな風に考えてしまう自分も嫌だった。

「君は、ここに来てから、元気が無い気がする」

ユーグがそれを言葉にし、わたしはギクリとした。
彼を振り仰ぐと、その深く濃い青色の目は、不安気にわたしを見ていた。

「気の所為よ、まだ、少し慣れないだけ…」

「もし、何か心配な事があるなら、俺に話して欲しい」

わたしは迷った。
ユーグに話してしまおうか…
このままずっと、疑い続ける事は辛い。
だけど、もし、ユーグが悲しい顔をしたら…

彼に嫌われる事が怖い___!

頭に響き、わたしは「はっ」と息を飲んだ。

「アリシア?どうしたんだ?」

ユーグに覗き込まれ、わたしは頭を振った。

「ごめんなさい、何でもないの…」
「何でも無い様には見えなかった、アリシア…」

ユーグが何かを言おうとした時だった、「ユーグ!」と名を呼んだ者がいた。
男性が一人、こちらに向かって歩いて来た。
ユーグの表情が固くなったのに気付く。

誰かしら?

年はユーグと同じ頃だろう。
ダークブロンドに青色の目、肌は白く、整った小作りの顔…
それに身形から見ても、貴族と分かる。

「ジョルジュ、来ていたのか」
「君が結婚したと聞いてね、お祝いに来たんだよ、だけど…」

ジョルジュは、じっとわたしを見つめる。
その熱い視線に、わたしは困惑した。

「本当に、見つけ出すなんてね…凄いよ、君は。
エリーズは覚えているのかい?」

「!?」

ジョルジュもエリーズを知っていたのだ!
わたしは驚きに目を丸くした。

「いや、記憶は無い」

「そうだと思ったよ、そうじゃなきゃ、エリーズが君と結婚するなんてあり得ないからね」

ジョルジュが皮肉な笑みを浮かべた。
その言葉にも棘があった。

二人は恋人同士だったのに、何故あり得ないと言うの?
無神経で酷い事を言う人ね!

こんな事を言われたというのに、ユーグは何も言い返さない…
二人はどういう関係なのだろう?
それに、彼もわたしをエリーズの生まれ変わりと信じている様だ。
『生まれ変わり』だけでも、突飛な話だというのに、記憶を持っているだとか…
普通に会話をされ、わたしは自分の方が変なのかと疑った。

「ユーグ、彼はどういう方なの?」
「ロベール男爵、ジョルジュ。俺の母の兄の息子、従兄だ。
ジョルジュ、妻のアリシアだ」

ユーグは儀礼的で、それは素っ気なくも見えた。
わたしは型通りの挨拶をした。

「アリシアです、どうぞよろしくお願いします」
「よろしく、君はエリーズの事を聞かされていないのかい?」

不躾な質問に感じた。
それとも、エリーズを良く思っていないから、そう聞こえたのだろうか?
わたしは無難に、「少しは聞いています」と答えた。

ジョルジュはわたしに向かい、魅力的な笑みを見せた。

「それじゃ、聞いたかな、僕がエリーズの恋人だったと」

ジョルジュがエリーズの恋人?どういう事なの?恋人はユーグの筈だわ…
わたしは問う様にユーグを見た。
ユーグは冷たい目でジョルジュを見ていた。

「会いたかったよ、エリーズ、僕の運命の恋人…」

ジョルジュに近寄られ、わたしはギョッとし、咄嗟に後退っていた。
ユーグがわたしたちの間に入り、キッパリと言った。

「ジョルジュ、そういう呼び方はするな、彼女は今、俺の妻だ」

だが、それでは、ジョルジュの言葉を認めた事になる。
ユーグの恋人だったというのは嘘なの!?
何故、嘘を吐く必要があったの?
わたしに《運命の相手》だと思わせ、手に入れようとした?

「エリーズの記憶が無くて良かったな、ユーグ。
思い出してくれさえしたら、彼女は僕の元に帰って来たのに」

ジョルジュが不敵に笑う。

「ユーグ、暫くの間、泊めてくれるだろう?
元は男爵家の別邸だ、君にどうしてもと言われて譲ってあげたんだし、
それに、昔、君を泊めた恩も思い出して欲しいな。
あの夏、君を呼ばなければ良かったと、今も後悔しているんだ、ユーグ。
僕は、君の所為で、大事な恋人を失ったんだからね___」

何か、恐ろしいものを感じた。
わたしは無意識にユーグのシャツを掴んでいた。
だが、ユーグは「一週間だけだ」と滞在を許してしまった。

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