10 / 19
本編
10
しおりを挟む晩餐会から一月程が過ぎ、7月の頭に、わたしとユーグは伯爵の館を出た。
ユーグは既に行先を決めていて、わたしは後で知らされた。
「シイニボワ、自然が豊かで良い場所だ。
リヤンまでは馬車で二日だから、落ち着いたら行ってみるのもいいだろう」
リヤンはわたしの実家のある町だ。
手紙のやり取りを一度しただけだったので、帰れる事はうれしかった。
家族に変わりは無いだろうか?マリエットとクララにも会いたい。
ユーグはわたしの為に、近い場所を探してくれたのだろうか?
「うれしいわ!ユーグ!」
わたしも新しい町を楽しみにしていた。
◇
馬車旅から三日目の午後、シイニボワの町に着いた。
そこは、ユーグが言っていた通り、自然に囲まれた町だった。
馬車は町を通り、郊外へと向かう。
田園が広がり、遠くには森林や山々も見えた。
見事な景色に、胸がいっぱいになる。
「素敵な所ね…」
「ああ、君なら気に入ると思っていた」
ユーグが微笑み、わたしは笑みを深くした。
馬車は館の玄関前で停まった。
馬車を降り、館を目にした時、ふっと、不思議な感覚に襲われた。
どうしてかしら、知っている気がする…
「アリシア?」
「いいえ、何でもないの、二人で住むのには大きくて、驚いたわ!」
「ああ、元は男爵家の別邸なんだ、使用人と料理人は雇っている」
玄関から出て来た使用人が荷物を運んでくれた。
荷馬車から解放されたアミは、寂しかったのだろう、ユーグとわたしに駆け寄って来て、
しきりに甘え出した。
「バウ!バウ!」
「窮屈だったわよね、ごめんなさいね、アミ」
「いい子だ、アミ、一緒にアリシアを案内するか?」
「バウ!!」
ユーグはアミを連れ、わたしに館の中を案内してくれた。
「良く知っているのね!」
わたしは驚いたが、ユーグは当然の様に言った。
「ああ、三年前にここを買い取ってから、夏には毎年来ている。
目隠しをしても歩けるよ」
ユーグは軽口の様に言った。
わたしはこの時になって、《それ》に気付いた。
毎年来ている、しかも、夏に…?
「ユーグ、もしかして、ここは、エリーズとの思い出の場所なの?」
「ああ、そうだ、エリーズと出会い、この場所で一夏を過ごした…」
ユーグは薄い笑みを浮かべていたが、何処か寂しそうで、そして、遠い目をしていた。
最近、エリーズの名が出る事は無く、わたしは存在すらも忘れ始めていた。
だが、ユーグの頭には、ずっと彼女の事があったのだ___
それを知ったわたしは、愕然となった。
わたしの実家に近いから、選んだのではないのね?
伯爵を退き、ユーグは好きな事をすると言った。
それは、エリーズと過ごした場所で、彼女を想い、一生を終える事だったのね?
わたしは、何て愚かだったのだろう!
ユーグから愛されていると思っていた!
でも、ユーグはいつもわたしを通して、エリーズを見ていたんだわ!
ユーグは、わたしと結婚した後も、ずっと、エリーズを愛しているんだわ!
ユーグはわたしを抱いていたんじゃない、エリーズを抱いていたのね___!
酷い___!!
わたしにはそれが酷い裏切りに思えた。
「アリシア?」
ユーグに覗き込まれ、わたしは咄嗟に顔を背けた。
アミが心配そうに、わたしの足元にすり寄って来る。
わたしはアミの頭を撫でてやり、小さく零した。
「ごめんなさい、疲れているみたいなの、部屋で休ませて貰ってもいい?」
「ああ、気付かなかった、ゆっくり休むといい」
いけないと思いながらも、わたしは自分の内に渦巻く黒い感情を、どうする事も出来なかった。
その夜、わたしは久しぶりにあの夢を見た。
長い髪の女性が、遠くから、黒髪の男性を見つめている。
黒髪の男性は、キャンバスに向かっていて、気付かない。
いつもの夢なのに、今日は何故か、そこにわたしが居た。
女性の傍に立ち、一緒に彼を見つめている事に気付く。
名を呼べばいいのよ!
《いいの、わたしは、彼を見ていたいだけだから》
どうして?
《彼はわたしのものではないもの》
告白するのよ、彼はあなたが好きだわ!
わたしが呼んであげる!
わたしは黒髪の男性を呼んだ。
振り返ったのは、ユーグだった___
「っ!?」
わたしはギクリとし、目を覚ました。
「ん…アリシア?どうした、具合が悪いのか?」
ユーグまで起こしてしまった様だ。
わたしは咄嗟に取り繕った。
「ち、違うの、怖い夢を見てしまって…驚いて起きてしまったわ…」
「おいで、アリシア…」
ユーグの腕が伸ばされ、わたしを抱き寄せた。
「怖い夢は、俺が祓ってやる…」
ユーグがわたしの額に口付ける。
まだ、微睡んでいるのだろう、瞼は降りている。
わたしはその逞しい胸に縋った。
「ユーグ、お願い、全部祓って…」
わたしを嫌な女にしないで___!
◇◇
わたしはエリーズの事を考えない様にと、努めた。
その為にも、わたしは庭の花壇の手入れや、家事等に専念し、忙しく過ごした。
館内の事は、住み込みの使用人夫妻が仕切っていた。
洗濯と簡単な掃除は妻モニク、買い物や庭仕事、雑用は夫トマが引き受けている。
掃除婦は別で、町からの通いで、週に三日来る事になっている。
料理人は住み込みで、昼食と晩食を用意してくれる。
朝食はわたしが用意する事にした。
わたしはモニクの手伝いや料理人の手伝いもしている。
ユーグも畑仕事や庭仕事、釣り、買い物等、率先してやっていた。
アミはわたしやユーグに付いて歩いたり、庭を駆け回ったりと、この暮らしを楽しんでいた。
ユーグはわたしを良く誘ってくれた。
「アリシア、釣りに行かないか?」
「アリシア、今日はピクニックに行こう」
「アリシア、散歩に行こう」
お茶の時間と、夕刻の散歩は、いつの間にか、わたしとユーグの習慣となっていた。
お茶の時間は楽しいが、散歩の時間はうれしいものでは無かった。
館の敷地は広く、散歩の時間に、ユーグが案内してくれた。
だが、彼の目は何処か遠い所を見ている気がし、胸がざわついた。
何処にでも、エリーズとの思い出が潜んでいそうで…
そんな風に考えてしまう自分も嫌だった。
「君は、ここに来てから、元気が無い気がする」
ユーグがそれを言葉にし、わたしはギクリとした。
彼を振り仰ぐと、その深く濃い青色の目は、不安気にわたしを見ていた。
「気の所為よ、まだ、少し慣れないだけ…」
「もし、何か心配な事があるなら、俺に話して欲しい」
わたしは迷った。
ユーグに話してしまおうか…
このままずっと、疑い続ける事は辛い。
だけど、もし、ユーグが悲しい顔をしたら…
彼に嫌われる事が怖い___!
頭に響き、わたしは「はっ」と息を飲んだ。
「アリシア?どうしたんだ?」
ユーグに覗き込まれ、わたしは頭を振った。
「ごめんなさい、何でもないの…」
「何でも無い様には見えなかった、アリシア…」
ユーグが何かを言おうとした時だった、「ユーグ!」と名を呼んだ者がいた。
男性が一人、こちらに向かって歩いて来た。
ユーグの表情が固くなったのに気付く。
誰かしら?
年はユーグと同じ頃だろう。
ダークブロンドに青色の目、肌は白く、整った小作りの顔…
それに身形から見ても、貴族と分かる。
「ジョルジュ、来ていたのか」
「君が結婚したと聞いてね、お祝いに来たんだよ、だけど…」
ジョルジュは、じっとわたしを見つめる。
その熱い視線に、わたしは困惑した。
「本当に、見つけ出すなんてね…凄いよ、君は。
エリーズは覚えているのかい?」
「!?」
ジョルジュもエリーズを知っていたのだ!
わたしは驚きに目を丸くした。
「いや、記憶は無い」
「そうだと思ったよ、そうじゃなきゃ、エリーズが君と結婚するなんてあり得ないからね」
ジョルジュが皮肉な笑みを浮かべた。
その言葉にも棘があった。
二人は恋人同士だったのに、何故あり得ないと言うの?
無神経で酷い事を言う人ね!
こんな事を言われたというのに、ユーグは何も言い返さない…
二人はどういう関係なのだろう?
それに、彼もわたしをエリーズの生まれ変わりと信じている様だ。
『生まれ変わり』だけでも、突飛な話だというのに、記憶を持っているだとか…
普通に会話をされ、わたしは自分の方が変なのかと疑った。
「ユーグ、彼はどういう方なの?」
「ロベール男爵、ジョルジュ。俺の母の兄の息子、従兄だ。
ジョルジュ、妻のアリシアだ」
ユーグは儀礼的で、それは素っ気なくも見えた。
わたしは型通りの挨拶をした。
「アリシアです、どうぞよろしくお願いします」
「よろしく、君はエリーズの事を聞かされていないのかい?」
不躾な質問に感じた。
それとも、エリーズを良く思っていないから、そう聞こえたのだろうか?
わたしは無難に、「少しは聞いています」と答えた。
ジョルジュはわたしに向かい、魅力的な笑みを見せた。
「それじゃ、聞いたかな、僕がエリーズの恋人だったと」
ジョルジュがエリーズの恋人?どういう事なの?恋人はユーグの筈だわ…
わたしは問う様にユーグを見た。
ユーグは冷たい目でジョルジュを見ていた。
「会いたかったよ、エリーズ、僕の運命の恋人…」
ジョルジュに近寄られ、わたしはギョッとし、咄嗟に後退っていた。
ユーグがわたしたちの間に入り、キッパリと言った。
「ジョルジュ、そういう呼び方はするな、彼女は今、俺の妻だ」
だが、それでは、ジョルジュの言葉を認めた事になる。
ユーグの恋人だったというのは嘘なの!?
何故、嘘を吐く必要があったの?
わたしに《運命の相手》だと思わせ、手に入れようとした?
「エリーズの記憶が無くて良かったな、ユーグ。
思い出してくれさえしたら、彼女は僕の元に帰って来たのに」
ジョルジュが不敵に笑う。
「ユーグ、暫くの間、泊めてくれるだろう?
元は男爵家の別邸だ、君にどうしてもと言われて譲ってあげたんだし、
それに、昔、君を泊めた恩も思い出して欲しいな。
あの夏、君を呼ばなければ良かったと、今も後悔しているんだ、ユーグ。
僕は、君の所為で、大事な恋人を失ったんだからね___」
何か、恐ろしいものを感じた。
わたしは無意識にユーグのシャツを掴んでいた。
だが、ユーグは「一週間だけだ」と滞在を許してしまった。
1
お気に入りに追加
384
あなたにおすすめの小説

最近彼氏の様子がおかしい!私を溺愛し大切にしてくれる幼馴染の彼氏が急に冷たくなった衝撃の理由。
window
恋愛
ソフィア・フランチェスカ男爵令嬢はロナウド・オスバッカス子爵令息に結婚を申し込まれた。
幼馴染で恋人の二人は学園を卒業したら夫婦になる永遠の愛を誓う。超名門校のフォージャー学園に入学し恋愛と楽しい学園生活を送っていたが、学年が上がると愛する彼女の様子がおかしい事に気がつきました。
一緒に下校している時ロナウドにはソフィアが不安そうな顔をしているように見えて、心配そうな視線を向けて話しかけた。
ソフィアは彼を心配させないように無理に笑顔を作って、何でもないと答えますが本当は学園の経営者である理事長の娘アイリーン・クロフォード公爵令嬢に精神的に追い詰められていた。
芋女の私になぜか完璧貴公子の伯爵令息が声をかけてきます。
ありま氷炎
恋愛
貧乏男爵令嬢のマギーは、学園を好成績で卒業し文官になることを夢見ている。
そんな彼女は学園では浮いた存在。野暮ったい容姿からも芋女と陰で呼ばれていた。
しかしある日、女子に人気の伯爵令息が声をかけてきて。そこから始まる彼女の物語。

夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。

忘れられた薔薇が咲くとき
ゆる
恋愛
貴族として華やかな未来を約束されていた伯爵令嬢アルタリア。しかし、突然の婚約破棄と追放により、その人生は一変する。全てを失い、辺境の町で庶民として生きることを余儀なくされた彼女は、過去の屈辱と向き合いながらも、懸命に新たな生活を築いていく。
だが、平穏は長く続かない。かつて彼女を追放した第二王子や聖女が町を訪れ、過去の因縁が再び彼女を取り巻く。利用されるだけの存在から、自らの意志で運命を切り開こうとするアルタリア。彼女が選ぶ未来とは――。
これは、追放された元伯爵令嬢が自由と幸せを掴むまでの物語。


声を取り戻した金糸雀は空の青を知る
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
「大切なご令嬢なので、心して接するように」
7年ぶりに王宮へ呼ばれ、近衛隊長からそう耳打ちされた私、エスファニア。
国王陛下が自ら王宮に招いたご令嬢リュエンシーナ様との日々が始まりました。
ですが、それは私に思ってもみなかった変化を起こすのです。
こちらのお話には同じ主人公の作品
「恋だの愛だのそんなものは幻だよ〜やさぐれ女騎士の結婚※一話追加」があります。
(本作より数年前のお話になります)
もちろん両方お読みいただければ嬉しいですが、話はそれぞれ完結しておりますので、
本作のみでもお読みいただけます。
※この小説は小説家になろうさんでも公開中です。
初投稿です。拙い作品ですが、空よりも広い心でお読みいただけると幸いです。

【完】ええ!?わたし当て馬じゃ無いんですか!?
112
恋愛
ショーデ侯爵家の令嬢ルイーズは、王太子殿下の婚約者候補として、王宮に上がった。
目的は王太子の婚約者となること──でなく、父からの命で、リンドゲール侯爵家のシャルロット嬢を婚約者となるように手助けする。
助けが功を奏してか、最終候補にシャルロットが選ばれるが、特に何もしていないルイーズも何故か選ばれる。

王子を助けたのは妹だと勘違いされた令嬢は人魚姫の嘆きを知る
リオール
恋愛
子供の頃に溺れてる子を助けたのは姉のフィリア。
けれど助けたのは妹メリッサだと勘違いされ、妹はその助けた相手の婚約者となるのだった。
助けた相手──第一王子へ生まれかけた恋心に蓋をして、フィリアは二人の幸せを願う。
真実を隠し続けた人魚姫はこんなにも苦しかったの?
知って欲しい、知って欲しくない。
相反する思いを胸に、フィリアはその思いを秘め続ける。
※最初の方は明るいですが、すぐにシリアスとなります。ギャグ無いです。
※全24話+プロローグ,エピローグ(執筆済み。順次UP予定)
※当初の予定と少し違う展開に、ここの紹介文を慌てて修正しました。色々ツッコミどころ満載だと思いますが、海のように広い心でスルーしてください(汗
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる