【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音

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本編

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夜は町で宿を取ってくれたが、部屋は伯爵と同室にされた。

「結婚もしていない男女が同じ部屋に泊まるなんて、悪評になるわ!
あなたは《伯爵》なのでしょう?爵位に傷が付きますわ!」

説得出来ると思ったが、伯爵は一蹴した。

「気遣いは無用だ、花嫁を迎えるのだから、悪評にもならない」

「わたしが結婚しなかったら?」

「結婚はして貰う」

厳とした声に、わたしはぞっとした。
この男ならば、わたしの意思を無視して、成し遂げてしまう気がした。

伯爵にはわたしの意思など関係無いのだ。
ただ、自分が満たされれば良いだけ…
なんて惨めなんだろう…
わたしは自分が不幸になる未来が見えた気がし、唇を噛んだ。


着替えや身支度の時は外に出ていてくれ、良かったのだが、
問題は就寝時で、ベッドは別でも、男と一緒の部屋で寝る事には抵抗があった。

「何もしないと、神に誓って!」

「誓って何もしない。
だが、逃亡しようとした時には、ベッドに縛り付けるから、そのつもりでいろ」

伯爵はわたしの考えが読めるのだろうか?
逃亡して、何処かの町に身を隠し、仕事をしながら生きて行く…
考えなくも無かったが…現実的に難しい事は確かだ。

わたしは渋々、「逃亡なんてしないわ」と誓った。
そして、半ば不貞腐れ、ベッドに入り、上掛けを頭まで被った。

「お休みなさい!」

「おやすみ、アリシア、良い夢を」

婚約者から愛されていないと思い知らされ、家族から身売りをさせられ、
住み慣れた愛すべき町から攫われ、窮屈な馬車の旅を強いられて…
良い夢など、見られる筈が無いわ!

嫌い!嫌い!皆、大嫌い!!

独りでは生きられない、
愛する人から愛して貰えない自分が、一番嫌いだわ…


その夜、久しぶりにあの夢を見た。

長い髪の女性が、黒髪の男性を見つめている。
女性が声を掛けると、男性は振り返り、笑みを見せた。
二人は幸せそうに寄り添い、お喋りをし、笑い合う…

幸せな夢___


目を覚ましたわたしは、胸が苦しく、泣いていた。

「う…ひっく…」

「アリシア」

伯爵がわたしの隣に座り、優しく抱きしめてくれた。
わたしはその温もりに甘え、泣き喚いていた。

「どうして、わたしはエリックに愛して貰えないの!?婚約までしたのに…!
エリックは、わたしが他の男に嫁いでも平気なの!
その上、お金の為に結婚させられるなんて!自分が惨めだわ!」

憧れの素敵な男性との結婚、そして、愛のある家庭___
思い描いていた事が、寸前で、ガラガラと崩れていった。

わたしが何をしたというの?
これは、どんな罰なの!?

神様に憎まれているとしか思えなかった。

「アリシア、愛して貰えかったのは、相手を間違えたからだ。
君の運命の相手は、彼じゃない、俺だろう?
カーニバルの夜、俺は君をみつけ、キスをした。
君は《愛の女神の祝福》を受け、俺に愛され、幸せな結婚をするんだ。
金の為じゃない、愛の為だ」

カーニバルの夜、伯爵はわたしを見つけ、キスをした。
わたしたちは《愛の女神》の祝福を受けたのだ。
これは惨めな結婚では無い、運命だ___
そう思える事が出来たら良かったが、わたしには自信が無かった。

「でも…あなたを愛せる自信が無いの…」

わたしが言った瞬間、彼は息を飲み、体を固くした。

わたしは自分が彼に甘え過ぎていた事に気付いた。
これ程、愛してくれている人に、酷い事を言ってしまったわ…
尤も、伯爵が愛しているのは嘗ての恋人、エリーズなのだけど…

わたしはエリックを失った。
優しくて気品があって、爽やかで人気者で、ずっと憧れていた。
だけど、最後に言われた言葉は、酷いものだった。
酷過ぎて、未だに彼が言った事だと信じられないでいる。
「間違いだった」と迎えに来てくれると…
わたしを追って来てくれると…

だけど、本当は、気付いている。
彼が追って来る事は無いと___

認めなければいけない。

エリックは、きっと、わたしの運命の人では無かったのよ…
そうよ、カーニバルでも、わたしたちは出会う事すら出来なかったのだから…

「もし、あなたがエリックだったら、わたしを攫って逃げてくれた?」

「当前だ、君が家族を心配し泣いて嫌がっても、俺は君を攫って逃げる」

そうだと思ったわ…

何故か、わたしはそう呟いていた。

わたしは視線を落とし、指を擦った。
左指にはもう、指輪は無い。
それを寂しく思う。

愛されたい、愛したい。

それが、伯爵であれば、誰にとっても幸せだろう…

「わたしがあなたと結婚をしたら…家への援助を約束して下さいますか」

「ああ、それは最初から約束している」

わたしは「ありがとうございます」と頷く。

「わたしが結婚を承諾するとしたら、それは家の為です。
あなたはそれでも構わないのですか?」

相手が怒っても仕方が無い事を言っているのは承知している。
だが、伯爵は平然と言い切った。

「構わない、俺が君に愛される努力をする、それだけだ」

その言葉はわたしの胸を打つ。
こういう人に愛されたいと思う。
だけど、そんな相手に対し、わたしは何の感情も持ってはいない…
良い顔は見せられなかった。
だが、誠実に向かい合わなければ…

「自信はありませんが、わたしも努力をします、あなたを愛せるように…
だから、わたしに、少し時間を下さい…」

「結婚を待てと?」

伯爵が胡乱な目になる。
わたしは頭を振った。

「結婚はします。
ですが…体の方は…」

羞恥心もあり、顔が熱くなる。
だけど、どうしても、約束して欲しかった。

「せめて、愛し愛されて、抱かれたいの…」

これ以上、惨めになりたくない___!

涙が零れると、ごつごつとした太い指が、それをそっと拭ってくれた。

「分かった、約束しよう。
俺をこれだけ待たせるのは、おまえだけだ…」

優しい声に安堵し、わたしは息をした。

「ユーグ、俺の事はユーグと呼んでくれ、アリシア」

顔を上げると、そこには深く濃い青色の瞳があり、甘く煌めいていた。
わたしは戸惑いつつ、

「はい、ユーグ…」

たどたどしい笑みを返した。


◇◇


『愛せる様に、努力をする』

結婚を決めたからには、エリックの事は忘れなければいけない。
未練に思ってはいけない。
運命を嘆いてはいけない。

わたしはユーグと結婚する___!

ユーグを《運命の人》と決めるの!
わたしはユーグと結婚し、幸せになってみせる!

そう、惨めになってはいけない、誇り高くあるべきなのだ!
だって、わたしは____

「わたしは…何と言おうとしたのかしら?」

まただ、言葉にする寸前に、それは頭の中で霧散してしまった。

「まぁ、いいわ」

わたしは姿見の中の自分に頷くと、部屋を出た。
扉の外では、衛兵よろしくユーグが立っていた。
きっと、真面目で騎士道精神を持った人だわ…

「ユーグ、お待たせしました」
「いや、構わない、朝食にしよう」

ユーグは年の所為なのか、落ち着いた人だ。
貴族らしく礼儀正しいし、姿勢も良い。
年の割には老けていないし、お腹も出ていない。
鍛えているのかしら?

ユーグと連れ立って宿屋を出て、近くの料理店に入った。
客がチラチラと、こちらを見ている事に気付いた。
何かしら?

「皆が見ているけど、わたし、変な恰好はしていないでしょう?」
「ああ、きっと、君が可愛いからだろう」

サラリと言われ、わたしはドキリとした。
そんな事も言うのね…
考えてみれば、わたしたちは出会ってから、碌に話しもしていなかった。
キスは何度もしたけど___
頭を過り、わたしは赤くなる頬を手で擦った。

ユーグが当然の様に、椅子を引いてくれた。
こういう事をスマートにやってのけるのも、貴族らしい。
エリックと出掛けた時も、いつも椅子を引いてくれていた…
つい思い出してしまい、わたしは頭を振って追い出した。

「さぁ!食べましょう!お腹がぺこぺこだわ!」

昨日はショックもあり、食事をしていなかった。
わたしは意気揚々とメニュー表を見た。
そこには、《朝食》と書かれているだけで、わたしは思わず、裏面まで見てしまった。

「朝は頭が回らないものね、悩ませないでくれるなんて、親切なお店ね!」

わたしが言うと、ユーグが「ふっ」と口元を緩めた。
ユーグは真面目そうだし、暗そうだけど、冗談は好きそうだ。
わたしは安堵し、ニンマリと笑った。
エリックは冗談を分かってくれなかったのよね…いつも澄ましていた。
貴族だからかと思っていたけど、違うのね…

「朝食を二つ」
「飲み物は?」
「私はコーヒー、君は?」
「わたしは紅茶にするわ」
「パンはお一つですか?」
「パンは何?」
「クロワッサンです」
「私は二つ、君は?」
「わたしは一つ、朝食には何が付いているの?」

わたしが聞くと、店員は面倒臭そうな顔をした。

「目玉焼き、ソーセージ、野菜のスープ、クロワッサン、飲み物です」
「果実は無いの?」
「外に出て、真直ぐ行ったら市場があります」
「そう、教えてくれてありがとう!」
「いえ…」

店員が戻り、わたしはユーグに向かって笑い掛けた。

「わたしたちって、お互いの事、何も知らないわね!」
「そうらしいな」
「エリーズは紅茶派?コーヒー派?」

ユーグはすんなりと答えると思っていた。
だが、急に表情を消し、目を反らした。

「分からない」
「分からない?恋人だったのに?」

思わず言ってしまい、わたしは手で口元を隠した。
ユーグはテーブルの上で指を組んだ。

「エリーズとは、一夏しか一緒にいられなかった。
出会って、一目で恋に落ち、告白した。
会うのはいつも外で、ピクニックもしたが、彼女は何でも美味しいと言って食べていた…」

一夏の間に、出会って恋に落ち、別れを経験するなんて…
別れは辛かったのだろうと、ユーグを見て想像が付いた。
きっと、もっと一緒に居たかった筈だ。
そんな想いを拗らせ、生まれ変わりを探していたのだろうか?
ユーグの愛は、想像以上に深く重いものに感じた。

「聞いてしまって、ごめんなさい、話したくなければ、話さなくていいのよ。
辛い事まで思い出す事は無いわ…」

「ありがとう…」

空気が重くなった所に、店員が朝食を運んで来てくれ、話を反らす事が出来た。

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