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フェリクスが推測した通り、館に戻った時、クリスティナは着替えを済ませ、階段から降りて来た所だった。
紺色のスッキリとしたワンピースを見れば、彼女が本気で付いて来る気だった事が分かる。

「参りましょう」

クリスティナは本気で、わたしたちが待っていたと思った様だ。
自分の動作の遅さを知らないのか、周囲が待って当然の生活をしてきたのか…
きっと、両方ね!
わたしは呆れ半分でポカンとしたが、フェリクスは上手く取り繕った。

「申し訳ありません、急いでいたので先に行かせて頂きました。
僕はこれから伯爵の手伝いに戻りますので、ここで失礼します。
晩餐でお会いしましょう、オリーヴも、後でね」

フェリクスはわたしの頬にキスをし、去って行った。
これには流石のクリスティナも口を挟めなかった様だ。
安堵したものの、フェリクスの背を見つめるクリスティナに、また胸がざわざわとし始めた。
踵を返そうとした時、ふっと、彼女がわたしを振り返った。
半分下ろされた瞼の下から覗く、その琥珀色の瞳には、剣呑な光があった。
堅い表情からも、わたしに対しての敵意が見えた___

「失礼致します___」

わたしは言葉少なく言い、踵を返した。
彼女が引き止めて来なかった事に安堵しつつ、わたしは庭に降り、早足で突き進んだ。

胸がドキドキとしている。
モヤモヤとし、嫌なものが纏わりついて離れない___
思い切り、叫びたいような、暴れ回りたいような気分に、わたしは庭の一角、
外からの視界を遮ってくれる、いつもの場所へと行っていた。


「ヤーー!!」
「ヤーー!!」
「ヤーー!!」

剣は持っていないので、手頃な木の枝で思い切り、素振りをした。
だが、集中しようとしても、クリスティナとフェリクスの姿が浮かんでは、消えて行く。
幾らかして、わたしは素振りを止め、短く刈られた芝生の上に、仰向けになっていた。

クリスティナは、フェリクスの事が好きなの?
フェリクスは、クリスティナをどう思っているの?

フェリクスはどんな女性が好みなの?
わたしを、まだ、好きでいてくれている?
それとも…

「やっぱり、彼女の方が、良いわよね…」

高い空に向けて呟いた。
当然だわ…
クリスティナとわたしが並んでいたら、皆、クリスティナを選ぶに決まっている。
わたしを選ぶ男性なんて、いない___
そんなの、ずっと前から分かっていた事じゃない…
それなのに、どうして、こんなに辛くなるの?

「これは、これは、オリーヴ様、どうなさったのかな?」

しわがれた声に、わたしはそちらを見た。
麦わら帽子を被った老人…ガブがやって来た所だった。

「こんな所で寝ていたら、悪い病に掛かりますぞ?」
「そうね、ごめんなさい…」

わたしは無意識に返事をし、体を起こした。
スカートの汚れをパンパンと手で叩いて落とすも、それは習慣に過ぎず、頭は真っ白だった。
ガブもそれに気付いた様だ。

「今日は元気がありませんな?
何かあったのなら、この老人にお話なさい、他言はしませんぞ」

他言はしないと言っても、館の使用人だ。
他の使用人に話してしまう事もあるだろう。
そこまでは、信用していないし、そんな風になり、ガブと気まずくなるのは嫌だ。

「何もないわ、でも、心配してくれてありがとう、ガブ」

だが、ガブはじっと、わたしを見ていた。
話して欲しそうだ。
お節介ね…それとも、年の功で、見抜かれているのかしら?

「正直に話すと…
フェリクスを繋ぎ止めておく、自信がないの。
クリスティナは格上で、見目も良いし、上品で慎み深くて…
非の打ち所の無い、完璧なご令嬢なの。
フェリクスが彼女を好きになっても、仕方ないわよね…」

「ほう、フェリクス様が心変わりをしたと?」

「フェリクスはいつもと変わらないけど…
そうなるかもしれないと心配しているのよ…」

わたしは深く息を吐き出した。
だが、ガブは呑気にも笑っていた。

「何がおかしいの?」

「いや、すまんすまん、あんたを見ていると微笑ましくてな」

時々、ガブはわたしが《館の客》だと忘れ、口調が雑になる事がある。
だが、わたしは気にしていない。
何と言っても、相手は老人、わたしよりもずっと長く生きているのだから。

「微笑ましいかしら?」

「ああ、恋をする娘は、実に可愛らしいもんじゃからな」

恋?
わたしが、フェリクスに?

カッと顔が熱くなった。

「《恋》なんかじゃないわ!《恋》は一時の熱病でしょう?病よ!
恋をすると、正気じゃなくなるというわ!わたしはまともよ!」

わたしは強く反発したが、ガブは「ははは!」と声を上げて笑った。
何がおかしいのかしら???
わたしは唇を尖らせ、胡乱に見ていたが、ガブは構わず、気の済むまで笑っていた。

「確かに、一時的に燃え上がり、冷めるやもしれん、正しく《病》と言えよう。
だがな、人は、《恋》をして、《愛》を見つけるんじゃ」

恋をして、愛をみつける?

「ガブには、そういう人がいるの?ガブは結婚しているの?」

「ああ、若くして出会い、直ぐに恋に落ちた。
可愛らしい娘でな、わしは猛烈にアタックしたもんじゃ!
彼女がわしを好きだと打ち明けてくれた時には、天にも昇る気分じゃった!
彼女を抱き上げ、草原を駆け回ったもんじゃ!」

やっぱり、病だわ…
人を狂わせるのね…

「十年前に亡くなったが、今でも変わらず、彼女を愛し続けておるよ。
わしには他の女性など必要ない、どれ程美人であっても、魅力的でも、彼女程には、愛せん。
燃え上がった恋の《後遺症》かもしれんな…」

最後は軽口の様に言ったが、ガブは幸せそうだった。
ガブの言葉や、その表情を見て、わたしの胸はキュっとした。

素敵だわ…

「だけど、もし、片方だけの《恋》なら…
それは、生涯、自分を苦しめるものにならない?」

そうなれば、後悔しか残らないんじゃないかしら?
不安になったが、ガブはあっさりとしていた。

「なーに、それは、それで、深みと魅力になる」

深みと魅力??それって、何???
顔を顰めるわたしに、ガブは続けた。

「おまえさんは若いんじゃ、先の心配などして、つまらん生き方をするな!
恐れずに、《恋》をするんじゃ!そうせんと、何れ、後悔する___」

ガブはそれだけ言うと、背を向け、去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、

恋をしてみても良いかもしれない…

そんな風に思えた。

「片恋は嫌だけど!」


◇◇


ガブと話した事で、スッキリした事もあったが、やはり、問題は山積していた。

晩餐の後、パーラーでの、クリスティナとフェリクスの演奏は恒例になっている。
二人の演奏は息が合っていて、自然で…それが、わたしに疎外感と不安を抱かせる。
エリザベスはそれを察してか、「あたしが弾くわ!」と率先してピアノを弾こうとしてくれるが、
それはいつも、「お客様にお譲りなさい!」とベアトリスに阻まれるのだった。

わたしは必死に気持ちを隠し、その場で音楽を楽しむ演技をした。
エリザベスが隣に居てくれる事が救いだった。
エリザベスはいつもわたしを気遣ってくれ、味方でいてくれるので心強いが、
必要以上に気を遣われるのには、閉口していた。

「お兄様!素敵だったわ!さぁ!座って!お姉様の隣に!」

演奏が終わると、エリザベスはフェリクスの元に駆け付け、無理矢理、彼をわたしの隣に座らせる。
わたしはその度に、奇妙な気持ちになる。
うれしい気持ちと、反面、『余計な事を!』という気持ち…
勿論、エリザベスは好意でしてくれるのだから、ウインクで合図を送ってきても、笑みを返すしかない。
フェリクスがうんざりしていないか心配になるが、彼はいつも通り、穏やかに微笑んでいるだけだ。

「オリーヴ、どうだったかな?」
「素晴らしかったわ!」

わたしは音楽に然程精通していないので、いつも気の利いた感想は出て来ない。
その事に気付いているだろう、ベアトリス、クリスティナが鼻で笑うのを、
今更なのに、どうしてだか、わたしは酷く屈辱に感じるのだった。


「ああ、晩餐なんて出たくない___」

食べる事が大好きな自分が、そんな事を口走っている。

全く、どうかしているわ!
ベアトリスやクリスティナの嫌味なんて、いつものわたしなら、一息に吹き飛ばしてやれるのに!
どうして、こんなに、落ち込んだり、気弱になったりするのだろう?

「わたし、恋をしているの?」

もっと、素敵なものなら、歓迎するのに…

全く歓迎出来なかった。

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