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その日、フォーレ伯爵家に、一台の立派な馬車が着いた。
降り立ったのは、派手さはないが、整った顔立ちの上品な令嬢だった。

晩餐の際、ベアトリスが彼女を連れて現れ、得意気に紹介をした。

「彼女は、クリスティナ=シャレイ侯爵令嬢、
私のお友達、アドリーヌ=シャレイ侯爵夫人のご令嬢ですの。
暫くこの館に滞在する事になりましたから、失礼の無い様にお願いしますね」

誰もが初耳だっただろう。
皆、目を丸くするも、声に出すのは止まっていた。

「クリスティナです、ご招待頂き、光栄です、お世話になります」

彼女はゆっくりとした口調で挨拶をした。
結い上げられた白金色の髪、半分伏せられた瞳、
繊細で整った顔立ち、化粧は然程濃くはない。
肌は白く、華奢な体つき、豪華なドレス…見るからに、高位貴族の令嬢だ。
上品で落ち着いているが、何処か生気を感じなかった。

「良く来て下さいました___」

ドミニクが歓迎の言葉を述べ、フェリクス、エリザベス、そしてわたしを紹介した。

「それから、フェリクスの婚約者候補の、オリーヴ=デュボワ伯爵令嬢です。
同じく、この館に滞在しています、皆、年が近いので、話も合うでしょう」

ドミニクは楽観的だったが、少なくとも、エリザベスとわたしは、不審を抱いていた。

ベアトリスが連れて来た年頃の令嬢、しかも、格上の侯爵令嬢とくれば、
それは、ベアトリスが選んだ、フェリクスのお相手という事だ___

クリスティナは静かにゆっくりと、こちらに向かって歩いて来る。
わたしはそれに気付き、彼女に席を譲り、下手に座った。
相手が格上で、客とくれば、当然の事で、わたしは構わないのだが、
向かいの席では、エリザベスが顔を顰めていた。

クリスティナは当然の様に席に着いた。

驚いたのは、食前に、クリスティナが指を組み、祈りを捧げ始めた事だ。
食前の祈りは、通常、手短に済ませるのだが、
彼女は何やらブツブツと言っていて、一向に顔を上げない。
わたしたちは茫然としていたが、ベアトリスが『皆も習いなさい!』とばかりに睨み、指を組んで目を閉じたので、
わたしたちも従ったのだった。

クリスティナは動作がゆっくりしているらしく、食事にも時間を掛けていた。
しかも、小食で、ほとんどの料理を残していた。
それに、肉を食べない…

菜食主義なのかしら??

わたしは物珍しく、つい横目に見ていた。
クリスティナも視線に気付いたのか、チラリとわたしの方を見た。
視線が合い、わたしは無難にニコリと微笑んだが、彼女の方は冷たく一瞥しただけだった。

随分、愛想が無いのね…
それとも、ベアトリスから何か言われているのかしら?
そうであっても、驚かない。
きっと、エリザベスが反旗を翻したので、代わりをクリスティナにさせるつもりだろう。
フェリクスの実母とは言え…全く、嫌な女ね!!
ベアトリスを見ると、彼女にも通じたらしく、こちらを見ながらニヤニヤとしていた。


晩餐が終わり、いつも通り、皆でパーラーに移動した。
そこで、早速、ベアトリスが仕掛けてきた。

「クリスティナはピアノがとてもお上手なんですよ、
クリスティナ、一曲弾いて頂けるかしら?」

クリスティナは小さく頷くと、静々とピアノの方へ行き、音も無く椅子に座った。
そして、鍵盤に手をやり、弾き始めた。
それは、彼女らしい、ゆったりとした曲で、川のせせらぎの様に清純だった。

「~♪~~~♪」

わたし、いやこの場にいる皆が、無意識に目を閉じ、曲の世界に入っていた。

浄化されそうになったわ…

曲が終わり、場はしんと静まり返っていた。
それを破ったのは、やはり、浄化など効かない、ベアトリスだった。

「パン!パン!パン!」

彼女の手が立てる大きな音に、皆が我に返り、同調する様に拍手をした。

「まぁ!素晴らしいわ!クリスティナ!こんなに素晴らしい音色は中々聞けませんよ!
ねぇ、そう思わない?フェリクス」

ベアトリスがフェリクスに同意を求める。
わたしは彼が何と言うか緊張し、息を詰めた。

「はい、とても良い音ですね、惹き込まれました」

フェリクスが微笑みを浮かべて言うので、わたしの胸はズキリと痛んだ。
不安の雲が立ち込めてきた。
フェリクスから求婚されてはいるけど、わたしには自信が無い。
だから、こうして、自分よりも優れた令嬢が現れると、不安になってしまうのだろう…
わたしは知っているから、自分がどんな令嬢たちにも敵わない事を…

ただでさえ、見目が悪いのに…
わたしときたら、令嬢が出来て当然の事が、まるで出来ないんだもの…

これまで、散々に、ベアトリスやエリザベスから馬鹿にされてきたが、
縁談を破談にしたいという気持ちがあり、喜んで受けていた。

だけど、今は…
凄く、不安だし、悲しいし、惨めだわ…

こんな気持ち、初めて…

「ほー!ほっほっほ!
そうでしょう!そうだわ、折角だから、オリーヴにも一曲弾いて貰いましょうか」

ベアトリスが言い出し、わたしはビクリとした。
怯えている自分に驚く。
怯えるなんて!こんなの、わたしらしくない!
今更、恥ずかしい事なんて無いじゃない!
わたしが下手な事位、皆知っているもの!
そう、クリスティナ以外…

どうしてだか、わたしは彼女に下手だと思われるのが嫌だった。

だが、断れる状況ではないし、上手く断れる自信も無い___
進退窮まった時だ、

「お母様!あたしが弾くわ!今、とっても弾きたくなったの!」

わたしが窮地に立たされていると察したエリザベスが声を上げた。
そして、ベアトリスが静止する前に、どすんと、ピアノの前に座ったのだった。

「まぁ!エリザベス、お行儀が悪い…」

ベアトリスは批難しようとしたが、フェリクスが遮った。

「エリザベス、曲は【青き光の聖戦】が良い」

エリザベスは直ぐにその曲を弾き出した。
指を叩き付けるように強く弾く、エリザベスの快活さに合っていた。
だが、それだけではない。
これは、わたしの好きな曲だ___

「オリーヴ」

フェリクスがわたしの手を引き、ピアノの方に向かう。
エリザベスが気付き、驚いた顔でこちらを見た。
フェリクスは構わずに…

「歌って」

わたしの耳元で囁いた。

わたしは瞬時に、その意図を察した訳ではない。
ただ、わたしは彼に操られる様に、歌い出していた。

力強く、高らかに!

曲が終わり、場がしんとした。
その一瞬後、「パン!パン!パン!」と、フェリクスが大きく手を打った。
ドミニクがそれに続き、クリスティナも拍手をする。
こうなれば、ベアトリスも拍手をしない訳にいかず、引き攣った顔で拍手をしていた。

エリザベスは大きな笑みを見せ、わたしにウインクを送ってきた。
わたしは深く息を吐き出し、エリザベスに笑みを返した。
傍に立つフェリクスには、苦笑を向けた。

「どうして、わたしが歌えると分かったの?」

フェリクスは甘い笑みを見せた。

「君がテラスで歌っているのを、聞いた事があるから、かな?」

わたしは、「ああ!」と思い出した。
老犬ダイアン相手に歌う事があるが、まさか、聞かれていたとは思わなかった。

「綺麗な声をしていたし、上手だったから、
一度しっかり聞いてみたいと思っていたんだ、とても素敵だったよ…」

フェリクスがわたしの頬にキスをする。

「!!」

わたしは真っ赤になっていたかもしれない。

「オリーヴ!歌はいいから、ピアノを…」

ベアトリスが大声を上げたが、エリザベスがわざとらしく、再びピアノを弾き始めた。
フェリクスはわたしの肩を抱き、「僕たちはこれで失礼します」とパーラーから連れ出してくれた。

「フェリクス!あなたたちは、まだ婚約していないんですよ!」と、
ベアトリスの批難の声が聞こえていたが、わたしたちは当然、聞こえない振りをした。
「まぁ、いいじゃないか、エリザベスの演奏を聴こう!」とドミニクが言っていたのが聞こえたので、大丈夫だろう。


「フェリクス、ありがとう…」

フェリクスはわたしを部屋まで送り届けてくれた。
わたしがお礼を言うと、フェリクスは頭を振った。

「僕の方こそ、母がごめんね」

「ベアトリス夫人はわたしが嫌いみたいね、
あなたは、母親が嫌いな娘と結婚出来るの?」

自分でも驚く程、大胆な事を聞いていた。
これで、彼が『出来ない』と言えば、わたしたちは終わりなのに…!
わたしは言ってしまった事を後悔した。
息を詰めるわたしに、フェリクスは微笑んだ。
だが、その目には真剣な光があった。

「母は関係無い、例え、伯爵が反対しても、僕は自分の選んだ人と結婚するよ。
彼等の人生じゃない、僕の人生であり、僕と一生を共にする人だからね___」

わたしの胸が、トクリと音を立てる。
だが、フェリクスは…

「だから、君も、ゆっくり考えて欲しい。
僕を知って、答えを出して欲しい…」

フェリクスはわたしの頬にキスをし、微笑んでから去って行った。
わたしは頬に手を当て、息を吐いた。
それは甘い吐息に違いない。

『だから、僕と結婚して欲しい、オリーヴ』

そう言われたなら、わたしは頷いていただろう。
わたしのものにして、クリスティナを近付けたりしないのに!

だが、縁談の打診をされ、返事を引き延ばしてしまったのは、誰でもない、わたしだ。
あまつさえ、破談に持ち込もうとすらしていたのだ…

「だって、こんなに、好きになるなんて、思わなかったんだもの…」

フェリクスの正気も疑っていたし…

「はっきりと言わないのは、フェリクスも迷っているから?」

嫌な事を考えてしまい、わたしは頭を振り、部屋に入った。
こんな日は、さっさと寝てしまおう!!

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