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10 エリザベス/
しおりを挟む◆◆ エリザベス ◆◆
「エリザベス!協力して頂戴!二人であの大女を追い出すのよ!
そうでもしないと、フェリクスもこのフォーレ伯爵家も、終わりよ!」
お家の事だ、エリザベスは一にも二も無く、賛成したのだった。
だが、伯爵令嬢であるエリザベスは、悪意には然程縁が無く、ベアトリスの様な狡猾さは持ち合わせていない。
館に滞在するオリーヴと会えば、その容姿や無口な事を貶す位だった。
一度、ピアノを弾かせたが、全く酷いもので、耐えられずに部屋を出てしまった。
「伯爵令嬢なのに、ピアノが下手だなんて、恥ずかしくないの?」
翌日、会った時に嫌味を言ってやったが、オリーヴはピクリとも表情を変えず、
「大変、恥ずかしく存じます」と淡々と答えただけで、エリザベスにとっては肩透かしだった。
ある時は刺繍をさせてみた。
オリーヴは少しも悪びれず、堂々と塵の様な刺繍を見せてきて、
エリザベスは散々に笑い、貶した。
だが、オリーヴは表情一つ変えず聞いていた。
エリザベスは遂に切れ、大声で言ってやった。
「下手だと分かっているなら、もっと練習なさいよ!
そんなんじゃ、次期伯爵夫人にはなれないわよ!」
だが、オリーヴはまたもや淡々と、「はい、確かに、その通りでございます」と返しただけだった。
「なんなの、あの人…
まるで、血が通っている様には見えないわ!
《伯爵夫人》なんて、どうでも良いみたい!」
その時、ふっと、エリザベスの頭に、以前耳にした噂が蘇った。
それは、『フェリクスからの縁談の打診を、オリーヴが保留にしている』、
『フェリクスの方がオリーヴに惚れている』…というものだ。
エリザベスはこれまで、全く信じていなかった。
フェリクスの様な見目麗しく、賢く、裕福な家の跡取り候補から求婚されて、
断る様な令嬢がこの世にいるだろうか?
幾ら、フェリクス自身がオリーヴを『僕が招いて来て貰った』等、立てていても、
優しいし、礼儀を重んじているだけと流していた。
「あの、お兄様が、片想いしてるっていうの??」
しかも、相手は、規格外の大女だ!
アレが、将来義姉になるのかと思うと、ぞっとした。
「あり得ない!あたしは信じないからーーー!!」
兄フェリクスは正直、モテる。
少し前にデビュタントを終え、パーティに同伴して貰ったが、その時も令嬢がわんさか寄って来た。
フェリクスは慣れているのか、涼しい顔をして、適当に相手をしていた。
フェリクスならば、格上の令嬢も手に入れられるだろう。
それなのに、あんな大女に、片想いだなんて…
「お兄様の目を覚まさせてあげないと!!」
エリザベスは強い使命感と共に、オリーヴがどれ程駄目女か、フェリクスに知らせる事にした。
だが、塵の様な刺繍を見ても、フェリクスは称賛し…彼には模様に見えるらしい。
屑の様な編み物にも、垂れ下がったボタンにも、にこやかに彼女の努力を褒めた。
「お兄様は優し過ぎるから…」
そこが好きだが、今のエリザベスにとっては、額を押さえさせるものでしかない。
オリーヴへの嫌味も力を入れているが、彼女は傷付いた顔一つ見せない。
まるで手応えが無く、カカシに話しているかの様な感覚がし、
時間が経つ程に、エリザベスの方が虚しくなっていた。
「お母様、今の所、全く効果が無いわ!
あの人、何を言っても、怒りもしなければ、泣きもしないもの!
あんなの、ただの…棒人間よ!
お兄様は馬鹿みたいに、ヘラヘラしてるし!もう、どうしたらいいの!??」
ベアトリスも苦々しく口を歪めた。
「しぶといわね…泣いて逃げ帰れば、まだ可愛気もあるでしょうに…
体と同じで、神経も図太い様ね!
でも、大丈夫よ、手は打ってあるから。
エリザベス、あなたはこのまま、オリーヴに意地悪をして、居心地悪くしてやりなさい」
ベアトリスが怪しげな笑みを浮かべる。
エリザベスは、何を仕組んでいるのか気になったが、
取り敢えずは肩の荷が下りたので、蒸し返す事はせず、「それよりー」と話しを変えた。
「週末、パーティに行っても良いでしょう?お兄様に付いて来て貰うから!」
エリザベスはパーティを楽しみにしていた。
その理由は、想う令息がいたからだ。
パトリック=ロシュ男爵子息。
若く、男らしく、明るく爽やかで、その上、男爵家の跡取り子息だ。
エリザベスはパーティで彼に会い、一瞬にして虜になってしまった。
パーティに行き、彼と親しくなり、ゆくゆくは…と考えていた。
ベアトリスはエリザベスが良い男を捕まえて来ると期待しているので、あっさりと許可した。
だが、少し考えた後…
「フェリクスを連れて行きなさい、ついでにオリーヴもね。
パーティで恥を掻かせてやれば、流石のフェリクスも考え直すでしょう!おほほほ!」
ベアトリスは楽しげに笑う。
エリザベスは正直、パーティを楽しみたかったので、この時ばかりは迷惑だったが、
母の機嫌を損ねてパーティに行けなくなっては、元も子もないので、
作り笑顔で、「分かったわ」と了承した。
◇◇ オリーヴ ◇◇
「ヤー!」
「ヤー!」
「――!」
庭の一角、人目を避けた場所で剣を振り、稽古に勤しんでいると、
ふと、視線に気付いた。
わたしは即座に振り返り、刃を向けたが、そこに居たのは、麦わら帽子を被った老人だった。
見掛けないが、その恰好からも、庭師の手伝いか、下男だろう。
「使用人の方ね?
ごめんなさい、稽古場にお借りしていたの、わたしは、オリーヴ=デュボワ伯爵令嬢です。
この館のご子息、フェリクス様に招待されているの、暫くお世話になります、よろしくね」
自分が不審人物ではないと説明する必要があるだろう。
まぁ、人を呼ばれても、ほとんどの館の者は顔見知りだから、大丈夫とは思うけど。
老人は頷いているのか、麦わら帽子が小さく揺れた。
そして、しわがれた声で控えめに、「そうでしたか、失礼しました」と言った。
だが、立ち去る気配は無い。
「もしかして、この場所の手入れに来たの?
だったら、ここは、わたしに任せて、お借りしているんだから、それ位はするわ。
何をしたら良いかしら?」
日頃から、落ち葉や落ちた枝などは拾っていたが、まだ足りなかった様だ。
「しかし、伯爵家のご令嬢に、その様な事が出来ますかな?」
「ええ、わたしは五体満足だし、頭も付いているから、大抵の事は出来る筈よ。
実家でも稽古場の管理は自分でしていたわ。
剣の手入れだってしているのよ?」
わたしは剣を見せた。
銀色の刃は、陽を浴びて、美しく光った。
老人は安心した様だ。
「それでは、手伝って頂けますかな」
「ええ、何でも言って!」
一緒に稽古場の手入れをした事で、この老人ガブと親しくなった。
会えば気軽に挨拶し、庭の話をしてくれる事もあった。
◇◇
フォーレ伯爵家に滞在してから二週間近くになる。
最初こそ、「縁談を破談にさせてやるわ!」と意気込んでいたけど、
この頃は、そんな事などすっかり忘れ、この生活を満喫していた。
勿論、ベアトリスとエリザベス、彼女たち付きの使用人たちは意地悪で、苛立ちはするが、
他の者たちは歓迎してくれているし、フェリクスとも思いの外、仲良く出来ている。
フェリクスは毎日仕事で忙しくしているが、わたしとの時間は、しっかりと持ってくれている。
それは、わたしを気に掛けてくれているという事だ。
「忙しいなら、無理はしないで良いわよ」と言っているが、
フェリクスはいつもの笑顔で、「ありがとう、君は優しいね」と返してくる。
それは返事になっていないのでは?と思いながらも、落ち着かなり、つい、流してしまう。
「恥ずかしい…というか、何か、もぞもぞするのよね…?
流石、白馬の王子様だわ…」
こういう時には、《白馬の王子》が頭を過るが、大抵の場合、忘れている事の方が多かった。
それは、慣れた所為もあるが、恐らくは、
フェリクスがわたしの描いた《白馬の王子》と、少し違うからだろう。
フェリクスは動物相手だと無邪気だし、表情もくるくると変わる。
言葉遣いだって、全然違う。
動物の事を話している時の彼は、活き活きとしていて、情熱を感じるのだ。
彼は、冷静沈着、事なかれ主義、令嬢たちを惹き付けるだけの、
そんな薄っぺらい《白馬の王子》ではない___と、今は思い始めている。
そして、フェリクスの良い面を見つける度に、わたしの内での彼の好感度は、爆上がりしている。
「最初が低かったのよ!」
きっと、最初の印象が悪過ぎて、何でも良く見えてしまうのだ!
でも、最も、この生活を一番良くしてくれているのは…
「わたしの可愛い子たち!」
老犬ダイアンに、番犬のジョイとボヌー、愛らしい猫たち、丁寧に手入れをされた馬たち!
それに牛や羊たちも!
愛おしくて堪らない!!
「ああ!わたし、みんなと一緒に、一生、ここで暮らしたいわ!」
ダイアンを抱き締めて言ってしまった事は内緒だ!
「あら?フェリクスだわ…」
わたしはふっと、庭の方から歩いて来るフェリクスに気付いた。
白いシャツにズボン…随分、寛いだ格好をしている。
向こうで何をしていたのかしら?
そういえば、今日は昼食に彼の姿が無かった…
わたしがぼんやりとそれを思い出していた所、
こちらに気付いたフェリクスが、「やぁ!」と手を振った。
「フェリクス!どうしたの?仕事をしているんだと思っていたわ!」
「産気づいた牛がいてね、手伝っていたんだ」
「ええ!?牛が生まれたの!?呼んでくれたら良かったのに!わたしも見たかったわ!」
「ごめんね、君が見たがるとは思わなくて…嫌がる人も多いからね…」
「わたしは嫌じゃないわ!」
「ふふ、そうらしいね、次からは君も呼ぶ事にするよ。
今から行く?可愛い子牛が見られるよ」
わたしは即座に「行くわ!」と立ち上がり、「行って来るわね!」とダイアンを撫でてテラスの手摺を超えた。
「オリーヴ!」
フェリクスが驚いてわたしを受け止めようとしたが、間に合わなかった。
だが、その方が良かった。わたしは独りで華麗に着地をしたのだから。
フェリクスが碧色の目を丸くしている。
彼のこんな顔を見る事は稀なので、わたしは「してやったり!」とにんまりした。
「慣れてるみたいだね?」
「いいえ、今日までは我慢していたわ、早く行きましょう!」
わたしはフェリクスの腕に自分の腕を絡ませた。
フェリクスはいつもとは違い、慌てていた。
「オリーヴ、僕は汚れているから…それに、臭うだろう?」
「ええ、でも、気にならないわ!」
わたしは笑って歩き出した。
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