上 下
10 / 22

10 エリザベス/

しおりを挟む

◆◆ エリザベス ◆◆

「エリザベス!協力して頂戴!二人であの大女を追い出すのよ!
そうでもしないと、フェリクスもこのフォーレ伯爵家も、終わりよ!」

お家の事だ、エリザベスは一にも二も無く、賛成したのだった。

だが、伯爵令嬢であるエリザベスは、悪意には然程縁が無く、ベアトリスの様な狡猾さは持ち合わせていない。
館に滞在するオリーヴと会えば、その容姿や無口な事を貶す位だった。
一度、ピアノを弾かせたが、全く酷いもので、耐えられずに部屋を出てしまった。

「伯爵令嬢なのに、ピアノが下手だなんて、恥ずかしくないの?」

翌日、会った時に嫌味を言ってやったが、オリーヴはピクリとも表情を変えず、
「大変、恥ずかしく存じます」と淡々と答えただけで、エリザベスにとっては肩透かしだった。

ある時は刺繍をさせてみた。
オリーヴは少しも悪びれず、堂々と塵の様な刺繍を見せてきて、
エリザベスは散々に笑い、貶した。
だが、オリーヴは表情一つ変えず聞いていた。
エリザベスは遂に切れ、大声で言ってやった。

「下手だと分かっているなら、もっと練習なさいよ!
そんなんじゃ、次期伯爵夫人にはなれないわよ!」

だが、オリーヴはまたもや淡々と、「はい、確かに、その通りでございます」と返しただけだった。

「なんなの、あの人…
まるで、血が通っている様には見えないわ!
《伯爵夫人》なんて、どうでも良いみたい!」

その時、ふっと、エリザベスの頭に、以前耳にした噂が蘇った。
それは、『フェリクスからの縁談の打診を、オリーヴが保留にしている』、
『フェリクスの方がオリーヴに惚れている』…というものだ。

エリザベスはこれまで、全く信じていなかった。

フェリクスの様な見目麗しく、賢く、裕福な家の跡取り候補から求婚されて、
断る様な令嬢がこの世にいるだろうか?

幾ら、フェリクス自身がオリーヴを『僕が招いて来て貰った』等、立てていても、
優しいし、礼儀を重んじているだけと流していた。

「あの、お兄様が、片想いしてるっていうの??」

しかも、相手は、規格外の大女だ!
アレが、将来義姉になるのかと思うと、ぞっとした。

「あり得ない!あたしは信じないからーーー!!」


兄フェリクスは正直、モテる。
少し前にデビュタントを終え、パーティに同伴して貰ったが、その時も令嬢がわんさか寄って来た。
フェリクスは慣れているのか、涼しい顔をして、適当に相手をしていた。

フェリクスならば、格上の令嬢も手に入れられるだろう。
それなのに、あんな大女に、片想いだなんて…

「お兄様の目を覚まさせてあげないと!!」

エリザベスは強い使命感と共に、オリーヴがどれ程駄目女か、フェリクスに知らせる事にした。
だが、塵の様な刺繍を見ても、フェリクスは称賛し…彼には模様に見えるらしい。
屑の様な編み物にも、垂れ下がったボタンにも、にこやかに彼女の努力を褒めた。

「お兄様は優し過ぎるから…」

そこが好きだが、今のエリザベスにとっては、額を押さえさせるものでしかない。

オリーヴへの嫌味も力を入れているが、彼女は傷付いた顔一つ見せない。
まるで手応えが無く、カカシに話しているかの様な感覚がし、
時間が経つ程に、エリザベスの方が虚しくなっていた。


「お母様、今の所、全く効果が無いわ!
あの人、何を言っても、怒りもしなければ、泣きもしないもの!
あんなの、ただの…棒人間よ!
お兄様は馬鹿みたいに、ヘラヘラしてるし!もう、どうしたらいいの!??」

ベアトリスも苦々しく口を歪めた。

「しぶといわね…泣いて逃げ帰れば、まだ可愛気もあるでしょうに…
体と同じで、神経も図太い様ね!
でも、大丈夫よ、手は打ってあるから。
エリザベス、あなたはこのまま、オリーヴに意地悪をして、居心地悪くしてやりなさい」

ベアトリスが怪しげな笑みを浮かべる。
エリザベスは、何を仕組んでいるのか気になったが、
取り敢えずは肩の荷が下りたので、蒸し返す事はせず、「それよりー」と話しを変えた。

「週末、パーティに行っても良いでしょう?お兄様に付いて来て貰うから!」

エリザベスはパーティを楽しみにしていた。
その理由は、想う令息がいたからだ。

パトリック=ロシュ男爵子息。

若く、男らしく、明るく爽やかで、その上、男爵家の跡取り子息だ。
エリザベスはパーティで彼に会い、一瞬にして虜になってしまった。
パーティに行き、彼と親しくなり、ゆくゆくは…と考えていた。

ベアトリスはエリザベスが良い男を捕まえて来ると期待しているので、あっさりと許可した。
だが、少し考えた後…

「フェリクスを連れて行きなさい、ついでにオリーヴもね。
パーティで恥を掻かせてやれば、流石のフェリクスも考え直すでしょう!おほほほ!」

ベアトリスは楽しげに笑う。
エリザベスは正直、パーティを楽しみたかったので、この時ばかりは迷惑だったが、
母の機嫌を損ねてパーティに行けなくなっては、元も子もないので、
作り笑顔で、「分かったわ」と了承した。


◇◇ オリーヴ ◇◇

「ヤー!」
「ヤー!」
「――!」

庭の一角、人目を避けた場所で剣を振り、稽古に勤しんでいると、
ふと、視線に気付いた。
わたしは即座に振り返り、刃を向けたが、そこに居たのは、麦わら帽子を被った老人だった。
見掛けないが、その恰好からも、庭師の手伝いか、下男だろう。

「使用人の方ね?
ごめんなさい、稽古場にお借りしていたの、わたしは、オリーヴ=デュボワ伯爵令嬢です。
この館のご子息、フェリクス様に招待されているの、暫くお世話になります、よろしくね」

自分が不審人物ではないと説明する必要があるだろう。
まぁ、人を呼ばれても、ほとんどの館の者は顔見知りだから、大丈夫とは思うけど。

老人は頷いているのか、麦わら帽子が小さく揺れた。
そして、しわがれた声で控えめに、「そうでしたか、失礼しました」と言った。
だが、立ち去る気配は無い。

「もしかして、この場所の手入れに来たの?
だったら、ここは、わたしに任せて、お借りしているんだから、それ位はするわ。
何をしたら良いかしら?」

日頃から、落ち葉や落ちた枝などは拾っていたが、まだ足りなかった様だ。

「しかし、伯爵家のご令嬢に、その様な事が出来ますかな?」

「ええ、わたしは五体満足だし、頭も付いているから、大抵の事は出来る筈よ。
実家でも稽古場の管理は自分でしていたわ。
剣の手入れだってしているのよ?」

わたしは剣を見せた。
銀色の刃は、陽を浴びて、美しく光った。
老人は安心した様だ。

「それでは、手伝って頂けますかな」
「ええ、何でも言って!」

一緒に稽古場の手入れをした事で、この老人ガブと親しくなった。
会えば気軽に挨拶し、庭の話をしてくれる事もあった。


◇◇


フォーレ伯爵家に滞在してから二週間近くになる。
最初こそ、「縁談を破談にさせてやるわ!」と意気込んでいたけど、
この頃は、そんな事などすっかり忘れ、この生活を満喫していた。

勿論、ベアトリスとエリザベス、彼女たち付きの使用人たちは意地悪で、苛立ちはするが、
他の者たちは歓迎してくれているし、フェリクスとも思いの外、仲良く出来ている。

フェリクスは毎日仕事で忙しくしているが、わたしとの時間は、しっかりと持ってくれている。
それは、わたしを気に掛けてくれているという事だ。

「忙しいなら、無理はしないで良いわよ」と言っているが、
フェリクスはいつもの笑顔で、「ありがとう、君は優しいね」と返してくる。
それは返事になっていないのでは?と思いながらも、落ち着かなり、つい、流してしまう。

「恥ずかしい…というか、何か、もぞもぞするのよね…?
流石、白馬の王子様だわ…」

こういう時には、《白馬の王子》が頭を過るが、大抵の場合、忘れている事の方が多かった。
それは、慣れた所為もあるが、恐らくは、
フェリクスがわたしの描いた《白馬の王子》と、少し違うからだろう。

フェリクスは動物相手だと無邪気だし、表情もくるくると変わる。
言葉遣いだって、全然違う。
動物の事を話している時の彼は、活き活きとしていて、情熱を感じるのだ。

彼は、冷静沈着、事なかれ主義、令嬢たちを惹き付けるだけの、
そんな薄っぺらい《白馬の王子》ではない___と、今は思い始めている。

そして、フェリクスの良い面を見つける度に、わたしの内での彼の好感度は、爆上がりしている。

「最初が低かったのよ!」

きっと、最初の印象が悪過ぎて、何でも良く見えてしまうのだ!

でも、最も、この生活を一番良くしてくれているのは…

「わたしの可愛い子たち!」

老犬ダイアンに、番犬のジョイとボヌー、愛らしい猫たち、丁寧に手入れをされた馬たち!
それに牛や羊たちも!
愛おしくて堪らない!!

「ああ!わたし、みんなと一緒に、一生、ここで暮らしたいわ!」

ダイアンを抱き締めて言ってしまった事は内緒だ!

「あら?フェリクスだわ…」

わたしはふっと、庭の方から歩いて来るフェリクスに気付いた。
白いシャツにズボン…随分、寛いだ格好をしている。
向こうで何をしていたのかしら?
そういえば、今日は昼食に彼の姿が無かった…
わたしがぼんやりとそれを思い出していた所、
こちらに気付いたフェリクスが、「やぁ!」と手を振った。

「フェリクス!どうしたの?仕事をしているんだと思っていたわ!」

「産気づいた牛がいてね、手伝っていたんだ」

「ええ!?牛が生まれたの!?呼んでくれたら良かったのに!わたしも見たかったわ!」

「ごめんね、君が見たがるとは思わなくて…嫌がる人も多いからね…」

「わたしは嫌じゃないわ!」

「ふふ、そうらしいね、次からは君も呼ぶ事にするよ。
今から行く?可愛い子牛が見られるよ」

わたしは即座に「行くわ!」と立ち上がり、「行って来るわね!」とダイアンを撫でてテラスの手摺を超えた。

「オリーヴ!」

フェリクスが驚いてわたしを受け止めようとしたが、間に合わなかった。
だが、その方が良かった。わたしは独りで華麗に着地をしたのだから。
フェリクスが碧色の目を丸くしている。
彼のこんな顔を見る事は稀なので、わたしは「してやったり!」とにんまりした。

「慣れてるみたいだね?」

「いいえ、今日までは我慢していたわ、早く行きましょう!」

わたしはフェリクスの腕に自分の腕を絡ませた。
フェリクスはいつもとは違い、慌てていた。

「オリーヴ、僕は汚れているから…それに、臭うだろう?」

「ええ、でも、気にならないわ!」

わたしは笑って歩き出した。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢

alunam
恋愛
 婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。 既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……  愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……  そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……    これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。 ※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定 それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、マリアは片田舎で遠いため、会ったことはなかった。でもある時、マリアは、妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは、結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

忘却令嬢〜そう言われましても記憶にございません〜【完】

雪乃
恋愛
ほんの一瞬、躊躇ってしまった手。 誰よりも愛していた彼女なのに傷付けてしまった。 ずっと傷付けていると理解っていたのに、振り払ってしまった。 彼女は深い碧色に絶望を映しながら微笑んだ。 ※読んでくださりありがとうございます。 ゆるふわ設定です。タグをころころ変えてます。何でも許せる方向け。

【本編完結済み】二人は常に手を繋ぐ

ハチ助
恋愛
【あらすじ】6歳になると受けさせられる魔力測定で、微弱の初級魔法しか使えないと判定された子爵令嬢のロナリアは、魔法学園に入学出来ない事で落胆していた。すると母レナリアが気分転換にと、自分の親友宅へとロナリアを連れ出す。そこで出会った同年齢の伯爵家三男リュカスも魔法が使えないという判定を受け、酷く落ち込んでいた。そんな似た境遇の二人はお互いを慰め合っていると、ひょんなことからロナリアと接している時だけ、リュカスが上級魔法限定で使える事が分かり、二人は翌年7歳になると一緒に王立魔法学園に通える事となる。この物語は、そんな二人が手を繋ぎながら成長していくお話。 ※魔法設定有りですが、対人で使用する展開はございません。ですが魔獣にぶっ放してる時があります。 ★本編は16話完結済み★ 番外編は今後も更新を追加する可能性が高いですが、2024年2月現在は切りの良いところまで書きあげている為、作品を一度完結処理しております。 ※尚『小説家になろう』でも投稿している作品になります。

噂の悪女が妻になりました

はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。 国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。 その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。

牢で死ぬはずだった公爵令嬢

鈴元 香奈
恋愛
婚約していた王子に裏切られ無実の罪で牢に入れられてしまった公爵令嬢リーゼは、牢番に助け出されて見知らぬ男に託された。 表紙女性イラストはしろ様(SKIMA)、背景はくらうど職人様(イラストAC)、馬上の人物はシルエットACさんよりお借りしています。 小説家になろうさんにも投稿しています。

婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました

Kouei
恋愛
私セイシェル・メルハーフェンは、 あこがれていたルパート・プレトリア伯爵令息と婚約できて幸せだった。 ルパート様も私に歩み寄ろうとして下さっている。 けれど私は聞いてしまった。ルパート様の本音を。 『我慢するしかない』 『彼女といると疲れる』 私はルパート様に嫌われていたの? 本当は厭わしく思っていたの? だから私は決めました。 あなたを忘れようと… ※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。

いつかの空を見る日まで

たつみ
恋愛
皇命により皇太子の婚約者となったカサンドラ。皇太子は彼女に無関心だったが、彼女も皇太子には無関心。婚姻する気なんてさらさらなく、逃げることだけ考えている。忠実な従僕と逃げる準備を進めていたのだが、不用意にも、皇太子の彼女に対する好感度を上げてしまい、執着されるはめに。複雑な事情がある彼女に、逃亡中止は有り得ない。生きるも死ぬもどうでもいいが、皇宮にだけはいたくないと、従僕と2人、ついに逃亡を決行するのだが。 ------------ 復讐、逆転ものではありませんので、それをご期待のかたはご注意ください。 悲しい内容が苦手というかたは、特にご注意ください。 中世・近世の欧風な雰囲気ですが、それっぽいだけです。 どんな展開でも、どんと来いなかた向けかもしれません。 (うわあ…ぇう~…がはっ…ぇえぇ~…となるところもあります) 他サイトでも掲載しています。

処理中です...