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しおりを挟む次の週末、昼過ぎに来訪を告げるベルが鳴り、
ランメルトと思い扉を開けたのだが、立っていたのはアラード卿で、驚いた。
ランメルトを迎える為の笑みは、驚きと落胆で引き攣ったが、それに気付き、
決まりが悪く、わたしは「まぁ…」と言っていた。
だが、幸いな事に、そんな事に気付く相手ではなかった。
彼は「おお、居たか、入れてくれ」と言いながら、ズカズカと入って来ると、
食事用のテーブルから椅子を引き、ドカリと座った。
ボヌールがはしゃいで、足に飛びついているが、そんな事も気付いていない様だ。
アラード卿は心ここに在らずといった様子で、それを口にした。
「昨夜だが、息子がパーティに来ていた」
わたしは一瞬、ポカンとした。
何事か起こったのかと思い構えていたので、拍子抜けしたのだ。
「それは…珍しい事なのですか?」
「ああ、息子はパーティなんぞには、滅多に来ない」
「この間も、来られていましたが…」
「それは、事前に餌を撒いておいたのだ」
「餌?」
「妻を連れて行くとな」
それが、何故『餌』になるのだろう?
きょとんとするわたしに、「鈍いやつだな!」とアラード卿は吠えた。
まさか、鈍い代名詞であるアラード卿から鈍いと言われるとは思ってもみず、
流石に少し不満を持った。
「おまえが息子を誑かしているなら、あいつは必ず来ると見ていたんだ!」
「誑かしてなどいませんわ!」
「ああ、見た所、息子はおまえを気に掛けてはいるが、抱いてはいないな」
わたしはカッと赤くなった。
「な、何て事をおっしゃるのですか!」
「見たままだ、あいつは、おまえをお人形の様に大事にしている、
まるで、デルフィネにしてやる様にな…」
アラード卿が声を落とす。
だが、わたしも一瞬で、昂ぶっていた気持ちが冷めた。
「はい、わたしは、義母ですから…」
「いや、その事も、俺には未だに信じられずにいるんだ。
あいつは今まで、俺の女に対し、極めて冷淡だった。
挨拶一つまともにしない、顔を合わせようともだ、
いつも『裏切り者』という目で俺を見ていた。
その息子が、俺の再婚をすんなりと受け入れるなど、有り得ないだろう?」
アラード卿の言い分には、確かに説得力があった。
それで、再婚を秘密にしていたのだろうか?
「だが、息子は本気で、おまえを義母と慕っているらしい…
確かに、おまえは俺の周りにはいないタイプの女だ。
慎ましい、頼り無い所は、デルフィネと似ているが…その程度だ」
ええ、わたしは、美人ではありませんもの…
心の中で呟いておいた。
「おまえのお陰で、女遊びがし難くなったわ!」
その結論に、わたしは呆れた。
「デルフィネ様を愛していらっしゃるのに、何故、他の女性と遊ぶのですか?」
「堕落した様に見せておけば、誰も俺に期待などせんだろう?」
「期待とは?」
「周囲は俺に、『騎士団に戻れ』と言う、馬鹿馬鹿しい!俺はもう隠居したんだ!」
デルフィネを亡くし、騎士団を辞めたといっていた。
その時は深く傷付いていたのだろう。
周囲は、傷が癒えれば戻って来ると思っていたのではないか?
彼は英雄なのだから…
「騎士団に戻りたくないのですか?」
「十三年だぞ、もう、体も錆付いて動かんわ!」
「でも、鍛えておられるのでしょう?」
「何故、そう思う?」
アラード卿の目がギラリと光る。
「体付きを見れば分かりますわ、わたしの父など、あなたよりも年は下ですが、
肉が付き、老けて見えます。ですが、あなたは、堂々とされています、
力強く機敏で…隠居だなんて、思いませんでしたわ」
「…まぁ、俺の事は良い、それよりも、息子がパーティに来ていた。
大したパーティでもないのにだ、しかも、女を連れてだ!」
本題はそこだった様だ。
息子が女性を連れていたので、気になったのだろう。
わたしには思い当たる事があったが、ランメルトが話していないのであれば、
余計な事は言えない。
「ランメルトも、二十三歳ですもの、お付き合いされている方もいますわ」
「だが、今まで、パーティなんぞに来た事は無い!」
「それでは、あなたに知って欲しかったのではありませんか?彼女の存在を…」
自分で言いながらも、どんどん気持ちは沈んでいく。
「成程、あいつは俺に似ず、まどろっこしい所があるからな…大いに考えられる!」
アラード卿は、急に深呼吸を始めた。
気を落ち着かせている様だ。
「母親の事があって、あいつは結婚をしないのではないかと思っていた…
そうだな、喜んでやるべきだな…」
わたしは無言で紅茶を淹れると、アラード卿に出した。
アラード卿はそれを一気に飲み干すと、ブッ!!と噴いた。
「苦い!なんだ、この紅茶は!」
紅茶の葉を入れ過ぎてしまった様だ。
わたしは自分の分の紅茶を、そっと脇にやった。
「新しい茶葉ですわ」
「なんだと!?…まぁ、良い、それでだ、あいつに言い付けてやった」
「何をですか?」
「今日の午後、館に女を連れて来いとな、晩餐に招待してやった!
おまえも出席しろ、我が妻としてだ」
「晩餐!?わたしもですか!?そんな…」
わたしは思い掛けない事に驚いたが、アラード卿は顔を顰めた。
「息子が女を連れていたんだぞ?
呼んで晩餐を開くべきだろう、どんな女か見てやる!」
アラード卿の鼻息が荒い。
だが、わたしはぞっとし、断った。
「わたしは、遠慮します…家族ではありませんもの…」
「俺だけでは、気まずいだろう!母親の存在は絶対に必要だ!」
「そんな事はありませんわ、あなたは女性のお友達も多いですし、社交には慣れておいでですもの。
わたしは、気の利いた事など、言えませんし…」
パーティでも、夫人たちに上手く返せなかった。
それを思い出し、わたしは肩を落とした。
「わたしが居たのでは、印象が悪くなりますわ…」
「そんな事は無い!俺は息子と碌に会話が出来んのだ、おまえだけが頼りだ!」
アラード卿は、形振り構っていられないらしい。
同情はするが、ランメルトと彼の恋人と一緒に食事をするなど、わたしには気が重かった。
だが、嘗ての英雄は、攻め方を知っていた。彼は最後に、こう言い放ったのだ。
「夫の命令は絶対だ!アラード卿夫人に拒否権は無い!」
◇
わたしは伯爵令嬢だが、晩餐の経験などは幼い頃だけで、実質、無いに等しかった。
不安はありつつも、ランメルトが作ってくれたのとは違う、最初に貰ったイブニングドレスに着替えた。
急な事もあり、髪は簡単に纏め、先日アラード卿から貰った首飾りと耳飾りの内、
大人しい物を選び身に着けた。
ボヌールは連れて来ても良いと言われていたので、わたしはボヌールを抱え、
館の食堂へ向かった。
食堂の前の小さなホールには、既にランメルトと女性の姿があった。
女性は細身で身長が高く、シンプルなワインレッドのドレスが良く似合っている。
髪はブルネット、美人で大人びていた。
わたしに気付いたランメルトが、「お義母さん」と微笑を浮かべ、軽く抱擁し迎えてくれた。
「何か飲まれますか?」
「いえ、わたしは…」
「父に言われたのでしょう?僕たちもそうなんです、
昨夜突然、明日晩餐に出席しろと言われ…迷惑しています」
ランメルトが苦笑し、視線を彼女に向ける。
彼女は真っ赤な口紅の唇を引き上げ、笑みを見せた。
「あら、私は迷惑なんてしていませんわ、
英雄に晩餐会に誘われるなんて、光栄ですもの」
「お義母さん、彼女はトラバース男爵家の令嬢、スザンヌです。
こちらは、アラード卿夫人」
ランメルトが紹介してくれ、わたしたちは握手を交わした。
「話には聞いていたけど、お若いのね」
「義母は二十一歳だからね」
「それなら、私の方が一つ年上ね、変な感じだわ…」
目力のある茶色の目で見つめられ、わたしは視線を下げた。
その時、調度、アラード卿が現れ、食堂の扉が開かれた。
「よく来てくれたな、俺にはその美女を紹介してくれないのか?」
アラード卿が催促をする。
ランメルトの顔から笑みが消えた。
「こちらはトラバース男爵家の令嬢、スザンヌです。
スザンヌ、父のアラード卿です」
「よく来てくれた、スザンヌ、さぁ、食事をしようじゃないか!」
アラード卿はスザンヌを軽く抱擁し、食堂へ促した。
アラード卿は上機嫌らしい。
反面、ランメルトの機嫌はあまり良くは無かった。
「ランメルト、大丈夫ですか?」
わたしがそっと聞くと、彼は薄い笑みを見せた。
「何がですか?さぁ、僕たちも行きましょう」
ランメルトに促され、食堂に入る。
ここへ入るのは、当然だが、初めてだ。
アラード卿は当然の様に上座に座った。
わたしは何処へ…と戸惑っていると、ランメルトがさり気なく背を押し、
椅子を引き、席を教えてくれた。
わたしはアラード卿の斜め向かいの席、足元にはボヌール。
テーブルの向かいはランメルト、そして、彼の隣はスザンヌだった。
スープが運ばれて来て、晩餐会が始まった。
「スザンヌ、息子とは何処で知り合った?」
一見和やかに会話は進んでいるが、アラード卿の会話の相手はスザンヌに限られている。
息子には聞けないのだろう。
それが分かり、わたしは同情心を持ち、アラード卿を見守ったのだった。
「ランメルトとは、魔法学園で一緒でした。
彼の方が一学年上で、私は彼に憧れる女子生徒の一人だったんです。
そのまま、声を掛ける事なく卒業して、去年、仕事で彼の補佐役を務めて、
そこからですわ、仲良くさせて貰っています」
魔法学園…仕事…
わたしには想像もつかない、遠い世界だ。
彼女は、わたしとは違い、立派な自立した女性なのだ…
わたしは自分が恥ずかしく思えた。
「フン、長く付き合っている様だな、この館に来たのは初めてか?」
「はい、誘って頂けて光栄ですわ、ランメルトは秘密主義で有名ですもの」
スザンヌは事情を知らない様だ。
ランメルトは触れて欲しくない所だろう…わたしはヒヤリとした。
「スザンヌ様は、どちらにお住みですか?」
わたしは話を逸らそうと、唐突だがそれを聞いた。
「私は仕事があるので、王都に住んでいます、実家は遠いので」
「王都はいかがですか?賑やかなのでしょうね…」
「ええ、活気があって、刺激的ですわ!王都に一度住むと、他には行けません!
ランメルトが何故、毎日ここから通って来ているのか、皆不思議がっているんですよ」
ランメルトを見ると、答える気は無いのか、黙々と食事を進めていた。
代わりに、アラード卿が皮肉めかし答えた。
「王都の別邸には、俺が良く行くからだろう」
「ええ、僕だけでも、館にいなければ…」
「それなら、王都に館を移されたらよろしいわ」
スザンヌに悪気は無かっただろう。
だが、アラード卿とランメルトの間には、重い沈黙が流れた。
アラード卿は誤魔化す為か、ワインを煽る様に飲んだ。
「ランメルトは、乗馬が好きなのだと思っていました」
わたしは助けになればと思い、言った。
だが、それも言ってはいけない事だったらしい…突如、アラード卿が声を荒げた。
「乗馬が好きなら、魔法学園なんぞに行かず、騎士になれば良かったんだ!」
「すみません、余計な事を申しました…」
「お義母さんの所為ではありません、父は僕を騎士にしたかったんですよ」
「ああ、そうだ!男なら騎士になるべきだ!騎士はいいぞ!なんたって、格好良い!」
「彼は魔術師として、とても優秀ですよ」
「魔法がなんだ!剣を持て!おい、おまえも言ってやれ!」
アラード卿は何を思ったのか、わたしを嗾けようとした。
ランメルトが胡乱な目でわたしを見る。
「ランメルトの話を聞いてみなければ…」
「俺は、おまえが、騎士と魔術師、どちらがいいのかと聞いているんだ!」
アラード卿は酔っ払わないと言っていたが、完全に酔っている様に見えた。
「わたしには、どちらも格好良く思えます。
誰かを守ろうとする姿は、何者であっても格好良く、尊いものですわ」
騎士か魔術師かなど、わたしには問題ではなかった。
大事なのは、それが『誰か』という事だけだ…
「フン、女の考えそうな事だ…」
アラード卿は零すと、ワインを煽った。
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