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アルバーン公爵令嬢ヴァイオレット。

十九歳、名門王立貴族学院の二年生だ。
学院は、男子部女子部で別れているが、
全生徒を通し、この名を知らぬ者はいないだろう。

美しく艶のある黒髪に、鮮やかな紫色の瞳。
貴族らしい整った顔立ち、長い手足、ふくよかな胸、括れた腰は、
全貴族令嬢たちの憧れだろう。
その上、【第二王子カルロスの婚約者】なのだから、
知らないというなら、相当の田舎者か、重度の頭の病に侵されているに違いない。

「ヴァイオレット様だ!」
「早く避けるのよ!」

今日も、皆が廊下の脇に避け、わたしに道を譲る___
わたしは皆に手間を掛けさせない為、廊下であれ、通路であれ、
いつも真ん中を歩く様にしている。
公爵令嬢ともなれば、気配りは大事だ。
わたしは上品な微笑みを持ち、背を正し、堂々と廊下を歩いた。
【何時、如何なる時でも、公爵令嬢としての気品を忘れてはいけない___】
これは、我がアルバーン公爵家の家訓だ。

「ふ~、緊張したー」
「まるで、女王様だよな」
「馬鹿!聞こえるぞ!」

聞こえているわ、だけど、悪い事じゃないんだから、もっと、堂々と言ってくれてもいいのに。
でも、流石、王立貴族学院の生徒ね、皆、礼儀正しく上品だわ。

感心しつつ、渡り廊下に出ると、気持ちの良い風が吹き抜けた。
春の陽気に惹かれ、庭に目を向けた時だ。

バシィィィ!!

突如、後頭部に強い衝撃を受け、わたしはその勢いのまま、倒れたのだった。

バタン!!

「い、痛、たたた…もう、何なのよ!誰がやったの!」

突然襲われたのだ、悪態の一つや二つ、吐いても良いだろう。
わたしは痛む後頭部を擦りつつ、周囲を見回したが、人気は無く、しんとしている。

「誰もいないの?」

それはそれで、不気味なのだが…
ふと、側に、一冊の本が転がっているのに気が付いた。
厚みは然程無いが、しっかりとした厚紙で装丁されているので、凶器としては十分だ。

「こんな本を投げつけるなんて!わたしを殺す気!?
絶対に許さないわよ!見つけ出して、しかと説教してやるわ!
それから、教師に報告して減点、罰則よ!覚悟なさい!」

その為にも、誰が投げつけたのか、見つけなくてはいけない。
報復に燃えたわたしは、手掛かりは無いかと、装丁を見た。
暗赤色の表紙を、色味の薄い金色の蔦模様が飾っている。
中央部分には模様は無く、代わりに鈍い金色のインクの文字が、長々と並んでいた。

【乙女なヒロインに俺様王子からの溺愛が止まらない!】

「これが、表題なの?
だとしたら、著者は錯乱していたのかしら?それとも、何か悪い病気?」

困惑のあまり、声が漏れてしまった。
その表題は、普段わたしが読む本とは掛け離れた雰囲気を醸し出している。
開くのを戸惑わせたが、「犯人探しの為よ!」と割り切り、わたしは本を開いた。

少し目を通しただけだが、直ぐに《それ》に気付いた。

物語の舞台は、学院らしいのだが…

「ルーセント王国、名門王立貴族学院…?」

国名も、学院の名も、《ここ》と同じだ。
学院が男子四年制、女子二年制で別れている事、
その他、基本となる背景、設定も同じだった。

「この学院をモデルに、創作したのかしら?」

そう考えると、途端に興味が出てきた。

「面白そうじゃない!」

わたしは本を閉じ、持ち帰る事にした。
どうせ、犯人は逃げてしまったし、少し位、借りても文句は無いだろう。

「慰謝料の代わりよ!」





「アン、紅茶とビスケットをお願ね」

授業が終わり、わたしは急いで寮に帰った。
着替えを素早く済ませ、寮付きの侍女にお茶を頼み、本を持って長ソファに掛ける。
肘掛に凭れ、足を伸ばすと、体が喜んだ。
わたしは至福の時を味わいながら、本を開いた。

侍女が紅茶とビスケットを、目の前のテーブルに置いた時、
「下がっていいわよ」と言ったのを最後に、わたしは本の世界に入り込んでいた。

序盤は、主人公であるヒロインの生い立ちが書かれていた。
彼女は平民の娘で、名はデイジー。
生まれた時から父はおらず、母と二人暮らしで苦労もあったが、デイジーが十四歳の時、
母がコットン伯爵の後妻となった事で、デイジーは養女として迎えられ、
貴族の仲間入りを果たしたのだった。
その二年後、将来を考え、「貴族令嬢としての教育を受けた方が良いだろう」との、
養父コットン伯爵の意向により、名門、王立貴族学院の試験を受け、無事入学となった。

だが、周囲は、デイジーが元は平民で、伯爵の養女であると知っていた為、
見下し、親しくしようとはしなかった。
その為、デイジーは学院生活に馴染めずにいた___

「貴族社会だもの、仕方ないわね…」

皆、家柄により、態度を変えるものだ。
そして、釣り合いの取れる者たちとしか付き合わない。
それは、変に家柄が下の者と付き合うと、気を使わせてしまうからだ。
誰だって、窮屈な思いはしたくないし、させたくない。
ヒロインのデイジーは、『自分は嫌われている!』と泣いているが、好き、嫌いは別である。

一人寂しく泣いていたデイジーに声を掛けてくれたのは、学院で一番有名な、
第二王子、カルロスだった___

「カルロス様!??」

わたしはその名を目にし、思わず声を上げてしまった。

カルロス・ルーセント。
彼は、何を隠そう、わたしの婚約者だ!
しかも、【輝く金髪、夢の様な青色の目、端正な顔立ち…】等々、
かなり美化されているが、カルロスだとはっきりと分かる。

「カルロス様をモデルに、しかも名まで出すなんて!
この本の著者は牢屋行ね!」

名誉棄損、侮辱罪だ!

本の中のカルロスは、やたらとキザだった。

【何を泣いているんだい?】
【可愛い君に、涙は似合わないよ、子猫ちゃん】

「こんな事、カルロス様は絶対に言わないわ」

思わず鼻で笑ってしまった。
だが、本の中のデイジーは、カルロスを一目見て、恋に落ちてしまった。

「え?カルロス様は、わたしの婚約者よ?」

例え創作といえ、他の女が自分の婚約者に恋をするなど、気分が良い筈がない。
わたしは無意識に顔を顰め、ビスケットを掴み取ると、ボリボリ齧った。

【ああ、何て素敵なの…カルロス様】

「可哀想だけど、あなたに望みはないわよ、デイジー」

わたしは紅茶をぐいっと飲み、頁を捲った。
わたしの望み通り、デイジーは直ぐに婚約者の存在に気付く事になった。
その婚約者の名は…

「ヴァイオレット・アルバーン公爵令嬢…わたしじゃないの!」

まさか、本当に、自分の名が出て来るとは思わず、驚いた。
だが…

【闇の如く漆黒の髪は、縦にロールにされ、一見荒縄に見える…】

「荒縄?」

わたしは思わず、自分の髪の一ロールを手にした。
いつも通り、綺麗にカールされている。
美しく上品で、気に入っているというのに…

「これが荒縄だなんて、失礼ね!」

【怪しい光を持つ紫色の目は、獲物を狙う魔物を思わせる】
【整った顔立ちではあるが、目は吊り上がり、真っ赤な唇は毒々しく、邪気に満ちている】
【背は恐ろしく高く、周囲の令嬢たちよりも、頭一つ飛び抜けている】
【彼女が歩けば、その後には草一本も生えないだろう…】

「何よ、これ!美化していない所か、悪意の塊じゃない!断固、訴えてやるわ!」

バシィ!!音を立て、本を閉じる。
テーブルに本を投げ付け、ビスケットを鷲掴みにし、口に入れた。
ボリボリボリボリ…!!

「ああ、時間の無駄をしたわ!勉強でもした方がマシね!」

わたしは本の事は忘れ、授業の復習と予習をした。
いつも通り、侍女が運んで来てくれた晩食を食べ、寝支度をし、ベッドに入った。
だが、何故か今日は、中々寝付けない…

頭に浮かんで来るのは、あの本の事だ。

物語はどうなるのかしら?
当然、カルロス様とわたしは、結ばれるのよね?
デイジーは振られるわよね?

「訴えるなら、全部読む必要があるわよね…」

わたしはベッドから這い出し、床に転がっていた本を拾った。
憎たらしい事に、傷も入っていない。
本を手にベッドに戻ると、ランプの灯りの中、頁を捲った。

すると、本の中では、ヴァイオレットとデイジーが対峙していた。

【カルロス様はわたくしの婚約者ですのよ?】
【軽々しく近付かないで下さらない?】
【平民の娘など、汚らわしい!】

「まぁ、当然ね…
人の婚約者に色目を使うなんて、貴族令嬢にあるまじき行為、ふしだらだもの!」

厳しく言われたデイジーは、独り泣き崩れる。

「思い知ったのね」

わたしは「うんうん」と頷いたが、デイジーは全く反省していなかった。

【あんな傲慢で無慈悲な方が、カルロス様の婚約者だなんて…】
【カルロス様がお可哀想だわ…】

「え?わたしが悪いの?」

傲慢で無慈悲だなんて!勘違いも甚だしいわ!

「わたしは親切で言ってあげてるのに…」

正確には、本の中のヴァイオレットだが。
それでも、胸の中はモヤモヤとし、嫌な気分になった。
「むううう」と唸りつつ、頁を捲った。

【それでも、あの方は婚約者…カルロス様の事は諦めなきゃ…】

「ちょっと、引っ掛かりはあるけど…気付いてくれて、ありがとう」

【ああ、でも、どうしたら、この恋心を消す事が出来るの?】
【こんなに、好きなのに…】
【カルロス様を忘れるなんて、無理!できっこない!】

はあああ?

「もう少し、頑張りなさいよ!この、根性無し!」

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