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しおりを挟む「アンリ!!」
「!!」
わたしは恐怖に動けずにいた。
出来たのは、腕で顔を庇う事位だ。
ガツ!!ガツ!!!
「こいつ___!!」
「ギャン!!」
物騒な音が続き、わたしは恐る恐る、手の隙間からそちらを見た。
黒い獣が茂みの奥へ逃げて行く処で、わたしはガクガク震えながらも、胸を撫で下ろした。
「た、助かった…」
だが、それは間違いであると、直ぐに気付かされた。
目の前の小さな体が、ガクリと崩れ、地面に膝を着いた時に___
「ティム!?どうしたの!?怪我をしたの!?」
わたしは慌ててティムに駆け寄った。
その手には、血に染まったナイフが握られている。
そして、ティムの顔半分が、赤く染まっていた。
「!!」
叫びそうになり、手で口を覆った。
獣にやられたのだろう、酷い出血だ。
わたしはパニックになりそうな自分を何とか抑え、冷静になろうと努めた。
しっかりして!ティムを助けられるのは、わたししかいないのよ!!
「ティム!しっかりして!絶対に助けるから!!」
わたしはリュックから布を取り出し、ティムの顔に巻いた。
素早く荷物を纏め、馬に縛り付ける。
「アンリ、火を消して…」
ティムに言われ、わたしは火をランプに移し、焚火を消した。
馬に乗り、ティムの両手を自分の腰に回し、布でキツク縛った。
「直ぐに着くから、頑張って!」
わたしはティムを励まし、馬を走らせた。
近くの村に駆け込み、助けを求めた。
「助けて下さい!子供が怪我をしたんです!」
深夜だというのに、村人が数人出て来てくれ、近場の家にティムを運び込み、老医師を呼んでくれた。
その間も、わたしは生きた心地がしなかった。
傷や血を見るのは初めてで、酷く恐ろしかった。
だが、それ以上に、ティムが死んでしまったらと考えると怖かった。
わたしはティムの傍に付き、その手を握り、祈った。
「ティム、大丈夫よ、絶対に大丈夫…」
どうか、死なないで!
ティムまで連れて行かないで!
老医師の治療により、ティムの傷は塞がれ、一命を取り留めた。
出血が多かった事もあり、二日程、村で休ませて貰った。
二日も経てば、ティムもすっかり元の元気を取り戻していた。
「もう少し、休んだ方が…」
「大丈夫だって!顔の怪我だけなんだから」
『だけ』と言うが、ティムの顔は半分、布が巻かれていて、痛々しかった。
「ごめんなさい、傷痕は残ると言われたわ…
怪我したのは、わたしを庇ったからでしょう?」
ティム一人ならば、こんな事にはならなかったのではないか…
わたしは酷く責任を感じていた。
だが、ティムはあっけらかんとしていた。
「別にいいよ、おれ、男だから。
それに、名誉の負傷ってヤツ?恰好良いじゃん!」
ティムは照れた様に笑ったが、わたしはとても笑えなかった。
ティムは子供で、分かっていないのだ。
名誉の負傷など、他人の目には分からない。
『顔に傷がある』というだけで、醜男と評され、怖がられ、避けられる事になる。
こんな綺麗な顔に、消えない傷を付けてしまった___!
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
謝る事しか出来ない。
「謝るなって、おれはアンリを助けられて、良かったって思ってんだからさ。
アンリが怪我しなくて良かった…
怪我したのがアンリだったら、おれじゃ運べなかったし!
おれだって、アンリに助けられたよ、だから、いいんだ」
わたしは頭を振った。
「だったら、アンリ…アンジェリーヌ、おれと結婚してよ」
「え!?」
わたしは冗談かと思ったが、ティムは頬を赤くし、わたしをじっと見つめていた。
「でも、わたしは十歳も年上なのよ?」
「おれはいいよ、アンジェリーヌ、可愛いし」
「今はそうでも、直ぐにおばさんになっちゃうわ…」
一方、ティムは素敵な男性に成長するだろう。
そして、わたしなんかよりも、綺麗で可愛い女性と結婚する…
「おばさんになったアンジェリーヌも、きっと可愛いよ!
おれと一緒に、牧場をやるんだ!アンジェリーヌとなら、絶対に楽しいよ!」
そんな風に言って貰えるのはうれしいが、それを鵜呑みにする事は出来ない。
成長と共に考えや感覚は変わってしまうものだ。
別れたら、わたしの事なんて、きっと直ぐに忘れてしまうわ…
「それなら、十年後、もう一度、申し込んでくれる?」
本気ではなかった。
そんな日は来ないとわたしには分かっていたが、ティムはパッと笑顔になった。
「分かった!忘れるなよ!約束だからな!」
◇◇
アザールに着くという日、わたしたちは町の宿に立ち寄った。
家族が心配しない様に、風呂に入り、汚れを落とす為だ。
とはいえ、ティムの顔には包帯が巻かれているので、効果は無いかもしれない。
わたしは包帯が巻かれていない方の顔を、濡らした布で丁寧に拭いてあげた。
そして、包帯を解き、薬を塗り、包帯を巻き直した。
「まだ痛む?」
「この位平気だよ、おれ、男だから!」
自尊心だろうか、ティムはよく「男だから」と言う様になった。
それが何だか可愛らしく思えた。
勿論、笑うと拗ねるので我慢した。
わたしたちは馬に乗り、郊外の牧場を目指した。
なだらかな傾斜を上がって行くと、若い緑色の牧草地が広がっていた。
方々に、牛や羊の群れが見える。
「ティム、どの家か分かる?」
「煉瓦造りで、赤色の屋根の家、厩舎は少し離れてる…」
「あ!見て!あの家じゃないかしら?」
わたしは腕を伸ばし、指差した。
牧草地の中、ポツンと建つ、赤色の屋根の煉瓦造りの家が見えた。
側には厩舎もある。
「うん!きっとあれだよ!降ろして、アンジェリーヌ!」
ティムは馬を降り、駆け出した。
わたしも馬から降り、ゆっくりと後を追った。
家族の再会を邪魔してはいけないので、家の前で待つつもりだったが、
ティムは家には向かわず、手前の柵の所で足を止めた。
「ティム、どうしたの?」
ティムは柵の隙間から、覗く様に家の方を見ている。
「あれ、見て」
ティムが指す方を見ると、お腹の大きな女性が鶏に餌をやっていた。
「ティムのお母さん?」
「うん」
見ていると、家から小さな男の子が出て来て、女性の足に飛びついていた。
女性は朗らかに笑い、男の子を抱き締めた。
ティムはクルリと背を向け、俯いた。
「帰ろう、アンジェリーヌ」
暗い声にギクリとする。
「でも、折角来たのに…」
長い道のりを思えば、生半可な気持ちでは無かった筈だ。
「おれの事なんて、きっと忘れてる…」
ティムが歩き出す。
わたしは馬を引き、後を追った。
「おれの母さん、金持ち貴族の家のメイドだったんだ。
そこの主人が母さんに手を付けて、正妻が怒って追い出したんだ…」
ティムは独り言の様に、ポツポツと話した。
母ヘレナは身籠った事で、主人との不貞を正妻に知られ、館から追い出された。
ヘレナはアザールの実家に身を寄せる事にした。
牧場主をしている幼馴染のポールは、身重の彼女を気遣い、何かと助けていた。
二人は親密な関係となり、程なく結婚した。
ポールは優しい人柄で、ティムの事を本当の息子の様に可愛がった。
三年後、二人の間にも子が出来、家族四人、幸せな日々を送っていたのだが、
今から一年前、突然、貴族の家から迎えが来た。
後継ぎだった正妻の息子が病で亡くなり、ティムを後継ぎにする事にしたのだ。
ヘレナもポールも反対したが、
「贅沢な暮らしが出来、十分な教育も受けられる。
こんな田舎の牧場に埋もれさせて満足か?この子の為だ___」と説得された。
ティムは「嫌だ」と暴れたが、男たちは無理矢理、ティムを連れ帰った。
「これで後継ぎ問題が解決した」と安堵した主人は、ティムを歓迎した。
だが、他の者たち、正妻とその娘は酷くティムを憎んでいた。
主人のいない処で、ティムに酷く当たり、何かと意地悪をした。
使用人たちも正妻と娘に肩入れをし、同じ様にティムを冷遇した。
頼りの主人は、ティムに家庭教師を付けた後は、見向きもしなくなった。
ティムは牧場育ちで、これまで教育など受けた事もなかった為、家庭教師からは散々に馬鹿にされた。
冷たい家族、冷たい使用人たち…
8歳の誕生日を迎えるも、祝ってくれる者はいなかった。
誰にも必要とされていない、誰も自分を愛していない___!
どうして、自分はこんな館にいるのか?
何故、ここに居なければならないのか?
自分が望んだ訳でもないのに___
「ふざけんな!!」
遂にティムは切れた。
「ここは、おれの家じゃない!」
「本当の家に帰るんだ!」
「本当の家族のいる場所に___」
ティムは金目になりそうな物を搔き集め、袋に入れて館を抜け出した。
館を抜け出す事は簡単だった。
誰もティムに関心が無いのだから。
町へ行き、物を金に換え、旅に必要な物を揃えた。
金はあっても、子供一人では目立つ為、馬車には乗れない。
ティムは荷馬車に潜り込み、町を出た。
「ここにも、おれの居場所はなかった…」
いつも元気なティムが俯き、唇を噛む。
その小さな手はギュっと拳を握る。
「そんな事ないわ、戻りましょう、今会わないと、きっと後悔するわ!」
「何も知らない癖に!!」
「知ってるわ、わたしもいつでも会えると思っていたの、一緒に暮らしていたから。
わたしは家族よりもパーティを優先した…そして、二度と会えなくなった…」
わたしは馬の綱をティムに渡し、踵を返した。
「アンジェリーヌ!」
「ティムは会わなくてもいい、わたしが会って来るわ!」
わたしは走って道を引き返した。
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